聖戦協奏曲〜記憶喪失の僕は王女の執事をしながら音楽魔法で覚醒する〜

フクロウ

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ノーゲスト市街戦編

第108話 この世界の理

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 逃げる算段は整った。僕とルイスでゾーヤを支えると、クラーラを先導に子どもたちの元へと急ぐ。

「シグリッド様。お二人の脱出は?」

「タイミングを見てすぐに後を追う。早く逃げろ」

 二度も攻撃を防がれてプライドが傷ついたのか、グラティスの猛攻撃が開始された。目にも止まらぬ速度で繰り出される剣撃は、まるで閃光のよう。しかし、シグリッド元王子は表情すら変えることなく全て捌ききると、グラティスの剣を弾き、上段から体重を乗せた重い一撃を見舞った。

「ハルト! 早く行くわよ!!」

 ルイスに急かされて戦場を離脱する。鳴り止むことのないピアノの音が、僕らを守るように透き通った水壁を創ってくれた。攻撃に使われたものとは随分と違う、キラキラとした穏やかな湖のような水面は、容易に王宮の窓辺から見る景色を連想させる。

 ──不意に熱いコーヒーが飲みたくなる。

「ハルト!」

 アレシュを先頭に待ちわびていた子どもたちが出迎えてくれた。ディサナスも目を覚まし、いつもの表情で僕を見つめてくる。

 何も声を発しないが、ディサナスは確かにしっかりと頷くとほんの僅かな微笑みを見せてくれた。僕も頷き返すと、ディサナスは自分の足で冷たい雪を踏んだ。

「アレシュ。待たせた。ここから離れよう!」

「待ってください! ゾーヤの傷を治療しなければ! それにどうやって氷河を渡るのか……」

 クラーラ王女が手を触れる前に、柔らかな水がゾーヤの身体を包んだ。このメロディーは。

「クラーラ、すぐに済みます。少しだけ待って」

 奥の暗がりから涼やかな声が聞こえ、子どもたちが歓声を上げた。戦闘曲の合間に紡がれる優しげな旋律がゾーヤの傷を癒していく。

「エルサ。随分と久しぶりですね。相変わらず魔法の扱いは手慣れたもののようで。ですが、回復は私の専門なのに、立つ瀬がないじゃないですか」

「ふふ。アーテムヘルの王女の手を煩わせるわけにはいかないから」

 ゾーヤの身体に力が宿っていくのを感じる。肩に回した手がぐっと僕の肌をつかむと、離れていった。

「もう、大丈夫です。ありがとうございます。隊長、何度も迷惑をお掛けして申し訳ありません」

「そんなことはないよ」

 むしろ迷惑をかけたのは僕の方だ。もっと上手く立ち回れれば、グラティスと対抗できるほどの力があれば、危険な目に合わせずに済んだのかもしれない。

「ハルト」

 エルサが僕に呼び掛けた。芯の強そうなその黒い目にカロリナの顔がダブって見える。

「考え込むのは後です。まず、みんなを連れて脱出しなければ」

 短く白い息を吐き出した。そうだ、まずは進まないといけない。

「脱出はトナカイのソリを。えっと、あなた、ゾーゲだったっけ?」

「お初にお目にかかります。ゾーヤです。ゾーヤ・チェルニーコヴァー」

 一瞬、音が止まってしまった。完璧じゃないところは、やはりカロリナとは違うな。

「あっ、ごめんなさい」

「いいえ。覚えづらい名前ですから。では、私が氷河のコンサーニの人々と交渉すればいいのですね」

 ゾーヤはギルドの受付嬢の笑顔を浮かべると、エルサの意図を汲んですぐに承諾した。コンサーニ──どこかで聞いたことがある気がするが、なぜゾーヤが交渉役に当たる必要があるのか。

「隊長、わからないって顔してますね」

 悪戯そうに光る瞳が振り返った。

「追って話します。まずは移動を。ここからそう遠くないはず。ですよね、エルサ様」

「ええ! ここはシグリッドと私でおさえるから、みんなを連れて早く!」

「ああ、わかった」

 僕とゾーヤは先頭へ。間に子どもたちを挟んで後衛にルイスと、ディサナス、クラーラ王女がついて、僕らは目的地まで走った。離れた直後にピアノの曲調が変わり、激しい音の粒が並ぶ。

「エル姉、大丈夫かな?」

 誰か、高い声が心配そうに聞いた。アレシュが「大丈夫!」と勇気づけるように答えた。

 強い。僕とは違い、自分の役割をしっかりと果たしている。本当はアレシュ自身も、まだ感情の整理ができていないだろうに。

 銀色に囲まれた世界は、近くで戦闘が起こったなんて感じさせないほど静寂に包まれていた。どこまでも続く雪降る道のりが途方もなく長く感じる。まるでこのまま冬が終わらないかのように。

「ハルト隊長、大丈夫ですか?」

 隣を走るゾーヤが息を弾ませながら質問してきた。

「何がだ?」

「疲れているように感じまして」

「ああ──」

 疲れていることに間違いはなかった。だけど、それを表に出せるような状況でもなかった。少なくとも安全だと判断できる場所にたどり着かなければ。──それでも、今、感じていることで言えるとしたら。

「別世界にいるみたいだな、と思って。こうして雪の中にいると、さっきまでの死闘は本当に起こったことなんだろうかって」

 白昼夢でも見てたんじゃないかと思ってしまう。それは、正常な心の働きなのか、異常な心理なのかわからないが。

「……ゾーヤ。今言っていた話の意味を聞かせてもらえないか?」

「ええ。コンサーニとは、かつてこの大陸に栄えた先住民。私は、その血を引く生き残り、ということです。だからこそ、彼らと交渉することができる」

「先住民?」

「少なくとも、私達はそう呼んでいます。中には野蛮人とか未開人とかいう人もいますが……とにかく、狩猟を中心に生きてきた彼らは、その友となるトナカイや猟犬の扱いが巧みなのです。特に冬場はトナカイであちこちの氷河を渡り、大陸各地で狩猟や交易を行ってきました。彼等の手を借りれば、アーテムヘルまで安全に行くことが可能になります」

 それがコンサーニ……そうだ、確かあのときクラーラが──。

「どうしました、隊長?」

「いや、クラーラが前にこの世界の理《ことわり》を話してくれたときにその言葉を口にしたんだ。だけど、急に言い淀んでしまってその先はわからなかった」

「ああ、そうでしょう。コンサーニの人々は、アーテムヘル率いる三国連合によって滅ぼされてしまったようなものですから」

「滅ぼされた?」

「ええ──」

 ゾーヤは目を覆った髪の毛を横へ分けた。その瞳は、どこか遠くを眺めるよう。

「隊長。このスルノア王国には、この大陸には、様々な歴史があります。それぞれが折り重なって、今を築き上げています。決してスルノア王国の語る歴史が、世界が正しいわけではない、と私は思っています。こんな、こんなやり方が許されるはずはない、と!」

 珍しく怒りの感情を表出したゾーヤが何を言いたいのか、少しわかる気がした。為政者から見たこの世界の姿は、正しいのかもしれない。では、孤児となった子どもたちにとっては? 追いやられたとするコンサーニの人々にとっては? 少なくとも、今の僕たちにとってはもはや、この国は正しくなんてない。

「失礼しました。今の話、忘れてください。私は、ただ、隊長に付き従っていくだけです」

「いや、ありがとう、ゾーヤ。正直、なにが正しいのかなんてわからないけど、これから僕らが進むべき道にとっては、それが必要になってくると思う」

 僕らは、もう、国に裏切られた反逆者なんだから。

「ええ、さあ、そろそろ見えてくるはずです!」

 舞い散る雪の中にうっすらと木造の建物が見えてきた。近付いていくと、納屋のような小さな小屋だとわかる。側にはトナカイや大型犬の姿もある。

 来客を拒むように鬱蒼と茂る針葉樹の間をすり抜けるようにして、僕らはその小屋へと急いだ。開けた庭に出ると、室内から暖かなオレンジ色の灯りがともっているのがわかった。

「すみません!!」

 ゾーヤが強く戸を叩いた。
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