潮風のキャラメル

小雨鶲

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潮風のキャラメル

沈黙、吐露…

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涙が止まったのは、彼の手が私の体温で完全に温まり、手と背中の境目がわかりにくくなった頃だった。
泣き止んで少し冷静になると、今度は恥ずかしくて彼の顔が見れない。
泣き過ぎたから目が腫れているだろうし、何よりも嫌な思いをさせた上に困らせたとあって、申し訳なさで一杯なのだ。
あまりの居た堪れなさに心の中で、ぐわぁぁぁぁ!!と叫んでいると、彼はクスクスといつもの様に、それから少しの安堵を含んで微笑んだ。

「泣き止んでくれて良かった」

彼は私の背中から手を離し、先程まで座っていた岸の淵に腰を下ろし、水面の方へと目を向ける。
私は居た堪れなさと気恥しさと申し訳なさが拭えないので、俯いたまま彼の隣に、彼と同じ方を向いて正座をした。

「足痺れちゃうよ」

彼はふふっと柔らかく笑う。
「戒めだからこれでいいの」
私は彼に普通に返したつもりだったが、思いの外素っ気なくなってしまい、焦って彼の方を見た。
彼は私の返事の素っ気なさを特に気に止めていない様子だったが、ゆるく曲げた人差し指の背を口に当てて、何やら考えを巡らせている。
そんな姿も絵になるなんて…と泣き過ぎて鈍く痛む頭はぼんやりと呑気に考え始めた。

「それならやっぱり俺も正座しなくちゃ」

彼はそう呟くと徐に正座をした。
傍から見たら、二人揃って海に向かって正座をしているというなんともシュールな絵面になるが、彼はそれに気がついて居ないのかも知れない。
気がついて居ないとしても、ここには人が来ない為、さほど問題ではないが、やはり傍から見たら何かの儀式かと思われそうだ。
痛む頭は呑気にそんな事を考え始めたが、彼の言葉を理解すると同時に疑問が生じたのでその疑問を小さな声で口に出した。
「貴方は正座する必要無いと思うけど、どうして」
彼はこちらを向き、少し眉を潜めて困ったように笑って、

「君を泣かせちゃったから、その戒めだよ」

と言って肩を竦めた。
「私が勝手に泣いただけだよ」と、咄嗟に言い返したが、彼は緩く首を横に振る。

「いいや、俺が君を泣かせたんだよ。あの時君を責めるようなキツい言い方をしたから、君を怖がらせて追い詰めた」

彼はそう言うと、私から顔を背け海の方を向き、小さくごめんねと呟いた。
その声は囁きよりも弱々しく小さな声で、ほぼほぼ吐息の様になっていて、波の音と蝉の声で掻き消されてしまったが、口の動きで何となく察しがつく。
彼は本当に優しい人だと思う。
見た目だけでなく中身までいいとは、本当に私と同じ人間と言う生物なのかと疑わしくなる。

「あのね、俺…昔は、ここに来る前までは、海好きで、よく来てたんだけど、ここに来る時、ちょっとトラブルがあって、それから海好きじゃ無くなって…」

彼はぽそりと呟いた。
私は、一切追及せず、そっか…とだけ返した。

二人して正座をして、あのやり取りも含めて五分も経たない内に、彼がぶるぶると震え始めた。
どうやら足が痺れたらしい。
「無理しないで足崩したら?」
私は彼にそう声をかけた。

「戒めなんだから少しくらい無理しないと」

彼は足を崩さないが、限界なのだろう、声が震えている。
下は岩で、座るのには問題無いが、正座をするには些かに凸凹があり硬いので、座布団や平らな所で正座をするよりも遥かに苦痛度は高い。
「じゃあ、一緒に足崩そうか」
私がそう提案すると、彼は数秒間考える素振りを見せた。

「…わかった」

彼は渋々足を崩す事を承諾する。
私も足が痺れすぎて痛みすら麻痺してきた所だったので、正直助かった。
正座の折り畳まれた状態から足を崩して岸から両足を投げ出す。
私はゆっくりだが問題なくその動作を完了した、しかし彼は手を地面に付き、少し腰を浮かせた状態でぶるぶると震えている。
どうやらその体制から動けないらしい。
そんな彼を見ていると、私の中に潜む悪戯心がコンニチワして、急成長を遂げ、私の右手を動かす。
そして、ツンと彼の足をつつく。
彼は凄く驚いたようで、全体的にビクリと跳ねた。
すると彼はその拍子にバランスを崩し、海へと落下した。
足が痺れた状態で泳ぐことなど出来ないのでは…という不安と、落としてしまった事への罪悪感、そして悪戯心が去り、先ほどまで感じていた申し訳なさが帰ってきた為か、再び涙が滲み視界がぼやける。
助けに行こうにも、今の私はカナヅチなのだ。
助ける以前に足でまといになるだろう。
どうするべきか、パニックになりかけていて、正常な判断の出来ない状態で必死に彼を助ける方法を考えた。
しかし何も浮かばない、そして彼も浮かんで来ない。
海を覗き込んでも彼の姿が認識出来ない。
誰か助けを呼んでこようと立ち上がる体制に移ったその時、

「見て!ウニ!」

彼が声と肩を弾ませて、片手で岸に掴まり、もう片方の手で海底から拾ってきたのであろうウニを私に見えるように掲げている。
とりあえず私は彼を海から引き上げた。
彼は両手で大切そうにウニを持っていて、そのウニをまじまじと観察している。
私も、彼が無事だったとわかったので、一緒にウニを観察する。
どうやら彼が拾ってきたのは赤ウニと呼ばれるヒラタウニと言う珍しい種類の、なかなか市場に出回ることのないウニだ。
バフンウニと言う比較的有名な、お高くて美味しいウニよりも美味しく珍しいと言われていたり、いなかったりする。
正直、初めて生で見たので、細かい事は良く分からない。

「捕ってきたはいいけど、このウニ食べられるのかな?」

不意にウニから顔を上げ、こちらを向いた彼は凛々しい表情で、そして真剣な声色で私に問いかけてきた。
「そのウニは食べられる種類のウニだよ」
私がそう言うと、彼は感心したように、物知りだねと呟いて再びウニを観察し始める。

「でもこれ、勝手に食べたり売ったりしたら密漁になっちゃうのか…」

彼はそう言うとしぶしぶ、ウニを海へと返した。
私は、沈んでいくウニを残念そうに見つめる彼に「ウニ好きなの?」と聞いてみた。

「いや、味が苦手」

えへへと笑いながら答えた彼を見て、私はそれなら何故あんなに残念そうにしていたのか分からなくなったので、聞いてみた。
それと同時に、今回は質問を間違えずに済んでよかったと安堵した。

「せっかく捕まえた物を逃がすのって、なんだか勿体ない気がして」

彼は困ったように微笑みながらそう返した。
私はそもそも何かを捕まえようと思ったことが無いので、彼のその言葉に共感出来ないが、本気で落ち込んでいる訳では無いようなので安心した。
「海の生き物って毒持ってる危ないのもいるから無闇に触るの止めた方がいいよ」
お節介だとは思うが、やはりそれだけは言いたかった。
「例えばウニに似た、ガンガゼって言う生き物は刺されても死にはしないけど、痛痒くてかなり辛いらしいの。それに、海の生き物の保有する毒は本当に、洒落にならいのもあったりするからね」
もしも刺されて、その毒が即効性の神経毒などだった場合、私は泳げないので毒で動けなくなった彼を助けることが出来ない。
そして何より、彼に痛い思いをして欲しくないのだ。

「君って、海の生物に詳しいんだね」

そう言った彼は目を輝かせてコチラを見ている。
彼の表情は逐一、私の心臓に悪い。
私は、その輝く目を直視出来ず、先程ウニが沈んで行った所に視線をずらした。
「生まれた時から海の近くに住んでいたから、お父さんとお母さんに危ない生き物の事とかは教わってたの」
小さい頃、お父さんに買い与えられた"海の生き物図鑑"を思い浮かべながら私は答えた。

「君のご両親って、何してる人?」

「お父さんは、お祖父ちゃんから継いだ清掃会社に勤めてて、お母さんは専業主婦だよ」
両親から海の生き物の事を厳しく言われることが、彼にとっては馴染みのないものなのか、彼は私の両親に興味を持ったようだ。
「でも私が生まれた時にはもうお祖父ちゃん死んじゃってたから、お祖父ちゃんがどんな人なのかは知らないの」
私は祖父母と言うものが良く分からない。
父方の祖父は先程言った通りだが、祖母は父が若い頃、丁度私の年の頃に亡くなったらしい。
そして、母方の祖父母は、母が物心着いた時には既に母の傍に居らず、母は施設で、両親の顔を知らずに育ったらしい。
なので私には祖父母が居ない。
「でもね、お父さんとお母さんが私の事を凄く可愛がって、大切にしてくれるから、家では寂しい思いしなかったよ」
私がそう言うと、

「愛されてるね」

彼は水平線を見つめながら小さな声で、一言だけ返した。
その声から感情を読み取ることは、出来ず、彼の感情が掴めない。
怒っているのか悲しんでいるのか、それすらもわからず、私は危惧の念を抱いた。
彼が今どんな感情なのか、知りたくなって彼の顔を盗み見る。
すると彼もこちらに顔を向けていて、目が合った。
その瞬間彼は不思議そうに少し首を傾げ、一呼吸置いた後にフフッと笑う。
彼はそうだ、と呟き何かを思い出したかのような仕草を見せた。

「ずっと聞きたかったんだけど、今日学校どうしたの、サボり?」

彼の問いかけに私は口ごもる。

「嫌な質問だったのなら、聞かなかった事にしていいよ」

困ったように笑みを作りながら、私にそう言った。
「遅刻しそうだったから、休んじゃったの」
私は嘘はついていない。
それに、ちゃんと彼の質問にも答えられている。

「学校楽しくないの?」

彼が核心をついてきたので、私は数分だけ考えた上で、はぐらかすのを、強がるのをやめる事に決めた。
彼には学校の、部活のことを話してしまおう。
部外者である彼に話したところでどうにもならないが、私の中で整理出来るかも知れないし、何かアイデアをくれるかも知れない。
というのは建前で、ただ彼に同情して優しい言葉をかけて欲しいのだ。
彼に一言「君は悪くない」と、鼓舞して欲しいのだ。
それに、完全なる部外者であるからこそ、私が話した内容が変に、関係者に伝わってしまう危険が無く、安心して口外出来るのだ。
「あのね、少し愚痴聞いてくれる?」
私は、黙って待っていてくれた彼に、そう切り出した。
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