ざまぁに失敗したけど辺境伯に溺愛されています

木漏れ日

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埋まらない溝

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 いったいどういう事なんだろうか?
 ナオは王国随一と噂される青年を、まじまじと見つめました。

 今、確かにこの男は番が見つからない時のための保険として、奈緒を召喚したんだと言いましたよね。
 しかも番が見つかれば、奈緒の召喚はキャンセルする筈だったとも……

 いくらなんでも身勝手すぎる。
 奈緒は確かに天涯孤独で、地球からいなくなったところで誰からも心配すらされないでしょう。

 でもちゃんと意思を持った人間なのです。
 こんなに粗雑に扱われる道理なんてありません。

 いくら相手がお貴族さまで、自分は戸籍すら持っていないとしても。
 それでも許せないと奈緒は思いました。

「ごめんなさい。うちの息子の責任だわ。奈緒さんとおっしゃったわよね。クレメンタイン公爵家の養女にならない? あなたのことはクレメンタイン公爵家が全責任を負うわ」

 ナオがふつふつと怒りをたぎらせているところへ、公爵夫人がそう言って深々と頭を下げました。
 それを見てセドリックも慌ててナオに頭をさげます。

 何なんだろう、この人たち。
 ナオは日本で生まれ育ったので、公爵家ほどの身分のものが平民の小娘に頭を下げたということの意味がわかりません。

 うっかり間違って連れてきたから、仕方ない。
 家の子供として面倒みるから、それでいいわよね。
 そんな風に言われているのだと思ってしまったのです。

「いやぁ、私。貴族とかそんなの柄じゃないからね。その必要はないよ」

 ナオはそう言って断りました。

 冗談じゃない。
 こんな奴らの子供なんかになってたまるかよ。

 貴族にしてやると言えば尻尾をふると思っているなら、とんでもない話だ。
 そう感じたのです。

「ちょっと待って! 何言ってんの? ナオは被害者なのよ。地球からいきなり誘拐されたようなものじゃないの。責任者であるセディは償っても償いきれない罪を犯したのよ」

 そこにシャルロット嬢が割って入りました。
 さすがに同じ日本人同士、召喚が誘拐と同じだという認識はあるようです。

 シャルロット嬢の言葉に魔術師も、さらに頭を下げていきましたから、その罪の重さをようやく自覚したみたいです。

 けれどもナオとしては、この人たちと暮らしたいとは思わないのです。
 それぐらいなら、アリス達と暮らす方がずっといいと思っていました。

「うーーん。だって地球には私の居場所なんてないしさ。私は勉強が苦手で成績だって悪いし。家族もいないし、半ば路上生活だったんだよね。それに比べたらこっちの方が居心地はいいし友達もできたし、夢もあるしさ」

 ナオは必死で断る理由を並べ立てました。

 本音の部分では、お前らみたいな誘拐犯と一緒になんか暮らせるかよ! と思っているのですが日本人気質のせいでしょうか? さすがにナオも謝っている人にそこまでの暴言が吐けないのです。

 本当にナオはまだ子供で、こんな展開になってびっくりしているのです。
 仲間のところに戻りたい。
 ただそれしか考えられませんでした。

「家族がいないって? それに夢ってなんなの?」

 シャルロット嬢としては、何とかナオの力になろうと思うのでしょう。
 ぐいぐいとナオの心に押し入ってきます。

「一応戸籍上の親はいるよ。でも虐待が酷くて幼いころに施設に引き取られたんだ。夢はカフェをやる事なんだ。友人にはケーキが焼ける奴や、コーヒー豆に詳しい奴もいてね。壁外って訳あり人間のたまり場だからさ」

 ナオはとりあえずカムイやアリスの夢を語って聞かせました。

 歌手になりたいなんていうようなナオの本当の夢は、初めて会った人にはとても話せません。
 それぐらいナオには大事な夢なのですから。

「僕が保険で付けた条件は、居場所がない孤独な少女なんだ。あの召喚術は大きな技だから異世界に与える影響を考えたら使えるのは1度だけだ。だからもしも異世界に僕の番がいなかったら、困難に負けない前向きな少女のスポンサーになろうと思ったんだ」

 ナオの話を聞いて、セドリックはそう言いました。
 条件通りの子供を召喚したと思っているのでしょう。

 けれど結局それは自分勝手な理屈でしかありません。
 セドリックは自分の番が異世界で見つからない時には、召喚術が成功した証として少女を欲したに過ぎないのです。

 さすがに誘拐という自覚があって、孤独な女の子なら召喚したって自分がスポンサーになればいいと考えただけです。

 ナオはセドリックの言葉を聞くと、納まっていた怒りがまたぶり返すのを感じました。
 セドリックはナオに恩着せがましくこう言いました。

「だからナオ。僕は君のスポンサーだ。好きなようにやりなさい。お金も人脈も好きに使うといい。夢を実現させるためには、何だってやる。そんなバイタリティーのある少女を召喚したんだからね」

「ありがとうございます。セディさん? 喜んで助けていただきます。公爵家がスポンサーなんてビック過ぎて仲間もびっくりするんじゃないかなぁ」

 ナオはセディのいうように公爵家に復讐することを決意しました。
 セディたちにぎゃふんと言わせるためなら何だってやってやる。
 ナオはそう決意するのでした。

「わかりました。旦那さまと喧嘩した時に作った離宮を、ナオとそのお仲間に差し上げるわ。今日はもう遅いから客用寝室を使ってくださいな。明日、お仲間を連れてきてください。その時までに準備を整えておきます」

 公爵夫人はそう言いましたし、公爵も賛成しました。

「あの忌々しい離宮がなくなるなら大賛成だな。セディ。明日はナオやその仲間の戸籍を作ってやりなさい。ナオさん。ひとりぐらい貴族位を持っているほうが、なにかと便利ですぞ。そのあたりもセディと相談するがいい」

 話がまとまったので、公爵夫妻は図書館から出て行きました。

 それを見送るとシャルロット嬢がナオを振り返って提案しました。

「ナオ、風呂があるからさっぱりしてくるといいわ。その後良ければ私の部屋で一緒に寝ない? 嫌なら客用寝室はすぐに使えるようになっているけれどね」

 それを聞いてナオはにやりとしました。
 誰も何も言わなかったけれども、シャルロット嬢は、あのオペラ座での一件を不問にする気はなさそうです。

 ナオは異世界にきて初めてゆったりと風呂にはいりました。
 壁外では身体を拭うか、たまにたらい湯をはって身体を洗うしかできません。

 ゆったりとお湯に浸かるなんてなんという贅沢でしょうか。
 貴族の養女になりさえすれば、こんな生活もできるんだなぁ。

 ナオは少ししんみりとしてしまいましたが、あわててそんな弱気の虫を打ち払いました。
 いいように扱われたお礼は、きっちりとつけなければあまりにも自分が惨めです。


「へぇ、さすがに公爵家は違うわねぇ。私室なのに客を招く設備があるんだぁ」

 ナオは驚きました。
 だってまるで会社みたいに、客を迎える公的なスペースが完備しているのです。

「ここはパブリックスペースなの。ここは私の私室ではあるけれども侯爵令嬢としての品位を保つ仕事場みたいなものよ。プライベートスペースに飲み物を用意しているわ。喉が渇いたでしょう」

 ロッテはナオをプライベートスペースに案内すると、ぬるめのハーブティを勧めました。

 お風呂あがりで咽喉が乾いていたナオは、それを飲み干してしまいます。

「コーヒーが好きみたいね。すぐに用意させるわ。それと軽食もね。お腹もすいたでしょう」

 ロッテはテキパキとナオの世話を焼いてくれます。

「さすがに、日本人だねぇ。気配りが半端ないや」
 
 そんな軽口をたたきながら、ナオは居心地の良い椅子に座って、夢中になって食事をかき込みました。
 ここのところ緊張して、まともに食事が喉を通らなかったのです。

 ようやく人心地がついたナオは、背筋をしゃんと伸ばすと、真っすぐにロッテを見て言いました。

「聞きたいのは誰に頼まれてあの騒ぎを起こしたかってことだろう? そりゃ壁外の人間が簡単にオペラ座の1階の席に入れる筈がないからね」

 壁外の人間でよほど芸術が好きな人だって、入れるのはせいぜい立ち見席ぐらいのものです。
 そこなら舞台はほとんどみえませんが、無料で音楽を楽しむことができます。

 壁の内と外をわける大門は夜9時には閉門されますし、その時間以降に壁外の人間が、王都をうろうろしていたら憲兵にしょっ引かれますから、どうしたって夜のオペラ座に壁外の人間がいる訳がないのです。

「そうねぇ。おおよそはわかっているのよ。どうせどこかの貴族にうまくのせられたんでしょうし、ナオはその正体をすらないんでしょう?」

 ナオはびっくりして目を丸くしました。

「なんだ。そこまでわかっているなら、なんでわざわざ私を部屋に呼んだのさ」

 確かにナオはエドガーがどこの誰だか全く聞かされていません。
 提供できる情報なんてほとんどないのです。

「だからね。同じ転移者同士仲良くできないかと思ったのよ。ナオが望むならこのまま公爵令嬢になれるのに。本当にいいの? 異界渡りの姫の伝説は、この国に深く根付いているから、この先ナオを欲しがる人だって出てくるわよ」

 よくわかりませんが、どうやらロッテはナオに貴族の位を持つように勧めているみたいです。

「さっき、公爵様が言っていた話だね。貴族の位がある方がいいってことだろう? けど平民のほうが気楽でいいや」

 これはナオの本心です。

 さっきのミリーはロッテの付き人だと言ってましたけれど、つまりは貴族になれば自由にしゃべったり行動出来ないってことじゃないでしょうか?

 ロッテは何とかしてナオに平民と貴族の違いを教えようとしました。

 ロッテは社会人として、ある程度権力というものが持つ力の意味が分かっていましたが、ナオはそんなことはきっと何も知らない筈です。

「これから先ナオは異世界から来たということで、どこかの貴族がナオを誘拐したとするでしょう? その時ナオになんの身分もなければ、きっと捜査すらされないでその件はうやむやになる筈よ」

「何だよ、それ。だって貴族だって平民だって同じ人間じゃないの。だったらちゃんと罰しなくちゃいけないだろ」

 ナオはロッテの話を聞いて怒りました。
 セディがあんなにナオに上から目線だったのは、セディが生粋の貴族だからなのでしょう。

「ナオ。貴族は平民を同じ人間として考えていないものなの。そこからして考え方が違うのよ」
 
 ロッテは何とかして身分社会というものをナオに理解させようとしました。

 しかし残念ながら、ナオは知識としてそんなものなのか? という程度には理解したのですが、実感は伴わなかったのです。

 もしもここでナオとロッテが本音で喋ることができていれば、ナオが理不尽に召喚された怒りを真っすぐにロッテにぶつけていれば、この先の悲劇は回避された筈でした。

 あるいはナオが、もう少しだけ身分社会で貴族に牙をむくことの意味を知りさえすれば……
 結末は変わったかもしれません。

 けれども、結局この夜2人は何も分かち合えなかったのでした。
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