借りてきた恋(彼と彼女は二度、恋をする)

Tro

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8.事象の水平線

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 実在の彼女が分かればAI彼女の再現率が飛躍的に向上することが期待できる。彼の彼女への好意度は普通に高いと評価され、彼女の存在は従来とは比較できないほど重要になるだろう。それに週一程度、彼女が病棟に侵入してくることも確認済みであり、その際は警備を緩めている。理由は彼女の言動が私たちの臨床研究にとって重要かつ必要であるからである。

 AI彼女の学習曲線が一定の基準を満たした頃、私たちは彼の夢に参加するという方法で臨床研究を再開。もちろん彼女の声は実在の彼女そのものといえるほどの完成度である。よって準備万端、彼の夢の始まりを待ち続けた——。しかし、彼は全く夢を見なくなってしまったようである。それどころか彼の意識そのものの存在が疑わしい状況となりつつある。計測機器はどれも反応せず、更に合併症が急速に悪化。臨床研究の開始は困難と判断し、合併症の治療を最優先に取り組むよう方針転換することになった。

 私たちの臨床研究は植物状態(遷延性意識障害)と診断された患者の意識を探索し脳機能の回復を目的としていることに相違はないが——、彼が転院してきた時点で既に重度頭部外傷後での回復の可能性は極めて低いとされ、かつ合併症も深刻な状態で、生命維持を継続しても時間制限のあるものであった。そのような状態の彼と承知しながら臨床研究の対象としたことは倫理上の問題を当初から抱えている。これで打ち切りとなれば、それは私たちへの罰なのか、それとも運命であったのか——。いいえ、当初から想定されていたことである。

「彼の意識は存在します。『事象の水平線』で時の流れを数えながら佇んでいます」

「その確率は」

「7%」

 AI彼女がどのようにして確率を弾き出したのかは不明である。『事象の水平線』とは私たちが今まで挑んできた夢の世界とは別の領域であるが、通常、意識と呼ばれる領域でもない。それらとは別の領域を指し、そこには何も無いとされている。しかし『何も存在しない』は、例えば宇宙における星と星の間のように、何もない空間のようで『何かが存在している』という事象とも宇宙と似ている。——問題は『何も存在しない』をどのようにして検知するかである。

 AI彼女の提案は人でいえば感想のようなものである。意識の存在が確認できない場合、それでもどこかに意識が存在している、と仮定した場合に過ぎない。謂わば架空の領域である。そこに彼の意識が『居る』というのは、何処にも居ないなら『そこ』しかないということでしかない。

 合併症の進行により彼の容態は悪化し続けているが、周期的に安定する時もあった。しかし臨床研究は中断したままであり、現在も彼の治療に専念している。おそらくこのまま中止となり再開することはないだろう——、と思われた時、AI彼女からお告げが出力された。

「彼は私を待っています。孤独が彼の意識を蝕んでいます。救済を、助けを待っています。彼は孤独です。『事象の水平線』で彼は叫んでいます。もう、うんざりだ。誰でもいい、ここから出してくれ、と」

「その確率は」

「3%」

 前回より確率が低くなったことは別としてAI彼女の発想はどこから来るものであるのか。『お告げ』に例えたのも悪くない表現であると思われる。彼の意識がどこかに存在し、夢ではなく現実の状況をある程度把握できていると仮定した場合、彼の意識、つまり心が『無の世界』を拒絶し現実への復帰を切望するのは自然な要求である。よって彼が助けを求めているというのは容易に想像が付くものであり、それを根拠として推測を拡張すれば『お告げ』となる。しかし推測は何処までも推測の域を出ない。
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