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#9 グリーンゾーン
#9 グリーンゾーン
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ディスタンシアとクラリス両国の隣に「スフィア」と呼ばれる小国がある。
目下戦争中の両国に挟まれているのに、どういうわけかここは戦火にさらされることもなく、クラリス、ディスタンシア両国の文化やしきたりなどが根付いている、少し変わった緩衝地帯で、いわゆる非戦闘地域となっている。
この小国は戦争に加担しているわけではないが、攻撃されれば必ず報復をする国として知られている。そしてこの国は世界の様々な国との繋がりもある。
つまり、どこかの国がスフィアを攻撃すれば各国が一斉に報復に出るという条約を結んでおり、その効果を実感した国ーー主にはディスタンシアだがーーもある。
ここに来れば、今ではめったにお目にかかれないディスタンシアの郷土料理とクラリスの郷土料理が、仲良く同じテーブルに並ぶのを見ることができる。
もちろん、この地域独特の文化もあり、三つの地域が平和的に混ざる場所だ。
このグリーンゾーンでは、ディスタンシア人とクラリス人に限り、パスポートやビザの申請も必要ないが、かといって戦争難民を受け入れているわけではなく、日暮れになればひとつしかない国の入口の門は閉ざされる。
領土は小さく、2、3時間も歩けば、どちらかの国にたどり着くような、周囲10キロもない小さな国だ。
戦い続けて、神経を研ぎ澄ませているばかりでは気が滅入るし、家族や友人が分断されている人も多い。
戦争によって引き裂かれた絆を短い時間だけ結べる場所。大切な人を抱きしめて、戦禍の苦い味と命の大切さを実感できる場所。
それがこの場所だが、最近の戦況をみる限り、ここでディスタンシア人を見かけることが少なくなってきた。ほとんどが地元民かクラリス人だ。
このグリーンゾーンの繁華街にある昼下がりのカフェテラスにも、多くの人がひとときの休息を楽しんでいる。
可憐な花が咲き乱れる温室の中は、爆音ではなく小鳥たちのさえずりが聞こえる。ガラス張りの天井から見える空も弾幕の煙やたなびく戦闘機の排気ガスで汚されることもなく、どこまでも澄みきっていた。
この場所にあるのは、平和と優しさだけだ。少し歩けば見えてくる現実なんか知らなくていいとばかりに、ここの時間は穏やかに過ぎる。
暖かな陽光降り注ぐ温室庭園の一角、アンティーク感のある白いロココ調の椅子に座り、アルベルト・ハノンはシナモンティーを飲んでいた。
シナモンの香りは、頭をシャキッとさせる。軍務やシュトラウスの相手に疲れたときによく飲んでいたが、最近では戦争が激しく、シナモンも紅茶の茶葉も、ディスタンシアでは手に入らなくなってきた。
グリーンゾーンではまだ紅茶が楽しめるので、来たときはかつての平和の味をのんびりと楽しむことにしている。
白いクロスのかかるテーブルをはさんで、アルベルトの向かいには、黒いロングコートに身を包んだ長身の男性が座っている。
両国の軍人が見たなら、きっと卒倒するか、銃を向けるかどちらかの構図。
気分転換にやってきたアルベルトにとって、目の前の相手との再会は偶然だった。それでお茶に誘ったのだが、アルベルトの思惑は別のところにあった。
この男なら、知っているはずなのだ。
――ミズキの処遇を。
「ミハイル、ミズキは元気にしてるか?」
アルベルトにそう問われ、ミハイルは「ええ」と短く答えた。
コーヒーをすすりながら「元気にしてますよ」と続ける。
「ついでにいうと、ジュリアも元気にしています。店のほうも大繁盛、連日客足が途絶えず、クラリスでも人気の店になっています。そうそう、ミズキをジュリアの店に連れて行きました。ディスタンシアの人間だと聞いた瞬間、彼女はあの美貌を歪ませましたよ」
ミハイルは会話の最中にも何度もあくびをかみ殺していた。さすがに相手に失礼だと思ったのか、「すみません、昨夜はいろいろあって」とアルベルトに頭を下げる。
「かまわんさ。それでジュリアは? ミズキにひどいことを言ったんじゃないか?」
「口にも表情にも仕草にも出しません。ですがジュリアはまだ、父親であるあなたの帰還を信じています。兄を失い、あなたまで失ってしまったら、ジュリアがさぞかし悲しむ」
「ジュリアは並みの女ほどやわじゃない。あいつが元気にしているならそれでいいさ」
アルベルトの一人娘は気が強く、昔からアルベルトと気が合わなかった。
自由奔放な性格で、縛られることを好まない。何度か花嫁修業をさせようとしたが、逆に反感を買ってしまい、父娘はほぼ断絶状態だった。
だが蓼食う虫もなんとやら、ジュリアは無事に嫁に行くことができ、父親としての役目は終わったと思っている。
アルベルトにとって、愛しい娘であることに変わりはないが、ジュリアのことは、アルベルトの数少ない弱点のひとつだ。
「あいつは俺のことを嫌ってる。なんなら俺は死んだと、ジュリアに言っておいてくれ。下手な期待を持たせるよりは、ずっといい」
「そう思っているのは、あなただけです。兄も失い、あなたまでも……ジュリアのことを思えば冗談でもタチが悪い」
ミハイルにぴしゃりと言い返され、アルベルトは「キツイな」と苦笑する。
「しかしだミハイル」
耳が痛い話を回避するかのごとく話題の矛先を無理やりミハイルに振る。
「うまくいったからいいものの、おまえも弟を使うとは。ミズキ奪取作戦に大胆なキャスティングをしたもんだ」
「弟だからこそ信頼したのです。グスタフならうまくやれる。そしてグスタフにクリスタライズを埋め込まなかったあなたの厚意に感謝します、ハノン大将」
そういってミハイルは深々と頭を下げる。
「やめろ、そういうの苦手だって知ってるだろ。それにもう俺は大将ではない」
アルベルトはそれを手で制す。
「俺はもうおまえたちの敵なんだ。それに、今はおまえが大将のはずだろ。グスタフがディスタンシア潜入中に聞いたが、おまえは今でも部下たちに中将と呼ばせているんだって?」
しかもそんな大昔の階級をとアルベルトがからかうと、ミハイルはふっと口元に笑みを浮かべた。
「私のような若造が大将だと知ったら、軍を退職する者が増えます」
「なんだ、兵たちをかわいがりすぎているのか」
ミハイルはとんでもないと首を横に振った。
「あなたを慕う兵はまだまだ多い。そのあなたがディスタンシアに亡命したなんて知ったら、逆にクラリス軍が弱体化します。私の出世は私の手でつかんだものではなく、単純にあなたの代わりであるだけですから」
だから言わないのですと、ミハイルはコーヒーカップをテーブルに置く。
「知らなければ幸せ、ということもありますからね」
「それで済むなら一番いいが」
アルベルトは自分の部下だったころのミハイルを思い出す。
アルベルトの知るミハイルは頭がよく、機転が利き、先を見通す能力に長けていた。
敵がとるであろう予測、その裏、いろんな方面から予測を立て、作戦を成功させてきており、射撃でも車両操作でもなんでも、軍ではオールラウンダーだった。
順調どころか急激に出世街道を駆け抜け、今ではかつてアルベルトがいた地位――大将になっているのだが、それを知っている者はほとんどいない。
ささやかながらも告知はあったはずで、大多数がミハイルを「大将」と呼ぶが、ミハイル本人は前の階級で呼ぶ部下を咎めるでもなく、そのままにしている。
誰も知らない出世劇の背景には、アルベルトの出奔があったのだが、どちらにしろ彼が大将になるのが速いか遅いかの話でしかなかった。
上で指揮する素質は十分に持っているのに、不思議と彼は上に上がるのを嫌がるのだった。
単独の潜入、暗殺、斥候、何をやらせてもミハイルの右に出るものはない。とアルベルトは思っているのだが、久しぶりに会ったその部下からは、彼が纏う絶対的な自信が消えていた。
「おまえ、最近困りごとでもあるのか?」
感じたことを素直にぶつけたが、ミハイルは「別に何も」とにべもない。
こういう時の彼は、何やら苛立っている。入隊時からずっとミハイルに目をかけてきたアルベルトは「何かあったな?」と確定的に返事をする。
だからといって、その「何か」を素直にしゃべる人物でもない。
「ところで」
アルベルトはわざと話題を変えた。
だがこれは、アルベルトが感じる、ミハイルの愁訴の要因を探るためだ。
軍人ミハイルを育てたアルベルトだからこそ、どうやって部下の口を自然に割らせることができるか、いろいろと手段はあるのだった。
「ミズキ・ブランケンハイムを最終的にはどうするつもりなんだ?」
「どうする、とは?」
「おまえはミズキを捕らえたいがために、グスタフを使ったんだろう。おまえは兄貴をミズキに殺された。私怨で作戦を立てるなんておまえらしくないが。まあクラリスにとって、あいつは大罪人だ。おまえはあいつを最終的には死刑台に送るのか」
アルベルトが問うと、ミハイルは少しだけ瞼を伏せた。
テーブルにおいたコーヒーカップ。褐色の液体に映る彼の顔が、何かに迷い揺れていた。
「……送らなければいけないと思っています」
「ほう?」
「それもクラリスの法が定める、一番残酷な処刑台に」
「ふむ?」
「……そうでなければ国民は納得しないでしょう」
淡々と述べるミハイルの表情に色濃い陰りが見える。
軍律と自我。その狭間で彼は葛藤と戦っているようだ。
アルベルトはシナモンティーをすすりながら、部下をじっと観察していた。
かわいい部下は、もともとあまり感情をオープンにするタイプではない。何を考えているかわからないと評されるほど無表情で、周囲が止めに入るほど無慈悲な面を持ち合わせている。
だが、その意志だけは芯が通っていて、迷いやためらいを職務に持ちこんだことがないのだ。
その彼が、何かに迷っている。
「ミズキを処刑台に送るのか。なるほど、ならおまえのことだ、今、ミズキは苛烈な拷問を受けているんだろうな? なにせ黒衣の悪魔のやり方は残酷だと、ディスタンシアでは有名だ。まだあいつは五体満足か? それとも狙撃手の命である、指でももう切り落としたか」
「国際法に抵触することはしていません。それに彼は、そういう尋問に耐えられる状態ではない」
「尋問に耐えられない?」
どういうことか。あんな華奢で見た目は少女のようでも、ミズキは自分の立場をわきまえている。
軍人であることが彼の存在意義だ。軍人でなければ、生きた性処理人形でしかないのを、よくわかっている。
それ故に、捕らえられ、身分の照会をされたところで、データベースからミズキの名前は絶対に出てこない。
それを追及されるのを、ミズキは何より嫌がるだろうし、問われたところで口も割らないだろう。
おそらく、並みの兵士よりも口も意志も堅いはず。
それなのに?
「ミズキが頑固すぎて、クラリス兵が根を上げているのか」
「いいえ」
ミハイルは口元に手をやり、しばし何かを考えていたが、「ちょうどいい」と、姿勢を正してアルベルトを直視した。
「大将にお尋ねします。ミズキ・ブランケンハイムは、ディスタンシアで何をさせられていたのですか?」
「何をって、あいつは狙撃手だ。クラリス国内でも有名だろうが。オッドアイスナイパーの名前は」
「狙撃手以外のことで、です。彼が恒常的にさせられ、恐怖と嫌悪感を抱くようなこと。大将殿、何かご存じありませんか?」
「ふうん?」
ミハイルのいわんとすることがアルベルトにはよくわかっていた。
なにせミズキに「それ」をさせていた張本人だ。
ディスタンシアから機密を奪い続けた両親の代わりに、彼はその身体でもって償いをしている。
最後に抱いたときは、喉の奥で男を感じられるように、窒息寸前の口淫を教え込んだ。
泣き腫らした色違いの瞳が、堕ちるところまで堕ちると、淫靡に男を誘いだす。
アルベルトはミズキの身体の感触を思い出しながら「知ってどうするんだ?」とミハイルに尋ねた。
「勘のいいおまえのことだ。薄々気づいているんだろう」
「……いえ」
「だがそれは、ミズキ自身の口から聞くといい。そのほうがおまえも納得できるんじゃないか?」
「……彼に直截に聞け、と?」
「ミズキが口を割らないというのなら、それはあいつがおまえに心を開いていないか、おまえに否定されるのを怖がっているかどちらかだ。そしておまえも、あいつに拒絶されることを恐れている。だから聞けない。そうだろう?」
「拒絶を怖がる? 私が?」
ああ、といい、アルベルトは先を続けた。
「ミズキを処刑するんだろう? 今までのおまえなら、殺すつもりの人間から情報を引き出すことはあっても、情けは絶対にかけなかった。でも今、ミズキには?」
ミハイルは黙したままだったが、その視線がわずかに揺れたのを、アルベルトは見逃さない。
「おまえはミズキに心を奪われている。俺にはそう見えるが?」
「そんな、私はただ」
アルベルトの指摘を、ミハイルは鼻で笑い飛ばした。
「私はただ、彼への尋問を再開したいだけだ。それには彼の――」
「おまえもミズキも本当によく似ている。いい機会だ。おまえも少しは自分に正直になれ」
部下の言い訳を最後まで言わせず、アルベルトは席を立つ。
「久しぶりにシナモンティーを飲んだ。だがディスタンシア産のシナモンの方が香りが強くていい。本国では飲めない幻の逸品がグリーンゾーンでは飲める。面白いものだ」
「大将、まだ話が――」
「もう俺は大将じゃないって言ってるだろ。ミハイル・ブライデンクラリス軍上級大将殿」
フルネームで呼ばれ、ミハイルは眉間に皺をよせ唇を噛んだ。ことさら役職で呼ばれるのを彼は嫌がる。下手な皮肉を言わなくてもミハイルをやりこめる最強の方法だ。
「グリーンゾーンを出れば俺たちは敵だ。あと、ミズキの近況を教えてくれて感謝する。これであいつも少しは大人しく静観してくれることだろう」
「あいつとは……ディスタンシア軍サンドストーム隊のシュトラウス隊長ですか」
「さあな」
伝票を手に取り、アルベルトはミハイルに背を向けた。
「じゃあなミハイル」
ミハイルを席に残し、元気でやれよと手を振る。
ミハイルが聞きたいミズキの真実。
だけど、それはアルベルトが教えてやるべきではない。
ミハイルがミズキを気にかけ始めているのなら、ミハイル自身でミズキの心を開かせるべきだ。
ミハイルは自分の計画通り、ミズキをいま手元に置いている。本当に罪人としてミズキを捕らえたのなら、ミハイルは既にミズキを殺しているだろう。
だが、彼はそうせず、ミズキをまだ生かしているどころか、処刑台に送ることをためらっている。
戦争のおかげで、恋も愛も知らずにきた冷酷な悪魔が、凌辱されて身体も魂までも汚され傷ついている深窓の狙撃手に惹かれ始めている。
それは自分の兄を殺した敵だというのに。
だがアルベルトはそれを否定しない。
自らも、敵に心を奪われ、家族が待つ故国を捨てたのだから。
目下戦争中の両国に挟まれているのに、どういうわけかここは戦火にさらされることもなく、クラリス、ディスタンシア両国の文化やしきたりなどが根付いている、少し変わった緩衝地帯で、いわゆる非戦闘地域となっている。
この小国は戦争に加担しているわけではないが、攻撃されれば必ず報復をする国として知られている。そしてこの国は世界の様々な国との繋がりもある。
つまり、どこかの国がスフィアを攻撃すれば各国が一斉に報復に出るという条約を結んでおり、その効果を実感した国ーー主にはディスタンシアだがーーもある。
ここに来れば、今ではめったにお目にかかれないディスタンシアの郷土料理とクラリスの郷土料理が、仲良く同じテーブルに並ぶのを見ることができる。
もちろん、この地域独特の文化もあり、三つの地域が平和的に混ざる場所だ。
このグリーンゾーンでは、ディスタンシア人とクラリス人に限り、パスポートやビザの申請も必要ないが、かといって戦争難民を受け入れているわけではなく、日暮れになればひとつしかない国の入口の門は閉ざされる。
領土は小さく、2、3時間も歩けば、どちらかの国にたどり着くような、周囲10キロもない小さな国だ。
戦い続けて、神経を研ぎ澄ませているばかりでは気が滅入るし、家族や友人が分断されている人も多い。
戦争によって引き裂かれた絆を短い時間だけ結べる場所。大切な人を抱きしめて、戦禍の苦い味と命の大切さを実感できる場所。
それがこの場所だが、最近の戦況をみる限り、ここでディスタンシア人を見かけることが少なくなってきた。ほとんどが地元民かクラリス人だ。
このグリーンゾーンの繁華街にある昼下がりのカフェテラスにも、多くの人がひとときの休息を楽しんでいる。
可憐な花が咲き乱れる温室の中は、爆音ではなく小鳥たちのさえずりが聞こえる。ガラス張りの天井から見える空も弾幕の煙やたなびく戦闘機の排気ガスで汚されることもなく、どこまでも澄みきっていた。
この場所にあるのは、平和と優しさだけだ。少し歩けば見えてくる現実なんか知らなくていいとばかりに、ここの時間は穏やかに過ぎる。
暖かな陽光降り注ぐ温室庭園の一角、アンティーク感のある白いロココ調の椅子に座り、アルベルト・ハノンはシナモンティーを飲んでいた。
シナモンの香りは、頭をシャキッとさせる。軍務やシュトラウスの相手に疲れたときによく飲んでいたが、最近では戦争が激しく、シナモンも紅茶の茶葉も、ディスタンシアでは手に入らなくなってきた。
グリーンゾーンではまだ紅茶が楽しめるので、来たときはかつての平和の味をのんびりと楽しむことにしている。
白いクロスのかかるテーブルをはさんで、アルベルトの向かいには、黒いロングコートに身を包んだ長身の男性が座っている。
両国の軍人が見たなら、きっと卒倒するか、銃を向けるかどちらかの構図。
気分転換にやってきたアルベルトにとって、目の前の相手との再会は偶然だった。それでお茶に誘ったのだが、アルベルトの思惑は別のところにあった。
この男なら、知っているはずなのだ。
――ミズキの処遇を。
「ミハイル、ミズキは元気にしてるか?」
アルベルトにそう問われ、ミハイルは「ええ」と短く答えた。
コーヒーをすすりながら「元気にしてますよ」と続ける。
「ついでにいうと、ジュリアも元気にしています。店のほうも大繁盛、連日客足が途絶えず、クラリスでも人気の店になっています。そうそう、ミズキをジュリアの店に連れて行きました。ディスタンシアの人間だと聞いた瞬間、彼女はあの美貌を歪ませましたよ」
ミハイルは会話の最中にも何度もあくびをかみ殺していた。さすがに相手に失礼だと思ったのか、「すみません、昨夜はいろいろあって」とアルベルトに頭を下げる。
「かまわんさ。それでジュリアは? ミズキにひどいことを言ったんじゃないか?」
「口にも表情にも仕草にも出しません。ですがジュリアはまだ、父親であるあなたの帰還を信じています。兄を失い、あなたまで失ってしまったら、ジュリアがさぞかし悲しむ」
「ジュリアは並みの女ほどやわじゃない。あいつが元気にしているならそれでいいさ」
アルベルトの一人娘は気が強く、昔からアルベルトと気が合わなかった。
自由奔放な性格で、縛られることを好まない。何度か花嫁修業をさせようとしたが、逆に反感を買ってしまい、父娘はほぼ断絶状態だった。
だが蓼食う虫もなんとやら、ジュリアは無事に嫁に行くことができ、父親としての役目は終わったと思っている。
アルベルトにとって、愛しい娘であることに変わりはないが、ジュリアのことは、アルベルトの数少ない弱点のひとつだ。
「あいつは俺のことを嫌ってる。なんなら俺は死んだと、ジュリアに言っておいてくれ。下手な期待を持たせるよりは、ずっといい」
「そう思っているのは、あなただけです。兄も失い、あなたまでも……ジュリアのことを思えば冗談でもタチが悪い」
ミハイルにぴしゃりと言い返され、アルベルトは「キツイな」と苦笑する。
「しかしだミハイル」
耳が痛い話を回避するかのごとく話題の矛先を無理やりミハイルに振る。
「うまくいったからいいものの、おまえも弟を使うとは。ミズキ奪取作戦に大胆なキャスティングをしたもんだ」
「弟だからこそ信頼したのです。グスタフならうまくやれる。そしてグスタフにクリスタライズを埋め込まなかったあなたの厚意に感謝します、ハノン大将」
そういってミハイルは深々と頭を下げる。
「やめろ、そういうの苦手だって知ってるだろ。それにもう俺は大将ではない」
アルベルトはそれを手で制す。
「俺はもうおまえたちの敵なんだ。それに、今はおまえが大将のはずだろ。グスタフがディスタンシア潜入中に聞いたが、おまえは今でも部下たちに中将と呼ばせているんだって?」
しかもそんな大昔の階級をとアルベルトがからかうと、ミハイルはふっと口元に笑みを浮かべた。
「私のような若造が大将だと知ったら、軍を退職する者が増えます」
「なんだ、兵たちをかわいがりすぎているのか」
ミハイルはとんでもないと首を横に振った。
「あなたを慕う兵はまだまだ多い。そのあなたがディスタンシアに亡命したなんて知ったら、逆にクラリス軍が弱体化します。私の出世は私の手でつかんだものではなく、単純にあなたの代わりであるだけですから」
だから言わないのですと、ミハイルはコーヒーカップをテーブルに置く。
「知らなければ幸せ、ということもありますからね」
「それで済むなら一番いいが」
アルベルトは自分の部下だったころのミハイルを思い出す。
アルベルトの知るミハイルは頭がよく、機転が利き、先を見通す能力に長けていた。
敵がとるであろう予測、その裏、いろんな方面から予測を立て、作戦を成功させてきており、射撃でも車両操作でもなんでも、軍ではオールラウンダーだった。
順調どころか急激に出世街道を駆け抜け、今ではかつてアルベルトがいた地位――大将になっているのだが、それを知っている者はほとんどいない。
ささやかながらも告知はあったはずで、大多数がミハイルを「大将」と呼ぶが、ミハイル本人は前の階級で呼ぶ部下を咎めるでもなく、そのままにしている。
誰も知らない出世劇の背景には、アルベルトの出奔があったのだが、どちらにしろ彼が大将になるのが速いか遅いかの話でしかなかった。
上で指揮する素質は十分に持っているのに、不思議と彼は上に上がるのを嫌がるのだった。
単独の潜入、暗殺、斥候、何をやらせてもミハイルの右に出るものはない。とアルベルトは思っているのだが、久しぶりに会ったその部下からは、彼が纏う絶対的な自信が消えていた。
「おまえ、最近困りごとでもあるのか?」
感じたことを素直にぶつけたが、ミハイルは「別に何も」とにべもない。
こういう時の彼は、何やら苛立っている。入隊時からずっとミハイルに目をかけてきたアルベルトは「何かあったな?」と確定的に返事をする。
だからといって、その「何か」を素直にしゃべる人物でもない。
「ところで」
アルベルトはわざと話題を変えた。
だがこれは、アルベルトが感じる、ミハイルの愁訴の要因を探るためだ。
軍人ミハイルを育てたアルベルトだからこそ、どうやって部下の口を自然に割らせることができるか、いろいろと手段はあるのだった。
「ミズキ・ブランケンハイムを最終的にはどうするつもりなんだ?」
「どうする、とは?」
「おまえはミズキを捕らえたいがために、グスタフを使ったんだろう。おまえは兄貴をミズキに殺された。私怨で作戦を立てるなんておまえらしくないが。まあクラリスにとって、あいつは大罪人だ。おまえはあいつを最終的には死刑台に送るのか」
アルベルトが問うと、ミハイルは少しだけ瞼を伏せた。
テーブルにおいたコーヒーカップ。褐色の液体に映る彼の顔が、何かに迷い揺れていた。
「……送らなければいけないと思っています」
「ほう?」
「それもクラリスの法が定める、一番残酷な処刑台に」
「ふむ?」
「……そうでなければ国民は納得しないでしょう」
淡々と述べるミハイルの表情に色濃い陰りが見える。
軍律と自我。その狭間で彼は葛藤と戦っているようだ。
アルベルトはシナモンティーをすすりながら、部下をじっと観察していた。
かわいい部下は、もともとあまり感情をオープンにするタイプではない。何を考えているかわからないと評されるほど無表情で、周囲が止めに入るほど無慈悲な面を持ち合わせている。
だが、その意志だけは芯が通っていて、迷いやためらいを職務に持ちこんだことがないのだ。
その彼が、何かに迷っている。
「ミズキを処刑台に送るのか。なるほど、ならおまえのことだ、今、ミズキは苛烈な拷問を受けているんだろうな? なにせ黒衣の悪魔のやり方は残酷だと、ディスタンシアでは有名だ。まだあいつは五体満足か? それとも狙撃手の命である、指でももう切り落としたか」
「国際法に抵触することはしていません。それに彼は、そういう尋問に耐えられる状態ではない」
「尋問に耐えられない?」
どういうことか。あんな華奢で見た目は少女のようでも、ミズキは自分の立場をわきまえている。
軍人であることが彼の存在意義だ。軍人でなければ、生きた性処理人形でしかないのを、よくわかっている。
それ故に、捕らえられ、身分の照会をされたところで、データベースからミズキの名前は絶対に出てこない。
それを追及されるのを、ミズキは何より嫌がるだろうし、問われたところで口も割らないだろう。
おそらく、並みの兵士よりも口も意志も堅いはず。
それなのに?
「ミズキが頑固すぎて、クラリス兵が根を上げているのか」
「いいえ」
ミハイルは口元に手をやり、しばし何かを考えていたが、「ちょうどいい」と、姿勢を正してアルベルトを直視した。
「大将にお尋ねします。ミズキ・ブランケンハイムは、ディスタンシアで何をさせられていたのですか?」
「何をって、あいつは狙撃手だ。クラリス国内でも有名だろうが。オッドアイスナイパーの名前は」
「狙撃手以外のことで、です。彼が恒常的にさせられ、恐怖と嫌悪感を抱くようなこと。大将殿、何かご存じありませんか?」
「ふうん?」
ミハイルのいわんとすることがアルベルトにはよくわかっていた。
なにせミズキに「それ」をさせていた張本人だ。
ディスタンシアから機密を奪い続けた両親の代わりに、彼はその身体でもって償いをしている。
最後に抱いたときは、喉の奥で男を感じられるように、窒息寸前の口淫を教え込んだ。
泣き腫らした色違いの瞳が、堕ちるところまで堕ちると、淫靡に男を誘いだす。
アルベルトはミズキの身体の感触を思い出しながら「知ってどうするんだ?」とミハイルに尋ねた。
「勘のいいおまえのことだ。薄々気づいているんだろう」
「……いえ」
「だがそれは、ミズキ自身の口から聞くといい。そのほうがおまえも納得できるんじゃないか?」
「……彼に直截に聞け、と?」
「ミズキが口を割らないというのなら、それはあいつがおまえに心を開いていないか、おまえに否定されるのを怖がっているかどちらかだ。そしておまえも、あいつに拒絶されることを恐れている。だから聞けない。そうだろう?」
「拒絶を怖がる? 私が?」
ああ、といい、アルベルトは先を続けた。
「ミズキを処刑するんだろう? 今までのおまえなら、殺すつもりの人間から情報を引き出すことはあっても、情けは絶対にかけなかった。でも今、ミズキには?」
ミハイルは黙したままだったが、その視線がわずかに揺れたのを、アルベルトは見逃さない。
「おまえはミズキに心を奪われている。俺にはそう見えるが?」
「そんな、私はただ」
アルベルトの指摘を、ミハイルは鼻で笑い飛ばした。
「私はただ、彼への尋問を再開したいだけだ。それには彼の――」
「おまえもミズキも本当によく似ている。いい機会だ。おまえも少しは自分に正直になれ」
部下の言い訳を最後まで言わせず、アルベルトは席を立つ。
「久しぶりにシナモンティーを飲んだ。だがディスタンシア産のシナモンの方が香りが強くていい。本国では飲めない幻の逸品がグリーンゾーンでは飲める。面白いものだ」
「大将、まだ話が――」
「もう俺は大将じゃないって言ってるだろ。ミハイル・ブライデンクラリス軍上級大将殿」
フルネームで呼ばれ、ミハイルは眉間に皺をよせ唇を噛んだ。ことさら役職で呼ばれるのを彼は嫌がる。下手な皮肉を言わなくてもミハイルをやりこめる最強の方法だ。
「グリーンゾーンを出れば俺たちは敵だ。あと、ミズキの近況を教えてくれて感謝する。これであいつも少しは大人しく静観してくれることだろう」
「あいつとは……ディスタンシア軍サンドストーム隊のシュトラウス隊長ですか」
「さあな」
伝票を手に取り、アルベルトはミハイルに背を向けた。
「じゃあなミハイル」
ミハイルを席に残し、元気でやれよと手を振る。
ミハイルが聞きたいミズキの真実。
だけど、それはアルベルトが教えてやるべきではない。
ミハイルがミズキを気にかけ始めているのなら、ミハイル自身でミズキの心を開かせるべきだ。
ミハイルは自分の計画通り、ミズキをいま手元に置いている。本当に罪人としてミズキを捕らえたのなら、ミハイルは既にミズキを殺しているだろう。
だが、彼はそうせず、ミズキをまだ生かしているどころか、処刑台に送ることをためらっている。
戦争のおかげで、恋も愛も知らずにきた冷酷な悪魔が、凌辱されて身体も魂までも汚され傷ついている深窓の狙撃手に惹かれ始めている。
それは自分の兄を殺した敵だというのに。
だがアルベルトはそれを否定しない。
自らも、敵に心を奪われ、家族が待つ故国を捨てたのだから。
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快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。
――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。
鎖に繋がれた騎士は、敵国で皇帝の愛に囚われる
結衣可
BL
戦場で捕らえられた若き騎士エリアスは、牢に繋がれながらも誇りを折らず、帝国の皇帝オルフェンの瞳を惹きつける。
冷酷と畏怖で人を遠ざけてきた皇帝は、彼を望み、夜ごと逢瀬を重ねていく。
憎しみと抗いのはずが、いつしか芽生える心の揺らぎ。
誇り高き騎士が囚われたのは、冷徹な皇帝の愛。
鎖に繋がれた誇りと、独占欲に満ちた溺愛の行方は――。
あなたと過ごせた日々は幸せでした
蒸しケーキ
BL
結婚から五年後、幸せな日々を過ごしていたシューン・トアは、突然義父に「息子と別れてやってくれ」と冷酷に告げられる。そんな言葉にシューンは、何一つ言い返せず、飲み込むしかなかった。そして、夫であるアインス・キールに離婚を切り出すが、アインスがそう簡単にシューンを手離す訳もなく......。
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