4 / 19
娯楽
しおりを挟む
私の日常に保育園で遊ぶ以外の娯楽はない。
家にはおもちゃはなく、お絵かきするための画用紙や色鉛筆すらない。
唯一時間を経過させることの出来るアイテムはテレビだ。
おそらく14型程度の小さく赤いテレビであったと記憶しているのだが、無いよりはましである。
私が見たいテレビを自由に見られるわけではないが、興味のない映像であっても「見る」という作業だけで、いつの間にか時間は過ぎている。
普段から母親との会話はなく、もちろん教育などという高度なコミュニケーションは皆無に等しい。
とにかく放置、それが母親の日常におけるスタンスだ。
食事といっても相も変わらず貧しいままだが、私はとっておきの逸品を見つけたのである。
アジ塩だ。
その日から私のおかずの一品となるわけだが、白米に塩を振るだけで晩御飯が好きになったのです。
当時は朝ごはんという贅沢などない。
昼は保育園で昼食、夜は白米と味噌汁、そして塩。
母親は肉を一切食べることができないこともあって、肉類などほぼ食べた記憶すらない。
その食育の環境で育ったおかげで現在の私は一部の肉や、調理法によっては肉を食べ
ることができない。
またかなりの偏食でもある。
稀に焼き魚が登場する日があるだが、私の心中は「パーティー」のように高ぶった。
貧乏自慢ではないのだが、現代ですらこのような生活環境の家庭は数多く存在するのだろうと想像に難くない。
父親のことも少し話をしておこう。
当時の私は父親とほぼ話をした記憶がない。
自宅から大人の足で歩いて10分程度の場所にある居酒屋勤務であり、保育園に登園時は父は寝ていて、降園すると自宅にはいない。
単身赴任世帯なんかもあるわけだから、この「父との会話が少ない」家庭は珍しいわけではないのであろう。
父は休日になると早朝からお小遣いの範囲で「競馬」に通っていたようだ。
我が家に自家用車はないのだが、無料送迎バスで遠方にでかけていた。
大酒のみで朝から飲むような人で、無口で短気な性格だが酒を飲むと冗談を言っているような感じだと記憶している。
当時の私には他人に近いような、隣人のような存在だった。
私は今でいう「かまってちゃん」ではなく、無口で引っ込み思案な性格だったと思うのだが、だからこそ両親と話しをしなくても苦痛ではなかった。
だからといって楽しいわけではない。
当時の私にとって「家にいる」ということは、おそらく次の日、保育園に行くまでの単なるつなぎの場所であったのだろう。
とある日、我が家に自家用車がやってきた。
母親は中古車店の事務で働いていたので、そこから買ったのであろう。
記憶では赤い3ドアのトヨタ「スターレット」だと思う。
母親が「スターレット」という言葉を言っていたのを覚えているのだ。
当時の私は凄い物が家にきたと感じたものである。
そんな中、はじめて家族で県外に出かけることになる。
母親の兄が他界したので葬式への出席だ。
家にはおもちゃはなく、お絵かきするための画用紙や色鉛筆すらない。
唯一時間を経過させることの出来るアイテムはテレビだ。
おそらく14型程度の小さく赤いテレビであったと記憶しているのだが、無いよりはましである。
私が見たいテレビを自由に見られるわけではないが、興味のない映像であっても「見る」という作業だけで、いつの間にか時間は過ぎている。
普段から母親との会話はなく、もちろん教育などという高度なコミュニケーションは皆無に等しい。
とにかく放置、それが母親の日常におけるスタンスだ。
食事といっても相も変わらず貧しいままだが、私はとっておきの逸品を見つけたのである。
アジ塩だ。
その日から私のおかずの一品となるわけだが、白米に塩を振るだけで晩御飯が好きになったのです。
当時は朝ごはんという贅沢などない。
昼は保育園で昼食、夜は白米と味噌汁、そして塩。
母親は肉を一切食べることができないこともあって、肉類などほぼ食べた記憶すらない。
その食育の環境で育ったおかげで現在の私は一部の肉や、調理法によっては肉を食べ
ることができない。
またかなりの偏食でもある。
稀に焼き魚が登場する日があるだが、私の心中は「パーティー」のように高ぶった。
貧乏自慢ではないのだが、現代ですらこのような生活環境の家庭は数多く存在するのだろうと想像に難くない。
父親のことも少し話をしておこう。
当時の私は父親とほぼ話をした記憶がない。
自宅から大人の足で歩いて10分程度の場所にある居酒屋勤務であり、保育園に登園時は父は寝ていて、降園すると自宅にはいない。
単身赴任世帯なんかもあるわけだから、この「父との会話が少ない」家庭は珍しいわけではないのであろう。
父は休日になると早朝からお小遣いの範囲で「競馬」に通っていたようだ。
我が家に自家用車はないのだが、無料送迎バスで遠方にでかけていた。
大酒のみで朝から飲むような人で、無口で短気な性格だが酒を飲むと冗談を言っているような感じだと記憶している。
当時の私には他人に近いような、隣人のような存在だった。
私は今でいう「かまってちゃん」ではなく、無口で引っ込み思案な性格だったと思うのだが、だからこそ両親と話しをしなくても苦痛ではなかった。
だからといって楽しいわけではない。
当時の私にとって「家にいる」ということは、おそらく次の日、保育園に行くまでの単なるつなぎの場所であったのだろう。
とある日、我が家に自家用車がやってきた。
母親は中古車店の事務で働いていたので、そこから買ったのであろう。
記憶では赤い3ドアのトヨタ「スターレット」だと思う。
母親が「スターレット」という言葉を言っていたのを覚えているのだ。
当時の私は凄い物が家にきたと感じたものである。
そんな中、はじめて家族で県外に出かけることになる。
母親の兄が他界したので葬式への出席だ。
応援ありがとうございます!
0
お気に入りに追加
1
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる