落ちる花(アルファポリス版)

みきかなた

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第19章 内助の功

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三十才になるとすぐ部長職に就いた恭弥は茉莉花の片腕として常に傍らに付き添った。茉莉花を支える存在になり、すぐにも重役の席に就くであろうと噂された。

定例役員会議のあとで専務の一人に呼び止められた恭弥は、視界に入る茉莉花にふと眉を寄せた。ここ数日、何かしら訴えるような表情で自分を睨んでいる。

俺が何かしただろうか?後ろめたいことなら数々あるなと口角を上げる。

浅からぬ関係のクラブの女に接待の席でいきなり泣き出されたことでも耳に入っただろうか?あれには参った。付き合いの長い得意先だったから笑い話で済ませ、店のママにもオーナーにも平謝りされたが、当の女は恭弥を恨んでいるようだった。身体の相性がいつになく良くて深入りしたのが原因だ。もうきっぱりと別れたつもりだったのに。女遊びもほどほどにしなければと肝に銘じたばかりだ。

話を終え会議室を出てエレベーターを目指す。振り返ると、迷っていた茉莉花が小さく頷き、つかつかと歩み寄って来た。

「キョウ、ちょっと私の部屋に来て。」

「どんな用件?このあと取引先のところに顔を出さないといけないんだ。」

「時間は取らせないわ。」

くるりと背中を見せ颯爽と先を歩く茉莉花の後ろ姿を眺めた。相変わらず艶やかな女だ。柔らかな髪をきりっと結い上げ、ほっそりしたうなじが艶を放つ。ピンと張った背筋も細く括れた腰も程よく膨らんだ尻の形も俺好みで……

いやいや、馬鹿なことを考えている場合じゃない。

社長補佐室にやってきた恭弥をソファーに座らせ、茉莉花はまだ迷っていた。

「俺に話って何かな?」

「あの、ね。」

恭弥が彬智の妻である梢子と密会を重ねている話は、心に突き刺さった棘となり茉莉花を苦しめた。まさか家族思いの恭弥が、妻子を裏切りあろうことか親友の妻に手を出すはずがない。直接尋ねてしまえば、きっと恭弥は「何かの間違いだよ」と笑って否定するはずだ。

戸惑う茉莉花の先手を打って恭弥が口を開いた。

「そう言えば、大貴とこっそり二人きりで逢ったらしいな。」

「えっ!」

「俺が梢子と浮気しているって、大貴に吹き込まれただろ?」

茉莉花は呆気に取られてポカンと口を開け恭弥を見上げる。その表情が可愛らしくて、恭弥は緩む口元を隠そうとこぶしを押し付けた。

「本当なの?梢子さんと夜な夜な逢っていたって!」

「毎晩じゃないが、逢っていたのは本当だ。でも浮気じゃないよ、相談に乗っていたんだ、アキのことでね。」

「相談……?」

「梢子はアキとの離婚を望んではいない。出来ればやり直したいと言っている。俺も、彼女の意見に賛成だ。」

「何故梢子さんの肩を持つの?あの人と居る時のアキは人が変わったように怒りっぽくなる。だからもう……」

「彬従はどうなるの。離婚して御園生家に引き取らせるつもり?『高塔の珠玉』と言われた吉良の血筋を失うことになるんだよ。」

「吉良の血筋は大切よ、でも彬従が元気で楽しく暮らしていける方が……」

「マリは高塔の次期当主だ。何が優先されるべきか、良く考えた方がいい。」

諭された茉莉花はキッとまなじりを上げ恭弥を見返した。

「じゃあ、このままアキと梢子さんがいがみ合って暮らせばいいの?」

「そうは言っていない。」

泣き出しそうな茉莉花を見つめ、恭弥は目を細くした。

「高塔財閥の現状ではまだ御園生財閥からの援助を切ることは出来ないだろ……だから、もう少し待って欲しい。アキも俺が説得する。必ず悪いようにはしない。」

「キョウ……」

「俺を信じてくれないか?」

「分かった。キョウを信じるわ。」

ふうとため息を吐き肩をすぼめる茉莉花は弱々しく見えた。何も心配することは無いのだ。誰かを傷つけても、どんなに汚いことをしても、俺が茉莉花とこの高塔財閥を護ってやる……

微笑む恭弥を見つめる茉莉花の目に安堵の輝きが灯った。

「それより、大貴と二人っきりで逢うのはやめなさいよ。アイツは紳士面して女を酔わせてお持ち帰りなんて、得意技なんだから。」

「わ、私、お持ち帰りなんかされないわよ!そんなに飲んだくれたりしないもの!」

茉莉花が慌てて否定する様子が可愛らしい。恭弥はとろんと見惚れた。

「どうだか?アイツに女を口説かせたら一番なんだよ、そばにいる俺でも惚れそうになる。」

「やだ、止めて、私は大貴に惚れたりしないわ!」

クククと喉を鳴らすと、「外出するから何かあったら連絡して」と言い残し、恭弥は社長補佐室をあとにした。そして乗り込んだ社用車の運転手に「神崎の本社まで。」と申し付けた。



その夜、いつもより早い時間に自宅に帰り着いた。玄関を開けふと目を落とすと、真っ赤なピンヒールの靴がきちんと揃えて置いてあった。彩乃のものではもちろんない。誰のものだ?恭弥の胸に悪寒が過る。

「恭弥さん、お帰りなさい!」

バタバタと足音を立て彩乃が駆け寄った。いつになく険しい顔をしている。

「誰か来ているの?」

「いいの、恭弥さんは寝室にいてっ!」

夫の問いかけに耳を貸さず、彩乃はグイグイ恭弥の背中を押す。

「お帰り恭弥、待っていたわ。」

背後から耳に覚えのある女の声がした。まさか、そんな……その女は先だって泣かれたクラブの女だ。

「奥さまにはお話をしたわよ、私とあなたの関係を。もう一度話し合いましょうよ、私たちの未来のことを。」

「あなたの話など、恭弥さんに聞かせる必要は無いわっ!」

彩乃が険のある声で言い返した。驚いた恭弥はまじまじと妻を見つめた。穏やかな彩乃は怒ることなど滅多にない。だが、今は顔を赤らめ険しい表情で女を睨み返している。

「どいてよ、アンタこそ関係無いよっ!」

「ここは私の家よ、あなたに勝手な真似はさせない!」

彩乃は寝室のドアを開け夫を押し込むとバタンと閉めてしまった。ドアを押し開けようとしたが彩乃が塞いでいるのかびくともしない。

「彩乃っ!彩乃っ、開けて!」

「ダメだよお父さん、外に出ちゃ。」

ぎくりとして振り返ると、ベッドの上で息子の祐都が枕を抱えて父を見上げていた。

「いったい何があった?」

「ご飯食べてたら、あの女の人が来たんだよ。それで、お父さんに逢わせろってすっごく怒っていて……お母さんが仕方なく女の人を応接間に通して、僕はここで待っててって言われた。」

「そうか、済まなかった、あの人は……」

「僕、知っているよ、お父さんのお友達でしょ?あのね、お母さんは言っちゃいけないって言ってたけど、時々女の人がお父さんに逢いに来るんだよ。それでいつもすっごく泣いたり怒ったりしているの。」

「ひぇ……」

自分でも間抜けだと思う声が自然と出て、恭弥は呆気に取られて祐都を見つめた。

「いつもお母さんが物凄い勢いで怒って追い返しているの。怖いんだよ、そういう時のお母さん。でもね、お父さんが優しいのを勘違いしているんだって、だから困るってお母さんが言ってた。」

「祐都……」

「大丈夫だよ、お母さんは強いんだよ!でも、お母さんを泣かせないでね。」

ニコニコと微笑み父親を慰める息子の脇に腰かけ、恭弥は頭を抱えた。部屋の外では罵詈雑言が飛び交っている。子供には聞かせたくない言葉のオンパレードだ。恭弥は祐都を膝に乗せ、耳を塞いで喧騒が鎮まるのを待った。

やがて部屋の外が静かになった。カチャリとドアが開き、彩乃が顔を覗かせた。少しまだ顔を赤らめているがいつもの穏やかな微笑みを浮かべている。

「あ、あの、彩乃……」

「お帰りいただきました。もう二度と恭弥さんの前にもこの家にも現れないと約束していただきました。」

そう言って、祐都を子供部屋に連れて行き、戻って来た彩乃は夫を前にして俯いた。

「済まない、あの女は……」

「聞きました、あの人から。恭弥さんとお付き合いしているって……でも、一方的に別れを告げられて納得できないって。」

ぐっと息を飲み込み、恭弥は妻を見つめた。

「私の父も浮気者でした。母はいつも泣いていました。今日のように愛人が家に押しかけてくるなんて、子供の頃からしょっちゅうあって、慣れています。」

「ごめん、彩乃、ごめん……」

彩乃はふと震える手で恭弥の胸を掴んだ。

「ごめんじゃ済みませんよ。浮気なんか、二度としないでください。」

かたかたと震える彩乃を恭弥は抱きしめた。

「私じゃ、ダメですか?……私だけじゃ、物足りないんですか?」

「そんなことは無い!」

「だったら、私だけにしてください。二度、と、浮気、なんか、し、ないで……」

静かに問い掛ける彩乃の頬が涙で濡れた。その柔らかな頬に恭弥は自分の頬を押し付けた。

「こんなことが、前からあったのか、なんで話してくれなかったんだ……」

「だ、だって……きょ、うや、さんの、こと、し、んじてい、たかった、から……」

泣きながらしゃくり上げる彩乃をきつく抱きしめ、恭弥は何度も唇を押し付けた。

「ごめんよ、彩乃。祐都にも言われた。お母さんは強いから大丈夫だって。でもお母さんを泣かせないでって。」

「恭弥さん……恭弥さんっ……!」

「二度としない、他の女に手は出さない、だから、俺のことを、許してくれ……」

唇を合わせると舌を絡めた。彩乃もお返しとばかりに縋りつく。なんで俺は、妻を泣かせるような真似をしていたんだ……抱きしめて弄って、彩乃を高めていく……

「お母さーん、お風呂に入っていい?」

「は、はい、今準備するわ!」

部屋の外から聞こえた息子の呑気な声を聴き、彩乃と恭弥は慌ててお互いを離した。そして見つめ合い、プッと吹き出した。

「彩乃、今夜は寝かさないから。」

「ウフフ、じゃあ祐都を寝かしつけてきますね。」

朗らかな笑い声をあげ、彩乃は祐都のもとに向かった。

恭弥はすぐにリビングに向かい、電話を掛けた。

「大貴、例の計画、俺も乗った。すぐに行動に移すよ。」

「OK、マリにも話しておくよ。」

「だからって、また二人きりで逢うなよ!」

「分かっているよ、嫉妬深いな。」

クククと悪びれずに笑う悪友の声を聴きながら、恭弥はキュッと胸元のネクタイを引き締めた。




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