クリスタライズ~ある狙撃手へのレクイエム~

浅倉優稀

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#20 一計

#20 一計

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 クラウス海軍大将は、執務室で写真立てを前にひとり飲んでいた。
 まだ日が高い。酒を飲むには早すぎる時間だが、今日はそれが許される日だ。
「アルベルト、おまえはどこにいるんだ……」
 互いに酒豪だったから、飲み始めたら止まらない。潰れるという事はなかったが、あの日を境にクラウスは酒量が減っていき、今ではそんなに飲めなくなってしまった。
 その『あの日』――は、親友の姿が忽然と消え、軍籍から名前が消えた日。
 それから毎月『あの日』になると、こうして彼の写真を前に酒を飲んでいる。
 今日はいわゆる月命日だ。
 だが、クラウスはまだアルベルトの死を受け入れられなかった。
 アルベルトの遺体も帰ってこない。ディスタンシアから何のアナウンスもない。
 あれほど職務に忠実だった男が、何の痕跡も残さないまま死んでいるはずがない。
 それにディスタンシアがアルベルトほどの男を捕らえたなら、黙っているわけがない。公開処刑をするぞと声高に騒ぎ立て、クラリスに何らかの要求をしてきているはずだ。
 それにクラリスには、愛娘のジュリアがいる。娘のことを心の底から愛していた男が、ジュリアを置いて死ぬはずなんかない――クラウスはそう信じていた。
 だからこそ情報が欲しい。この際、生きているのか、死んでいるのか、どちらでもいい。
 アルベルトの痕跡をなんとしても辿り、彼がどこで何をしているのか知りたかった。
 それには、かの国ディスタンシアの実情を知る人物ミズキから話を聞く必要がある。どうせミハイルはあの戦犯をいずれ処刑台に送るつもりだろうし、多少痛めつけたとしても構わないだろう。
「なぜミハイルは、あの異色光彩オッドアイに尋問をしないんだ……」
 今までなら、ミハイルの尋問が始まった途端、罪人は皆、自ら罪を告白した。その告白が真実かどうかはさておき、罪人の誰もが処刑台に引きずり出されたときに、一番ほっとしたような穏やかな顔で、今から自分が向かう空の果てを見つめながら目を細めていた。
 それほどまでにミハイルの尋問は苛烈なのだと、クラウスは部下から聞いていた。
 それなのに――あの異色光彩はまだ生きているという。
 むしろなぜ、今まで傷ひとつつけずに大切に匿っているのかが理解できない…
 早くあのディスタンシアの狙撃手から、親友の行方を聞き出したい。もし親友がディスタンシアで殺されていたなら、それと同等、いやそれ以上をもって、あの狙撃手の身体と心に痛みを刻み込まなければならないのだ。
「アルベルト……貴様、どこにいる?」
 問いかけても返事はない。
 写真の中の親友は、右側にずいぶんと偏って立ち、軍の正装をして笑っている。陸軍大将就任記念に軍庁舎の前で撮った一枚。シャッターを押したのはクラウスだ。
 アルベルトの隣が空いているのは、娘をそこに立たせる予定だったからだ。
 しかし、ジュリアは恥ずかしがってアルベルトと一緒に写ろうとしなかったのだ。
『ジュリア、父親の晴れの日だぞ。そこに立って。並んで写真を撮ろう』
 クラウスがそういうと、ジュリアは『育児放棄をして手にした勲章じゃない』と顔をそむけて横に立とうとはしなかった。
 確かにアルベルトは毎日忙しくしていたから、あまりジュリアの面倒を見てやれていなかった。
 初めての幼稚舎、初めての小学校、結婚式。彼女の晴れの日に、アルベルトがいたことはなかった。アルベルトの代わりを務めたのは、いつだってクラウスだ。
 それでも彼女に何かしらの祝いをしてやる想いはあったようで、しばしばクラウスに「これをジュリアに持っていってくれ」と贈り物を渡してきた。
『自分でジュリアに渡せばいいじゃないか』と半ばあきれていると、アルベルトは頭を掻きながら『俺が行ったら、あいつはまず受け取らない。だからクラウスからだと言って渡してくれ』と言ってきかなかった。
 ジュリアはきっとその贈り物の主が誰なのかを、知っていたに違いないと、クラウスは思っている。
 クラウスはアルベルトに言われたとおりにジュリアに贈り物を渡していたが、ジュリアはいつも『ありがとう。……って言っておいて』と照れ臭そうにぷいと顔を背けていた。
 アルベルトとジュリアは、クラウスをはさんで親子の絆をなんとか繋いでいる状態だった。ともに家族を心底愛しているくせに、それをうまく伝えられない。
 クラウスは、そんな不器用な親子を見てやれやれと苦笑していたものだ。
 そんな親友とともに、母国を守れる職に就き、互いに肩を並べて海と陸のトップに上り詰めた。
 それはクラウスにとって誇りだった。親友とともに生まれた国を、そして親友の娘の行く末も見守る。クラウスが描く輝かしい理想の道は、アルベルトがいてこそのものだ。
 その親友の姿がないまま時間が過ぎていくだけなんて――。
「アルベルト……」
 手酌で2杯目のウイスキーを注いでいると、ドアがノックされた。
「海軍大将、宜しいでしょうか」
「入れ」
「失礼します」
 ドアが開き、入ってきたのはクラウスの部下のヴィルヘルム・クレッチマンだ。風に揺れればダイヤモンドダストのきらめきが見えそうな、白銀の髪を軍人らしく短く刈り上げ、すらりとした体躯に海軍の白い軍服がよく似合う。そこにぶら下がる勲章は、彼の努力の証だ。
 ヴィルヘルムの目下の目標はミハイルと肩を並べることカウンターパートなのだが、残念なことに人望がないので未だ出世の道が拓けないという、上に立つ人間としては致命的な欠陥を持っている。
 彼は白いマントをなびかせながらクラウスの前に来ると、かつんと靴を鳴らして敬礼をした。細い銀フレームの奥の鋭い薄刃のような視線がいつにもましてギラついている。
 どうやら今日のヴィルヘルムは、機嫌がかなり悪そうだった。
「申し訳ありません、クラウス大将」
 ヴィルヘルムはいきなりクラウスに頭を下げる。
「戦犯の連行、失敗しました」
「ミハイルが邪魔をしたか?」
 失敗するとすれば、理由など限られている。海軍大将の命令を無かったことにできるのは、同じ地位のミハイルしかいない。クラウスがそれを問うと、ヴィルヘルムはその美しい顔を露骨に歪ませた。
「大将に足止めをしていただいたのですが……申し訳ありません」
「謝ることはない。ミハイルはそういう男だ。アレはいろんなところに先手を打っているし、私もあまり期待をしていなかった」
「期待をしていない?」
「ああ」
「それは私が無能だという事ですか?」
 ヴィルヘルムの刺々しい問いに、クラウスは「期待をする方に無理があったんだ」と続けた。
「私の指示であることは隠せと命令した。それだけなら力づくで戦犯を連れてこれただろう。だが、ミハイルのことだ、命令の根拠がはっきりしないものに従えないと突っぱねた――そうだろう?」
「――はい」
「アレは勘がいい。俺は勘のいい奴は大好きだが、アレの場合は忌々しい」
「……おっしゃる通りです、大将」
 ヴィルヘルムの眉間に深い皺が寄るのを見て、クラウスは苦笑した。
 ミハイルとヴィルヘルムは、陸と海の眼鏡将校と呼ばれている。ミハイルは黒のロングコート、ヴィルヘルムは白いロングコートと、互いに似たような恰好をしているせいもあるが、彼らの仲は水と油だ。
 とりわけ、ヴィルヘルムはミハイルのことが話題に上ると、その美しい顔をみるみる歪ませる。
 ヴィルヘルムとミハイルは同時期に軍に入隊した。だが、先に手柄を立てるのは、いつもミハイルだった。出世も彼の方が早く、ミハイルは陸軍のトップに立ったというのに、自分はクラウスの下にいる海軍のナンバー2だ。
 同じように成果を上げているのに、評価はミハイルよりも低い。
 ヴィルヘルムは常に自分の頭を押さえ続けているミハイルのことが気に入らない。クラウスもそれをよく知っていた。同時に、その嫉妬こそが、ヴィルヘルムの昇進を妨げている原因であることも。
 軍律だけで部下を制御するミハイルと、彼への嫉妬で部下に当たり散らすヴィルヘルムでは器が違いすぎる。ヴィルヘルムの部下たちが辟易しているのを知らないのは、当の本人だけだ。
 彼がそれに気づけない限り、上に立たせるわけにはいかないとクラウスは考えている。
 その彼に戦犯強奪を指示したわけだが、やはりと言うか、予想通りと言うか、ヴィルヘルムはまたもミハイルによって邪魔をされ、こうして尻尾を巻いて帰ってきている。
「ミハイル・ブライデン……。さすがはアルベルトが見込んだ男だ。我が親友は軍にとって有能な人物を育成したわけだが、あいかわらず目障りな小童だ。しかも今のアレは陸軍大将。うかつに手も出せん」
「なぜアルベルト大将は、ミハイルを後釜に据えたのでしょうか」
「優秀だからに決まっているだろう。アレは軍律のみで動く。私情は挟まん。だから何もかもがスムーズに動く。部下が不満を言う暇もないくらいにな。もしアレが我が海軍にいたら、俺だってアレにこの座を譲る。アレに任せておけば、その後は安心だ。陸軍は早く代替わりをした。しばらくは若いミハイルの天下だ。陸軍がそう簡単に崩れることも、弱体化することもなかろうて。海軍にもそんな若手がいればいいんだがな」
 言った後でしまったと思ったが、時は既に遅い。ヴィルヘルムは険しい顔をして肩を震わせていた。
「すまないなヴィルヘルム、決しておまえのことを能無しとか間抜けだとか思っているわけではないぞ。ただミハイルの方が一枚上手だという事だ」
「……ええ、わかっております」
 部屋の床をどろどろとねちっこく這うかのごとく、低いヴィルヘルムの声がさらに獰猛さを増した。
「大将はいつもご自分に正直でいらっしゃる。思った通りのことを私にぶつけてくださいます。私はそれをよく理解しているつもりです」
――理解どころか、ブチぎれている。クラウスは心の中でため息をついた。
「ですが、私も最近のミハイルのやり方には疑問があります。以前の彼なら、戦犯はとっくに処分されているでしょうに、噂では過分な待遇を与えていると聞きます」
「それだ。あの異色光彩はわが軍の将校や要人を何人も暗殺した大罪人だ。それなのに、アレが戦犯に対して尋問すらも行っていない。実に不思議な話だ。なぜアレが罪人を匿うのか、その理由が知りたいがな」
「それなら、私に案がございます」
「案?」
 クラウスが怪訝そうに問うと、ヴィルヘルムは声を少し落とした。
「私が聞いた話では、ミハイルはジュリアの店によく足を運ぶとのことです。なんでもミハイルにとってジュリアは義理の姉、よく食事に行くそうですが、そこになんとあの戦犯がよく同行しているそうです。ジュリアに協力してもらうのはどうでしょうか。例えば……戦犯のメニューをめまいがするほどの特別な調味料を混ぜたメニューにしてもらうとか。相手がジュリアであれば、ミハイルは疑いすら持たず、体調を崩した戦犯の介抱を任せるでしょう」
「ジュリアの店に? アレは戦犯を外に連れて歩いているのか?」 
「私の部下の何名かがそれを目撃しています。ミハイルが連れ歩いている同行者の特徴などを聞きましたが、目の色が違うと誰もが言うので、ほぼ間違いないかと」
「罪人をジュリアの店に? はて、アレの兄貴の死因はなんだった?」
「……ディスタンシアの狙撃手による暗殺です」
「それなのに、アレは自分の兄貴の仇かも知れない男を、兄貴の妻だった女の店に連れて行っているというのか」
 クラウスは口元に手を当てふうむと唸る。
 ジュリアのことは生まれたときから知っている。何かと留守がちだったアルベルトに代わって、ジュリアの成長をずっと見てきた。
 自分の夫が戦死した時も、棺の前で涙一つ見せなかった。ジュリアにとっては義理の弟にあたるミハイルですら、まだ少年だったグスタフの手を引き、実兄の遺体を前に涙をこぼしていた。
 黒いワンピースを着て、口を真一文字に引き結ぶジュリアは、感情を乱すことなく葬儀に臨んだ。誰の目にも悲しすぎるほど気丈だった彼女は、夫が埋葬された後、夫婦が過ごした部屋の中で初めて声を上げて泣いた。
 許されるなら、夫を殺したやつをこの手でぶっ殺してやりたい。嗚咽しながら悲しみに暮れる彼女の激しい怨嗟を、クラウスはドアを一枚隔てた外でずっと聞いていた。
 普段は闊達に見えても、その内に秘めるものは、渦を巻いてうねる炎のように誰よりも激しい。クラウスの知るジュリアとはそういう娘だ。
 ミハイルがジュリアの店に連れていく人物が『誰』なのか、ジュリアに聞いてみるのもいいかもしれない。
「うまくすれば、アレも大人しく従うだろう」
 ミハイルが邪魔立てするなら、彼が立てている道をすべて潰すのみ。
 そして、あの異色光彩から親友の居場所を聞き出さねばならない。 
 戦争は終わったのだ。
 クラウス自身の戦いを終わらせるためにも、あの狙撃手には必ず償いをさせてやる――。
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