落ちる花(アルファポリス版)

みきかなた

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第20章 儚い記憶

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恭弥に指定された店は彬智が勤める大学から程近い駅の路地裏にあった。毎日のように通っている道なのにこの角を曲がるのは初めてだ。恭弥の情報量に唸りつつ、物珍しさから周囲に視線を泳がせる。「アキもきっと気に入るよ」と言われた店には小さな看板があるだけで、重厚な扉を戸惑いつつ開けるとカランとベルが鳴り「いらっしゃいませ」と白髪混じりのバーテンダーの気さくな声が掛かる。接待などで使う料亭やクラブとは違い、趣きのあるバーで内装も凝っている。恭弥らしい趣味だ。昔から小洒落たものが好きだったからな。

彬智は店の奥に進み、カウンターに座る恭弥に手を挙げ挨拶した。やって来た彬智に恭弥は思わず感嘆の吐息を漏らす。相変わらず麗しい。いくつになっても、男でも見惚れる美貌だ。

「遅くなってごめん、俺の方が近いのに。」

「アキに逢うから、マリに早く帰らせてもらったのさ。」

「マリは?」

「誘ったんだが抜けられない仕事があってね。凄く残念がっていたよ。」

「そうか、急に呼び出して悪かった。仕事はどう?忙しい?」

「最近は前ほどじゃないよ。夜は接待で忙しいくらいかな。」

彬智は恭弥の隣りに腰かけ、勧められるままに年代物のウィスキーを頼んだ。恭弥も氷が溶けて薄まったウィスキーを飲み干しおかわりを注文した。グラスをカチンと合わせて乾杯し、つまみを口にしあれこれと近況を語り合う。恭弥の頼んだ料理はもれなく彬智の好みにぴったりだ。そんな気遣いが彼らしいと彬智はホッと心を温める。顔を合わせるのは久しぶりなのに、そんなことは忘れてしまうくらいあっという間に離れていた時間が埋まる。

数杯の酒を干して、恭弥はおもむろに口を開いた。

「それで何?改まって俺を呼び出すなんて。」

「あの人に聞いた。キョウと逢って俺のことを相談していたんだろ?」

「あの人って梢子のこと?まったく、嫁さんの名前くらい呼んでやれよ。つか、マリにも言ったけど浮気はしてないからな。」

「分かってる……心配かけてごめん……」

「別に大したことは無いさ。こっちは人妻とはいえ絶世の美女と酒が飲めて楽しかったよ。」

恭弥の軽口に思わず微笑み、彬智はグラスを持ち上げウィスキーで唇を濡らした。

「先週の土曜に彬従のサッカーの試合があったじゃないか。それを観に来いって言われていたのを無視したら、あの人になじられた。少しは恭弥さんを見習って家庭を省みろって。」

「仕事じゃないならアキもおいでよ。あの子たちのクラブは連戦連勝で、彬従も祐都もレギュラーでガンガンボールに絡んで、観ているだけでも手に汗握って楽しいよ。」

「そうか……」

浮かない顔つきでカランと氷を転がす彬智を、恭弥はやれやれと見つめた。

「梢子は好い子じゃないか。世間知らずのお嬢さまなところはあるけど。彬従だって明るくて活発で頭も良くて、しかもお前そっくりの超が付くほどイケメンで、彩乃がいつも羨ましがっているんだよ。それに男の子はこれから難しい時期を迎える。父親がそばにいてやった方がいいんじゃないか。」

「フフ、彬従なら俺を見るたび嫌な顔をするよ。俺が家に居ると必ず揉めるから。あの子はあれで母親思いなんだ。」

彬智は、くっと眉を寄せる恭弥を静かに眺める。恭弥の周囲はいつも明るく幸せに満ち足りている。ギスギスした夫婦や親子の関係など想像も出来ないのではないか……

「あの人と居ると息が詰まる……あの人にとって俺はバッグや宝石と同じアクセサリーに思えて来る。そばにおいて他人に自慢するための……それに、日常生活すべてにおいて、自分の思い通りにならないと気が済まない……着るものですら、靴下から下着まで、全部指図されるんだ……」

「世話焼きって言葉もあるぞ?日用品なら俺も彩乃に用意してもらうけど?」

「キョウは前向きだね。昔から変わらないね。」

恭弥はふっとため息を吐いた。彬智は小さな頃から思慮深く穏やかで、それでいて自分の意志は強固に持つ少年だった。思い込みの激しさでずいぶん損をしているんじゃないかと、ふと口元を歪めた。

彬智の離婚が実現すれば、必ず高塔と御園生に亀裂を生む。対処するためにはもう少し時間が必要だ。だがそれを親友に押し付けるのはどうなんだ……恭弥はウィスキーを飲み干した。

語り尽くせずいつしか店じまいの時間になった。すると、恭弥のポケットからブーブーと着信音が鳴り響いた。

「キョウ、携帯持っているの?」

「ああ、会社名義で持たされた。全く落ち着かないよ、どこに居たって電話やメールが来るから。」

仕事かもしれないとポケットから取り出した恭弥はいきなりニンマリと笑った。

「どうした?」

「彩乃から、初めてメールが来た!ククク、ずいぶん熱烈な文章を送って来るなと思って!」

浮かれて恭弥が彬智に液晶画面を見せる。見せつけられた彬智は思わず顔を赤らめ笑いを堪えた。

「『愛するあなた、お帰りが待ち遠しいです。早く帰って来てね』、か。熱烈だね。」

「こんなこと今まで無かったのに!」

ごめんと断り恭弥が電話を掛ける。すると「えっ!」と驚いたような声を上げ、しばらく話をして電話を切った。

「今のは祐都が送って来たらしい。いつでも俺と連絡が取れるように、彩乃にも携帯を持たせたんだが、俺の帰りを心配してあんまりオロオロしているから、祐都が気にしてメールを送ったそうだよ。はぁ、アキと出掛けるって言っておいたのに……」

「アハハ、キョウの家族は仲がいいね。」

「恥ずかしいなあ、まさか祐都が考えた文章だったなんて!」

思いがけず長居をしてしまった。これ以上遅くなると彩乃に心配をかけると、彬智は恭弥の背中を押し二人で店を出た。深夜の街にはまだ酔客が溢れ陽気な鼻歌も聞こえてくる。その人波をかき分け駅まで歩いた。

恭弥は彬智の物憂げな横顔を眺める。彼が話したがっていたことを少しでも聞けただろうか、もっと彼の気持ちを明るく軽くしてやれなかったか……いったい何が正解なのか、闇に手を伸ばすようだ。

「楽しかった、また逢おう。」

「ああ、アキも遠慮しないで誘ってよ。」

「キョウは幸せだね。俺の理想だよ。」

「何言っているの、アキこそ俺の欲しいものをみんな持っているくせに。」

「もし、あの人がまたキョウを頼っても、もう放っておいてよ。」

「そんな訳にはいかないよ。俺は、アキにも梢子にも、幸せでいて欲しい。」

「幸せ、か……なあ、俺たちのことより、マリを頼む。」

「それなら任せておいて!今、若手社員を中心に高塔財閥の立て直しを図っている。上手くいけば、御園生との関係も改善される。そうしたら、アキの力にもなるんだ。」

「やっぱり、キョウは頼もしいよ。」

不意に恭弥は顔を強張らせた。

「なあアキ、お前はまだエリのこと、忘れられないのか?」

「忘れられない、じゃなくて、忘れない。マリがね、前に言ったんだ。俺がエリを忘れない限り、エリは記憶の中で生き続ける。だから、俺が死ぬ時、エリも一緒に死ぬんだよ。」

薄く笑う彬智を、恭弥はぼんやりと見つめた。なぜこんなに彬智は、まるで夢の中にいるかのような儚い生き方をしているんだ。

なおも帰り渋る恭弥をタクシーに押し込み、「彩乃さんによろしく」と彬智は極上の笑顔を見せた。手を振り去っていく車を眺め、次に来たタクシーに乗り込むと、深く座席に沈み込んだ。



高塔の屋敷に着き、タクシーを降りた。ふと見上げると、茉莉花に部屋の明かりがまだ点いている。道端の小石を拾い、彼女の部屋の窓ガラスに投げつけた。しばらくして、不審げな茉莉花が顔を覗かせた。

「アキ、お帰り!驚いたわ、石を投げるなんて!」

「急にマリの顔が見たくなった。」

待っていてと窓を閉め、茉莉花はガウンを羽織り大慌てて階段を駆け下りた。玄関を開けたところで、彬智がぼんやりと佇んでいた。

「キョウに逢ったんでしょ?どうだった?」

「うん、元気をもらった。それから惚気られた。」

彩乃から恭弥に送られたメールの話をすると、茉莉花は子供のようにケラケラ笑った。

「キョウったら、最近特に彩乃さんにべた惚れなのよ。私も当てられっぱなしで困るわ。」

「アイツはホントに幸せな男だね……」

ふと長いまつげを合わせ、彬智は深くため息を吐いた。

「マリ……俺は、エリを忘れなくていい?」

「どうしたの、キョウに何か言われた?」

「俺が、エリを忘れないことで、俺の周りを不幸にしている?」

茉莉花は彬智の手をそっと掴んだ。

「エリを忘れなくていい。それが、アキにとって幸せなら。私には、アキが幸せでいることが一番大切。」

「俺は、傲慢な男だね……」

目を閉じたまま長身を折り、こつんと肩に額を乗せる彬智の髪に茉莉花は指を絡めた。

「マリはなぜ、俺にキスしたの?」

「アキがあんまり可愛い顔で寝ていたから、つい。」

ふんわりと微笑んだ茉莉花の頬に彬智はそっと触れた。死んだ英梨花に面差しが似ている。いつの間にか、英梨花と茉莉花を重ねている自分に気づいた。

茉莉花は頬に触れる彬智に手を重ねた。

「もし時を戻せたら、私はあの日に帰りたい。エリがこの家を出て行った、あの雪の日に。そして、エリを思い留まらせるの、きっと未来は悪いことばかりじゃないって。」

「俺に出来ることがあったら何でも言って。マリのためなら何でもする。キョウのように、役には立てないけど。」

「じゃあ、今度アキのサッカーの試合は一緒に観に行こうね。とっても楽しいのよ。華音も美桜も、アキの……彬従の応援で大はしゃぎなの。」

「キョウにも誘われた。今度は行くよ。」

「梢子さんとは、仲良くする?」

「努力します。それから、マリがアキって呼ぶのは、俺だけにしておいて。」

「ウフフ、分かったわ。」

彬智はニコリと微笑み、隣りの屋敷へと消えていった。



次の土曜日は快晴で、朝から華音や美桜とともに弁当作りに励んだ。車を出し、荷物を載せていると、梢子が頬を染めいそいそとやってきた。

「マリさん、今日は彬智さんが一緒なの。だから、彼の車で行くわね!」

彬智も約束通り梢子と仲直りしたようだ。父親が同行することで彬従は渋い顔をしていたが、華音に宥められ機嫌を戻していた。

球技場には多くの保護者たちが詰めかけていた。茉莉花はいつものように恭弥や彩乃と並んで観戦した。普段はママ友と観戦する梢子が前の列で夫にしなだれ掛かる様子が目に入る。

思わず横を向き、華音が青ざめた顔色でいるのに気が付いた。

「どうしたの?どこか痛い?」

「お母さん……お腹が……」

華音はそう言ったきり、茉莉花の膝にしがみついた。

「華音、大丈夫、華音!?」

茉莉花は慌てて娘の背中を摩った。娘の太ももを流れるあり得ない出血に、彼女は怯えた。

「病院に連れて行こう!」

彬智が華音を横抱きにして先を急ぐ。茉莉花も慌てて後を追った。


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