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はしゃぎすぎたので自重します。

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 他人に迷惑をかけることはきっとたくさんあったかも知れませんが、まさか自分が原因で他人に怪我をさせてしまうことになるなんて……。

 セディに言われるまでもなく、私は舞い上がってはしゃぎ過ぎた自分を後悔していました。
 ですからその結果を受け入れようと努力はしていたのですが……。

「困ります。ここは私室です。立ち入らないでください。」

 ベッキーが止めるのを気にもせずに、ずかずかとまた団体さんがお越しです。

「ここに幽霊がすんでいるって聞いてさぁ。その幽霊ってあそこに座ってる黒い髪の女かぁ?」

「なんだ。あんなのか。そんなに怖くねえなぁ。」

「でもけっこう不気味だぜ。見た事あるかい?黒髪に黒い目なんて!」

 わいわいがやがやと私はまるで動物園の猿にでもなった気分です。

 そのうえ触ろうとするやからまであらわれて、身体をすり抜けると歓声をあげます。

「おい、やっぱり本物だ。すり抜けるぞ!」

「本当か。おもしれぇ。」

 大体このあたりぐらいになると図書館警備の兵がきて、観光客という名の団体を追い出すという流れになります。

 あまりのうるささにマンションに引っ込んでしまおうか? とも考えたのですが、そうなるときっとガヤガヤと図書館中を探してあるくでしょうから、図書館にもっと迷惑をかけてしまいます。

 自分のまいた種ですから、おとなしく嵐の過ぎ去るのを待つしかありません。

 人のうわさも75日といいますから、そのうち静かになるでしょう。

「ミーナさま。大丈夫ですか? エルグラント卿にお願いして少し警備を強化してもらったらいかがです?」

「大丈夫よベッキー。これは昨日私がはしゃぎすぎた結果ですもの。警備を強化するかどうかは図書館側が決めることよ。私からは何もお願いしないわ。」

 それどころか、あまりにも迷惑なようならここから出ていけと言われるかもしれないんです。
 
 幽霊になっているから、私に危害を加えることはできません。
 それなら我慢するしかありません。

「お待ちください殿下。」

 制止する声とそれをうるさそうにはねつける声がしたかと思うと、またもや闖入者がやってきました。

 これはきっと王族なのでしょう。
 面白がるような傲岸な目が私を捉える前に、立ち上がって礼を取っておきましょう。

「私ではどうすることもできない権力がある。」

 昨日エルグラント卿は苦しそうにそう言っていました。

 ならば私は少しでも、此の目の前にいる男の興味をひいてはいけないのです。

「へぇ~。幽霊のくせに少しは分際をわきまえることもできるとみえる。」

 そう言いながらつかつかと迷いなく私に近づいてきます。

「殿下、危険です。そのような得体のしれぬものに近づいてはいけませぬ。」

 「うるさい! 静かにしろ!」
 
 そう叫んだ男こそ、今一番騒々しいのだがなぁ。
 そう思った私は可笑しさを堪えて、じっと視線を下げ続けていました。

 けれども背中がフルフルと震えてしまったのでしょう。

「なんだ。幽霊でもおびえるのか?」

 この王族らしい傲慢な男は斜め上の勘違いをしています。

「それは殿下のご威光ならば、幽霊とてすくみあがってもしかたありますまい。」

 さっきの護衛の男がそう殿下を持ち上げます。

 まるで馬鹿殿と太鼓持ちの掛け合いのようだ。
 テレビで見たコントを思い出して、私は必死で笑いを堪えました。

 今ここで笑ってしまっては、どういう意味でもこの殿下の記憶に残ってしまいます。
 ここは素直に好奇心を満たして頂くのが一番です。

 私は腹筋に力を入れると、つまらない数学の方程式を次々に思いだそうと努力しました。
 おかげで笑いの発作はなんとか納まります。

 じろじろと無遠慮に眺めていた殿下はやがてすっかり飽きてしまったらしく

「顔をあげて瞳をみせてみよ。本当に目も黒なのか?」

 私は素直に顔をあげると、殿下の胸元あたりに視線をおきました。
 ここなら無礼ということにならないでしょう。

 殿下は私の顔を持ち上げようと手を延ばしましたが、その手は私の中を素通りしてしまいます。

 ほぅっと少し目を丸くしましたが、私が全く反応しないので興味を無くしてしまいました。

「図書館の幽霊などと大騒ぎするので見に来てみれば、なんだつまらん。こんなものにみんな大騒ぎしていたのか。」

「それは皆は殿下ほど、聡明ではござりませんゆえ、このようなつまらぬものでも珍しがるのでございますよ。」

 でましたよ。
 よいしょの第二段ですね。

 でもこれくらいできないと世の中渡っていかれないのです。
 私もよいしょする側だったからよくわかります。

 でも私のよいしょはここまであからさまじゃなかったと思いたいですねぇ。
 無事に面倒ごと御一行様がお帰りになるのを、目の端でとらえて私はほっとしています。

 うまい具合に図書館終了のチャイムもなり始めました。

 「ベッキー。約束のオランジュリーのお菓子を2人でいただきましょう。カフェオレを入れて頂戴。」

 そう頼むとベッキーは見えない尻尾をブンブンと振っていそいそと準備にとりかかります。

 きょうは散々な一日でした。
 宮仕えは辛いですねぇ。

 すっかり見世物として就職した気分に陥っていた私はそう自分を慰めていました。

 ベッキーの言うとおりオランジェリーのお菓子は秀逸です。

 伯爵夫人は彩りもよく、手軽に食べられる焼き菓子を見繕ってくれたらしく、バターがたっぷりと入ったものや、洋酒に漬け込んだドライフルーツの入ったもの、ナッツ入りやクリームの入ったものなど、様々な種類を少しづつ選んでくれています。
 
「ミーナさま。こっちのお菓子にはベリージャムがたっぷり詰まっていますわ。甘酸っぱくて美味しいですよ。」

「ねぇベッキー。こっちは随分と濃厚よ。洋酒の香が効いてるわよ。」

 もうすっかりベッキーとは仲良しになってしまいました。
 異世界でこんな風に仲良しができるなんて思いませんでしたね。

 お茶を終えるころいつものように夕食のバスケットを持った侍女がやってきます。
 彼女はこのお役目が嫌らしくバスケットをベッキーに渡すと、私を見もせずに帰ってしまいした。

「朝食と昼食の残りがあるから、そのバスケットはそのままベッキーが家に持って帰って頂戴ね。」
 
 ベッキーの家には弟妹が多いのに、母親がいません。
 ベッキーが通いで働いている理由は、家族の面倒をみるためなのです。

 侍女さんが持ち込む料理は量だけはたっぷりあって、ベッキーと2人で食べても余ってしまうんです。

 夕食のバスケットは、朝や昼よりも多いからベッキーの弟妹もお腹いっぱい食べられるはずです。

 ベッキーは一瞬とまどった顔をしましたが、すぐに嬉し気にうなづきました。
 私がそれほど食べられないのをよく知っているからです。

「それじゃぁベッキー。きょうはありがとう。又あしたお願いね。」

「はい、ミーナさまも夜更かししないで寝て下さいね。」

 そう言ってベッキーは帰っていきました。

 しまった!
 オランジュリーのお菓子も持って帰ってもらえばさぞかし子供たちが喜ぶでしょうに。

 まぁいいわ。
 明日忘れずにベッキーに伝えましょう。

 そう考えると残り物を温めてお茶を用意します。
 さっさと夕食をすませて、ちょっとやりたいことがあるんです。

 私がテキパキと食事の支度をしていると、聞きなれた声がしました。

「夕食は持たせてあった筈なんだが、どうしたのだ?」

「セディ、いらっしゃい。あんなにたっぷりの夕食をいただいても残してしまうだけなので、ベッキーに持ち帰ってもらいましたの。私はこの残りで十分ですもの。」

「やはり変わっているなぁ。どうしたらそんな風に思えるんだろうねぇ。」

「合理的っていうんですよ。こういう考え方。 こうすれば私は残り物を捨てなくてすむし、ベッキーの弟妹達はお腹を満たすことができます。どっちも大満足ですわ。」

「いや、私が言いたいのはそんなことじゃないんだがね。」
 そう言ってセディは諦めたようにため息をつきました。

「まぁいいか。それが君という女だ。きょうは随分大変だったろう?」

「ええ、好奇心というのは面倒ですわね。人の迷惑を考えもしないんですもの。まぁ私は人ですらないのでしょうけれど。」

「君の主張の方が正しいよ。自分の欲望を満たすために他人の権利をないがしろにしていい訳ではない。明日から6階以上は特別な許可がないと立ち入り禁止になる。5階に兵士の詰所を準備したんだ。」

「まぁ、セディ。ありがとうございます。本当は今日一日だけで十分うんざりしていたんです。」

 セディは私の感謝に言葉を聞くと、ミルクを貰った猫みたいに満足そうな顔になりました。
 私はセディが見ている前で簡単に夕食を済ませてしまいます。

 普段のセディは晩餐会に出席してもっと遅い時間に夕食を取るか、さもなければ夕方のティータイムでしっかり食べて、夜には何も食べないかのどちらかなんですって。

 お貴族さまは夜遅くにたっぷりのコース料理を食べることになるから、体型維持には苦労しそうですね。

 セディは私が用意したカフェオレを飲みながら、何気ない風に聞いてきました。

「王太子殿下がお見えになったそうだが、大丈夫だったのか?」

 まぁ、あの傲慢な男は王族どころか王太子だったんですね。
 この国の先行きは大丈夫なんでしょうか?

 私が王太子とのやりとりを、面白おかしく話してきかせたのでとうとうセディは笑い出してしまいました。

 けれどもすぐに笑いおさめると真面目な顔になって言います。

「権力というものを舐めてかかると大けがをすることになるからねミーナ。」

 それは私だって重々承知しています。
 日本という国だって、一応は平等だというふりをしていますが、それは建前にしかすぎません。

 いっそ昔のように分際を弁えて暮らしている方がまだしも幸せだったかもしれないとさえおもいます。

 見えないガラスの天井に阻まれて、幾人の能力のある人々や野心家たちが奈落に落ちたことでしょうか。

「セディ、そうは見えないかもしれないけれども権力の恐ろしさというものを十分に弁えているつもりなんです。そうでなければ幽霊に身をやつしたりしないわ。」

「君がそういう人だから、僕はこうして毎夜ここに来てしまうんだろうなぁ。」
 
 セディはそういって静かに私を見つめていました。

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