落ちる花(アルファポリス版)

みきかなた

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第16章 鎹(かすがい)

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彬智と梢子の衝突を知った藍咲は、すぐさま原因となった亡き娘の遺品を処分するよう命じた。

姉の思い出が業者の手で庭先の焚き火に次々と葬り去られていく……母の藍咲にとって、血を分けた娘の価値は、重要な取引先より軽いものなのか……非情な母にふつふつと怒りが沸く。何も言えずに母の成すがままになる自分の無力に肩が震える……

窓辺で落ち込む茉莉花の手を華音がそっと握りしめた。母の暗い顔を見て不安になったのだろう。抱き上げると、華音は慰めようと母の頬を撫でほっこり笑う。その愛しさについ涙が流れる。

英梨花が彬智に贈ったマフラーと数点の写真だけは、隙を見て自室に逃すことが出来た。僅かばかりの抵抗だけれど、茉莉花にほんの少しの希望と満足を与えた。



しかしすぐに、晃輔の失踪を母にこっぴどくなじられ、気持ちをペチャンコにへし折られた。

藍咲は離婚を認めず、晃輔とは別居という形で婚姻関係を継続することになった。晃輔の実家の安住家でも、藍咲の怒りを買うのを恐れ、息子との絶縁を宣言した。

高塔財閥を追われ、収入の道を閉ざされた晃輔に、援助の手を差し伸べたのは他ならぬ恭弥だった。

伝手を頼って積極的に動き回り、あらゆる相手を説き伏せて、晃輔が無事に暮らして行けるよう手配した。藍咲は激怒したが、高塔家次期当主の夫が不祥事に巻き込まれてはならないと、恭弥は持ち前の爽やかな弁舌であの藍咲をも納得させた。

執務室に恭弥を呼び、茉莉花は事の次第を漏れなく聞いた。

「再就職先は神崎の系列会社になったよ。とは言ってもこの近くじゃ働きにくいだろうから、東京にいる大貴に頼んだ。それで、美織のご家族共々東京に引っ越すことになったから、もう心配しなくていいぞ。」

神崎大貴は神崎財閥の御曹司、茉莉花の幼馴染みで、恭弥の大学時代の悪友でもあった。大学を卒業後、地元に帰ればまだまだ健在な祖父や父に良いようにこき使われるだけだと東京に残り、支社の幹部となった。付き合っていた女性と結婚しすぐに息子を二人もうけた。

「仕事も慣れないうちは大変だろうが、アイツのことだから、要領良く手抜きしながらやっていくんだろうなぁ。」

「そうなの……良かった!」

「それで、美桜のことだけど……彼女の体調が悪くて子供を引き取る自信は無いそうだ。」

かつて赤ん坊だった美桜を抱いて高塔の社長室に乗り込んだ美織だったが、娘を奪われその後は心身ともに疲れ果て、病院の入退院を繰り返していたと共通の友人を介して聞いていた。

「美桜なら私がこれからも面倒を見る。生まれてからずっと育ててきたのは私なの。だからもう、私の子供のようなものよ。生みの母には悪いと思うけど……」

実の父親の晃輔は、高塔の屋敷を出ていく際に美桜を連れて行こうともしなかった……そのことだけは許せない気がした。

「それでいいさ。美桜はマリを本当の母親だと懐いている。何もかも晃輔の好きにさせることは無い。マリだって、十分傷ついたんだ。」

腕組みをし眉を寄せる恭弥に茉莉花はホッと微笑みかけた。自分の代わりに何もかも背負い込み、苦労を厭わず憎まれ役ですら進んで買ってくれる彼の存在に安堵を感じる……

「晃輔には幸せになって欲しい……私のせいで、沢山傷ついたのだもの。」

「もう自分を責めるな。」

茉莉花はデスクの上で両手を組み小さくうなずいた。思えば、夫婦らしい関係を持っていたのは子供が生まれるまでの一年余りの間だった……

最後にすれ違った晃輔は見るからにやせ細り顔色も悪かった。夫婦なのに、晃輔の気持ちを少しも考えようとはしなかった。子育てにかまけて彼の存在を忘れるように努めていた。会社での立場もただの置物と化して針のむしろに座っているようだったと、後から漏れ聞いた……

夫としての晃輔に愛情を持っていなかった事実と向き合う……だから晃輔が愛のある生活を選んでも恨むことなどできない。

それが晃輔への償いだと、茉莉花はふと目を伏せた。



幼い華音と美桜は、父のいない部屋をのぞいては不思議そうに小首を傾げた。積極的に関わることをしなかったが晃輔はそれなりに優しい父親だった。はるか昔、今はいない父親と遊んだ僅かな思い出が蘇った。この子たちにも、父親のいない生活を強いなければならないのだ……

春が過ぎ、夏になり、秋を迎え、冬を過ごす。日々の暮らしの中で、子供たちは父親の存在を忘れていった。茉莉花も夫のいない生活に慣れてしまった。



華音と彬従は次の春から幼稚園に入園し、また新たな生活が始まった。

梢子は息子を裕福な子女が通う市外の有名幼稚園に通わせようとしたが、彬智が断固として反対し、華音と同じ幼稚園に二人仲良く通園することになった。

入園と同時に、彬従は女の子たちから絶大な人気を博すようになった。父親譲りの美貌ながら気さくな彼は誰とでも親しく打ち解け、それが女の子たちの競争心に拍車を掛けた。誰が彬従の一番のお気に入りになるか、幼いながらも女同士の熾烈な戦いが繰り広げられた。

だが肝心の彬従は、相変わらず華音が大好きで華音を見つければところかまわずベタベタ纏わりついた。彬従が見ていないところでの女の子たちの妬み嫉みが激しく、小さいなりに華音は心を痛めていると、幼稚園のお迎えに行く涼花が心底悩みまくっていた。

茉莉花も忙しい業務の合間に何とかお弁当を作り多数の行事に参加した。母親同士の交流も努めて持った。多くの母親から華音の美貌を誉めそやされ、父親不在の理由を探られた。茉莉花は当たり障りのない返答を繰り返し、片親の気苦労を思い知った。

最初は渋々幼稚園に通わせていた梢子も、彬従と繋がりたいと願う母娘たちに熱狂的にもてはやされ、久しぶりの女王様扱いに酔いしれた。役員なども積極的に引き受けて、茉莉花にもあれこれと世話を焼いてくれた。

彬智とは大喧嘩のあとすっかり仲直りしたようで、何かにつけて夫を引き立て、彬智の好みに合わせて洋服を選び、人任せだった料理を自らこなした。実家の両親からも褒められる腕前になったと得意げに話した。オレンジケーキも本職ばりの出来栄えで作るようになった。息子の好物なのだとまたもや自慢した。彬従も母親には甘えることが多かった。

そんな梢子の態度の変化に、彬智も心を動かされたのか、以前ほど言い争うことは無くなっていた。



秋になり、初めての運動会が開かれた。前日から弁当作りに励んでいた茉莉花は、華音が浮かない顔でいるのが気になった。だが、華音はその理由を答えようとはしなかった。

朝早くから園庭で場所取りをしていた彬智の元へ、大きな弁当箱を抱えた梢子と共に駆け付けた。すると見慣れた大きな背中が彬智の横で楽しそうに揺れていた。紛れもない、恭弥だった。

「キョウ!どうしてここに?」

「アハハ!華音が親子競技で自分だけお父さんがいないって気にしているらしい。その話を祐都に聞いて、つい来ちゃったよ。」

「それで、あの子、落ち込んでいたの……」

それでは母に理由を言えないはずだ……茉莉花はうっすらと涙を浮かべた。

「今日は一日華音のお父さんになってやるからな。あ、俺の分の弁当は彩乃に用意してもらったから気にしないで!」

「そんな!お弁当なら沢山作ってあるのに……ありがとう、キョウ。」

「どうしたしまして!」

ご機嫌の恭弥は早速美桜を抱っこして、誰よりも大きな声援を華音に送った。

年少組のお遊戯に出ていた華音は、客席にいる恭弥を見つけ、笑顔を弾けさせた。彬従も両親が揃って応援する姿を見ていつも以上に張り切った。

やがて親子二人三脚になり、恭弥が華音と組み一番でゴールを駆け抜けた。華音は興奮していつになくはしゃいだ。

その姿を見た茉莉花は、娘の気持ちを察してやれなかったと心を痛めた。そして、華音のために休日を押して駆け付けてくれた恭弥に深く感謝した。



運動会が終わった。大活躍だった息子や誰よりも美しい夫を母親仲間に褒めちぎられ梢子は鼻高々だった。彬従は右手で父と左手で母と手を繋ぎ嬉しそうに笑う。華音と美桜も恭弥を挟んで楽しそうにお喋りした。

恭弥を誘って高塔の屋敷に着き、運動会での活躍を語り合っていた時、玄関の呼び鈴が鳴った。茉莉花が出迎えると、やってきたのは恭弥の妻の彩乃と息子の祐都だった。

「ヒロトだー!」

彬従と華音は幼馴染みの祐都を見つけて大はしゃぎだった。小さな頃から恭弥に連れられ高塔の屋敷に遊びに来ていて意気投合していたのだ。幼稚園が違うことを、彬従はずっと嘆いていた。

「お父さん、華音のお父さん役、ちゃんとやった?」

「もちろんだよ。」

「キョウヤおじちゃま、カッコよかったよ!」

ウキウキと笑う華音を見て、祐都も嬉しそうに笑った。

「祐都も運動会だったのに、今日は華音のところに行ってあげて!なんて言うんですよ~。」

彩乃が苦笑いしながら話すので、茉莉花は唖然とした。

「キョウったら、自分の子供の運動会を優先してよ!」

「いいんです、マリさん。だって、恭弥さんったら、華音ちゃんが困っているって聞いてから、もうオロオロしっぱなしで!きっと祐都の運動会に来ていても、心ここにあらずでしたよ。」

コロコロと鈴を転がすように笑う彩乃に申し訳なくて、茉莉花は思わず頭を下げた。

夕食を共に済ませ、恭弥は彬智や梢子と談笑し、子供たちはお団子のようにくっつきあって笑っていた。

彩乃と共に台所に立ち、茉莉花は改めて彼女に礼を言った。

「いいんですよ!恭弥さんは、アキさんやマリさんをとても大切にしていますから。」

「悪かったわ……恭弥の持ってきたお弁当、とても美味しそうだった……一緒に食べて祐都を応援したかったでしょう……」

「そうですね……でも、恭弥さんの望むことを叶えることが、私の誇りですから。」

ニッコリと微笑む彩乃は輝いて見えた。恭弥を愛し、恭弥に愛されている……自分たち夫婦には得られなかったことだ。

「マリさん、私……恭弥さんの一番になりたいんです。一番、大切な人に……」

「彩乃さんなら心配ないわよ!キョウに大事にされているわ!」

すると彩乃はふと翳りを見せた。だがそれは一瞬で、すぐに普段の穏やかな笑顔に戻った。



はしゃぎ過ぎた彬従がぐっすり寝込んでしまったので、彬智が抱っこして隣りの屋敷へと帰っていった。夫の腕に絡みつき、梢子が艶っぽい笑みを浮かべる。彼らもまた夫婦として充実しているのか……

玄関先で茉莉花がぼんやり見送っていると、恭弥がやってきた。

「ありがとうキョウ。とても楽しい一日だったわ。」

「俺ならいつだって華音たちの父親になってやるよ。」

すっと険しい表情になり、恭弥はふと囁いた。

「何もかも投げ捨てて、いつだってあの子たちの父親になってやる。」

彼の瞳に宿る熱に茉莉花は狼狽えた。

「キョウには彩乃と祐都がいるのよ。だから、父親役なら、お願いするわ。」

「……お休みマリ。俺も楽しかった。」

ぽんと頭を撫でられた。優しくて大きくていつも自分を包み込む力強い手……

彩乃と祐都が待つ車に乗り込む恭弥の背中を、茉莉花は胸を押さえて見送った。



【注】『鎹(かすがい)』…子(こ)は鎹(かすがい)からいただきました。子供が夫婦の仲を取り持つ、と言う意味です。
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