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30 宰相の憂鬱
しおりを挟むリサは事実上の俺の嫁になった。
この国には戸籍のようなものはなく、平民同士の結婚に関しての法もない。お互いが認めればそれで夫婦ということになるらしい。と言われても、俺としては何もしないのはちょっと落ち着かなかったので、お互いの署名を入れた文書を作って家の壁にかけておくことにした。
新王国歴十五年十一月○○日
イチロウ・トオヤマとファーベ村のリサは夫婦となった。
イチロウ・トオヤマ
リサ・トオヤマ
この半年ほどの間一緒に生活して家族のような関係だったし、いずれそうなるだろうと思ってはいたが、いざ結婚ということになると妙に照れ臭いのだった。
クロゼルが言うには、俺はニコリともせず終始神妙な顔をしていたらしい。対照的にリサは何も言わず、ずっとニコニコしていた。
『ようやくじゃの。お主は奥手すぎるわぃ』
「あなたたちがまだ夫婦じゃなかったことが驚きだわ」
ベロニカがちょっと呆れながら言うのだった。
「家主の俺たちが結婚したんだから、お祝いの品とかないのか?」
「いきなりだったし、そんなもの用意してないわよ」
「じゃぁ代わりに、お前の得意な裸踊りでもしろよ」
「はぁ!? そんなこと――、かしこまりました。マスター」
ベロニカが立ち上がって自分の服に手をかけた。
「あなた、今日はお祝いの席よ」
リサがニコニコしたまま俺の脇腹をつねりあげる。
「ギャァ! ベロニカ、前言撤回。お前は酒でも飲んでろ」
「やったー! 良い方のお酒をお願いね」
結局いつもの宴会が始まるのだった。
――――――――――――――――――――――――――
ガザ王国王城。
「平民の分際で、余の呼び出しに応じぬじゃとぉ!」
頭に大きなコブを作って逃げ戻ってきた使者の報告を聞き、国王ヘンリーは激怒した。
「即刻兵をやって、無礼者をひっとらえて――」
「へ、陛下、どうかお待ちください」
脇に控えていた宰相のクロムウェルがヘンリー王の言葉を遮る。
「あの森の者は、大魔導師パウム・エンドルフェンの後継者と聞き及んでおります。
ただの平民とお考えになるのは、いかがなものかと……」
「黙れ! たかが魔導師の一人や二人、どうとでもなるであろうが!」
「陛下。そう、たかが魔導師でございます。そのような者、どうでも良いではありませんか。
森に住む獣のような者でございましょう。捨て置けば良いではありませんか」
「捨て置けるものか! 奴は余の顔に泥を塗ったのじゃ! きつく仕置きをせねばならん!」
「しかし陛下、あの者はカステルハイム伯と良好な関係を築いているとも聞いております。
ここで事を荒立てると伯との――」
「うるさい! カステルハイム伯爵は余の臣下ではないか。
そしてあの無礼者はカステルハイム伯爵領の領民、つまりは余の所有物でもあるのじゃ」
クロムウェルは頭を抱えた。
名目上は、確かにこの国のものは全て国王が所有していることになっている。あくまでも名目上は。
しかし、実際はそれぞれの領主が自領を実行支配しているわけであり、国王といえどもなんでも好き勝手に出来るわけではないのだ。下手なことをすれば内乱を招く。
どうしてこんな初歩的なことも分からないのだ、とクロムウェルは内心愚痴をこぼす。名君だった先代の国王と現国王をどうしても比較してしまうのだった。
「無礼な山猿を余が直々にしつけてやろうというのじゃ。それの何が悪いか!」
「陛下、そのようなことに御手を煩わせることはありますまい。
カステルハイム伯に任せておけば良いではありませんか」
先々代のヘッセルバッハ伯も先々代のカステルハイム伯も、先代のカステルハイム伯も、あの森に関しては一切関わらない姿勢を貫いていた。クロムウェルもそれが正解だったと思う。
かつてクロムウェルは独自の組織を編成して、あの森のことを調べさせたことがある。
一級の技量をもった間諜十名を森の調査に向かわせたが、森に入った直後に完全に消息を絶ってしまった。十年以上経った今になっても、髪の毛一本見つかっていない。
あの森に対して魔術的な調査を行った魔導師は、クロムウェルの目の前で人の形の消し炭になってしまった。それを見て心に誓ったのだ、あの森にだけは生涯近づくまいと。
ところが、当代のカステルハイム伯は魔導師の代替わりを機に、上手く関係を築いたという。それどころか、あの森の魔導師から税を徴収しているとか……。クロムウェルからしてみれば、それこそドラゴンの首に鈴を付けたのと同等の物凄い快挙だった。本当によくやったと直接会って労いたいほどの偉業だったのだ。それを――
「フン、カステルハイム伯が無能だったから、このような事態になっておるのだろうが!」
カステルハイム伯の功績を理解しないどころか、無能呼ばわりし、さらに自らドラゴンの尾を踏みつけようとしているのだった。クロムウェルは内心大きなため息をつきながらも、自らの職務を黙々と遂行する。
「しかし陛下、山猿のしつけなどしたところで何の益もないことでございます。
陛下の偉大なお力はもっと有益なことにお使いになるべきだと愚考いたします」
「もっと有益なことじゃと? それは何じゃ?」
「そ、そうですな……、王都での園遊会を――」
「くだらぬ!」
クロムウェルが言いよどんだのも当然で、この国は現状大きな問題をかかえていないのだ。国力は他国に攻め入られるほど弱くもなく、他国を侵略できるほど充実もしていない。粛々と内政に専念していれば良いのだが、内政は宰相クロムウェルをトップとした官僚集団が問題なく回しており、国王の出る幕はほとんどないのだった。
いや、優秀な国王であれば内政の不備や非効率など気が付くことがあったと思うが、ヘンリー王は優秀な官僚に意見できるほど勉強家ではなかった。そもそも地味な内政などに興味を持っていなかった。
園遊会などを開いて、大貴族との関係を良好にしておくのも国王の務めの一つだが、ヘンリー王はそれにも飽き飽きしていたのだった。
ヘンリー王が欲していたのは、先王の名声を凌駕するような華々しい功績だった。しかし、先代の国王は派手な功績をあげたわけでは決してなかった。地味だが困難な問題を着実に解決して、石を一つ一つ積み上げて行くようにしてこの国の礎を作ったのだ。そういったことを理解するだけの余裕が、残念ながらヘンリー王にはなかった。だからこそ、あの異常な森に目を付けたのかもしれないが……。
クロムウェルは思う。
あの森には今手を付けるべきではない。現状ではカステルハイム伯の接し方が最善だろう。下手に刺激をしても森の魔導師の反感を買うだけのことだ。マクド村の惨劇。あれが街一つの規模で再現されたらどうなるのか? 魔導師を仮に捕らえたとして、それが何になるのだろうか。それに至るまでに間違いなく多くの犠牲者が出るに違いない。利益と不利益が全く釣り合わないではないか。
「余は決めたぞ! クロムウェルよ、兵二百を率いてあの森に攻め入るのだ! そして、森にいる魔導師を連行しろ。生死は問わぬ」
「――!? し、しかし陛下」
「これは命令だ! 従わぬなら反逆罪で貴様を処刑する」
「……御意」
この時、宰相クロムウェルはヘンリー王を見限ったのだった。
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