異世界ネクロマンサー

珈琲党

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01 死神に遭った

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 月夜だ。



 風が体をなでて行く。

 草がすれるサワサワという音が聞こえる。

 どうやら俺は草原に横になっているらしい。

 ぐいっと上体じょうたいを起こす。



 前方には緩い丘があって、ずっと草原が続いている。

 後ろを振り返っても同じような光景が見える。

 急に立ち上がると、頭がクラクラした。

 丘の向こう側に見えるのは街の灯りだろうか。





 ふと足元を見たとき、何やら違和感があった。

 自分の影が妙に盛り上がっているのだ。

 そこに大きな石でもあるのかと思ったが、違う。

 影の中に何かがいて、こちらを見ている。



 そして、その何かが声をかけてきた。



「やっと目を覚ましたのぉ。良い夢でも見ておったのか?」



 感情の薄い、暗く深い声。

 ごくわずかにからかうような響きが混じっている。

 俺はその何かを見て言葉を失った。



「な!?」



 それはどう見ても骸骨だった。

 眼窩がんかには目玉の代わりに、赤い炎がポッと灯っている。

 それが俺の足元の影から、頭だけをのぞかせて、炎の瞳でこちらを見上げているのだった。



「お! おま、お前は何者だ!」



 俺はやっと言葉を絞り出した。



「ほぉ、やはりお主には私の姿が見えるのじゃな?」



 そう言うと、それは足元の影からズルズルと這い出してきた。

 骸骨の体に真っ黒なローブをまとったその姿は、まさにアレだ。

 そして、そいつが立ち上がり俺を見下ろす格好になった。



「うわっ!」



 腰が抜けて尻もちをついてしまう。

 俺はそのままの無様な姿勢で手足をカサカサと動かし、そいつから離れようとした。当然だが、俺の影は俺についてくる。そして、そいつも俺の影についてくる。



「わぁぁぁ!!」



 十メートルほど後退したが、そいつと距離を取ることはできない。

 結局、手足がもつれてへばってしまった。





「驚かせてしまって申し訳ないが、それは無駄な努力じゃの……」



 相変わらず暗く感情に乏しい声だが、あきれたような感情もわずかに伝わってくる。

 こいつ、人をおどかしておいて馬鹿にするのか? と怒りがわいてきて、その怒りのせいでようやく気持ちが落ち着いてきた。





「お前、もしかして――」

「いや、死神ではないからの」



 俺の機先きせんを制して、そいつは言った。



「私は死霊のクロゼル。なぜかは知らぬが、お主の影にとらわれておる。どうやってもお主の影より外へ抜け出せんのじゃ。何とかしてくれんかの」



「えぇ!? そう言われてもなぁ」



 何とかしてやりたいのはやまやまだが、何をどうすればいいのか分からん。

 そもそも、これって俺のせいなのかな? 



「お主はここで何をしておった? どこの誰なのじゃ?」



「俺は――」



 そういえば、俺は誰なんだろう? ここはどこだ?

 死神――、ではない死霊のクロゼルは、俺の額あたりに手をかざした。



「ふむ……。どうやら記憶をなくしておるらしいの。お主の心を少し覗いてみたが、真っ黒で何も見えぬ。……む! お主、死神も死霊も同じだろうと思ったじゃろう? 断じて違うぞ!」



「あ……。そ、そうか」



 違うのか? いや、そんなことはどうでも良い。

 俺は自分の名前すら思い出せない。どこに住んでいるのか、いままで何をしてきたのか、家族は? 知り合いは? 何も思い出せない。いったい俺はどうすればいいのか。まいったなぁ……。





「まぁ、悩んでも仕方がないか。とりあえず、向こうに見える街に行ってみようと思う。俺を知っている奴がいるかもしれないし」



「うむ、それが良いかもしれぬ。歩いているうちに記憶が戻るかもしれんしの」



 死霊のクロゼルはおどろおどろしい外見だが、俺に害を与えるつもりはなさそうだ。それにしても、なんで普通に話ができるんだろうか。

 まぁ、いいか。考えても仕方がないな。





「フフフ……。心配するな、お主の魂を取って食ったりはせん。お主が死ぬと、私ももろともに滅ぶかも知れんからの」



「そ、そうか。それは安心した。これも何かの縁だ。仲良くしようぜ」



「フフフ……、そうだな。しかし、名がないというのも不便だの。何か適当なものを考えよ」



「そうだなぁ……。じゃぁ、イチロウってことで」



「イチロウ? 変わった響きじゃが、お主の故郷の名前なのかぇ?」



「分からないけど、なんとなく頭に浮かんだ」



「ふむ、そうか……」





 冷たい風が吹いた。

 肌寒くて、ぶるっと身を震わせる。

 上下ジャージにスニーカー、近所のコンビニに行くような姿だ。

 ……あれ? ジャージ? スニーカー? コンビニ? 何それ?

 よく知っていたはずの単語がスッと頭に浮かんで、すぐに沈み込んでいった。

 ともかく、もう少ししっかりした服が欲しいところだな。

 街までは歩いて行ける距離に見える。

 月明りもあるし、障害物もない。





「イチロウ、気を付けよ」



「え?」





 誰かが走ってくる。男が三人だな。月明りで良く見える。

 どうしたものかと考えていると、彼らがすぐにやって来た。



「よぉ、兄ちゃん。こんな時間にこんなところで何やってるんだぃ?」



「あ、いや、街に行こうかと思って」



「それは可哀そうに。もう、閉門の時間は過ぎてるぜ」



「え? 閉門? そうなんだ……」



「あぁ、そうだ」



 彼らにはクロゼルの姿が見えないらしい。

 俺をじっと見て、ニヤニヤと嫌な笑いを浮かべている。



「イチロウ、連中はお主を殺すつもりじゃ」



「俺を、殺す!?」



 冷水をいきなり浴びせられたような気がして、思わず声が出てしまった。

 男たちの笑いが残忍なものに変わった。



「気が付いたのなら仕方がねぇ」

「……へへへ」

「まぁ、運がなかったと思いな」



「おい待て待て! 俺は金とか持ってないぞ! 無一文むいちもんだし手ぶらだし、殺しても何も出てこないから――」



「そんなことはどうでもいいんだ。ちょっと剣の試し斬りがしたくなってよぉ」

「むしゃくしゃしてるしなぁ」

「そうそう、人でも斬ってスカッとしてぇんだわ」



 こいつらイカレてる。理不尽にも程があるだろうが。



「そんな無茶な……」



「じゃぁ、すまねぇな。ひとおもい、ってわけにも行かねぇから」

「あぁ」

「だな……」



 静かな草原にシャリンと金属的な音が響く。

 彼らが腰に差していた剣を抜いたのだ。



「ちょっ、ま!――」



 俺は何も出来ずアタフタするばかりだった。

 あぁ、自分が何者かも知らないまま、どことも知れない場所で、わけもわからない理由で無残に殺されるのか……。なんだよこれ?





「フフフ、そんなことはさせんよ」



 クロゼルがいつの間にか俺の前に立っていた。

 背後からの月明りによって、俺の前に影が出来ているのだ。

 そして、クロゼルは彼らを一人一人指さして言った。



「死ぬがよい!」



「はぅぁ」

「ぅぅ」

「おぉぉ……」



 三人組はいっせいに白目をむいて、その場にパタパタと倒れた。

 そのままピクリとも動かない。



「えぇ?」



 何が何だかわからず、俺は呆然ぼうぜんとした。

 しばらくただ見ていると、三人の体から何か光る球が抜け出し、クロゼルの口に吸い込まれて行った。



「むぐむぐ……。うむ、やはり悪人の魂には深みがあるのぉ。エグみというか渋みというか、複雑な味わいがある。旨くはないが、面白い味であるの……」



「うわぁ、ひょっとして魂食ってるの?」



「むぐむぐ……、そうじゃ」



「吸血鬼が血を吸うようなものか?」



「いや、彼らは生存のために血を吸うが、私は死霊であるゆえそもそも飲食不要じゃ。私が魂を食らうのはただの趣味だの、むぐむぐ……」



 吸血鬼って本当にいるのかよ! まぁ死霊がいるんだから、吸血鬼がいてもおかしくないのかな。

 あまりのことに俺はマヌケな声を出す。



「ひぇぇ~」



「フフフ……」



 まぁ助かったから良いけど。

 やっぱりこいつ死神だろ。大鎌は持ってないけどさぁ……。



「断じて違う!」



 クロゼルは全力で否定した。

 そんなに死神が嫌なのか?

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