落ちる花(アルファポリス版)

みきかなた

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第8章 戸惑う恋心

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新年度になり恭弥は晴れて高塔財閥の社員となった。研修を終えるとすぐに精力的に働き出し、気難しい顧客と粘り強く交渉しては契約を成立させ、不可能と言われていた新規事業も次々と獲得した。同期の新入社員は言うに及ばず、先輩たちをもあっという間に追い抜かし、社内で突出した存在となっていった。

そのうえ重役の子息であり、甘いマスクと柔らかな物腰で女子社員たちの心を虜にし、彼と少しでも接触しようとする女の子たちが行く先々で群れを成す。

本社で研修を受けていた茉莉花は、女の子に取り囲まれる恭弥の人気に驚き、羨望の視線を痛いほど浴びながら彼の横を歩いた。

「キョウったら、相変わらず凄いモテモテぶりね!高校の時もそうだったけど、あの時は部活命だったから女の子をそばに寄せ付けなかったのに……」

「同じ会社で働いているからさすがに知らんぷりは出来ないよ。まあ、来年アキが入ってきたら今の人気は全部持っていかれると思うよ。」

「そう……でも、特別仲の良い女の子もいるんでしょ?」

そんなことを尋ねたらまるで自分が嫉妬しているようで恥ずかしい。茉莉花はおずおずと恭弥を見上げた。

彼は澄ました顔をしてふっと微笑みを浮かべた。

「いるけど仕事の上だけだ。俺はここに働きに来ている、次期社長のマリのために少しでも業績を上げて、高塔財閥を安泰にしたいんだ。」

「ずいぶん先の話だけれど、ありがとう!お母さんが聞いたら泣いて喜ぶわ。」

「むしろ、マリにもっと大袈裟に喜んで欲しいけど?」

「喜んでいるわ、本当よ!」

「フフ、もっともっと、マリを喜ばせたい。」

恭弥は爽やかに笑うと茉莉花と共に社用車に乗り込み、高塔の屋敷に向かった。

今日は彬智が先に屋敷に帰っていて、久しぶりに三人で過ごす約束をしていたのだ。彬智お手製のパスタやピザやサラダに舌鼓を打ち、茉莉花が作りおいたデザートを喜んで口にし、酒も入った恭弥は始終ご機嫌だった。

「美味かった~!アキの料理は最高だな。マリのオレンジケーキもまた食べたい!」

恭弥が満腹の腹をさすりながら笑いかけると、彬智は照れくさそうに微笑んだ。

「マリが味付けに厳しいから、いろいろ工夫しているのさ。」

「やだ、私がお料理させているみたい!私だって手伝っているのに!」

「ハハ、冗談だよ。それに、忙しいマリの体調管理をするのが、今の俺の趣味なんだ。」

彬智が笑いながら注いだ酒を、恭弥は一気に飲み干しギロリと彬智を睨んだ。

「二人とも、仲が良すぎて夫婦みたいだ。まさか、そういう関係?」

茉莉花と彬智はお互いを見合い、プッと吹き出した。

「そんなことは全然無いよ!毎日一緒に暮らしているから、マリは本当の家族みたいだ。」

彬智の無邪気な言葉に、茉莉花はズキンと胸を痛めた。そうよ、ただの家族なの、どんなに近くにいても……

恭弥に勧められるままに酒をあおっていた彬智は程なく潰れてしまった。隣りの屋敷に運ぶのはさすがに厳しいので、恭弥は彬智を一番近い客間に寝かしつけた。

改めて、恭弥と二人きりになった茉莉花はなぜか落ち着かなかった。

「……アキはああ言っていたけど、マリは平気なの?」

ぼそりと恭弥に尋ねられ、茉莉花はクッと眉を寄せた。

「平気って何が?アキは今でもエリが好きなの。だから、エリと私のために、毎日努力してくれる。それで十分よ。」

「マリは、アキが好きなんだろう?」

好きだと認めてうなずける訳がない。茉莉花は恭弥の顔を見ることが出来なかった。

「こんなことを言うのは悪いと思うけど……どんなに愛していても、エリが亡くなってからずいぶん時間が経った。アキもそろそろ他の女性に目を向けてもいいんじゃないか?」

「そうね……でも、アキが今でもエリだけを愛しているのは、妹の私にはとても嬉しい……」

「それ本当?」

恭弥に覗き込まれた茉莉花は目を伏せた。

「片づけてくる……」

「俺も手伝うよ。」

テーブルに広げられていた食器を素早く運び、恭弥は慣れた手つきで次々洗いあげていった。

「俺も東京では一人暮らしして、料理も得意なんだぜ。」

「今度はキョウがお料理を作ってね!私とアキで食べに行くわ。」

「ああ、必ずね……アキやマリが東京にいたら、楽しかっただろうな……」

それは母が断固として許さなかった。茉莉花は洗い終えた皿を布巾で拭い食器棚にしまい込んだ。

ふと、背後に恭弥の気配を感じた。くるりと振り向き彼を見上げる。

「キョウ?」

「本当は、アキが好きなんだろう?」

「それ、さっきも答えた。」

「だったら、他の男はどうなの?好きな男はいるの?」

恭弥の瞳に熱い炎が灯る。茉莉花はその瞳にふと見惚れた。

大きな手が伸びてきて頬を撫でた。茉莉花の知っている恭弥の手はいつでも固い皮のバスケットボールを操っていた。ごつごつと厳ついその手は、時折「おいで」と彼女を捕まえた。英梨花と彬智の仲の良い姿を見て立ち竦んでいた時に……

大学四年間の空白を経て、今その手は多くの書類を繰り電話を取り人に指示を与える。するすると肌を撫でるその感触に、茉莉花はふと意識を委ねた。

「私は……好きな人はいない。誰のものにもならない。お母さんの後を継いで、エリの代わりに次期社長になる。高塔の家を、会社を、護っていく。」

「マリは頑固だね、昔から。」

フフッと柔らかな笑い声が恭弥の口から洩れた。

「でも、泣きたい時は素直に泣くんだよ。俺が、支えてやるから。」

「……キョウ。」

すっと後頭部を押さえ、恭弥は茉莉花を胸に埋めた。

「泣きそうな顔をしたマリを放っておけない。」

「ありがとう……キョウはいつも優しいね。」

「俺は、マリのそばにいる、これからはいつだって、そばにいるから、俺を頼って。」

「うん……ありがとう、本当に。」

茉莉花は恭弥にニコリと微笑みかけた。すると彼は昔と変わらない優しい笑顔で見下ろした。背中を撫でていた手で今度は唇を摩り、「お休み」と言って彬智が眠る客間に消えていった。

茉莉花は呆然と台所で立ち尽くした。

泣けない……恭弥の前では……彼は私を思って、きっと深く傷つくから……

拳を握りしめ足を踏みしめる。何があっても倒れたりしない、彬智や恭弥を護るために。



大学での講義はほとんど無かった。空いた時間は常に会社で過ごし、母の補佐をするようになった。

卒論の準備があり久しぶりに大学を訪れた茉莉花は、ゼミ室で一人佇む晃輔を見つけ思わず肩を叩いた。

「久しぶり!どうしたの、ぼんやりして?」

「あ、マリか……卒論どう?」

「ボチボチよ。思ったように捗らなくて。」

「そっか。でもマリは優秀だから、大丈夫だよ。」

いつものような気安さの無い晃輔の様子に、茉莉花はふと眉を寄せた。

「晃輔は最近どう?」

「マリに相談してもいい?」

「私でいいなら力になるわ!」

すると晃輔はカフェテリアへと茉莉花を誘った。昼休みを過ぎてまばらに学生のいるホールの片隅でテーブルを囲む。

「ねえ、高塔財閥って、景気はどう?」

「たぶん、今は最悪だと思う……不動産や子会社を処分して、何とかやり繰りしている状態よ。」

「俺んちもそうなんだ。高塔ほど大きくないからな。」

晃輔の実家も資産家で、特許事業を展開し、地方では名の知れた家柄だった。

「小遣いも出してもらえなくなって、今バイトを掛け持ちしているんだよ……卒論を書くのがやっとで就活もままならない。兄貴たちは親父の会社で働いているのにお前はよその会社に勤めろって親父に言われたし……どうしよう、このまま就職も出来なかったら。」

「何を言っているの!大丈夫よ、晃輔は優秀なんだから!」

「マリに褒められるとその気になれる!もしダメだったら高塔で雇ってよ。」

アハハと嬉しそうに晃輔は笑った。

「それで、美織にも連絡していない、なんだかカッコ悪くて……アイツが御曹司狙いで俺と付き合っているんじゃないって分かっているけど。」

「正直に話せば美織は分かってくれるわよ。」

「アイツ、短大を出てから大手の商社で働いているだろ?こっちは学生だからデート代も出してもらって、余計逢いにくくて……それで喧嘩ばっかりしている。」

「出世払いにして、今は奢ってもらいなさいよ!」

ポンと元気よく背中を叩くと、晃輔はホッとしたのかふわりと笑った。二人はカフェテリアを出て帰り道に着いた。

「マリと話せて良かったよ。やっぱり頼りになるな。」

「うん、美織とも仲直り出来るといいね。」

「でも……女は美織ばっかりじゃない……サークルの友達もいるし、ゼミの仲間や後輩もいる……無理して美織に合わせなくてもいいなか、って。」

「美織を裏切る気!?」

キッとまなじりを上げ、茉莉花は晃輔を睨みつけた。

その時だ。正門で待ち伏せしていた女がだっと走り寄り、晃輔にバシバシと殴りかかった。

「やっぱり浮気していたの!?」

「み、美織!?」

「なんでマリと一緒なの?私のこと、嫌いになったの?」

「違うよ誤解だよやめろよっ!」

「美織、落ち着いて!私と晃輔はたまたま一緒に帰っていただけよ!」

茉莉花は呆気に取られ、晃輔に食って掛かる美織を必死で宥めた。

「でも……晃輔はっ、全然、連絡くれないよぉ!」

泣きじゃくる美織に、晃輔はただオロオロと背中を摩るだけだった。

「あれ、晃輔?どうしたの、女の子を泣かせて。」

呑気な声に振り向くと、彬智が不思議そうに修羅場を眺めていた。

「アキ先輩~!美織に言ってくださいよぉ、俺はマリと付き合っていないって!」

「ああ、マリなら俺と付き合っているよ。だから、誤解しないでね。」

「えええっ!」

彬智がニコニコ笑って茉莉花の肩を抱き寄せるので、晃輔と美織はすっかり信用して二人揃って浮かれていた。

「アキ先輩、良かったですね!マリはめちゃくちゃ好い子だから!」

「マリ、おめでとう!今度ゆっくり話を聞かせて!」

「う、うん、分かった……」

二人の誤解を否定出来ず、茉莉花はひきつりながらウキウキと帰って行く晃輔たちを見送った。

「……アキ、なんで嘘つくの?」

「ごめん、いつもみたいに俺が恋人の振りをした方がいいかなって。」

「バカ……アキのバカっ!」

零れそうになる涙を見られたくなくて、茉莉花は彬智を置き去りにして走り去った。



それから数日の間、茉莉花は彬智と顔を合わせることが出来なくて、朝は早くに家を出て、夜は会社に残り研修や卒論に時間を費やした。

屋敷に帰ると、テーブルには毎日のように彬智が作った夕飯と「おかえり」と書かれたメモが添えられ、茉莉花を迎えた。

「バカみたい、私、いつまでも子供みたいに……」

茉莉花は涙を滲ませ、一人夕食を口に運んだ。



次の日、帰ったら彬智に謝ろう、そう決心して会社に向かった。

「茉莉花、ちょっと来て。紹介したい方がいるの。」

研修室にいた娘を、母の藍咲が内線で呼びつけた。誰だろうと首を傾げながら社長室に足を運ぶ。

中にいたのは、ロマンスグレーの品の良い紳士と、『絶世の美女』と形容詞が似合う少女だった。

「茉莉花さん、お久しぶりです!」

少女ははち切れそうな笑顔で出迎えた。見覚えのある顔、いや、一度逢ったら忘れはしない顔……

神崎のパーティーで彬智に絡みついていた御園生梢子だ。

「あら、御園生さんと知り合いだった?」

「前にパーティーでお話ししました。梢子さん、ですよね。」

「なら良かった。娘の茉莉花ですわ、御園生さん。」

「初めまして、茉莉花さん。」

老紳士はニコリと微笑み、茉莉花に会釈した。

「今日はわざわざ来ていただき、ありがとうございます。」

「いやいや、我が娘の婚約者、彬智くんの保護者の高塔さんに早くご挨拶したくてねえ。」

「アキの……婚約者?」

茉莉花は耳を疑った。


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