落ちる花(アルファポリス版)

みきかなた

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第15章 亀裂

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子供たちはすくすく育った。

ベッドの中で寝返りを打ったと思えば、次はお座りし、床に置けばハイハイし、やがて家中の家具に捕まり立ち上がり、とことこ歩き出し、あっという間に一年が過ぎた。

彬従あきつぐは『高塔の珠玉』と呼ばれた父の美貌を受け継ぎ、誰もがひとめで虜になる美しく凛々しい子供に育った。

性格は父に似ず快活で、物心がつき自由に行動出来るようになると母の束縛を逃れて高塔の屋敷に転がり込んだ。誰よりも華音が大好きで、片時もそばから離れようとしない。梢子は何度も激怒したが、息子は全く気にしなかった。

隣りの屋敷に入り浸る息子を預けて、梢子は遊び回るようになった。そのことで、夫の彬智と何度も対立した。

梢子が買い漁る贅沢品が家を埋め尽くし、それを彬智は快く思わなかった。いまだ大学院に通う彼は無収入で、生活のすべてを梢子の実家からの支援に頼っていたからだ。

梢子の父親からは何度となく大学院を辞めて御園生財閥の一員になるよう催促されたが、高塔財閥へ未練を残す彼はなんだかんだと拒絶した。言いなりにならない婿に梢子の実家は痺れを切らし娘をけしかけたが、彬智は頑として譲らない。

毎日のように言い争い、どちらも自分の主張を曲げず、怒鳴り声が隣りの高塔の屋敷まで聞こえる激しさになった。驚いた茉莉花が何度も仲裁に入り、彬智と梢子は一旦は和解するが、次の日にはまた同じ言い争いを繰り返した。



夫婦の不和がやがて藍咲の耳に届いた。



「彬智、いったいどういうことかしら。こんなに素敵な奥さまを嘆かせるようなことをするなんて。」

珍しく高塔の屋敷に戻って来た藍咲は早速彬智と梢子を応接間に呼びつけた。

「俺は梢子さんにあまり無駄遣いをしないようにお願いしているだけです。」

「梢子さんがお父さまからいただいているお小遣いを何に使おうと勝手でしょ。」

「でも、いずれ俺の収入で生活してもらうことになるんですよ。今は無職、ですけど。」

「あなたのことは私たちが援助します。決して恥ずかしい思いはさせません。それよりも、次の子供はまだかしら?御園生さんも楽しみにしていらっしゃるのよ。」

「無収入なのに、子供なんか持てません!だったら早く高塔の会社に入れて働かせてください!」

困ったように眉を寄せた藍咲は、キッと彬智を見据えた。

「彬智、少しは大人になりなさい。あなたは吉良の血を引く唯一の存在、だから一人でも多く子供を持つのよ。梢子さんとの子供なら最高じゃない。」

彬智は憤怒で顔を赤くたぎらせた。味方を得た梢子は満足げに微笑む。藍咲の横にいた茉莉花はハラハラと彬智たちの衝突が激しくならないように願った。

「茉莉花、あなたたちもよ。高塔の血筋だって、今じゃあなたしか継いでいないのだから。」

急に矛先を向けられ、茉莉花はドキリと飛び上がった。

「あの男が婿じゃ物足りないけれど、強欲な安住は業績が回復した途端に元の特許を独占しようと狙っているの。晃輔を手放したら、すぐにでも好き勝手を言い出すわ。だから我慢して、あの男をその気にさせて子供を作りなさい。」

「お母さん、でも、私たちは……」

茉莉花の反論は、藍咲のひと睨みで吹き飛ばされた。援軍を得た梢子はご機嫌で藍咲とお茶を楽しんでいる。

ガクリと力を失った茉莉花はそっと部屋を出た。見上げると、先に部屋を出た彬智が二階へと階段を昇っていく。どこへ行くのかと追いかけると、奥にある亡き英梨花の部屋へと消えていった。

茉莉花はそっとドアを開け中をのぞいた。彬智が部屋の真ん中で呆然と佇んでいた。

「アキ……」

「俺は子作りの機械?」

「お母さんの言うことを真に受けちゃダメ。心が折れてしまう……」

茉莉花は彬智の手を取った。いつもより体温が低くひんやりとする。

「あの人を抱きたくない……ギラギラした唇を俺に押し付けて、無理やり俺のを勃たせてイヤらしく腰を振って……思い出しただけでゾッとする。」

「ヤダ、そんな生々しいこと言わないで!」

「ハハ、ごめん、そうだね……」

ふっと彬智は小さなため息を吐いた。

「この部屋に来るとホッとする……エリの匂いがまだ残っている気がして……」

「アキ、行こう……お母さんにこの部屋にいると知られたら、きっとエリの形見を処分されてしまうわ。」

母はこの部屋には無関心だ。だが中に何があるか知られてはいけない。ここは、彬智の心の拠り所だから……

そっと手を引くと彬智は迷わず茉莉花の手を握り返した。英梨花の部屋を出て扉を閉め、くるりと後ろを向いた茉莉花は飛び上がった。廊下の端に晃輔が立っていたからだ。

「さっきお義母さんが来た……マリと子作りしろってさ。」

「そう……」

「俺は必要?子供ならアキ先輩と作ればいいだろう?」

「アキと私はそういう関係じゃない!」

「じゃあ、なんで手なんか繋いでいるの。」

晃輔に指摘され、我に返った茉莉花と彬智は、慌てて繋いでいた手を離した。

クッと口角を歪めた晃輔は無言のまま自室に消えていった。



それからしばらくの間、梢子はご機嫌だった。反対に、彬智が毎日苦い表情で高塔の屋敷に現れた。彬智は母の藍咲の言いつけを忠実に守るのだと、茉莉花は落胆した。

だが平穏な日々も数日しか続かなかった。

その夜、茉莉花が仕事から高塔の屋敷に戻った途端、怒鳴り声が轟いた。慌てて階段を駆け上がり、そして英梨花の部屋に飛び込んだ。

床には引き千切られた英梨花の写真が散乱していた。

彬智が床に膝を付き、その写真を必死で搔き集めていた。梢子がその姿を鬼のような形相で見つめている。

「この女は誰?なんで彬智さんと映っているの!」

「私の姉よ、高校生の時に亡くなった……」

梢子はポカンと口を開けた。

「まさか、彬智さんは、今でもその人を好きなの?」

「そうだ、俺が愛しているのは、英梨花だけだ。」

「死んだ人をいつまでも愛しているって言うの!?私はここにいる、生きている!生きている私と向き合ってよ、私があなたの妻なのよ!」

「……妻なんて、君がおねだりして手に入れただけだ。」

「こんなものがあるから、彬智さんが私を見ないのよぉ!」

狂ったように彬智が集めた写真を奪い、さらに粉々にしようとする梢子の胸倉を掴み、彬智が手を振り上げた。

「アキ!ダメ!」

茉莉花は梢子を庇って彬智の平手打ちをまともに喰らい吹っ飛ばされた。床に転がった彼女を彬智が呆然と眺めている。

「マリさん!マリさん!」

慌てた梢子は茉莉花の手を引き階段を駆け下り台所に連れて行った。冷蔵庫から取り出した氷枕にタオルを巻くと、紅く腫れ上がった茉莉花の頬に当て、何度も何度も謝った。

「いいのよ、梢子さんに怪我が無くて良かった。」

「ごめんなさい、マリさん!私のために……」

ぽろぽろ涙を流す梢子を、茉莉花はそっと抱きしめた。

「謝らなければならないのは、私の方よ……アキには愛する人がいる。それは私の姉の英梨花。二人は幼いころから愛し合っていたけれど、エリは病気で高校生の時に亡くなったの。そして、アキは今でもエリだけを愛している……」

「そんな!」

「アキの心を奪うことは出来ない。だから、分かって……」

「そんなこと、分かることなど出来ないわ!彬智さんには私を愛してもらうのよ!」

梢子は台所を飛び出していった。しばらくすると一台の車がやってきて、梢子はそれに乗り込み去って行った。

テールランプが門を通り過ぎ消えるのを、窓辺からぼんやり眺めていた茉莉花の元に、娘の華音がやってきた。母の手を掴むとおいでというように引っ張った。そして隣りの屋敷に導くと、中にトコトコと入っていく。

不思議に思い華音のあとを追うと、二階の彬従の部屋にやってきた。

「あー!あー!」

開けてというように指を差す。言われるがままにドアを開け中をのぞくとベッドの上に毛布の小山が出来ていた。

驚いて毛布を払いのけると、中から小さな彬従が涙目で現れた。

「まさか……梢子さんは、子供を置いて出て行ったの……?」

彬従を抱きかかえよしよしと宥め、茉莉花は華音の手を引き高塔の屋敷に戻った。華音は彬従を気にしてまた「あー!あー!」と声を上げ、母の手から彬従を奪うと両手で抱えるように胸の中に収めた。すると泣いていた彬従が途端に零れるような笑顔を見せた。

「マリ、ごめん、ほっぺた、まだ腫れている……」

振り返ると、彬智が子供たちを青ざめた顔で見つめていた。

「どんな理由があっても、暴力を振るうなんて最低よ。」

「ごめん……でも、めちゃくちゃにされた……エリの写真……エリの思い出……」

「写真ならネガが残っているはず。焼き直せば元に戻るわ。」

心配して様子を伺っていた家政婦の涼花に華音と彬従を任せ、茉莉花は彬智を引っ張り英梨花の部屋に連れて行った。そして引き出しを探り、ネガを取り出し、在りし日の英梨花の姿を彬智に示した。

手の中の、茶色のフィルムを握りしめ、彬智は涙を流した。

「アキはいつまでエリにしがみついているの……生きている人間に興味は無いの?」

「マリ……」

唯一の味方だった茉莉花に問い詰められ、彬智は狼狽えた。

「いいの、アキ……あなたがエリを愛する気持ちに変わりが無い、それは分かっているつもり……」

そうだ、どんなに足掻いても、彬智は英梨花のものなのだ。どんなに彼を愛しても、自分も梢子もただ空虚うつろを抱きしめているのと変わらないのだ……

「マリ……俺は忘れたくない、エリがこの世にいたことを……」

「いいよ、アキ。エリを忘れなくて……」

ふわりと彬智の身体を抱きしめる。さっき娘の華音が彬従を抱きしめていたその姿と同じだと、茉莉花はふと苦い笑いを漏らした。



彬智は隣りの屋敷に戻って行った。息子の彬従はすでに華音のベッドに潜り込み、隣りのベッドの美桜とともに三人そろってスヤスヤと寝息を立てていた。

ホッとして、子供たちの部屋を後にし、自室に戻ろうと階段に一歩足を掛けた。

「マリ。」

見上げると、晃輔が階段のてっぺんで佇んでいた。ボストンバッグを抱え、するすると階段を下り茉莉花の横を通り過ぎた。

「どこに出掛けるの?」

「ごめん、もうこの屋敷に居られない。美織と暮らす。離婚は出来なくていいから……」

「晃輔!」

茉莉花は慌てて晃輔の腕を掴んだ。

「ごめん、マリは悪くない、全部俺がダメなせいだ……」

「そんなことは無い!やり直そうよ、ちゃんと話し合おうよ、晃輔!」

「でも俺は、俺を愛してくれる女がいい、俺だけを、愛してくれる女が……」

浮かべた笑顔が弱弱しくて、茉莉花は凍り付いた。

そっと妻の頬に触れると、晃輔はカラカラとボストンバッグを引いて、高塔の屋敷を出て行った。




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