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#11 ミズキのセーフティエリア
#11 ミズキのセーフティエリア
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身体に少し重みを感じて身体を動かすと、その重みの原因はミハイルの左腕だった。
まるで「どこにも行かせない」とばかりにミズキを捕まえるその腕。
セックスの後に、こんなに穏やかな朝など迎えたことがない。
ディスタンシアでは事が終わると、部屋に一人取り残されて、誰かが戒めを解いてくれるのを待つしかなかった。
たいていの場合、それはアルベルトで、ミズキを抱き上げてシャワーを浴びさせてくれた。
でも今朝は違う。
なんだか気持ちがものすごく穏やかだが、頭と体が少しだけ重い。
風邪でもひいたか、それとも。
――昨夜の情事のせいか。
身体が少し熱くて、汗もかいている。
ぼんやりと昨夜のことを思い出す。
「わああ……」
記憶の欠片は羞恥心を浮き彫りにさせ、全身に変な汗が吹き出してくる。だめだ、頭をしゃんとさせないと。
(さっぱりしたいなあ……)
汗をかいているから、べとつく身体が気持ち悪い。
自分の身体に絡むミハイルの腕をゆっくり解き、ついでに彼を起こさないようにそっとベッドから抜けだす。
「ミズキ」
片足をついた途端に、少し怠そうな彼の声がミズキの足を止めた。そしてミズキの腰に、外したばかりのミハイルの腕が絡んでくる。
「どこへ行くのです?」
「ごめんなさい、起こして」
「どこへ行くのか聞いてますよ」
一応謝るも、ミハイルは目を閉じたまま、叱責するようにミズキに尋ねる。
「まだ起きだしてはいけません。傷が開きます。しばらくは安静ですよ」
言われて思い出す。
そういえば昨日、ミハイルに胸を切り裂かれた。
不思議なもので、意識し始めると傷口というのは痛くなる。胸にじんじんと焼けるような疼痛を感じたが、次第にその痛みは増してきて、ミズキは「いてて」と顔をしかめた。
「傷はそう深くありませんから、大人しくしていればすぐに塞がります」
「そもそも昨夜、あなたは僕に何をしたんですか?」
「今後のあなたに必要なことです。いずれわかりますよ」
ほら、こっちにいらっしゃいとミハイルはミズキの身体を引き寄せられる。
身体の不快感は耐え難い。ミッションであるならともかく、そうでないなら常に清潔にしていたいミズキだった。
「僕、シャワー浴びたい」
「いけません」
「じゃあせめて身体を拭きたい」
「あとで私が拭いてあげます」
「それくらい自分で――」
「させられません。傷が開く」
にべもなく言い返される。
「むぅー……」
ミズキはぷくと頬を膨らませた。
子どもじゃないから、身体を拭くくらいできる。
ミハイルがミズキを抱きしめたまま、一切の許可をくれないので、仕方なくまたもそもそとベッドにもぐりこむ。
「よろしい」
ミハイルの腕がミズキの首の下に潜り込んだ腕枕の手がミズキの頭ごと抱き寄せてくる。
「もう少し眠りなさい」
「はぁい……」
首だけ回して室内を見渡すと、カーテンの隙間からのぞく空はまだ暗い。でも耳をすませば、どこかで鳥のさえずりが聞こえてくる。直感的に明け方だと感じた。
淫らな身体検査の夜が明けたのだ。昨夜を思い出すと、下腹がぶるりと震える。
痛みも恐怖もないセックス……それがミハイルの身体検査だった。
身体の隅々までミハイルによって検査され、彼の徴を注ぎ込まれ、誇りが埋まる胸の傷は。
――――新しい傷で、上書きされた。
ディスタンシアではセックスは罰だった。
男たちに代わるがわる散々に弄ばれ、縛られ、貫かれた。
罰という言葉に恐怖するほどだったのに、ミハイルのそれに恐怖は感じなかった。
誰にも強制も抑制もされず、自らの意志で己を解き放つことが、怖いくらいの快楽を得ることをミハイルが教えてくれた。
このまま殺されてもいいと思った夢のような時間は、確かにこの腕の中で行われたのだ。
(僕は死ぬ人間なのに)
未だに敵の腕の中で微睡んでいる自分はきっと、裏切り者に相当するだろう。
シュトラウスが見たら、もう二度と外には出してくれないに違いない。いや、そのまま殺されてしまうかも。
どっちにしろ、拘束されるなら、ミハイルのそばの方が………ずっといい。
ミズキの頬とミハイルの胸板が密着して、規則的な彼の命の鼓動がミズキの耳に流れ込んでくる。それはとても穏やかだ。
ふと考えてみる。
どちらの国の味方にも、敵にもなれる自分の存在。父親と母親のその血脈は、ミズキの瞳に顕れている。
戦争がなかったら、自分はどのような人生を歩んでいたのだろうと考えてみるが、平和を知らずに育ったので、戦争のない世界が想像できない。
そして今、ミズキはこの国では罪人だ。
遅かれ早かれ、この国の恨みを背負って死ぬ運命にあることだけは、確定している。
だけど、この腕にもうしばらく抱かれていたい。
(僕は前を向いて処刑台に上がれるだろうか)
いずれ来る、「その時」を想像してみる。
きっと処刑は公開で行われるだろう。火あぶりか縛り首か、どのような刑に処されるのかは裁きによるのだろうが、見物に来た群衆の中に、もしミハイルの顔を見つけてしまったとしたら?
死ぬことは怖くない。……はずなのに。
(僕……この人から離れたくないな)
その感情がなにかはわからない。こうしてそばにいるだけで、なんだかドキドキもするし、どこか安心もする。
もう少しだけこの人と過ごして、色んな話をしてみたい。
(神様、もう少しだけ僕は生きていたい)
こんな気持ちを持つなんて初めてだ。
この腕の中なら、一生解放されない虜囚でもいいかと、脳裏をよぎるが、ぶんぶんと頭を振る。
(いけない。僕は何を考えているんだ。僕は戦犯なんだ)
「ミズキ、さっきからもぞもぞしてどうしたんです?」
「どうも……しません」
「なんでもないという風には見えませんけどね」
ミハイルのそばにいたいだなんて、彼に知られたら「さすがは淫乱な狙撃手だ」と鼻で笑われてしまう。
浮かんだ思考を慌てて消していると、ミハイルの声が降ってきた。
「眠れないなら、魔法をかけてあげましょうか?」
子どものおまじないですけどねとミハイルはくすくす笑う。
瞬間、ミズキの唇が柔らかいものでふさがれた。
「ん……」
ミハイルの唇だ。
「朝、ですよ……何をしてるんですか」
「クラリスに昔から伝わる、よく眠れるおまじないです。子どもがぐずるときによくやるんですよ」
さらっと言われ、キスを意識した自分の顔が火を噴きそうなほど熱い。
「僕、子どもじゃないし」
ミハイルに文句を言う自分の声に甘さが乗っているのも自覚してしまい、ミズキは掛布をすっぽりとかぶった。
顔を見られたくない。たぶん、今の自分はとんでもなく変な顔をしている。
ミハイルの唇にドキドキしている自分はおかしいのだ。
ミハイルは敵だ。ここは敵の腕の中だ。そう言い聞かせてみるも、動揺は収まるどころか、ひどくなるばかり。
いったい自分はどうしてしまったのか。
「ミズキ、ほら出てらっしゃい」
掛布の上から背中をぽんぽんと叩かれ、ミズキがそっと顔を出すと、そこにはおかしそうに笑うミハイルの顔がある。
「あなたは都合が悪くなると、すぐ布団にもぐってしまいますね。そこがあなたのセーフティエリアですか?」
「だって……」
逃げ出そうにもミハイルがいる。
それにこの部屋を一歩出れば、軍のセキュリティが飛んでくるといったのも彼だ。
どうしたって隠れようとすると「ベッドの中しかないじゃないか」となるのだ。
口をとがらせてミハイルにぼそりと抗議するも、逆に「子どもでも、マシな方法で文句は言いますけどね?」と彼を笑わせる結果になってしまった。
「ミズキ、少し上に上がって」
「僕もう起きる。目が覚めた」
「いいえ、今日はあなたをベッドから出せません。いいからほら、枕のところまであがって」
言われたとおりにもぞもぞと上がると、ミハイルの顔が急激に近づいてくる。何をされるかと身構えぎゅっと目を閉じると、自分の額にこつんと何かが軽く当たった。
そっと目を開けるとミハイルが自分の額をミズキにそれに当てたのだった。
彼が近すぎて、鼓動が跳ね上がる。
「ふーむ、少し熱いですね、今日はたぶん熱が出るでしょう。昨日、無理やりあなたの身体に傷を入れましたからね。まだ痛むでしょう?」
「……うん」
胸の傷は、激痛とまではいかないが、思わず手で押さえてしまうほどには気になる程度の痛みがある。
昨夜、ミハイルはここを切り裂き、ミズキの身体に何かを入れた。
苦しげな表情で「自分を嫌いになれ、恨め」と言いながら。
身体の中に何を埋めたのか、まだ教えてもらっていない。でも幸いにして、クリスタライズを抜き取られずには済んだようだ。
それでも気になるのは、昨夜の彼の凶行。そして今朝はまた、これまでの紳士的な彼に戻っている。
どうして昨夜はミハイルがあんなことを言い出したのか。
気にはなるが…………それ以上に傷が痛い。
「痛いなぁ……」
思わずこぼしてしまう。
そっと胸に手を当てると、さらに分厚いガーゼのようなものが当てられていた。ミハイルが治療をしてくれたのだろう。
ミハイルはどのくらいの深さまでメスを入れたのか。にしても、麻酔もなしに外科手術の真似事とは、なかなかにミハイルという人は無茶をする。
その無茶な男はベッドから抜け出すと、キッチンの方へ歩いて行った。長いスゥエットパンツ一枚だけでもウエスト位置が高く、脚が長いのがわかる。何も着ていない上半身は適度に筋肉がつき、美しい彫刻のような体躯だ。この身体にカチッとした軍の制服を纏うのだから、誰しも憧れる美丈夫だ。
ミズキは小柄で色白、身長も低いし、筋肉だってそんなにない。そういう男らしさにあこがれてしまう。
(僕もあんなふうになれたらなぁ)
内心、羨ましいとミズキがぼんやり眺めていると、彼は手に水の入ったグラスと何かの箱を持って帰ってきた。
「朝食の前に薬だけ飲んでおきましょうか」
「何の薬?」
昔から薬と効くと、催淫剤しか思い浮かばない。薬はミズキの身体に、男たちを過剰に感じさせるために使われる類のものだ。
いよいよミハイルもそういう手段に出る気か。
なるほど、昨夜、「嫌いになれ」といった理由に合点が――――いかない。
この人は、そういうことを好む人ではない気がする。
「僕をどうするの」
それでも何をされるかとミズキが身構えると、ミハイルはくすりと笑った。
「妙な薬ではありません。これは解熱鎮痛剤です。熱を下げ、傷の痛みを鎮めてくれます。胸の傷、痛いでしょう?」
「……うん」
「それを楽にしてくれる薬です。さ、口を開けて」
言われるままにあーんと口を開けると、ミハイルはそこに錠剤を落とす。白い錠剤の表面にはなにかコーティングがされていて、舐めると思わず笑顔が出た。
「これ甘い」
もごもごと口の中で錠剤を転がしていると、ミハイルが教えてくれた。
「糖衣錠です。中身の薬剤がとても苦いので、飲みやすくするために甘いものでコーティングしてあるのです」
「ふーん……」
いい甘さだ。しつこくなくて、甘すぎない。いつまでも舐めていたい。
これが薬じゃなくて、お菓子ならいいのになぁ……と舐めていると、ミハイルから笑われた。
「アメじゃないんだからいつまでも舐めていないで。飲み込まないと効き目なんて出ませんよ」
「じゃお水ください」
ミズキが言うと、ミハイルは「お待ちください」といい、グラスの水を口に含む。
え、それ、僕にくれるんじゃないの?と思っていると、ミハイルはミズキの唇に自分の唇を重ねた。
「ん……」
口移しで水を飲まされ、小さな錠剤を飲み下す。口の端からは水が滴り、ミズキの首や胸元を濡らした。水がなくなると、今度はミハイルの舌が潜り込んできた。
口の中を全部暴かれるような深い深いキスをされ、ようやく唇が解放される。
「ちゃんと飲めましたね? 結構。じきに痛みもひくでしょう」
「普通にグラスをくれればいいのに……」
「けが人は大人しくなさっているとよろしい」
「ケガさせたのはあなただし」
キス、必要ですかと非難がましくミハイルに言うも、戸惑うミズキの唇がまた塞がれる。
「ん、ふ……」
ディスタンシアでは、他人の手が身体に触れることが恐怖だったのに。ミハイルの前ではそれをすんなり受け入れてしまっている。
身体を繋げ、生まれたままの姿をさらして朝を迎え、こうして敵に口づけされている。
それはとてもやさしいキスだ。穏やかで、心を落ち着かせてくれるが、同時に自分のおかれた立場を見失いそうになる。
以前の自分ではありえない。こうなることは汚れること、自分の身体の外も中も汚された証だ。
それなのに。
こんな扱いをされたら。
――やっぱり、死にたくない。
「ミズキ、どうしました? なんだか苦しそうですね?」
そういえば、昨夜以降、ミハイルはミズキのことを名前で呼ぶようになった。それまでは「オッドアイスナイパー殿」と慇懃に、だが思い切り無礼に呼んでいたのに。
打ち解けているわけでもない。心を通わせたわけでもない。
だけど、ミハイルのことを考えると胸が張り裂けそうだ。彼を求めてやまなくなる衝動がミズキを甘く切なく苦しめる。
なぜ彼と、敵として出会ってしまったんだろう。
どうにもならない時代の巡り合わせを嘆いても、ミズキは今捕虜であることに変わりはない。
それでも求め、焦がれる心は、押さえ付けようとするほどに飛び出ていきそうになる。
こんなの今まで感じたことがない。
ミハイルのことを考えるほどにどうしようもなくなる、この気持ちを何と呼ぶのか、ミズキには思いつかない。
(僕はどうしてしまったんだろう?)
自分でも何を望んでいるのかわからない。
この心の中のもやもやは、どうすれば収まる?
ミズキの最終的な行先は、処刑台だから、いずれ別れの時が来ることは確定している。
「ミズキ?」
「なんだか気分が悪い……」
心の中を見透かされそうで、ミズキは思わずもふりと掛布を被ると、ミハイルが「隠れるところが布団の中だなんて」とクスクス笑っている。
ひとりになりたい。誰もいない静かなところで、ゆっくりと考えてみたいけれど、捕らわれの身ではプライベートを確保できる空間はない。
もっと苛烈極まる厳しい取り調べがあるだろうと思っていたのに、むしろ、この待遇は過分すぎるほどで。
ミハイルの大きな手が、掛布の上からミズキの頭をそっと撫でる。
「あなたが戦犯でなければいいのに」
「…戦犯でなかったら?」
もしも……の希望を聞いてみたい。ミハイルと敵同士でなかったら、彼は自分をどうしたのかと。
頬が急激に熱くなるのを感じた。これは掛布を被っているせいなのか。
鼓動がどんどんと高鳴る。これではミハイルに聞かれてしまうかもしれない。
それに、あまりに熱くなりすぎて、心臓のそばに埋まっているクリスタライズが熱暴走でもしたら大変だ。爆発するかどうかは知らないけれど。
落ち着けミズキと、自分に言い聞かせてみるが、ブレーキを掛けようとするほど、このどきどきが止まらないのだ。
「僕が戦犯でなかったら、あなたはどうするんです、中将殿?」
「戦犯でなければ、このままあなたのそばにずっといます。あなたがイヤだといってもね」
「そば、に?」
「ええ」
それは本当か。
「本当に僕のそばにいてくれるの?」
嬉しくなってひょこっと掛布から顔を出して、「本当?」と聞き返す。
そんなミズキにミハイルは少し驚いたように目を丸くしたが、すぐにおかしそうにぷっとふきだした。
「本当にあなたは、恋を知らない少女のようだ」
まるで「どこにも行かせない」とばかりにミズキを捕まえるその腕。
セックスの後に、こんなに穏やかな朝など迎えたことがない。
ディスタンシアでは事が終わると、部屋に一人取り残されて、誰かが戒めを解いてくれるのを待つしかなかった。
たいていの場合、それはアルベルトで、ミズキを抱き上げてシャワーを浴びさせてくれた。
でも今朝は違う。
なんだか気持ちがものすごく穏やかだが、頭と体が少しだけ重い。
風邪でもひいたか、それとも。
――昨夜の情事のせいか。
身体が少し熱くて、汗もかいている。
ぼんやりと昨夜のことを思い出す。
「わああ……」
記憶の欠片は羞恥心を浮き彫りにさせ、全身に変な汗が吹き出してくる。だめだ、頭をしゃんとさせないと。
(さっぱりしたいなあ……)
汗をかいているから、べとつく身体が気持ち悪い。
自分の身体に絡むミハイルの腕をゆっくり解き、ついでに彼を起こさないようにそっとベッドから抜けだす。
「ミズキ」
片足をついた途端に、少し怠そうな彼の声がミズキの足を止めた。そしてミズキの腰に、外したばかりのミハイルの腕が絡んでくる。
「どこへ行くのです?」
「ごめんなさい、起こして」
「どこへ行くのか聞いてますよ」
一応謝るも、ミハイルは目を閉じたまま、叱責するようにミズキに尋ねる。
「まだ起きだしてはいけません。傷が開きます。しばらくは安静ですよ」
言われて思い出す。
そういえば昨日、ミハイルに胸を切り裂かれた。
不思議なもので、意識し始めると傷口というのは痛くなる。胸にじんじんと焼けるような疼痛を感じたが、次第にその痛みは増してきて、ミズキは「いてて」と顔をしかめた。
「傷はそう深くありませんから、大人しくしていればすぐに塞がります」
「そもそも昨夜、あなたは僕に何をしたんですか?」
「今後のあなたに必要なことです。いずれわかりますよ」
ほら、こっちにいらっしゃいとミハイルはミズキの身体を引き寄せられる。
身体の不快感は耐え難い。ミッションであるならともかく、そうでないなら常に清潔にしていたいミズキだった。
「僕、シャワー浴びたい」
「いけません」
「じゃあせめて身体を拭きたい」
「あとで私が拭いてあげます」
「それくらい自分で――」
「させられません。傷が開く」
にべもなく言い返される。
「むぅー……」
ミズキはぷくと頬を膨らませた。
子どもじゃないから、身体を拭くくらいできる。
ミハイルがミズキを抱きしめたまま、一切の許可をくれないので、仕方なくまたもそもそとベッドにもぐりこむ。
「よろしい」
ミハイルの腕がミズキの首の下に潜り込んだ腕枕の手がミズキの頭ごと抱き寄せてくる。
「もう少し眠りなさい」
「はぁい……」
首だけ回して室内を見渡すと、カーテンの隙間からのぞく空はまだ暗い。でも耳をすませば、どこかで鳥のさえずりが聞こえてくる。直感的に明け方だと感じた。
淫らな身体検査の夜が明けたのだ。昨夜を思い出すと、下腹がぶるりと震える。
痛みも恐怖もないセックス……それがミハイルの身体検査だった。
身体の隅々までミハイルによって検査され、彼の徴を注ぎ込まれ、誇りが埋まる胸の傷は。
――――新しい傷で、上書きされた。
ディスタンシアではセックスは罰だった。
男たちに代わるがわる散々に弄ばれ、縛られ、貫かれた。
罰という言葉に恐怖するほどだったのに、ミハイルのそれに恐怖は感じなかった。
誰にも強制も抑制もされず、自らの意志で己を解き放つことが、怖いくらいの快楽を得ることをミハイルが教えてくれた。
このまま殺されてもいいと思った夢のような時間は、確かにこの腕の中で行われたのだ。
(僕は死ぬ人間なのに)
未だに敵の腕の中で微睡んでいる自分はきっと、裏切り者に相当するだろう。
シュトラウスが見たら、もう二度と外には出してくれないに違いない。いや、そのまま殺されてしまうかも。
どっちにしろ、拘束されるなら、ミハイルのそばの方が………ずっといい。
ミズキの頬とミハイルの胸板が密着して、規則的な彼の命の鼓動がミズキの耳に流れ込んでくる。それはとても穏やかだ。
ふと考えてみる。
どちらの国の味方にも、敵にもなれる自分の存在。父親と母親のその血脈は、ミズキの瞳に顕れている。
戦争がなかったら、自分はどのような人生を歩んでいたのだろうと考えてみるが、平和を知らずに育ったので、戦争のない世界が想像できない。
そして今、ミズキはこの国では罪人だ。
遅かれ早かれ、この国の恨みを背負って死ぬ運命にあることだけは、確定している。
だけど、この腕にもうしばらく抱かれていたい。
(僕は前を向いて処刑台に上がれるだろうか)
いずれ来る、「その時」を想像してみる。
きっと処刑は公開で行われるだろう。火あぶりか縛り首か、どのような刑に処されるのかは裁きによるのだろうが、見物に来た群衆の中に、もしミハイルの顔を見つけてしまったとしたら?
死ぬことは怖くない。……はずなのに。
(僕……この人から離れたくないな)
その感情がなにかはわからない。こうしてそばにいるだけで、なんだかドキドキもするし、どこか安心もする。
もう少しだけこの人と過ごして、色んな話をしてみたい。
(神様、もう少しだけ僕は生きていたい)
こんな気持ちを持つなんて初めてだ。
この腕の中なら、一生解放されない虜囚でもいいかと、脳裏をよぎるが、ぶんぶんと頭を振る。
(いけない。僕は何を考えているんだ。僕は戦犯なんだ)
「ミズキ、さっきからもぞもぞしてどうしたんです?」
「どうも……しません」
「なんでもないという風には見えませんけどね」
ミハイルのそばにいたいだなんて、彼に知られたら「さすがは淫乱な狙撃手だ」と鼻で笑われてしまう。
浮かんだ思考を慌てて消していると、ミハイルの声が降ってきた。
「眠れないなら、魔法をかけてあげましょうか?」
子どものおまじないですけどねとミハイルはくすくす笑う。
瞬間、ミズキの唇が柔らかいものでふさがれた。
「ん……」
ミハイルの唇だ。
「朝、ですよ……何をしてるんですか」
「クラリスに昔から伝わる、よく眠れるおまじないです。子どもがぐずるときによくやるんですよ」
さらっと言われ、キスを意識した自分の顔が火を噴きそうなほど熱い。
「僕、子どもじゃないし」
ミハイルに文句を言う自分の声に甘さが乗っているのも自覚してしまい、ミズキは掛布をすっぽりとかぶった。
顔を見られたくない。たぶん、今の自分はとんでもなく変な顔をしている。
ミハイルの唇にドキドキしている自分はおかしいのだ。
ミハイルは敵だ。ここは敵の腕の中だ。そう言い聞かせてみるも、動揺は収まるどころか、ひどくなるばかり。
いったい自分はどうしてしまったのか。
「ミズキ、ほら出てらっしゃい」
掛布の上から背中をぽんぽんと叩かれ、ミズキがそっと顔を出すと、そこにはおかしそうに笑うミハイルの顔がある。
「あなたは都合が悪くなると、すぐ布団にもぐってしまいますね。そこがあなたのセーフティエリアですか?」
「だって……」
逃げ出そうにもミハイルがいる。
それにこの部屋を一歩出れば、軍のセキュリティが飛んでくるといったのも彼だ。
どうしたって隠れようとすると「ベッドの中しかないじゃないか」となるのだ。
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「いいえ、今日はあなたをベッドから出せません。いいからほら、枕のところまであがって」
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「ふーむ、少し熱いですね、今日はたぶん熱が出るでしょう。昨日、無理やりあなたの身体に傷を入れましたからね。まだ痛むでしょう?」
「……うん」
胸の傷は、激痛とまではいかないが、思わず手で押さえてしまうほどには気になる程度の痛みがある。
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それでも気になるのは、昨夜の彼の凶行。そして今朝はまた、これまでの紳士的な彼に戻っている。
どうして昨夜はミハイルがあんなことを言い出したのか。
気にはなるが…………それ以上に傷が痛い。
「痛いなぁ……」
思わずこぼしてしまう。
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ミハイルはどのくらいの深さまでメスを入れたのか。にしても、麻酔もなしに外科手術の真似事とは、なかなかにミハイルという人は無茶をする。
その無茶な男はベッドから抜け出すと、キッチンの方へ歩いて行った。長いスゥエットパンツ一枚だけでもウエスト位置が高く、脚が長いのがわかる。何も着ていない上半身は適度に筋肉がつき、美しい彫刻のような体躯だ。この身体にカチッとした軍の制服を纏うのだから、誰しも憧れる美丈夫だ。
ミズキは小柄で色白、身長も低いし、筋肉だってそんなにない。そういう男らしさにあこがれてしまう。
(僕もあんなふうになれたらなぁ)
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「朝食の前に薬だけ飲んでおきましょうか」
「何の薬?」
昔から薬と効くと、催淫剤しか思い浮かばない。薬はミズキの身体に、男たちを過剰に感じさせるために使われる類のものだ。
いよいよミハイルもそういう手段に出る気か。
なるほど、昨夜、「嫌いになれ」といった理由に合点が――――いかない。
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「僕をどうするの」
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「……うん」
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「これ甘い」
もごもごと口の中で錠剤を転がしていると、ミハイルが教えてくれた。
「糖衣錠です。中身の薬剤がとても苦いので、飲みやすくするために甘いものでコーティングしてあるのです」
「ふーん……」
いい甘さだ。しつこくなくて、甘すぎない。いつまでも舐めていたい。
これが薬じゃなくて、お菓子ならいいのになぁ……と舐めていると、ミハイルから笑われた。
「アメじゃないんだからいつまでも舐めていないで。飲み込まないと効き目なんて出ませんよ」
「じゃお水ください」
ミズキが言うと、ミハイルは「お待ちください」といい、グラスの水を口に含む。
え、それ、僕にくれるんじゃないの?と思っていると、ミハイルはミズキの唇に自分の唇を重ねた。
「ん……」
口移しで水を飲まされ、小さな錠剤を飲み下す。口の端からは水が滴り、ミズキの首や胸元を濡らした。水がなくなると、今度はミハイルの舌が潜り込んできた。
口の中を全部暴かれるような深い深いキスをされ、ようやく唇が解放される。
「ちゃんと飲めましたね? 結構。じきに痛みもひくでしょう」
「普通にグラスをくれればいいのに……」
「けが人は大人しくなさっているとよろしい」
「ケガさせたのはあなただし」
キス、必要ですかと非難がましくミハイルに言うも、戸惑うミズキの唇がまた塞がれる。
「ん、ふ……」
ディスタンシアでは、他人の手が身体に触れることが恐怖だったのに。ミハイルの前ではそれをすんなり受け入れてしまっている。
身体を繋げ、生まれたままの姿をさらして朝を迎え、こうして敵に口づけされている。
それはとてもやさしいキスだ。穏やかで、心を落ち着かせてくれるが、同時に自分のおかれた立場を見失いそうになる。
以前の自分ではありえない。こうなることは汚れること、自分の身体の外も中も汚された証だ。
それなのに。
こんな扱いをされたら。
――やっぱり、死にたくない。
「ミズキ、どうしました? なんだか苦しそうですね?」
そういえば、昨夜以降、ミハイルはミズキのことを名前で呼ぶようになった。それまでは「オッドアイスナイパー殿」と慇懃に、だが思い切り無礼に呼んでいたのに。
打ち解けているわけでもない。心を通わせたわけでもない。
だけど、ミハイルのことを考えると胸が張り裂けそうだ。彼を求めてやまなくなる衝動がミズキを甘く切なく苦しめる。
なぜ彼と、敵として出会ってしまったんだろう。
どうにもならない時代の巡り合わせを嘆いても、ミズキは今捕虜であることに変わりはない。
それでも求め、焦がれる心は、押さえ付けようとするほどに飛び出ていきそうになる。
こんなの今まで感じたことがない。
ミハイルのことを考えるほどにどうしようもなくなる、この気持ちを何と呼ぶのか、ミズキには思いつかない。
(僕はどうしてしまったんだろう?)
自分でも何を望んでいるのかわからない。
この心の中のもやもやは、どうすれば収まる?
ミズキの最終的な行先は、処刑台だから、いずれ別れの時が来ることは確定している。
「ミズキ?」
「なんだか気分が悪い……」
心の中を見透かされそうで、ミズキは思わずもふりと掛布を被ると、ミハイルが「隠れるところが布団の中だなんて」とクスクス笑っている。
ひとりになりたい。誰もいない静かなところで、ゆっくりと考えてみたいけれど、捕らわれの身ではプライベートを確保できる空間はない。
もっと苛烈極まる厳しい取り調べがあるだろうと思っていたのに、むしろ、この待遇は過分すぎるほどで。
ミハイルの大きな手が、掛布の上からミズキの頭をそっと撫でる。
「あなたが戦犯でなければいいのに」
「…戦犯でなかったら?」
もしも……の希望を聞いてみたい。ミハイルと敵同士でなかったら、彼は自分をどうしたのかと。
頬が急激に熱くなるのを感じた。これは掛布を被っているせいなのか。
鼓動がどんどんと高鳴る。これではミハイルに聞かれてしまうかもしれない。
それに、あまりに熱くなりすぎて、心臓のそばに埋まっているクリスタライズが熱暴走でもしたら大変だ。爆発するかどうかは知らないけれど。
落ち着けミズキと、自分に言い聞かせてみるが、ブレーキを掛けようとするほど、このどきどきが止まらないのだ。
「僕が戦犯でなかったら、あなたはどうするんです、中将殿?」
「戦犯でなければ、このままあなたのそばにずっといます。あなたがイヤだといってもね」
「そば、に?」
「ええ」
それは本当か。
「本当に僕のそばにいてくれるの?」
嬉しくなってひょこっと掛布から顔を出して、「本当?」と聞き返す。
そんなミズキにミハイルは少し驚いたように目を丸くしたが、すぐにおかしそうにぷっとふきだした。
「本当にあなたは、恋を知らない少女のようだ」
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心と肉体が削がれていく“儀式”が、いま始まる。
上司、快楽に沈むまで
赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。
冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。
だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。
入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。
真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。
ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、
篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」
疲労で僅かに緩んだ榊の表情。
その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。
「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」
指先が榊のネクタイを掴む。
引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。
拒むことも、許すこともできないまま、
彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。
言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。
だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。
そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。
「俺、前から思ってたんです。
あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」
支配する側だったはずの男が、
支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。
上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。
秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。
快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。
――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。
鎖に繋がれた騎士は、敵国で皇帝の愛に囚われる
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BL
戦場で捕らえられた若き騎士エリアスは、牢に繋がれながらも誇りを折らず、帝国の皇帝オルフェンの瞳を惹きつける。
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憎しみと抗いのはずが、いつしか芽生える心の揺らぎ。
誇り高き騎士が囚われたのは、冷徹な皇帝の愛。
鎖に繋がれた誇りと、独占欲に満ちた溺愛の行方は――。
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結婚から五年後、幸せな日々を過ごしていたシューン・トアは、突然義父に「息子と別れてやってくれ」と冷酷に告げられる。そんな言葉にシューンは、何一つ言い返せず、飲み込むしかなかった。そして、夫であるアインス・キールに離婚を切り出すが、アインスがそう簡単にシューンを手離す訳もなく......。
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