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八章 王二人
貧困な発想
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豊後大友家との戦いも終わり、後始末を毛利 元就・隆元親子に任せた俺は阿波国へと戻る。
これで九州統一まで残す所平戸と五島列島のみとなった。この二つの地域は小勢力のため、後は九州勢に任せておけば問題無いだろう。果報は寝て待てである。
とは言え、今回の九州遠征では大きな問題が一つ残った。それは当家に降り、新たに土佐大友家となった当主に誰をねじ込むかだ。万年人手不足の当家では、こういった時の適任者が枯渇している。
同じく適任者で悩んでいた新生土佐一条家の当主問題は、意外な人物の協力によってあっさりと解決する。まさか一条 兼定の妹である阿喜多殿が、婿養子を受け入れるとは誰もが思わなかった筈だ。保護して一月を経た頃、人質として当家で養育していた毛利 元就の四男を突然連れて来たかと思うと、「この方となら婚姻をしても良い」と言い放つ。
その時、俺を含めた執務室にいた全員が、何が起きたのか理解できずに口をぽかんと開けてしまったのは、今も語り草である。
理由を確認すると、ただ一言「顔」と答える始末。何かが間違っている気もするが、当人がそれで良いのならこちらにも否はない。婚姻に際して年齢差やら家格のつり合いやらの諸々の問題はあったものの、これにて新生土佐一条家は、新たな一歩を踏み出した。
なお毛利 元就の四男はまだ一〇歳ながらも、婚姻を機に一条 元清の名で元服する。当人に拒否権は無く、周りが全てお膳立てをして式も終わらせた。姉さん女房、しかも相手が一条家のお姫様となれば、今後の夫婦生活は大変だろうとは思う。それでも負けずに頑張って欲しいものだ。
後から漏れ聞く所、どうも阿喜多殿は豊後国での貧乏暮らしにかなりの不満を持っていたらしく、阿波国での寺生活を何としてでも避けたかったらしい。毛利 元就の四男を自身の夫に選んだのは、豊後毛利家からの支援も期待してのものだとか。義理の兄が二カ国の国主であるなら生活は困窮しない。そんな狸の皮算用があったという。いつの時代も女性は強かなものである。
余談ではあるが、阿喜多殿の中では俺の側室になるという選択肢は初めから無かったそうだ。その理由は顔。俺の顔は阿喜多殿の好みではないらしい。加えて多額の借財があるのも大きな減点要因だとか。
懐かしのアッシー、メッシーの単語が頭を過った。
それはさて置き土佐大友家の新当主は、さんざん悩んだ挙句に大新宮の清水 宗知を養子にねじ込む形で決着する。
これは先の九州での戦いで、戸次 鑑連を討ち取った功績を評価してのものだ。当の本人は「討ち取ったのは 山中 幸盛です」と謙遜したものの、その部隊を指揮していた事実に変わりはない。土佐大友家を率いるにはこの実績が大きく生きると説得して、何とか納得をしてもらった。
ただいきなりの土佐大友家入りでは、備中清水家の家格が足りないため、肥前国で悠々自適の生活を送っている御三家の渋川 義基様の養子を経由する形で手続きをする。
これにて土佐大友家は、九州探題家の一族という地位も手に入れた。単なる養子受け入れなら家中に不満も残ったろうが、この措置は大いに喜ばせたに違いない。新当主の元、家中がしっかり纏まるのを期待している。
その後、大友 義鎮の娘を正室に迎え、名を大友 宗知に改める。補佐には駿河今川家から預けられた恵新を付けておいた。現在は僧として生きているものの、元は三英傑の一人 徳川 家康の兄弟だ。きっと恵新なら、角隈 石宗と協力して土佐大友家を良い方向に舵取りしてくれるであろう。
こうして二家の乗っ取りも無事完了。しかしながら今後は、こうした乗っ取りは控えた方が良さそうである。
▲ ▽ ▲ ▽ ▲ ▽
「国虎、随分と悩んでいるわね。何書いてるの?」
「いや何和葉、三好 長慶を食事に誘おうと思ってな。場所を何処にするかで迷っている」
「国虎と三好様とは敵同士でしょ? 周りの目もあるから止めておいた方が良いんじゃない」
「その通りではあるんだが、俺の細川京兆家家督継承に大量の祝いの品が贈られてきたからな。貰ったままという訳にはいかなくてな」
永禄三年 (一五六〇年)となる今年は様々な出来事が起きた。いや、その始まりは昨年末から始まっていたと言って良い。
まず昨年一二月の本願寺の門跡昇格を皮切りに、永禄三年の一月にはついに正親町天皇の即位の礼が行われる。朝廷の困窮によって二年ほど儀式が行えない状態が続いていただけに、関係者もようやく胸をなでおろした事であろう。本願寺を始めとした多額の献金が功を奏した形だ。本願寺の門跡昇格は、そのご褒美と言って良い。
次に五月にはかの有名な桶狭間の戦いが起こる。結果は織田弾正忠家の勝利となり、駿河今川家は前当主 今川 義元殿が討ち取られた。これにより織田弾正忠家は、より畿内情勢に関われるようになる。とは言え当面の目標は、北の美濃国攻略になると思われるが。
また八月には、近江国野良田で六角家と浅井家との戦が起きた。この戦自体は初陣となる近江浅井家当主 浅井 賢政が勝利を収めるも、その後に三好宗家が北近江の近江浅井領に乱入して占領をしてしまう。
先代の浅井 久政の代は三好宗家と協力関係にあったのが嘘であるかのような、見事な掌返しと言わざるを得ない。
これも全ては室町幕府と三好宗家の和睦が影響しているのだろう。三好宗家と犬猿の仲であった近江六角家も、室町幕府の仲介により関係改善がされた。野良田の戦いでの三好宗家の行動は、それを受けたものと思われる。
更に言えば、三好宗家は近江六角家へ恩を売った形ともなろう。結果として近江六角家は当家に敵対する。三好 長慶の手並みは相変わらず見事であった。
そんな三好宗家がこの程度で満足する筈はない。俺が阿波国不在の間に侵攻を行っていた。その数約一万。
この阿波国での戦いで興味深かったのが、讃岐畑山家に所属している塩飽水軍の力を借りる手筈を事前に整えていた点であろう。小寺 孝高が行っていた。
どういう意味かと言うと、戦いは阿波国の陸上戦力と小早川水軍が敵主力を正面から押さえつつ、横合いから塩飽水軍が襲い掛かる展開となったそうだ。
敵は海上から襲来しているため、退路の確保の問題から船の死守が絶対条件となる。この横合いからの攻撃は、その弱点とも言える船に狙いを絞ったものであった。足が速く小回りの利く小早船の集団からこれでもかと投げ込まれる焙烙玉によって、敵は完全に浮足立つ。
結果として、敵はあっさりと退却をしたそうだ。ここで無理に戦っても、消耗戦となるだけだと悟ったのであろう。敵指揮官の判断は見事と言わざるを得ない。
当家の方も退却する敵に追撃を行わなかったという。敵が余力を残して撤退したのだ。ここで追撃をしようものなら、今度は手痛い反撃を受けるのが分かり切っている。
こうして阿波国撫養港での戦いは、動員した兵こそ敵味方合わせて二万近くとなる大規模なものになりながらも、終わってみれば小競り合いのみとなった。
俺が阿波に戻って従四位下・右京大夫に任官するまで、これだけの出来事が起こる。今年は豊後大友家を降して、京兆の家督を継いだだけでもお腹一杯だというのに、色々あり過ぎて目が回りそうだ。
それに加えて三好 長慶からの贈り物である。中身は米一年分のようなしみったれたものではない。太刀や鼈甲、明製の絹に越後上布等々と高価な品が山盛りで届く。少し前に戦をしたばかりなのが嘘であるかのような対応だ。
とは言え、この高価な品々をそのまま貰うだけでは失礼に当たる。こちらも何か返礼をするべきであり、そんな中で俺なりに出した結論が食事会への招待であった。
「それを言うなら三好様も今年、幕府相伴衆に就任されたのだから、食事じゃなくこちらからも高価な品を贈った方が良いんじゃないの?」
一つ忘れていた。今年は三好 長慶にとっても大きな転機の年となっている。それは今年一月の幕府相伴衆就任と修理大夫の任官である。
幕府相伴衆は、本来の意味的には役職に当たる。だがそれは形骸化し、現在では家格の高さを示す身分となった。具体的には三管領四職に準ずる家格である。足利一門ではない三好 長慶は、最高位に上り詰めたと言って良いだろう。
この件も加味すれば、和葉の言い分は正しい。
だが、そこには一つの問題があった。
「当の本人はタオルが欲しいらしい。俺への贈り物の添え状にそう書かれていた」
「幾ら三好様の希望でも、タオルだけをお祝いの品にする訳にはいかないわね」
「引っ越してきた挨拶じゃないからな。一応は他にも揃えようとは思っているんだが、どうにも俺が思い付くのはトンカツとかソーセージとかで、面倒だから食事会の方が早いとなった。勿論お土産はたっぷりと持って帰ってもらう」
「もう少しきちんとした物が……そういう事ね。今の三好様なら高価な品を贈っても、見慣れていると国虎は言いたい訳だ」
「今や畿内に君臨する大大名だからな。俺のような庶民とは違った贅沢な生活を送っているだろうさ」
「それは言えてるわね」
要するに、大金持ちが喜ぶ品が俺には分からないという話である。何故欲しい物がタオルなのか? 確かにタオルは阿波・土佐を始め、西国での流通を優先している。畿内に卸すのは一部のみだ。そうなれば三好 長慶にとって貴重なのは分かる。
しかし、タオルはタオルだ。太刀に匹敵する高級品ではない。これで三好 長慶の贈り物に対して釣り合うか言われれば、間違いなく否となる。
なお、絶対に喜ぶと思われる新居猛太改やリボルビング・ライフルは、軍事機密のため論外だ。
そのため、今回は食事という体験型の贅沢を贈るのが無難だと考えた。これなら等価値とはいかないまでも、何とか誤魔化せるのでないか。人と食事は常に密接に関わっている以上、美味しい料理で気分良くなってもらう予定である。
……俺に金持ちに対する理解があればこのような事態とならなかったのだが、如何せん贅沢に対する発想が貧困であるのが全ての元凶と言えよう。思い付く贅沢が、原付にハイオクを給油するという体たらくなのだからどうしようもない。
その分、お土産は大量に渡す。主に当家の産物を取り揃えるつもりだ。そこには鯨肉やアカサンゴ、真鍮も加えた方が良いだろう。この時代の真鍮はほぼ輸入品のために、喜ばれるのではないかと考える。
「それで行き着く所は、何処で食事会を行うかになる訳だ。撫養城まで来てくれれば一番楽なんだがな。そういう訳にはいかないだろう?」
「かと言って国虎が京まで出向くのも無理だし、本願寺の貝塚道場を使わせてもらうのが一番無難じゃない?」
「それしかないか。ただなぁ、仏教施設内で肉料理を食って問題にならないかを心配している」
「言われてみればそうね。そうだ。信濃の諏訪大社から『鹿食免』を取り寄せるのはどう?」
「それが手堅いよな。そんな回りくどい事をせず、和泉国の諏訪神社内で食事会を開催しろと言われそうではあるが」
「国虎、それは松山様を始めとした皆さんが許してくれないわよ。港近くにある貝塚道場とは訳が違うから」
「そうなんだよな。諦めるしかないか」
『鹿食免』は諏訪大社が頒布するお札であり、これを持っていれば鹿や猪などの動物の肉を食べても許される効果を持つ……という触れ込みだ。まんま肉食版の免罪符であり、諏訪大社の小遣い稼ぎの一つである。中世の霊感商法と言って良い。
しかしながら鰯の頭も信心からの言葉通り、このお札を持つ当人にはとても役立つ代物となる。何せ持つだけで肉食の禁忌から解放されるのだ。信心深いこの時代の人々にとっては、精神安定剤的効果が期待できる。
肉食の禁止を否定するのは誰もができよう。論理的な説明もそう難しくはないだろう。けれども人は悲しい生き物で、道理だけが全てではない。納得をするには理由が必要となる。それを作るのが『鹿食免』という訳だ。
なら最初から肉料理を出さなければ良いだろうという至極真っ当な反論は、言ってはいけない。
「でもこれで何とかなったわね」
「そうだな。日時は追って知らせるとして、まずは食事会への招待ができる。できれば断って欲しい所だが……」
「三好様なら喜んで参加するんじゃない?」
「和葉もそう思うか」
「今回の三好様の贈り物は、国虎の反応を見るためだと私は思ってるから。どんな返礼になるか楽しみにしてるんじゃない。撫養城の料理番の人達を連れて行って良いわよ。国虎、やるからには料理で三好様を驚かせなさい」
「そいつはありがたいな。恩に着る」
和葉の言葉が全てを物語っていると言って良い。今回の贈り物と返礼は、俺と三好 長慶との前哨戦といった見方ができる。なら俺が驚いた以上の驚きを三好 長慶に与えなければ勝ちとはならない。
そうした意味でも、料理の選択は間違っていないと言える。
問題があるとすれば、こちらが出す料理を相手が美味しいと感じるかどうかだ。もし不味い食事を出してしまえば、目も当てられない結末となるであろう。それだけは何とか避けなければならない。
我に秘策あり。例え三好 長慶が日々王侯貴族のような食事をしていようと、所詮はこの時代の食事だ。未来の食事を知る俺には敵うまい。
キーワードは日本の国民食。俺はこれで三好 長慶の舌を唸らせるつもりであった。
これで九州統一まで残す所平戸と五島列島のみとなった。この二つの地域は小勢力のため、後は九州勢に任せておけば問題無いだろう。果報は寝て待てである。
とは言え、今回の九州遠征では大きな問題が一つ残った。それは当家に降り、新たに土佐大友家となった当主に誰をねじ込むかだ。万年人手不足の当家では、こういった時の適任者が枯渇している。
同じく適任者で悩んでいた新生土佐一条家の当主問題は、意外な人物の協力によってあっさりと解決する。まさか一条 兼定の妹である阿喜多殿が、婿養子を受け入れるとは誰もが思わなかった筈だ。保護して一月を経た頃、人質として当家で養育していた毛利 元就の四男を突然連れて来たかと思うと、「この方となら婚姻をしても良い」と言い放つ。
その時、俺を含めた執務室にいた全員が、何が起きたのか理解できずに口をぽかんと開けてしまったのは、今も語り草である。
理由を確認すると、ただ一言「顔」と答える始末。何かが間違っている気もするが、当人がそれで良いのならこちらにも否はない。婚姻に際して年齢差やら家格のつり合いやらの諸々の問題はあったものの、これにて新生土佐一条家は、新たな一歩を踏み出した。
なお毛利 元就の四男はまだ一〇歳ながらも、婚姻を機に一条 元清の名で元服する。当人に拒否権は無く、周りが全てお膳立てをして式も終わらせた。姉さん女房、しかも相手が一条家のお姫様となれば、今後の夫婦生活は大変だろうとは思う。それでも負けずに頑張って欲しいものだ。
後から漏れ聞く所、どうも阿喜多殿は豊後国での貧乏暮らしにかなりの不満を持っていたらしく、阿波国での寺生活を何としてでも避けたかったらしい。毛利 元就の四男を自身の夫に選んだのは、豊後毛利家からの支援も期待してのものだとか。義理の兄が二カ国の国主であるなら生活は困窮しない。そんな狸の皮算用があったという。いつの時代も女性は強かなものである。
余談ではあるが、阿喜多殿の中では俺の側室になるという選択肢は初めから無かったそうだ。その理由は顔。俺の顔は阿喜多殿の好みではないらしい。加えて多額の借財があるのも大きな減点要因だとか。
懐かしのアッシー、メッシーの単語が頭を過った。
それはさて置き土佐大友家の新当主は、さんざん悩んだ挙句に大新宮の清水 宗知を養子にねじ込む形で決着する。
これは先の九州での戦いで、戸次 鑑連を討ち取った功績を評価してのものだ。当の本人は「討ち取ったのは 山中 幸盛です」と謙遜したものの、その部隊を指揮していた事実に変わりはない。土佐大友家を率いるにはこの実績が大きく生きると説得して、何とか納得をしてもらった。
ただいきなりの土佐大友家入りでは、備中清水家の家格が足りないため、肥前国で悠々自適の生活を送っている御三家の渋川 義基様の養子を経由する形で手続きをする。
これにて土佐大友家は、九州探題家の一族という地位も手に入れた。単なる養子受け入れなら家中に不満も残ったろうが、この措置は大いに喜ばせたに違いない。新当主の元、家中がしっかり纏まるのを期待している。
その後、大友 義鎮の娘を正室に迎え、名を大友 宗知に改める。補佐には駿河今川家から預けられた恵新を付けておいた。現在は僧として生きているものの、元は三英傑の一人 徳川 家康の兄弟だ。きっと恵新なら、角隈 石宗と協力して土佐大友家を良い方向に舵取りしてくれるであろう。
こうして二家の乗っ取りも無事完了。しかしながら今後は、こうした乗っ取りは控えた方が良さそうである。
▲ ▽ ▲ ▽ ▲ ▽
「国虎、随分と悩んでいるわね。何書いてるの?」
「いや何和葉、三好 長慶を食事に誘おうと思ってな。場所を何処にするかで迷っている」
「国虎と三好様とは敵同士でしょ? 周りの目もあるから止めておいた方が良いんじゃない」
「その通りではあるんだが、俺の細川京兆家家督継承に大量の祝いの品が贈られてきたからな。貰ったままという訳にはいかなくてな」
永禄三年 (一五六〇年)となる今年は様々な出来事が起きた。いや、その始まりは昨年末から始まっていたと言って良い。
まず昨年一二月の本願寺の門跡昇格を皮切りに、永禄三年の一月にはついに正親町天皇の即位の礼が行われる。朝廷の困窮によって二年ほど儀式が行えない状態が続いていただけに、関係者もようやく胸をなでおろした事であろう。本願寺を始めとした多額の献金が功を奏した形だ。本願寺の門跡昇格は、そのご褒美と言って良い。
次に五月にはかの有名な桶狭間の戦いが起こる。結果は織田弾正忠家の勝利となり、駿河今川家は前当主 今川 義元殿が討ち取られた。これにより織田弾正忠家は、より畿内情勢に関われるようになる。とは言え当面の目標は、北の美濃国攻略になると思われるが。
また八月には、近江国野良田で六角家と浅井家との戦が起きた。この戦自体は初陣となる近江浅井家当主 浅井 賢政が勝利を収めるも、その後に三好宗家が北近江の近江浅井領に乱入して占領をしてしまう。
先代の浅井 久政の代は三好宗家と協力関係にあったのが嘘であるかのような、見事な掌返しと言わざるを得ない。
これも全ては室町幕府と三好宗家の和睦が影響しているのだろう。三好宗家と犬猿の仲であった近江六角家も、室町幕府の仲介により関係改善がされた。野良田の戦いでの三好宗家の行動は、それを受けたものと思われる。
更に言えば、三好宗家は近江六角家へ恩を売った形ともなろう。結果として近江六角家は当家に敵対する。三好 長慶の手並みは相変わらず見事であった。
そんな三好宗家がこの程度で満足する筈はない。俺が阿波国不在の間に侵攻を行っていた。その数約一万。
この阿波国での戦いで興味深かったのが、讃岐畑山家に所属している塩飽水軍の力を借りる手筈を事前に整えていた点であろう。小寺 孝高が行っていた。
どういう意味かと言うと、戦いは阿波国の陸上戦力と小早川水軍が敵主力を正面から押さえつつ、横合いから塩飽水軍が襲い掛かる展開となったそうだ。
敵は海上から襲来しているため、退路の確保の問題から船の死守が絶対条件となる。この横合いからの攻撃は、その弱点とも言える船に狙いを絞ったものであった。足が速く小回りの利く小早船の集団からこれでもかと投げ込まれる焙烙玉によって、敵は完全に浮足立つ。
結果として、敵はあっさりと退却をしたそうだ。ここで無理に戦っても、消耗戦となるだけだと悟ったのであろう。敵指揮官の判断は見事と言わざるを得ない。
当家の方も退却する敵に追撃を行わなかったという。敵が余力を残して撤退したのだ。ここで追撃をしようものなら、今度は手痛い反撃を受けるのが分かり切っている。
こうして阿波国撫養港での戦いは、動員した兵こそ敵味方合わせて二万近くとなる大規模なものになりながらも、終わってみれば小競り合いのみとなった。
俺が阿波に戻って従四位下・右京大夫に任官するまで、これだけの出来事が起こる。今年は豊後大友家を降して、京兆の家督を継いだだけでもお腹一杯だというのに、色々あり過ぎて目が回りそうだ。
それに加えて三好 長慶からの贈り物である。中身は米一年分のようなしみったれたものではない。太刀や鼈甲、明製の絹に越後上布等々と高価な品が山盛りで届く。少し前に戦をしたばかりなのが嘘であるかのような対応だ。
とは言え、この高価な品々をそのまま貰うだけでは失礼に当たる。こちらも何か返礼をするべきであり、そんな中で俺なりに出した結論が食事会への招待であった。
「それを言うなら三好様も今年、幕府相伴衆に就任されたのだから、食事じゃなくこちらからも高価な品を贈った方が良いんじゃないの?」
一つ忘れていた。今年は三好 長慶にとっても大きな転機の年となっている。それは今年一月の幕府相伴衆就任と修理大夫の任官である。
幕府相伴衆は、本来の意味的には役職に当たる。だがそれは形骸化し、現在では家格の高さを示す身分となった。具体的には三管領四職に準ずる家格である。足利一門ではない三好 長慶は、最高位に上り詰めたと言って良いだろう。
この件も加味すれば、和葉の言い分は正しい。
だが、そこには一つの問題があった。
「当の本人はタオルが欲しいらしい。俺への贈り物の添え状にそう書かれていた」
「幾ら三好様の希望でも、タオルだけをお祝いの品にする訳にはいかないわね」
「引っ越してきた挨拶じゃないからな。一応は他にも揃えようとは思っているんだが、どうにも俺が思い付くのはトンカツとかソーセージとかで、面倒だから食事会の方が早いとなった。勿論お土産はたっぷりと持って帰ってもらう」
「もう少しきちんとした物が……そういう事ね。今の三好様なら高価な品を贈っても、見慣れていると国虎は言いたい訳だ」
「今や畿内に君臨する大大名だからな。俺のような庶民とは違った贅沢な生活を送っているだろうさ」
「それは言えてるわね」
要するに、大金持ちが喜ぶ品が俺には分からないという話である。何故欲しい物がタオルなのか? 確かにタオルは阿波・土佐を始め、西国での流通を優先している。畿内に卸すのは一部のみだ。そうなれば三好 長慶にとって貴重なのは分かる。
しかし、タオルはタオルだ。太刀に匹敵する高級品ではない。これで三好 長慶の贈り物に対して釣り合うか言われれば、間違いなく否となる。
なお、絶対に喜ぶと思われる新居猛太改やリボルビング・ライフルは、軍事機密のため論外だ。
そのため、今回は食事という体験型の贅沢を贈るのが無難だと考えた。これなら等価値とはいかないまでも、何とか誤魔化せるのでないか。人と食事は常に密接に関わっている以上、美味しい料理で気分良くなってもらう予定である。
……俺に金持ちに対する理解があればこのような事態とならなかったのだが、如何せん贅沢に対する発想が貧困であるのが全ての元凶と言えよう。思い付く贅沢が、原付にハイオクを給油するという体たらくなのだからどうしようもない。
その分、お土産は大量に渡す。主に当家の産物を取り揃えるつもりだ。そこには鯨肉やアカサンゴ、真鍮も加えた方が良いだろう。この時代の真鍮はほぼ輸入品のために、喜ばれるのではないかと考える。
「それで行き着く所は、何処で食事会を行うかになる訳だ。撫養城まで来てくれれば一番楽なんだがな。そういう訳にはいかないだろう?」
「かと言って国虎が京まで出向くのも無理だし、本願寺の貝塚道場を使わせてもらうのが一番無難じゃない?」
「それしかないか。ただなぁ、仏教施設内で肉料理を食って問題にならないかを心配している」
「言われてみればそうね。そうだ。信濃の諏訪大社から『鹿食免』を取り寄せるのはどう?」
「それが手堅いよな。そんな回りくどい事をせず、和泉国の諏訪神社内で食事会を開催しろと言われそうではあるが」
「国虎、それは松山様を始めとした皆さんが許してくれないわよ。港近くにある貝塚道場とは訳が違うから」
「そうなんだよな。諦めるしかないか」
『鹿食免』は諏訪大社が頒布するお札であり、これを持っていれば鹿や猪などの動物の肉を食べても許される効果を持つ……という触れ込みだ。まんま肉食版の免罪符であり、諏訪大社の小遣い稼ぎの一つである。中世の霊感商法と言って良い。
しかしながら鰯の頭も信心からの言葉通り、このお札を持つ当人にはとても役立つ代物となる。何せ持つだけで肉食の禁忌から解放されるのだ。信心深いこの時代の人々にとっては、精神安定剤的効果が期待できる。
肉食の禁止を否定するのは誰もができよう。論理的な説明もそう難しくはないだろう。けれども人は悲しい生き物で、道理だけが全てではない。納得をするには理由が必要となる。それを作るのが『鹿食免』という訳だ。
なら最初から肉料理を出さなければ良いだろうという至極真っ当な反論は、言ってはいけない。
「でもこれで何とかなったわね」
「そうだな。日時は追って知らせるとして、まずは食事会への招待ができる。できれば断って欲しい所だが……」
「三好様なら喜んで参加するんじゃない?」
「和葉もそう思うか」
「今回の三好様の贈り物は、国虎の反応を見るためだと私は思ってるから。どんな返礼になるか楽しみにしてるんじゃない。撫養城の料理番の人達を連れて行って良いわよ。国虎、やるからには料理で三好様を驚かせなさい」
「そいつはありがたいな。恩に着る」
和葉の言葉が全てを物語っていると言って良い。今回の贈り物と返礼は、俺と三好 長慶との前哨戦といった見方ができる。なら俺が驚いた以上の驚きを三好 長慶に与えなければ勝ちとはならない。
そうした意味でも、料理の選択は間違っていないと言える。
問題があるとすれば、こちらが出す料理を相手が美味しいと感じるかどうかだ。もし不味い食事を出してしまえば、目も当てられない結末となるであろう。それだけは何とか避けなければならない。
我に秘策あり。例え三好 長慶が日々王侯貴族のような食事をしていようと、所詮はこの時代の食事だ。未来の食事を知る俺には敵うまい。
キーワードは日本の国民食。俺はこれで三好 長慶の舌を唸らせるつもりであった。
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老聖女の政略結婚
那珂田かな
ファンタジー
エルダリス前国王の長女として生まれ、半世紀ものあいだ「聖女」として太陽神ソレイユに仕えてきたセラ。
六十歳となり、ついに若き姪へと聖女の座を譲り、静かな余生を送るはずだった。
しかし式典後、甥である皇太子から持ち込まれたのは――二十歳の隣国王との政略結婚の話。
相手は内乱終結直後のカルディア王、エドモンド。王家の威信回復と政権安定のため、彼には強力な後ろ盾が必要だという。
子も産めない年齢の自分がなぜ王妃に? 迷いと不安、そして少しの笑いを胸に、セラは決断する。
穏やかな余生か、嵐の老後か――
四十歳差の政略婚から始まる、波乱の日々が幕を開ける。
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