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悲しき声の行方
序章 音
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コツン、コツン、コツン、コツン……と、何かが叩く音が聞こえる。
看護師が肩を弾ませ、立ち止まる。懐中電灯は幸いにも点いたままだ。
「先輩ー。早く見回って帰りましょうよ、ナースステーション」
後輩看護師は、立ち止まった先輩看護師の肩を揺らしながら冷や汗を流している。
音は一定の距離と間隔を保ったまま鳴り続けていた。静まり返った病院内は、音をこれでもかと響かせる。
これだけうるさいのに、患者は誰一人起き上がっては来ない。否、起きていても夜の病院は怖くて、廊下に出られないのかもしれない。
「先輩──!」
「はっ……あ……は」
先輩看護師は何を視ているのか、何もない空間を凝視して固まっていた。それが分かったのは、懐中電灯を先輩の顔に向けたからだ。
いつもは顔に懐中電灯なんか向ければ、眩しいからやめろと叱咤が飛んでくるのに、先輩看護師は目を開いたまま動かない。
その顔を見た後輩看護師も、ぎょっとして目をはった。
──いる。
それは2人の足を掴んで、離さない。
音も耳元で聞こえるような錯覚に陥る。
後輩看護師は震えた。恐怖で声が出ない。手にする懐中電灯が光を失った。
と、二人が凝視する廊下の先。柱の影から、スッ──とそれは現れた。体を傾け、長い髪を廊下へと投げ出している。後輩看護師の喉の奥で空気がひうっと鳴った。
女だった。彼女は光もない暗がりだというのに、その姿をくっきり、浮かび上がらせていた。後輩看護師は、その漆黒の目に引き付けられた。真っ黒な女の目は、えぐり取られたかのようにない。
やがて、先輩看護師と後輩看護師の足を掴んでいた手がスルスルと体をのぼってきた。
「きゃぁぁあ!」
声をあげたのは後輩看護師だった。
金縛りのように動かなかった体が動き、訳が分からないまま声が出た。
その場にしゃがみ、目をつむり、耳をふさぎ、ことをやり過ごす。
ふと、後輩看護師の体にあった手の感触が消えていた。彼女がそろり、と目を開けると隣にいたはずの先輩看護師の姿がない。
コツン、コツンと鳴っていた音も聞こえない。辺りは不気味な静寂ばかりだ。
「先輩? せんぱ──」
廊下にいたはずの女の姿がない。
後輩看護師の胸は不安でいっぱいになった。先輩看護師は一体どこへ行ったのだろう? 心臓の音が早く刻まれる。先輩看護師は、あの女に連れていかれてしまったのだろうか?
どうか、無事でいて欲しい。
そんな考えが頭を巡り、怖さはあったが、確かめなければならないと、なんとか体を前進させた。
いたはずの女を探して、柱まで近寄る。
近付いて、気が付いた。そこの柱は壁があったため、人が覗き見るような格好にはならないはずだった。そもそも人が立つスペースもなかった。
では、やはりあれは幽霊だったのか。
ここは病院だ。そういったことは過去にも何度かあった。黄色いワンピースを着た女の子が横切ったとか、死んだはずの老人が病室にいたりだとか──。
ごくり、と生唾を呑み込んだ後輩看護師は、女がいたよりも先の廊下を、そっと見やった。
「──っ!」
そこには片方の白い靴が、ぽつんと廊下に置き去りにされていた。
まさか……まさか。後輩看護師の目の端に、涙が浮かんだ。最悪の出来事が予想される。
「せんぱぃ──」
後輩看護師が呟いた瞬間、ドサッと高い場所から何かが落ちる音がした。
え? と窓辺に目をやると、あの女が逆さまにぶら下がっていて、ニタリと笑った。後輩看護師の体がびくりと跳ね上がった。女は笑った直後、跡形もなく消えてしまった。
怖くて足がすくんでしまったが、嫌な予感がした後輩看護師は、恐る恐る窓辺に近寄った。
窓辺の向こう。
木が鬱蒼と生い茂るその場所に、先輩看護師が地面に転がっていた。
首が変な方向に曲がり、頭から血を流しているようだった。わずかな電灯だけでは、明確な判断が出来ない。だが、明らかにその格好は死んでいるように見えた。後輩看護師の顔から血の気が引く。
早く、早く彼女の側に駆け寄って、他の看護師を呼ばなければ。
そう思うのに、恐怖がピークを越えた後輩看護師の意識は、そこで途絶えた。
目を覚ますとそこは、普段、患者が点滴を行うベッドの上だった。時はすっかり朝になっており、小鳥が忙しく鳴いている。
「──わたし」
記憶が曖昧だ。
確か、先輩看護師と夜の見回りに行って──。
「そうだ! 報告!」
先輩看護師が亡くなったことを、報告しなければ。ナースステーションに戻ればきっと、先輩看護師のことで混乱しているに違いない。
後輩看護師だって、未だに信じられないのだ。先輩看護師が自殺──いや、あの女に殺されたなど。
何も出来なかったことに、あの時の恐怖に、涙が出てくる。
「──先輩」
「呼んだ?」
「──え?」
後輩看護師の様子を見に来たのは、昨晩、共に見回りをし、死んだはずの先輩看護師だった。
「なんで──?」
真っ青な顔で後輩看護師は、先輩看護師を見る。
変な方向に曲がった首も、頭から流していたはずの血もない。夢だったのだろうか? しばらく頭を悩ませて、そうだ、きっと疲れていたに違いない。そう、考えることにした。
だから、後輩看護師は先輩看護師に抱きつく。
「──あっ……せんぱい……先輩!」
うわぁぁぁあ! と泣きながら抱きつかれたものだから、先輩看護師は驚いていた。
「どうしたの? 落ち着いて?」
いつもの口調、いつものトーン、いつもの先輩看護師の顔。
後輩看護師は落ち着いてから、昨夜のことを聞いてみた。
「目をくりぬかれた女の人? その人に私が殺されたの? やーだ。夢でも見たんじゃないのー? それより昨日は、急に倒れるから私もびっくりしたんだよー?」
困った顔をしながら、先輩看護師は言う。
「だって……だって……先輩……怖かった……先輩が、死んだ……かと」
収まっていた涙がまた出てくる。
ぐずぐずになった顔では、患者など見れない。先輩看護師はそのまま後輩看護師を休ませることにして、ナースステーションへと戻っていった。
後輩看護師は、その言葉に甘えることにして、病院が開く時間までもう一度ベッドに横になるのだった。
看護師が肩を弾ませ、立ち止まる。懐中電灯は幸いにも点いたままだ。
「先輩ー。早く見回って帰りましょうよ、ナースステーション」
後輩看護師は、立ち止まった先輩看護師の肩を揺らしながら冷や汗を流している。
音は一定の距離と間隔を保ったまま鳴り続けていた。静まり返った病院内は、音をこれでもかと響かせる。
これだけうるさいのに、患者は誰一人起き上がっては来ない。否、起きていても夜の病院は怖くて、廊下に出られないのかもしれない。
「先輩──!」
「はっ……あ……は」
先輩看護師は何を視ているのか、何もない空間を凝視して固まっていた。それが分かったのは、懐中電灯を先輩の顔に向けたからだ。
いつもは顔に懐中電灯なんか向ければ、眩しいからやめろと叱咤が飛んでくるのに、先輩看護師は目を開いたまま動かない。
その顔を見た後輩看護師も、ぎょっとして目をはった。
──いる。
それは2人の足を掴んで、離さない。
音も耳元で聞こえるような錯覚に陥る。
後輩看護師は震えた。恐怖で声が出ない。手にする懐中電灯が光を失った。
と、二人が凝視する廊下の先。柱の影から、スッ──とそれは現れた。体を傾け、長い髪を廊下へと投げ出している。後輩看護師の喉の奥で空気がひうっと鳴った。
女だった。彼女は光もない暗がりだというのに、その姿をくっきり、浮かび上がらせていた。後輩看護師は、その漆黒の目に引き付けられた。真っ黒な女の目は、えぐり取られたかのようにない。
やがて、先輩看護師と後輩看護師の足を掴んでいた手がスルスルと体をのぼってきた。
「きゃぁぁあ!」
声をあげたのは後輩看護師だった。
金縛りのように動かなかった体が動き、訳が分からないまま声が出た。
その場にしゃがみ、目をつむり、耳をふさぎ、ことをやり過ごす。
ふと、後輩看護師の体にあった手の感触が消えていた。彼女がそろり、と目を開けると隣にいたはずの先輩看護師の姿がない。
コツン、コツンと鳴っていた音も聞こえない。辺りは不気味な静寂ばかりだ。
「先輩? せんぱ──」
廊下にいたはずの女の姿がない。
後輩看護師の胸は不安でいっぱいになった。先輩看護師は一体どこへ行ったのだろう? 心臓の音が早く刻まれる。先輩看護師は、あの女に連れていかれてしまったのだろうか?
どうか、無事でいて欲しい。
そんな考えが頭を巡り、怖さはあったが、確かめなければならないと、なんとか体を前進させた。
いたはずの女を探して、柱まで近寄る。
近付いて、気が付いた。そこの柱は壁があったため、人が覗き見るような格好にはならないはずだった。そもそも人が立つスペースもなかった。
では、やはりあれは幽霊だったのか。
ここは病院だ。そういったことは過去にも何度かあった。黄色いワンピースを着た女の子が横切ったとか、死んだはずの老人が病室にいたりだとか──。
ごくり、と生唾を呑み込んだ後輩看護師は、女がいたよりも先の廊下を、そっと見やった。
「──っ!」
そこには片方の白い靴が、ぽつんと廊下に置き去りにされていた。
まさか……まさか。後輩看護師の目の端に、涙が浮かんだ。最悪の出来事が予想される。
「せんぱぃ──」
後輩看護師が呟いた瞬間、ドサッと高い場所から何かが落ちる音がした。
え? と窓辺に目をやると、あの女が逆さまにぶら下がっていて、ニタリと笑った。後輩看護師の体がびくりと跳ね上がった。女は笑った直後、跡形もなく消えてしまった。
怖くて足がすくんでしまったが、嫌な予感がした後輩看護師は、恐る恐る窓辺に近寄った。
窓辺の向こう。
木が鬱蒼と生い茂るその場所に、先輩看護師が地面に転がっていた。
首が変な方向に曲がり、頭から血を流しているようだった。わずかな電灯だけでは、明確な判断が出来ない。だが、明らかにその格好は死んでいるように見えた。後輩看護師の顔から血の気が引く。
早く、早く彼女の側に駆け寄って、他の看護師を呼ばなければ。
そう思うのに、恐怖がピークを越えた後輩看護師の意識は、そこで途絶えた。
目を覚ますとそこは、普段、患者が点滴を行うベッドの上だった。時はすっかり朝になっており、小鳥が忙しく鳴いている。
「──わたし」
記憶が曖昧だ。
確か、先輩看護師と夜の見回りに行って──。
「そうだ! 報告!」
先輩看護師が亡くなったことを、報告しなければ。ナースステーションに戻ればきっと、先輩看護師のことで混乱しているに違いない。
後輩看護師だって、未だに信じられないのだ。先輩看護師が自殺──いや、あの女に殺されたなど。
何も出来なかったことに、あの時の恐怖に、涙が出てくる。
「──先輩」
「呼んだ?」
「──え?」
後輩看護師の様子を見に来たのは、昨晩、共に見回りをし、死んだはずの先輩看護師だった。
「なんで──?」
真っ青な顔で後輩看護師は、先輩看護師を見る。
変な方向に曲がった首も、頭から流していたはずの血もない。夢だったのだろうか? しばらく頭を悩ませて、そうだ、きっと疲れていたに違いない。そう、考えることにした。
だから、後輩看護師は先輩看護師に抱きつく。
「──あっ……せんぱい……先輩!」
うわぁぁぁあ! と泣きながら抱きつかれたものだから、先輩看護師は驚いていた。
「どうしたの? 落ち着いて?」
いつもの口調、いつものトーン、いつもの先輩看護師の顔。
後輩看護師は落ち着いてから、昨夜のことを聞いてみた。
「目をくりぬかれた女の人? その人に私が殺されたの? やーだ。夢でも見たんじゃないのー? それより昨日は、急に倒れるから私もびっくりしたんだよー?」
困った顔をしながら、先輩看護師は言う。
「だって……だって……先輩……怖かった……先輩が、死んだ……かと」
収まっていた涙がまた出てくる。
ぐずぐずになった顔では、患者など見れない。先輩看護師はそのまま後輩看護師を休ませることにして、ナースステーションへと戻っていった。
後輩看護師は、その言葉に甘えることにして、病院が開く時間までもう一度ベッドに横になるのだった。
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