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16.レオという男
しおりを挟む彼の顔を見て、私は開いた口が塞がらなくなった。私と同じ、露草色の瞳をしていたからだ。
「やはり春蕾の生き残りが……」
「春蕾」という言葉に私は目を見開く。その反応に男は確信を得たように頷いた。
「私の家に来ていただけませんか。ここから半刻ほどの場所にあります」
*
私たちは男に案内された家にあがり、机を挟んで座っていた。男は湯飲みに茶を淹れ、私たちの前に置く。礼を言いながらも湯飲みには手をつけず、男の顔を盗み見た。頬や額には細かい古傷がついていたが、恐ろしいほど顔の造形が整っていた。
「申し遅れました。私は、レオと申します」
男は胸に手をあて名乗る。
聞き馴染みのない名前にまばたきを繰り返せば、彼は苦笑しながら説明した。
「海の向こうにある国の生まれだと偽るため、この名前を使っています」
彼は湯飲みに口つけ、お茶を一口嚥下した。湯飲みを置き「ふう」と息を吐く。
「少し、私の過去をお話ししてもよろしいでしょうか」
私が頷けば、レオは自身の過去を語りはじめた。
幼い頃に寺の前に捨てられ、住職の手によって育てられた。そこでは数人の捨て子が育てられていたが、珍しい瞳の色と国ではあまり見ないはっきりとした目鼻立ちによって虐めにあい、孤独な日々を送っていたそうだ。
しかしある日、彼の珍しい瞳の色の噂を聞きつけて、ある男が里親として名乗り出た。そこから十年ほど彼に育てられた。
「衣食住も与えてもらい、高い教育も受けさせてもらい、周りから見れば裕福な子どもだったでしょう」
そう語り、彼は言葉を切った。「しかしあの男は毎晩、私の寝室へやってきて……」と彼は暗い瞳で言葉を紡ぐ。あまりにも痛々しい表情に、私はそれ以上聞くことができなかった。
彼は十六になったとき、里親の金を鞄に詰め込み、家から逃げ出した。寺にいた頃に独学で鍛えていた剣術と、里親の家で培った知識があったおかげで、食いっぱぐれることはなかった。今までの名前は捨てて「レオ」と名乗り、海の向こうの生まれだと嘘をつき、現在は旅商人として生きるようになった。
その旅の途中で、春蕾の一族についての言い伝えを聞いたそうだ。
「里親は酒に酔ったとき、私の頬を撫でては『シュンライの生き残りだ』とよく言っていました。あのときは何のことか分かりませんでしたが……。春蕾の一族のことを言っていたのだと気づき、旅をしながら情報を集めていたのです」
春蕾の一族は、冬になると恵みが詰まった雪を降らせ、春には雪を溶かした。しかし約三百年前、雪が止まないことを理由に、一転して忌み嫌われる存在になってしまう。生き残った者たちは、身を守るために力を隠して生きることを選んだ。
ここまでは霧雨の里で聞いた話と一緒だった。
私が頷くと、レオは再び知っている情報を語りはじめる。
「春蕾の一族はみな露草のような青紫の瞳を持つと、そう書かれていました」
その言葉で思い出したのは、父と対峙したときのことだった。
「春蕾の一族の特徴を持つ奴らを血眼になって捜した」と彼は言った。おそらく露草色の瞳を持つ女性を、あらゆる手を使って捜したのだろう。自身を抱きしめるようにして、腕を掴む。
レオは再び湯飲みに口をつけ、静かに茶を飲んだ。
「瑞穂国はこの一年、雪が降り続きました。穏やかな雪だったため人々は変わらず町を往来し、経済が止まることはありませんでした。しかし農作物が育つことはなかった……」
「……」
「重税や国の腐敗など、民たちは元々不満を募らせていました。とどめを刺したのが、春も夏も秋も降り続けた雪でした」
レオはそこで言葉を切り、私の瞳を見据えた。
「雪を降らせ続けたのは ──貴方ですね」
ひゅっと息が止まる。
正直に答えるべきなのか目線を泳がせた私に、レオは苦笑して言った。
「責めるつもりはありません……私はこの瞳のせいで酷い目に遭いました。貴方も同じだったでしょうから」
「では、なぜ、私を」
「……なぜ、でしょうか」
彼は自嘲の笑みを浮かべる。
「親に捨てられ、里親に人権を躙られるような行為を受け続け、私はここまで生きてきました。自分が何者かも分からず暗闇を彷徨うような人生……しかし『春蕾の一族』を話を聞いたとき、救われたような心地になったのです」
「……」
「やっと自分の居場所を見つけられたような」
最後は言葉にならなかった。薄い膜がかかったように彼の目が潤んでいく。必死に堪えようとしていたが、まばたきをした瞬間、ひとつふたつと水滴が机に落ちた。
部屋に彼の嗚咽だけが響く。
彼の苦しみを考えるだけで、心臓が握りつぶされるような痛みを訴えた。私は膝の上で拳を握りしめながら、ただ彼の泣き声に耳を澄ませていた。
しばらくして彼は「取り乱してすみません」と謝罪の言葉を口にし、胸元から手ぬぐいを取り出して目をぬぐう。真っ赤になった瞳で、私を見つめた。
「瑞穂国が崩壊したとき、春蕾の力を持つ者が現れると確信していました。私はどうしても貴方に会いたかったのです。迷惑だったかもしれませんが……」
「そんなこと、ありません」
私は首を横に振れば、レオは安心したように微笑んだ。
湯飲みに口をつけ、お茶を嚥下する。既にぬるくなっていたが、私の緊張を解きほぐしてくれた。唇に笑みを浮かべて答える。
「この力のことを知れてよかったです。……これまで力の正体をよく知らずに操っていましたから」
「今まで力を使ったことは?」
私は思い出すように右上に視線を移した。
今まで雪を操ったのは三回。
襲ってきた華怜に対して雪を操ったとき。瑞穂国に雪を降らせ続けたとき。あとは白霧山の雪の霧が晴れたのも、私の力なのではないかと蒼玄から指摘されていた。
それらを説明すれば、レオは「なるほど」と相づちを打った。
「おそらく貴方は春蕾の力が色濃く残っている方だと感じます。自分はせいぜい数刻ほどしか雪を操れませんから」
「そうだったんですね……」
部屋に沈黙が訪れた。私はある疑問を口にしようとし、唇を噛んだ。着物を握りしめた指先が震え、手のひらに汗が滲んでいく。深呼吸をしようとしたが息が詰まりそうでうまくできない。
答えを聞いてしまえば、私の未来が大きく変わってしまうかもしれない質問だった。それが怖くて私はずっと──答えを出すことを先送りにしていた。
早打つ心臓を感じながら、私は勇気を振り絞って尋ねる。
「……レオさんは、春蕾の力をどうするのですか?」
「この力は途絶えるべきだと考えています。強すぎる力は差別と偏見しか生みませんから。私は……この力を隠しながら、ひっそりと生きていきます」
言葉の大半は同意だったが、同時に鋭い痛みが胸に走った。
「そう、ですよね」と答える。声が震えていた。
分かっていた。私も彼もこの力のせいで、酷い扱いを受けた。もう誰にも同じ目に遭って欲しくはない。ならば子孫を残さず、私の代で途絶えさせるのが最善だと、分かってはいた。
隣にいる蒼玄の顔を、私は見ることができない。
この感情を、私は死ぬまで隠すことができるのだろうか。
私の反応に、レオは「あぁ」と察したように声を放った。優しく見つめながら言う。
「これはあくまで私の考えです。どうか、自身が出した答えを大切にしてください」
レオの唇に美しい弧が描かれる。瞳の奥には哀愁が宿り、時折、悲しみの影がちらつくのが見えた。
彼の痛みが私の中に染みこんでいく。私は唇を噛み、涙をこぼさないようにして一度だけ頷いた。
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