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#12 これにはわけが
#12 これにはわけが
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薬のせいか、緩やかに眠気を感じていた。
ミハイルはミズキを相変わらず子ども扱いして、「痛いの痛いの飛んでいけ」なんてつきっきりでそばにいて、ミズキの胸の傷口を撫でていた。
それは幼いころ、ミズキがどこか痛がって泣いていると、母親がよくやってくれたおまじないだ。
ふしぎなもので、こうされると痛みが引いていく。
人の手の持つ温もりか、はたまた本当に痛みを取り去る効果があるのかはわからないが、顔をしかめるほどの疼痛と一緒に、意識も徐々に薄れ始めていた。
「おやおや、眠ってしまいましたね」
意識のどこかでミハイルの声がする。
目を開けるのもかったるいので、ミズキはそのまま目を閉じていた。ミハイルの気配をそばに感じ、何も心配しなくていい微睡に包み込まれていく中で、不意に彼の気配が離れた気がした。
しばらくして、ふっと夢のどこかで声がした。どうやら自分は少しの間、眠っていたようだ。
「はい……ああどうも。あなたでしたか」
ミハイルは誰かと話をしているようだった。人の気配がないから、たぶん電話なのだろう。
「ええ、少しの時間でしたら。あまり部屋をあけられません。最近は自室での仕事が増えたので。……ええ、すぐ伺います」
ややあって、ドアが閉じられる音がした。かつかつと規則的な靴音が遠ざかっていく。
部屋の中にまた静寂が戻る。
余計な物音がしない静けさは、ミズキの意識を眠りの海へと誘う。
清潔なベッド、あたたかでふかふかの布団を抱き枕よろしく抱きしめて、ミズキはそのまま眠ってしまった。
*****
どれくらい眠っていたかわからない。ミズキが目覚めたとき、まだ外は明るかった。
寝室となっている部屋には時計がないので、時間がわからないが、まだお昼くらいだろうと思われた。というのも、自分の腹が情けない音を立てたからだ。
「ううー…ん」
ベッドの中で大きく伸びをして「中将殿?」と呼びかけてみたが、返事はなかった。
薬が効いているのだろう、傷は痛むけれど楽にはなっている。徐々に快方に向かっているなという実感があった。
そっとベッドを抜け出して隣室をのぞくと、誰もいない。もう一度ミハイルを呼ぶも返事はなかった。
「なんかないかな……」
キッチンに行き、冷蔵庫を開ける。そこには新鮮な野菜やおいしそうな肉、オレンジやグレープなどのジュースのビンなどが整然と並んでいる。かごには白くてまんまるの卵が盛られている。
冷蔵庫にあるものも含め、なんでも飲み食いしていいとは言われている。ジュースやお菓子はわかるけれど、ミハイルはすぐに食べられるものをあまり冷蔵庫に入れていない。どの食材も一手間必要だ。
どうも自炊派でもなさそうだし、キッチンには生活感がない。
ミズキ自身、キッチンでのミハイルは、お湯を沸かすところくらいしか知らない。彼がフライパンを振り、レードルで鍋をかき回してる姿など見たことがない。
そもそもこの部屋で手作りの料理が出てきたことはなく、いつもミハイルが外から持ってきてくれる。おそらく料理の傾向からして、ジュリアの店に頼んでいるのだろう。
そのくせ冷蔵庫には、食材が満杯だ。
ミズキも料理はからっきしだ。そもそも食べ物を目の前にしても、何をどうすれば何ができるのか、皆目見当もつかない。
シュトラウスはミズキに狙撃手のスキルは教えてくれたけれど、料理は教えてくれなかった。
アルベルトは卵を焼いたり、野菜をいためたり、簡単なものはたまに作ってくれたけれど、それだって材料はおろか、作り方の想像すら浮かばない。
扉を開けたまま、思考が停止する。それなのに空腹は一度始まると、抑えがきかない。
「お腹すいた……」
念のためにすべての部屋、バスルームなどものぞいたが、ミハイルの姿はない。
大罪人を一人部屋に残すなんて不用心だ、クラリスのセキュリティはそんなに優秀なのかと思いつつ、ミズキは窓に近寄りカーテンを開ける。
窓の外にはクラリスの街並みが見える。レンガ造りの建物はどれも壊れていないし、あたりから燃え残りの煙がたってる廃墟でもない。
しばし街並みを眺めたあと、空気の入れ換えをしようとアーチ型の窓を前に押すと、鍵はかかってないらしく、簡単に窓は開いた。
冬の冷たい風が部屋の中の淀みをさーっとさらっていく。
冬の穏やかな陽光をあび、深呼吸をする。空腹を紛らわせるために、新鮮な空気を肺にため込んでいると、視界に下の通りを歩く人の影を見つけた。
その人は、スマートフォンを耳に当て、なにやら会話中だ。
なにかやらかしたのか、どうも怒られているようで、その人はスマートフォンを片手にぺこぺこ頭を下げている。
人に聞かれて都合が悪い会話を隠れてするのは、どの国でも変わらないようだ。
都合の悪さにもいろいろあるが、ここは軍の施設なのだから、おそらく上官からなにか言われたのだろう。
「上官がすんごい怖い人なのかな」
なにせ、ディスタンシアにおいてのクラリス軍は残虐非道で有名だ。
ミズキをクラリス軍に引き渡したグスタフまであっさり処刑したし、生きている人間に火をかけて村を焼き討ちなんて平気でやるのだと聞いている。
ミズキは窓枠に頬杖をつき、その人を観察していたが、その声を聞き、思わず窓枠から身を乗り出した。
「グスタフ!!」
大声で叫ぶと、その人はゆっくりとミズキの方を振り返った。
その人物は、埴輪のように目と口をぽかんとあけていたが、何かに弾かれたように踵を返して走り去る。
「まってグスタフ!!」
間違いない。あれはグスタフだ。
ミズキを裏切り、ミハイルに引き渡した張本人。
しかし、彼は死んだはずではなかったか。
追いかけたい。本物かどうか確かめたい。
いろいろ考えていられなかった。
「グスタフ!!」
窓枠を越えて、外に飛び出す。地面を踏んで追いかけようとして、足が空回りする。
そうだった!
ここはミハイルの部屋、クラリスの町並みが一望できるところ。つまり、高い位置にある部屋。
「えっ?」
身体がそのまま下へ落ちていく。
「わーっ!!!」
下まで何メートルだ?
下の地面は石畳かそれとも?
地面が高速で近づいてくる。
いろんなことが頭をぐるぐる回り始め、とっさに両手で顔を覆い、身体を丸くしたその時、膝や胸に激しく重い衝撃が襲う。
「ぐふぅっ」
昨夜の胸の傷をひどく地面にぶつけてしまって、激痛で息が出来ない。
多分どこもかしこも痛いのに、どこが一番痛いかなんてのもわからない。
「うう…」
うつ伏せになって動けずに呻いていると、犬の激しい鳴き声が聞こえる。ミズキの声に異常を検知したのだろう。地面から伝わる幾人の足音もこっちに向かってきている。
隠れないといけないのに、指の一本すら動かせない。
「うー……」
「バカおまえ、何で飛び降りた! 自殺か!」
抱き起こされ、薄く目を開けると、死んだはずのグスタフがいる。
彼がいるなら、ここは天国か? ああでも、身体に激痛を感じてるんだから、地獄かもしれない。自分は今どっちの世界にいる?
「僕、死んだ、の…?」
「はあ? ミズキ何言って」
「痛い、痛いよ…ここ地獄?」
「まだ死んでねえよ。ったく、そこの植え込みに運ぶから、じっと静かにしてろ。声を立てるなよ」
グスタフは自分のジャケットを脱ぐと、それをミズキに着せた。
「おまえ、胸が真っ赤だ。ああ、これ血か。でも、今は応急処置も出来ないな」
ミズキをそばの植え込みに横たえさせると、グスタフはズボンのポケットから小刀を取り出した。それを自分の左腕に突き立て、横たわるミズキに念押しするように「絶対動くなよ」と言い含める。
「なんとかやり過ごす。クラリスの軍用犬は敵を捕らえるために普段から腹を空かしてる。弱ったやつや子供くらいなら、そのまま餌にするくらい獰猛だからな」
「うん…」
朦朧としながら、ミズキはコクリと頷く。
遠くで聞こえた犬の鳴き声が徐々に近づいてくる。グスタフはちっと舌打ちをこぼした。
「犬どもはおまえの血の臭いを嗅ぎつけたんだろう。血の臭いは俺がケガしたってことにする」
「ごめん…」
「…来たぞ。動くなよ」
グスタフはそう言うと、ミズキを隠すように立ち上がる。気配だけで5人。地面に耳をつけているとその振動でわかる。その気配はまっすぐにこの場所に向かっている。正確に。
「ブライデン少尉!」
「ああ、どうも。どうかされたのですか?」
巡回のセキュリティが軍用犬を連れて、状況の確認に来たようだ。
植え込みの隙間、密集する枝葉の隙間からグスタフの軍靴が見える。その向こうに数人の気配。銀色の毛で覆われた動物がグスタフに襲いかからんとばかりに唸りながら飛びつこうとするのを、巡回兵士がリードを引いて制していた。
てっきりシェパードか何かだと思っていたのだが、どうも犬にしては随分と姿もなにもかも勇ましい。
毛並みだって犬と違って、ゴワゴワして堅そうだし、色は銀色。うなり声すら迫力だ。
あれはもしや――。
(犬じゃなくて、狼なんじゃないの……)
なるほど、確かにあれならば、飢えていれば血の臭いはごちそうだと思うだろう。
「ブライデン少尉、こちらで物音がしたのですが?」
「ああご苦労様です。ちょっと転んでしまってほら、腕をケガしたのです」
面目ないと、グスタフは巡回に血塗れの腕を見せているようだ。
それはたった今、グスタフ自身が傷を付けたもの。ミズキの血だと思わせないためのカムフラージュ。
「早く処置をなさってください。ところで少尉、こちらでどすんという大きな音が聴こえたのですが、少尉は聞かれていませんか?」
「私はずっとここにいましたが、そんな音は知らないですね……」
さらっとグスタフはとぼけている。
音の犯人であるミズキはまさにグスタフの後ろの植え込みでじっと息を殺していた。
巡回の犬は、血まみれのグスタフの腕ばかりが気になるようで、ミズキの小指くらいある鋭い牙をむき出して、鼻を上に「ぐるるる」と唸っている。
あんなものに噛み付かれたら、小さい子なんかはあっさり内臓まで食い破られてしまうだろうと思うと、全身にゾワリと鳥肌が立つ。
「何か異常があれば、すぐに通報します。巡回ご苦労様です」
グスタフがかつんと踵を合わせ敬礼をする。セキュリティたちは「了解しました」といい、その場を離れる。
獣の匂いと足音が遠くなり、彼らの気配がなくなると、グスタフが植え込みを覗いた。
「もう大丈夫だ。うまくごまかせた」
「出ても……平気?」
「今のところはな。動けるか?」
ゆるゆる出ようとする身体を引っ張ってくれながら、グスタフが心配そうに尋ねる。
「おまえ、捕まってからどこにいたんだ? クラリス軍の営倉じゃなかったのか」
「営倉は1日だけ……今は中将殿の部屋だよ、たぶん」
この上にあると指で指し示す。
「兄貴の部屋? おいおい、建物の3階じゃないか」
良く飛び降りたなと、グスタフはあきれ顔だ。
「部屋が何階だったとか、考える暇がなかったんだ。当たり前だろ、死んだはずの人がいたんだから……」
痛みをこらえて無理に笑みを作るが、グスタフは逆に眉根を寄せ、ため息をついた。
「兄貴から何を聞かれてる? ディスタンシア内部の話か?」
「尋問らしい尋問はないんだ……。怪我一つしていない」
「そうか」
グスタフはどこかほっとしたように息をつく。
「それよりグスタフ、腕のケガ……」
「ん? ああ、こんなもんなんてことない。とりあえずおまえを部屋に戻さないとな……」
グスタフはミズキを横抱きにする。
「おまえくらいの重量なら、兄貴の部屋までは余裕だな」
「待って」
歩き出そうとするグスタフの服を引っ張る。
「僕、ここのセキュリティを通過できるパスを持ってない」
「え?」
「ここはいろんな場所を通過するたびに、兵士が持っているパスと通信を行っているって聞いたよ。……認証が通らないとそれこそセキュリティが飛んでくるんでしょ……」
ミハイルから聞いたことをそのまま伝えると、グスタフは「まいったな」と舌打ちする。
どのみち、ミズキの立場を考えると、ミハイルだってそう長くは部屋を開けてはいないだろう。
穏便に済ませるには、ミハイルが戻る前に、ミズキが部屋に戻ることだ。
ミハイルが戻った時に、ミズキが部屋にいないというのは、とてつもなく面倒なのは想像に難くない。
もしかしたら、ミハイルは何か考えがあって、ミズキに過分な待遇を与えているのだろうが、そのミズキが姿を消したとなったら、ミハイルも間違いなく処分されてしまう。
――ミズキひとりの勝手な行動のせいで。
「困ったな……。完全ステルスでおまえを部屋に送り届けなくちゃいけないのか」
「ごめん……」
「せめてお前が歩ければいいんだが。ミズキ、どうだ。歩けそうか。どっか痛いか」
「胸が痛い。でも骨とかは大丈夫みたい……」
地面が堅い石畳ではなく、柔らかい芝生だったことが幸いしたようだ。
軽く手足を動かすと、全身に痛みはあるものの、動かないとかいうことはなさそうだ。
ただ上半身を動かすと、やはり胸の傷がズキズキと痛むが、ここに長くもいられない。
「僕、これでも軍人だから。痛いのなんかへっちゃらだよ。でも走るの、今は辛いかな……」
「頼もしいな。だが走るとバレるから俺が先導する。後ろからゆっくりついてこい。セキュリティ突破しながら、部屋まで戻るぞ」
「どうやってセキュリティを突破するの?」
「グスタフ様には裏技があるんだよ。ハッキングっていうな」
グスタフはいたずらっ子のようにニヤッと笑う。
「まあもっとも、これがバレたら俺もただでは済まないけど、前にやってバレてないから大丈夫だろ」
「ふーん、それは信じてもいい話?」
グスタフは、一度ミズキを裏切っている。だから皮肉のつもりで聞いてみたが、彼はそれを察知したのか、「信用ないなぁ」と少し残念そうに瞳を伏せる。
「おまえのことは既に軍に売った。これ以上、おまえを狙ってるやつはいない」
「本当に? 今度はディスタンシアに売ったりしないの?」
「ディスタンシアにおまえを返品ってか? それもおもしろいが、それをやると、俺は敵にも味方にもガチで殺される。それにもうおまえはクラリスに命を握られてるんだ。おまえが死ぬのは故国ではなく、この国の土の上だ。兄貴もそのつもりな……」
かしゃん。
ミズキの耳が何かを捕らえた。その音はミズキがよく知っている音だ。
かすかだけれど、ぼんやりしたら命を取られる音。
「グスタフ、伏せて!」
とっさに狙撃手だと感じ、反射的にミズキはグスタフに飛びついて、地面に押し倒す。二人の身体が地面に着いた瞬間、パシンとすぐ横の地面で何かが弾けた。
「グスタフ、頭上げないで!」
「なんだよミズキ、どうした……」
「スナイパーがいる!」
「ちょっ、マジか!」
相手がどこから撃ってきているのか、場所が正確にわからない。ミズキとグスタフは匍匐で植え込みにもぐって姿を隠すが、その間も二人の脇を石のつぶてが跳ね上がる。
グスタフが身体を固くし、ちっと舌打ちをこぼした。
「ここはクラリス軍の宿舎だぞ。敵は市街地にいるということか」
「でも腕が悪いわけではなさそうだよ。僕たちを外しているように見えて、僕らのそばに撃ってきてる。それこそ、きれいに僕らに沿って線を引くみたいに」
「だが軍の施設には、一定の高さに空間センサーが設けられている。施設の塀を越えるものは何にせよ、センサーにかかるはずなんだが」
「じゃあ、そのセンサーがかからない場所から撃ってるということだね」
「センサーがかからない場所?」
それはきっととミズキが口を開きかけたとき、どこかでかしゃっと金属の音がした。それはさっき同じ音だ。
「リロードの音だ……敵は近くにいるよ、グスタフ」
「リロード?」
「たぶん……音が聴こえる範囲だから、割と近くにいるはずだよ。外じゃなくて、この施設の中。サプレッサー付けて狙ってるんだろうね」
施設内のどこかで狙ってるのだろうと告げると、グスタフが小さく唸る。
「マジか……」
これでは完全ステルスどころではない。すでに居場所がバレて狙撃されているのだ。
狙われたのはミズキなのか、グスタフなのか。
どのみち、こういうふうに狙っているのだから、暗殺されそうになっているのは間違いない。
ミズキは地面にうつぶせになり、右耳をそっと地面につけた。
地面からは特異な振動は何も聞こえてこないし、相手の気配は地面から伝わってこない。
だが相手はすぐそばにいる。それもミズキとグスタフを正確に狙える位置に。
「軍の施設で暗殺とは敵もなかなかやるな。俺たちを狙うんだから、ディスタンシア軍ということか?」
それはどうだろうねとミズキが返事を返そうとすると、急にぶーんぶーんと規則的な振動がどこからか聞こえた。
「悪い、俺の電話だ」
グスタフはシャツの胸ポケットから黒いスマートフォンを取り出したが、そのディスプレイを見るや否や、どういうことか彼の表情が凍り付く。
「マジかよ……」
「グスタフ?」
「見ろよ」
グスタフが見せてくれたディスプレイには「ミハイル・ブライデン」の名前。
「なんだってこんな時にかけてくるんだよ。なんて誤魔化そう……」
大した用事もないくせに、とグスタフは毒づく。
「兄貴は本当に空気を読まなくて困る。この非常時に」
「兄貴? 中将殿はグスタフのお兄さんなの?」
「後で説明してやる。さて、ミズキ、黙ってろよ。下手に声を出すと、俺たち二人、怒られるくらいじゃ済まねえぞ」
いいおいて、グスタフはディスプレイを指でなぞる。
「もしもし……」
『いつまでそこに隠れているのです? グスタフ。そしてミズキ』
あたりが静かな分、ミハイルの低い声が電話から漏れ聞こえてくる。名指しされた二人は思わず『マジか』とばかりに互いの顔を見合わせ、どちらからともなく身体を寄せあった。
人間も動物も同じだ。怖いものに出くわすと、自然と己を守ろうとする防御反応と、怖さを和らげるために他人の存在を必要とする。
「兄上、その、これにはわけが」
『なんでも結構です。理由はゆっくり聞きましょう。さあそこから出てきなさい。でなければ……』
言葉が切れる前に、グスタフの目の前で地面が弾けた。
『この弾をあなたの頭に命中させますよ、グスタフ』
「兄上、理由を聞いてはもらえませんか」
『その必要はない』
今度はミズキのすぐ脇に弾が飛んでくる。
「わっ」
本能的に身体を半分だけ浮かせて避けると、グスタフにごろんと転がって潰すような形になってしまう。
状況からすれば、ミハイルが撃ってきたに違いない。地面にぽつとあいた小さな穴。それはミハイルが放った弾の痕。
『そんなところで身体を寄せ合ってないで、さっさと出て来なさい。セキュリティは心配しなくて結構。私がエントランスまで迎えに下ります。さあさっさとなさい。私は待つのが好きではない』
「了解です、兄上」
ミハイルの機嫌は相当に悪い。相手の姿は見えないというのに、グスタフは俯せの姿勢でびしっと右手を額の横に添え、最敬礼の姿勢を取る。
『グスタフ、ここは職場ですよ。私は一応、あなたの上官になるのですよ』
「申し訳ありません。あにう、ひえっ!」
またグスタフのそばに容赦なく弾が撃ち込まれる。
『そこで犬の餌になりたいのですか? 私は構いませんよ。あなたがいなくなれば、心配の種が一つ減るというもの』
「……はい、申し訳ありません……」
「僕も……いろいろごめんなさい……」
思わずミズキも謝罪を述べたが、ミハイルからの返事はなかったようで、通話を切った音だけが無常に流れる。
そのかわり、ミズキとグスタフの後ろで、さくさくと芝生を踏む音が聴こえてきた。
ミハイルが激怒して撃ってきた弾の気配でも察知して、またセキュリティがやってきたのか。だとすれば、この状況は今度こそ説明が面倒になる。
「グスタフ……」
その音は迷いなくこちらに近づいてくるではないか。ミズキは思わずグスタフの服の袖をぎゅっとつかんだ。
気配は背後からだ。誰がやってきたのか確かめたいところだ。
しかしこの状況で不用意に動けない。植え込みの中だ。がさがさ音がするだろうし、動けば絶対に……ばれる!
不意に頭上から光が差した。仰ぎ見れば、誰かが二人の隠れている植え込みの木をどかせて覗いている。逆光になっているその人の表情は、ミズキもグスタフもよく知っている人だ。
「兄上!」
「中将殿」
ほぼ同時に声を上げた二人に、その人は穏やかに言った。
「あなたたちが遅いので、迎えに来ましたよ。さあ出てらっしゃい」
優しげなその声と、射貫くような視線でふたりを見下ろすその笑顔が、不気味なほどの低さと冷たさを纏っている。
「中将殿、これにはわけが」
「兄上、そのこれにはわけが」
どちらからともなく言い訳を始める。実際のところ、これはミズキが蒔いた種であるが、元をたどれば、ミハイルの嘘から始まっているのだ。理由を話せば、ミハイルだってわかってくれる。
だが
「早く!」
二人の言い訳をミハイルは一喝で黙らせる。
ミズキとグスタフは慌てて我先にと植え込みから這い出たのだった。
ミハイルはミズキを相変わらず子ども扱いして、「痛いの痛いの飛んでいけ」なんてつきっきりでそばにいて、ミズキの胸の傷口を撫でていた。
それは幼いころ、ミズキがどこか痛がって泣いていると、母親がよくやってくれたおまじないだ。
ふしぎなもので、こうされると痛みが引いていく。
人の手の持つ温もりか、はたまた本当に痛みを取り去る効果があるのかはわからないが、顔をしかめるほどの疼痛と一緒に、意識も徐々に薄れ始めていた。
「おやおや、眠ってしまいましたね」
意識のどこかでミハイルの声がする。
目を開けるのもかったるいので、ミズキはそのまま目を閉じていた。ミハイルの気配をそばに感じ、何も心配しなくていい微睡に包み込まれていく中で、不意に彼の気配が離れた気がした。
しばらくして、ふっと夢のどこかで声がした。どうやら自分は少しの間、眠っていたようだ。
「はい……ああどうも。あなたでしたか」
ミハイルは誰かと話をしているようだった。人の気配がないから、たぶん電話なのだろう。
「ええ、少しの時間でしたら。あまり部屋をあけられません。最近は自室での仕事が増えたので。……ええ、すぐ伺います」
ややあって、ドアが閉じられる音がした。かつかつと規則的な靴音が遠ざかっていく。
部屋の中にまた静寂が戻る。
余計な物音がしない静けさは、ミズキの意識を眠りの海へと誘う。
清潔なベッド、あたたかでふかふかの布団を抱き枕よろしく抱きしめて、ミズキはそのまま眠ってしまった。
*****
どれくらい眠っていたかわからない。ミズキが目覚めたとき、まだ外は明るかった。
寝室となっている部屋には時計がないので、時間がわからないが、まだお昼くらいだろうと思われた。というのも、自分の腹が情けない音を立てたからだ。
「ううー…ん」
ベッドの中で大きく伸びをして「中将殿?」と呼びかけてみたが、返事はなかった。
薬が効いているのだろう、傷は痛むけれど楽にはなっている。徐々に快方に向かっているなという実感があった。
そっとベッドを抜け出して隣室をのぞくと、誰もいない。もう一度ミハイルを呼ぶも返事はなかった。
「なんかないかな……」
キッチンに行き、冷蔵庫を開ける。そこには新鮮な野菜やおいしそうな肉、オレンジやグレープなどのジュースのビンなどが整然と並んでいる。かごには白くてまんまるの卵が盛られている。
冷蔵庫にあるものも含め、なんでも飲み食いしていいとは言われている。ジュースやお菓子はわかるけれど、ミハイルはすぐに食べられるものをあまり冷蔵庫に入れていない。どの食材も一手間必要だ。
どうも自炊派でもなさそうだし、キッチンには生活感がない。
ミズキ自身、キッチンでのミハイルは、お湯を沸かすところくらいしか知らない。彼がフライパンを振り、レードルで鍋をかき回してる姿など見たことがない。
そもそもこの部屋で手作りの料理が出てきたことはなく、いつもミハイルが外から持ってきてくれる。おそらく料理の傾向からして、ジュリアの店に頼んでいるのだろう。
そのくせ冷蔵庫には、食材が満杯だ。
ミズキも料理はからっきしだ。そもそも食べ物を目の前にしても、何をどうすれば何ができるのか、皆目見当もつかない。
シュトラウスはミズキに狙撃手のスキルは教えてくれたけれど、料理は教えてくれなかった。
アルベルトは卵を焼いたり、野菜をいためたり、簡単なものはたまに作ってくれたけれど、それだって材料はおろか、作り方の想像すら浮かばない。
扉を開けたまま、思考が停止する。それなのに空腹は一度始まると、抑えがきかない。
「お腹すいた……」
念のためにすべての部屋、バスルームなどものぞいたが、ミハイルの姿はない。
大罪人を一人部屋に残すなんて不用心だ、クラリスのセキュリティはそんなに優秀なのかと思いつつ、ミズキは窓に近寄りカーテンを開ける。
窓の外にはクラリスの街並みが見える。レンガ造りの建物はどれも壊れていないし、あたりから燃え残りの煙がたってる廃墟でもない。
しばし街並みを眺めたあと、空気の入れ換えをしようとアーチ型の窓を前に押すと、鍵はかかってないらしく、簡単に窓は開いた。
冬の冷たい風が部屋の中の淀みをさーっとさらっていく。
冬の穏やかな陽光をあび、深呼吸をする。空腹を紛らわせるために、新鮮な空気を肺にため込んでいると、視界に下の通りを歩く人の影を見つけた。
その人は、スマートフォンを耳に当て、なにやら会話中だ。
なにかやらかしたのか、どうも怒られているようで、その人はスマートフォンを片手にぺこぺこ頭を下げている。
人に聞かれて都合が悪い会話を隠れてするのは、どの国でも変わらないようだ。
都合の悪さにもいろいろあるが、ここは軍の施設なのだから、おそらく上官からなにか言われたのだろう。
「上官がすんごい怖い人なのかな」
なにせ、ディスタンシアにおいてのクラリス軍は残虐非道で有名だ。
ミズキをクラリス軍に引き渡したグスタフまであっさり処刑したし、生きている人間に火をかけて村を焼き討ちなんて平気でやるのだと聞いている。
ミズキは窓枠に頬杖をつき、その人を観察していたが、その声を聞き、思わず窓枠から身を乗り出した。
「グスタフ!!」
大声で叫ぶと、その人はゆっくりとミズキの方を振り返った。
その人物は、埴輪のように目と口をぽかんとあけていたが、何かに弾かれたように踵を返して走り去る。
「まってグスタフ!!」
間違いない。あれはグスタフだ。
ミズキを裏切り、ミハイルに引き渡した張本人。
しかし、彼は死んだはずではなかったか。
追いかけたい。本物かどうか確かめたい。
いろいろ考えていられなかった。
「グスタフ!!」
窓枠を越えて、外に飛び出す。地面を踏んで追いかけようとして、足が空回りする。
そうだった!
ここはミハイルの部屋、クラリスの町並みが一望できるところ。つまり、高い位置にある部屋。
「えっ?」
身体がそのまま下へ落ちていく。
「わーっ!!!」
下まで何メートルだ?
下の地面は石畳かそれとも?
地面が高速で近づいてくる。
いろんなことが頭をぐるぐる回り始め、とっさに両手で顔を覆い、身体を丸くしたその時、膝や胸に激しく重い衝撃が襲う。
「ぐふぅっ」
昨夜の胸の傷をひどく地面にぶつけてしまって、激痛で息が出来ない。
多分どこもかしこも痛いのに、どこが一番痛いかなんてのもわからない。
「うう…」
うつ伏せになって動けずに呻いていると、犬の激しい鳴き声が聞こえる。ミズキの声に異常を検知したのだろう。地面から伝わる幾人の足音もこっちに向かってきている。
隠れないといけないのに、指の一本すら動かせない。
「うー……」
「バカおまえ、何で飛び降りた! 自殺か!」
抱き起こされ、薄く目を開けると、死んだはずのグスタフがいる。
彼がいるなら、ここは天国か? ああでも、身体に激痛を感じてるんだから、地獄かもしれない。自分は今どっちの世界にいる?
「僕、死んだ、の…?」
「はあ? ミズキ何言って」
「痛い、痛いよ…ここ地獄?」
「まだ死んでねえよ。ったく、そこの植え込みに運ぶから、じっと静かにしてろ。声を立てるなよ」
グスタフは自分のジャケットを脱ぐと、それをミズキに着せた。
「おまえ、胸が真っ赤だ。ああ、これ血か。でも、今は応急処置も出来ないな」
ミズキをそばの植え込みに横たえさせると、グスタフはズボンのポケットから小刀を取り出した。それを自分の左腕に突き立て、横たわるミズキに念押しするように「絶対動くなよ」と言い含める。
「なんとかやり過ごす。クラリスの軍用犬は敵を捕らえるために普段から腹を空かしてる。弱ったやつや子供くらいなら、そのまま餌にするくらい獰猛だからな」
「うん…」
朦朧としながら、ミズキはコクリと頷く。
遠くで聞こえた犬の鳴き声が徐々に近づいてくる。グスタフはちっと舌打ちをこぼした。
「犬どもはおまえの血の臭いを嗅ぎつけたんだろう。血の臭いは俺がケガしたってことにする」
「ごめん…」
「…来たぞ。動くなよ」
グスタフはそう言うと、ミズキを隠すように立ち上がる。気配だけで5人。地面に耳をつけているとその振動でわかる。その気配はまっすぐにこの場所に向かっている。正確に。
「ブライデン少尉!」
「ああ、どうも。どうかされたのですか?」
巡回のセキュリティが軍用犬を連れて、状況の確認に来たようだ。
植え込みの隙間、密集する枝葉の隙間からグスタフの軍靴が見える。その向こうに数人の気配。銀色の毛で覆われた動物がグスタフに襲いかからんとばかりに唸りながら飛びつこうとするのを、巡回兵士がリードを引いて制していた。
てっきりシェパードか何かだと思っていたのだが、どうも犬にしては随分と姿もなにもかも勇ましい。
毛並みだって犬と違って、ゴワゴワして堅そうだし、色は銀色。うなり声すら迫力だ。
あれはもしや――。
(犬じゃなくて、狼なんじゃないの……)
なるほど、確かにあれならば、飢えていれば血の臭いはごちそうだと思うだろう。
「ブライデン少尉、こちらで物音がしたのですが?」
「ああご苦労様です。ちょっと転んでしまってほら、腕をケガしたのです」
面目ないと、グスタフは巡回に血塗れの腕を見せているようだ。
それはたった今、グスタフ自身が傷を付けたもの。ミズキの血だと思わせないためのカムフラージュ。
「早く処置をなさってください。ところで少尉、こちらでどすんという大きな音が聴こえたのですが、少尉は聞かれていませんか?」
「私はずっとここにいましたが、そんな音は知らないですね……」
さらっとグスタフはとぼけている。
音の犯人であるミズキはまさにグスタフの後ろの植え込みでじっと息を殺していた。
巡回の犬は、血まみれのグスタフの腕ばかりが気になるようで、ミズキの小指くらいある鋭い牙をむき出して、鼻を上に「ぐるるる」と唸っている。
あんなものに噛み付かれたら、小さい子なんかはあっさり内臓まで食い破られてしまうだろうと思うと、全身にゾワリと鳥肌が立つ。
「何か異常があれば、すぐに通報します。巡回ご苦労様です」
グスタフがかつんと踵を合わせ敬礼をする。セキュリティたちは「了解しました」といい、その場を離れる。
獣の匂いと足音が遠くなり、彼らの気配がなくなると、グスタフが植え込みを覗いた。
「もう大丈夫だ。うまくごまかせた」
「出ても……平気?」
「今のところはな。動けるか?」
ゆるゆる出ようとする身体を引っ張ってくれながら、グスタフが心配そうに尋ねる。
「おまえ、捕まってからどこにいたんだ? クラリス軍の営倉じゃなかったのか」
「営倉は1日だけ……今は中将殿の部屋だよ、たぶん」
この上にあると指で指し示す。
「兄貴の部屋? おいおい、建物の3階じゃないか」
良く飛び降りたなと、グスタフはあきれ顔だ。
「部屋が何階だったとか、考える暇がなかったんだ。当たり前だろ、死んだはずの人がいたんだから……」
痛みをこらえて無理に笑みを作るが、グスタフは逆に眉根を寄せ、ため息をついた。
「兄貴から何を聞かれてる? ディスタンシア内部の話か?」
「尋問らしい尋問はないんだ……。怪我一つしていない」
「そうか」
グスタフはどこかほっとしたように息をつく。
「それよりグスタフ、腕のケガ……」
「ん? ああ、こんなもんなんてことない。とりあえずおまえを部屋に戻さないとな……」
グスタフはミズキを横抱きにする。
「おまえくらいの重量なら、兄貴の部屋までは余裕だな」
「待って」
歩き出そうとするグスタフの服を引っ張る。
「僕、ここのセキュリティを通過できるパスを持ってない」
「え?」
「ここはいろんな場所を通過するたびに、兵士が持っているパスと通信を行っているって聞いたよ。……認証が通らないとそれこそセキュリティが飛んでくるんでしょ……」
ミハイルから聞いたことをそのまま伝えると、グスタフは「まいったな」と舌打ちする。
どのみち、ミズキの立場を考えると、ミハイルだってそう長くは部屋を開けてはいないだろう。
穏便に済ませるには、ミハイルが戻る前に、ミズキが部屋に戻ることだ。
ミハイルが戻った時に、ミズキが部屋にいないというのは、とてつもなく面倒なのは想像に難くない。
もしかしたら、ミハイルは何か考えがあって、ミズキに過分な待遇を与えているのだろうが、そのミズキが姿を消したとなったら、ミハイルも間違いなく処分されてしまう。
――ミズキひとりの勝手な行動のせいで。
「困ったな……。完全ステルスでおまえを部屋に送り届けなくちゃいけないのか」
「ごめん……」
「せめてお前が歩ければいいんだが。ミズキ、どうだ。歩けそうか。どっか痛いか」
「胸が痛い。でも骨とかは大丈夫みたい……」
地面が堅い石畳ではなく、柔らかい芝生だったことが幸いしたようだ。
軽く手足を動かすと、全身に痛みはあるものの、動かないとかいうことはなさそうだ。
ただ上半身を動かすと、やはり胸の傷がズキズキと痛むが、ここに長くもいられない。
「僕、これでも軍人だから。痛いのなんかへっちゃらだよ。でも走るの、今は辛いかな……」
「頼もしいな。だが走るとバレるから俺が先導する。後ろからゆっくりついてこい。セキュリティ突破しながら、部屋まで戻るぞ」
「どうやってセキュリティを突破するの?」
「グスタフ様には裏技があるんだよ。ハッキングっていうな」
グスタフはいたずらっ子のようにニヤッと笑う。
「まあもっとも、これがバレたら俺もただでは済まないけど、前にやってバレてないから大丈夫だろ」
「ふーん、それは信じてもいい話?」
グスタフは、一度ミズキを裏切っている。だから皮肉のつもりで聞いてみたが、彼はそれを察知したのか、「信用ないなぁ」と少し残念そうに瞳を伏せる。
「おまえのことは既に軍に売った。これ以上、おまえを狙ってるやつはいない」
「本当に? 今度はディスタンシアに売ったりしないの?」
「ディスタンシアにおまえを返品ってか? それもおもしろいが、それをやると、俺は敵にも味方にもガチで殺される。それにもうおまえはクラリスに命を握られてるんだ。おまえが死ぬのは故国ではなく、この国の土の上だ。兄貴もそのつもりな……」
かしゃん。
ミズキの耳が何かを捕らえた。その音はミズキがよく知っている音だ。
かすかだけれど、ぼんやりしたら命を取られる音。
「グスタフ、伏せて!」
とっさに狙撃手だと感じ、反射的にミズキはグスタフに飛びついて、地面に押し倒す。二人の身体が地面に着いた瞬間、パシンとすぐ横の地面で何かが弾けた。
「グスタフ、頭上げないで!」
「なんだよミズキ、どうした……」
「スナイパーがいる!」
「ちょっ、マジか!」
相手がどこから撃ってきているのか、場所が正確にわからない。ミズキとグスタフは匍匐で植え込みにもぐって姿を隠すが、その間も二人の脇を石のつぶてが跳ね上がる。
グスタフが身体を固くし、ちっと舌打ちをこぼした。
「ここはクラリス軍の宿舎だぞ。敵は市街地にいるということか」
「でも腕が悪いわけではなさそうだよ。僕たちを外しているように見えて、僕らのそばに撃ってきてる。それこそ、きれいに僕らに沿って線を引くみたいに」
「だが軍の施設には、一定の高さに空間センサーが設けられている。施設の塀を越えるものは何にせよ、センサーにかかるはずなんだが」
「じゃあ、そのセンサーがかからない場所から撃ってるということだね」
「センサーがかからない場所?」
それはきっととミズキが口を開きかけたとき、どこかでかしゃっと金属の音がした。それはさっき同じ音だ。
「リロードの音だ……敵は近くにいるよ、グスタフ」
「リロード?」
「たぶん……音が聴こえる範囲だから、割と近くにいるはずだよ。外じゃなくて、この施設の中。サプレッサー付けて狙ってるんだろうね」
施設内のどこかで狙ってるのだろうと告げると、グスタフが小さく唸る。
「マジか……」
これでは完全ステルスどころではない。すでに居場所がバレて狙撃されているのだ。
狙われたのはミズキなのか、グスタフなのか。
どのみち、こういうふうに狙っているのだから、暗殺されそうになっているのは間違いない。
ミズキは地面にうつぶせになり、右耳をそっと地面につけた。
地面からは特異な振動は何も聞こえてこないし、相手の気配は地面から伝わってこない。
だが相手はすぐそばにいる。それもミズキとグスタフを正確に狙える位置に。
「軍の施設で暗殺とは敵もなかなかやるな。俺たちを狙うんだから、ディスタンシア軍ということか?」
それはどうだろうねとミズキが返事を返そうとすると、急にぶーんぶーんと規則的な振動がどこからか聞こえた。
「悪い、俺の電話だ」
グスタフはシャツの胸ポケットから黒いスマートフォンを取り出したが、そのディスプレイを見るや否や、どういうことか彼の表情が凍り付く。
「マジかよ……」
「グスタフ?」
「見ろよ」
グスタフが見せてくれたディスプレイには「ミハイル・ブライデン」の名前。
「なんだってこんな時にかけてくるんだよ。なんて誤魔化そう……」
大した用事もないくせに、とグスタフは毒づく。
「兄貴は本当に空気を読まなくて困る。この非常時に」
「兄貴? 中将殿はグスタフのお兄さんなの?」
「後で説明してやる。さて、ミズキ、黙ってろよ。下手に声を出すと、俺たち二人、怒られるくらいじゃ済まねえぞ」
いいおいて、グスタフはディスプレイを指でなぞる。
「もしもし……」
『いつまでそこに隠れているのです? グスタフ。そしてミズキ』
あたりが静かな分、ミハイルの低い声が電話から漏れ聞こえてくる。名指しされた二人は思わず『マジか』とばかりに互いの顔を見合わせ、どちらからともなく身体を寄せあった。
人間も動物も同じだ。怖いものに出くわすと、自然と己を守ろうとする防御反応と、怖さを和らげるために他人の存在を必要とする。
「兄上、その、これにはわけが」
『なんでも結構です。理由はゆっくり聞きましょう。さあそこから出てきなさい。でなければ……』
言葉が切れる前に、グスタフの目の前で地面が弾けた。
『この弾をあなたの頭に命中させますよ、グスタフ』
「兄上、理由を聞いてはもらえませんか」
『その必要はない』
今度はミズキのすぐ脇に弾が飛んでくる。
「わっ」
本能的に身体を半分だけ浮かせて避けると、グスタフにごろんと転がって潰すような形になってしまう。
状況からすれば、ミハイルが撃ってきたに違いない。地面にぽつとあいた小さな穴。それはミハイルが放った弾の痕。
『そんなところで身体を寄せ合ってないで、さっさと出て来なさい。セキュリティは心配しなくて結構。私がエントランスまで迎えに下ります。さあさっさとなさい。私は待つのが好きではない』
「了解です、兄上」
ミハイルの機嫌は相当に悪い。相手の姿は見えないというのに、グスタフは俯せの姿勢でびしっと右手を額の横に添え、最敬礼の姿勢を取る。
『グスタフ、ここは職場ですよ。私は一応、あなたの上官になるのですよ』
「申し訳ありません。あにう、ひえっ!」
またグスタフのそばに容赦なく弾が撃ち込まれる。
『そこで犬の餌になりたいのですか? 私は構いませんよ。あなたがいなくなれば、心配の種が一つ減るというもの』
「……はい、申し訳ありません……」
「僕も……いろいろごめんなさい……」
思わずミズキも謝罪を述べたが、ミハイルからの返事はなかったようで、通話を切った音だけが無常に流れる。
そのかわり、ミズキとグスタフの後ろで、さくさくと芝生を踏む音が聴こえてきた。
ミハイルが激怒して撃ってきた弾の気配でも察知して、またセキュリティがやってきたのか。だとすれば、この状況は今度こそ説明が面倒になる。
「グスタフ……」
その音は迷いなくこちらに近づいてくるではないか。ミズキは思わずグスタフの服の袖をぎゅっとつかんだ。
気配は背後からだ。誰がやってきたのか確かめたいところだ。
しかしこの状況で不用意に動けない。植え込みの中だ。がさがさ音がするだろうし、動けば絶対に……ばれる!
不意に頭上から光が差した。仰ぎ見れば、誰かが二人の隠れている植え込みの木をどかせて覗いている。逆光になっているその人の表情は、ミズキもグスタフもよく知っている人だ。
「兄上!」
「中将殿」
ほぼ同時に声を上げた二人に、その人は穏やかに言った。
「あなたたちが遅いので、迎えに来ましたよ。さあ出てらっしゃい」
優しげなその声と、射貫くような視線でふたりを見下ろすその笑顔が、不気味なほどの低さと冷たさを纏っている。
「中将殿、これにはわけが」
「兄上、そのこれにはわけが」
どちらからともなく言い訳を始める。実際のところ、これはミズキが蒔いた種であるが、元をたどれば、ミハイルの嘘から始まっているのだ。理由を話せば、ミハイルだってわかってくれる。
だが
「早く!」
二人の言い訳をミハイルは一喝で黙らせる。
ミズキとグスタフは慌てて我先にと植え込みから這い出たのだった。
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