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#36 開廷
#36ー3
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※※※
同じ頃。ミズキは罪状認否を行っていた。
ミズキはこの国では罪人だ。ディスタンシアの「軍人」として潔く死ぬことに悔いはない。
心残りはミハイルのことだけだ。灰色の空と瓦礫ばかりのディスタンシアの隣にある、平和な世界を教えてくれた愛しい人。その人の名誉だけでも守りきりたい。
自分が罪を全て受け入れ、ミハイルに何も追及がないのなら、もうそれでいい。
起訴状にはたくさんの罪状が並んでおり、いちいち「相違ありませんか」と確認が入る。
正直なところ、クラリス軍の誰を殺害したかなんて覚えていないどころか、その人の詳しい素性まではわからない。
スナイパーライフルの弾は貫通力が高い。時には一発で2人まとめて頭を吹き飛ばしたこともあるから、ミズキが殺したとされる人物の名を読み上げられても、一体誰なのか見当もつかなかった。
やったことには違いない。この際、犠牲者が多めに見積もられていたとしても、ミズキには認めるしか術がない。
次の犠牲者の名前が読み上げられる。しかしこの時点で、クラウスの名前はまだ読み上げられていなかった。
ミズキは敵国の狙撃手。立場は著しく悪い。クラリス軍の将校ばかりを狙い撃ちにし、その仕上げが海軍大将なのだから、ただですむはずがない。
「あなたはクラリス軍第二旅団ヘンドリック・ブライデン連隊長を狙撃し殺害した。それに相違はありませんか?」
半ば聞き流すように起訴状の読み上げを聞いていたが、ミズキの耳がある名前を捉えた。
「ヘンドリック•ブライデン……」
自然とその名が口から漏れ出た。
ミハイルの名前と同じだ。そしていつぞや、ミハイルは言っていた。
ーー自分の兄は、狙撃兵に暗殺された、と。
おそらくそれは間違いなく自分の罪。その名はジュリアの夫だった人。そして大好きなミハイルの兄だった人の名前。
ミズキにとって大好きな人たちの大切な人たちを、この手で奪った。戦争というおかしな波に翻弄された結果だとしても、ミズキのこの手は大切な人たちの未来を正確に、そして残酷に撃ち抜いた。
「ブランケンハイム被告、相違ありませんか?」
再度問われる。ミズキは裁判長をまっすぐに見据え、はっきりと答えた。
「相違ありません」
「相違ありませんね?」
「はい」
ミズキはゆっくりと頷いた。
「彼は間違いなく……僕が殺しました」
震える声でミズキは罪を認めた。射殺した将校のどれがミハイルの兄なのかは正直分からない。
「本当に相違ありませんね?」
今までとは違う確認をされる。
「相違ありません」
これまでは「罪を認める」と答えていれば、それ以上の追及はなかった。なのにこの質問に関してだけ、裁判長は念押しをして、ミズキにその認否を問う。
この人物に関してだけ、クラリスの国家的に何かあるのだろうかとも思ったが、そんな説明をしてくれるわけもなく、裁判長はゆっくりとうなづいた。
「一つ申し上げておきます。ブランケンハイム被告、よく聞いてください」
「……はい」
いったい何だろうか。
開廷してからもうずいぶん時間が経っている。起訴状の読み上げだけで1日が終わりそうだから、余計な時間をとっていていいのだろうかとミズキが訝しんでいると、ややあって裁判長が口を開いた。
「ここはあなたの犯した罪に対して、有罪かどうかを審理する場所です」
「はい……」
どういうことだ?
「ブランケンハイム被告、あなたは先ほどから確認において、全て自分の罪であると認めている。ディスタンシアの狙撃兵によって暗殺された将校はそこそこの数に上る。だが、先ほどのあなたの返事は、今までとは違った」
……違った? いったい何を言っているんだろう。ミズキは首を傾げた。
「僕がやったから、やったと答えましたが、何か問題だったでしょうか?」
「あなたにとって確かな記憶ならば良いが、違うことは違うとはっきり否定をしてください」
「……なぜ今更そんなことを?」
裁判長の言うところが分からない。軍事裁判なんて、戦争に勝利した側が敗戦国の兵を裁くものだ。
とりあえず、敗戦国の人間に対し、法的な私刑を加えるものなのにーーとミズキは思っている。
それなのに、違うことは違うと言え、だって?
「……暗殺なら、ほとんど僕がやったことで間違い無いと思いますが」
「そう思っているのは、あなただけです。あなたはご存知ないかもしれないが、ディスタンシアにはクリスタライズというものがある。あなたもかの国の兵士であるなら、その存在を知っていると思います」
「……はい」
そうだ。クリスタライズは兵士のプライドだ。美しく輝くクリスタルのように、眩く煌めきながらその命を散らして敵にダメージを与える、兵士自身を武器とする自爆装置だ。
「……クリスタライズは、僕たちディスタンシア軍兵士のプライドです」
ミズキが答えると、裁判長は「そうですね」と続けた。
「殺害された兵士の中には、爆弾に巻き込まれて死んだ者もいます。そういった者も起訴状には入っています。あなたは狙撃手だったのだから、殺すとすれば射殺だと思います。爆弾テロではない。どうせ有罪になるのだから、こんな裁判は意味がないと思っているかもしれませんが、かの国の罪をあなたが全てかぶる必要はありません。記憶をたぐるのも大変でしょうが、あなたはあなたのやったことだけに関して認否してください」
「……はい」
まともそうなことを言うが、ミズキ自身正直覚えていない。クリスタライズで死亡した人までの認否をしろと言われても、無理がある。それこそ意味などないのではないか。
とりあえず返事をすると、また起訴状の読み上げが始まった。
機械的な返事をしていると、「ではこれが最後になります」と裁判官が述べた。
「あなたはクラリス海軍のクラウス上級大将を尋問中に射殺した。これに相違ありませんか?」
クラウスと言う名前を聞いて、ミズキがハッと顔を上げる。
「ごしゅ……じ、さ……ちが……」
全身の血が凍りつくような感覚に、ミズキは無意識に自分の体をかきいだく。
途端に心臓の鼓動が早まり、自分の呼吸音、身体中の血が流れる音、いろんな音が頭の中で耳障りなノイズを生んでいた。
記憶が曖昧でも、この体がクラウスから受けた淫らな時間を覚えている。
「僕、ぼく、は……」
「被告人? どうかしましたか?」
必死に呼吸を整える。ここはあの尋問室ではないはずなのに、周囲の景色が薄暗い地下室に変わる。
ミズキはたった今、戦犯として裁判を受けているーそのはずだ。
そう強く意識するように自分の理性に「ここは違うのだ」と念押しして、ゆっくりと気持ちを立て直す。
それなのに、クラウスの影が消えない。
自分の頭の中か、それとも目の前か、亡霊の残影が鮮やかに蘇る。視界もグラグラ回って、酷い乗り物酔いにも似たような気持ち悪さを感じ、何だか吐きそうだ。
あの地下室、散々にクラウスに抱かれ、彼の徴が身体の中にも外にもこびりついていた自分。その腐臭が漂っているような気がして、ミズキはえずきながら胸を押さえて体を二つに折った。
(ミズキ……おまえはずっと俺と一緒にいるんだ……)
気を抜けば、クラウスが耳元で囁いているような錯覚すら覚える。
クラウスから逃げ出したい。ここにいれば彼にまた貫かれて、男娼へと堕ちてしまう。そこから逃れようとして、ミズキは車椅子から滑りおちた。
早くここから逃げないと。クラウスに首根っこを掴まれそうな気がして、怖くてたまらない。
(俺と一緒にいると、おまえは言っただろう?)
彼がーーどこかにクラウスがいる。
床を這いずって逃げようともがくが、四肢が痺れて力が入らない。この間にもクラウスがすぐそばに来ているような気がして。
いやだ。こんな大勢がいる場所で、クラウスに抱かれてしまうのか。
ーー僕は……僕は……
錯覚が混乱を呼び、理性が吹き飛び、意識がおかしくなってくる。自分は今どうなっているのかわからないまま、ミズキはただ己の傍に感じるクラウスの亡霊に翻弄されていた。
「裁判長!」
背後でガタンと何かが倒れる音と同時に、シュラルドが声をあげた。
「ミズキ!大丈夫か!」
「へい……き……僕……」
法廷の床しか見えていなかった視界が、一気に反転する。
「ミズキ、ミズキ!」
誰かがミズキを抱き起こしてくれた。必死にそれが誰か確認する。
「先生……」
「喋るな、いいからじっとしていろ」
ミズキの視界に飛び込んできたのは、シュラルドだった。この腕の中がクラウスではなくてホッとする。
だが彼は何か怒っているようだった。
「審理の一時停止を! 被告の容態がおかしい!」
「介助人の発言は認めていません。静かにしてください」
「明らかに無理です!こんな状態の被告に、審理の内容を理解させて認否させるなんてどうかしてる!」
ミズキを腕に抱き留めたシュラルドと裁判長の怒気含むやり取りが始まった。
確かにクラウスはミズキが殺した。そうでなければ、ミハイルが殺されていた。自分はどうなってもよかった。その行動に嘘も偽りも恥もない。
大好きな人をクラウスから守り抜けたのだから、もうそれだけで満足だ。
なのにどうして自分の心は、過去の亡霊に怯えてしまうのか。
自分はいつだってそう、臆病で怖がりだ。ミハイルの手によってクラリスに連れてこられた時は、シュトラウスの幻影に怯えた。そして今はまた自分を好きに嬲った男の恐怖に震えている。
こんなにも自分は弱かったのか。
自分は何人もの将校を手にかけた、誇り高きディスタンシアの強い軍人であるはず。
なのにどうして。
「大丈夫かミズキ」
戦慄に震えるミズキの肩を抱き、背中をシュラルドの手が優しく支えてくれている。
それはミハイルの手の優しさにも似ていて、少しだけ落ち着きが戻ってくる。
「ミズキいいか、ゆっくり息をするんだ。何か思い出してしまったんだな。だけど心配するな。俺がいる」
「先生……僕……」
「無理に喋らなくていい」
「介助人は指定の場所で着席してください!」
裁判長の指示が再度飛んだ。シュラルドはミズキの背中をさすりながら、その場に立ち上がった。
「主治医として、人命尊重の観点から、しばしお時間をいただきたい! わがクラリスの法律人たちは、弱者をいたぶって有罪とするのが職務か!?」
「最初に申し上げたはず。介助人のーー」
「こんな状態では、いいも悪いも判断できない。こんな状態で何をもって彼を裁くのか!」
「介助人、今は審理中です」
「クラリスの法曹は、いつからそこまで腐った!」
シュラルドがミズキを支えながら叫んだ。
「明らかに審理に臨める体調じゃない! ここの法曹たちは、これが戦犯ではなく、クラリス人を裁く時にも同じような策を取るのか?」
「しかし……」
「こんな状態のやつをここに立たせるのが、公平な裁判だって言うのか! クラリスの法律は弱者をいたぶる審理のやり方を旨としているのか!?」
クラリスは、捕虜に対して規律を守る国だ。ディスタンシアのような扱いはしないというのが建前だ。
シュラルドの叫びは、目の前の法曹たちだけでなく、クラリスの国民に向けた問いのようにも聞こえ、誰一人として反論の声はなかった。
「先生……僕、だいじょうぶ……」
「バカいえ、顔が青い。声も身体も震えているじゃないか」
「ちょっとだけ……怖かっただけ。でももう大丈夫。先生がいてくれるから」
あの男がここにいるわけがない。クラウスは確かに自分が撃ち殺した。
それとも、彼はミズキが忘れられず、黄泉に連れて行こうとしているのか。
ミズキを執拗に嬲った、狂気宿るクラウスの眼光が体をがんじがらめにしているような気さえしてしまう。
「被告人、審理を続けられそうですか?」
陪審員の1人が心配そうにミズキに尋ねる。
「少し休まれたほうが……」
「大丈夫……です」
「本当に大丈夫ですか?」
「本当に……大丈夫。先生ごめんなさい、少し手伝ってください」
シュラルドに介助を申し出ると、シュラルドは無言で頷いた。
彼に支えられながら、震える四肢に力を入れて、何とか車椅子に座り直す。それを確認すると、シュラルドは片膝をつき、ミズキの傍に座った。
「裁判長、付き添いの許可を。被告はまだ動揺している。あらゆる危険を避けるために、彼の横で付き添うことを許可願いたい」
シュラルドの申し出に、裁判長が頷いた。
「審理中の発言は認めません。被告のサポートのみに徹してください」
「もちろんです」
「被告人もそれでよろしいですか?」
シュラルドが側にいてくれるなら心強い。ミズキも頷いた。
「お騒がせしました……審理の再開をお願いします」
「では、クラウス海軍大将殺害についてのところから続けます」
「はい」
ミズキが返事をした瞬間、隣室のあたりから何か大きな音のうねりみたいなものが響いてきた。それはミズキたちがいる場所の空気を激しく揺さぶるようでもあり、この異変に誰もが気づいていた。
「なんだ?」
「何の音だ、隣か?」
「隣は陸軍大将の裁判だろ、何か騒ぎになっているのか?」
傍聴者たちは落ち着きなく、音のした方に振り向き、首を傾げている。
耳をすませば、隣では何か誰かの怒号のような、歓声のような……くぐもった音が微かに漏れ聞こえていたが、それが何かまではわからなかった。
「皆さん、静粛に。クラウス上級大将殺害についての質問を続行します。あなたは海軍のクラウス上級大将より尋問を受け、その最中に彼を殺害した。その事実に相違ありませんか?」
「……相違、ありません」
「殺したのはあなたではなく、ミハイル・ブライデン陸軍上級大将ではないのですか?」
「違います。殺したのは彼ではありません。僕です」
「なぜ殺したのか、理由を聞かせてください」
「理由……」
「そうです。あなたは尋問を受けている最中にクラウス大将を殺害した、となっています。ですが、多数の証言によるとその場には陸軍大将もおり、クラウス大将を殺したとされる武器は、陸軍大将が持っていたと」
正確には、クラウスを殺した銃は、2人で持っていたことになる。ミズキの手にミハイルが手を重ね、2人で殺したーー。
「再度伺います」
裁判官が硬い声でミズキに問う。
「本当は陸軍大将が殺したのではないのですか?」
「いいえ」
ミズキは首を横に振った。
正直なところ、あの地下室の記憶の大部分は曖昧でぼやけている。ただ、ミハイルがミズキを助けに来てくれたのははっきり覚えている。
そしてクラウスを殺した銃を持っていたのはミズキだ。ミハイルの手が重なってはいたけれど、引き金を引いたのは、自分の指だ。そこだけは覚えている。
「殺したのは僕です。何なら、銃の指紋をもう一度調べてみてはいかがですか。トリガーに手をかけたのは、間違い無く僕です」
「殺害の理由は何ですか? 脱走でも企てましたか?」
脱走? そんなチンケな理由なんかじゃない。
「ブライデン氏を……彼を守りたかったから、です……」
ついいつもの呼び方が口をついて出そうになり、ミズキは寸前で言葉を飲み込んだ。
「守りたかった? なぜ」
「それは……」
ミズキの発言に、「どういうことだよ」「尋問中だろ、海軍の」「なんで陸軍関係あるんだよ?」と傍聴席からどよめきが起きる。
「皆さん、静粛に」
かぁんと澄んだ音を響かせ、木槌が傍聴者の騒ぎを鎮めるが、一度湧き上がった疑問は好奇心に炙られ、どんどんその声が大きくなる。
「静粛に! 指示に従えない場合は強制退出となります!」
傍聴人の誰もがこのミズキの裁判の行方が気になるのだろう。
この裁判は、ただの軍事裁判ではない。クラリス全軍を本気にさせた狙撃手。それがクラリスの基地内において、海軍大将まで殺害した。半ばショーのようなこの裁判を最後まで見届けたいのだろう。傍聴席はすっと静かになった。
「では続けます。ブライデン陸軍大将を守りたかった、というのはどういうことですか?」
「クラウス氏……ですか。あの人はブライデン氏を殺そうとした」
体の震えが止まらない。今でもはっきり思い出せる。クラウスは本気だった。本気でミズキを一生飼うつもりだった。
「クラウス大将がブライデン大将を殺そうとした? それはどうして?」
「……それは」
「あなたはその場にいたのですよね。当時のこと、2人のやりとり、覚えているでしょう?」
それはそうだ。大将が尋問中の捕虜を「救出に」来るなんておかしな話だ。
おそらくミハイルのことだから、クラウスを殺したのは自分だと言い張っているに違いない。このままではミハイルも、そしてミハイルの弟であるグスタフまでもが謗りを受け、全てを失うことになるかもしれない。
ミズキがあの地下室でクラウスと情事に耽っていたことを話せば、話の辻褄が合うはずだ。
「僕を取り返しにブライデン氏は尋問室に来ました。でもクラウス氏は……僕のことを……自分のものであると言って、僕を離さなかった」
「ええっ!?」
陪審員たちが首を傾げ、目を見開いている。表情はそれぞれだが、おそらくは誰もミズキの言っていることが理解できていないようだった。
「僕がクラウス氏と何をしていたか、説明しましょうか」
声も身体も震えている。それでもミズキは何とか平静を保とうと強く意識した。ここが正念場だ。ここを乗り越えないと、ミズキが納得できる形で終わらないし、ここにいる人たちも、クラウスが何をしたかを詳細に話さないときっと納得しない。
あの部屋でのおぞましい毎日など、思い出したくもない。
腰を振って男を煽り、その精を身体中で受け歓喜していた自分の存在など、できることなら今すぐ消してしまいたいくらいだ。
「ミズキ、どうした。息が荒いぞ」
横にいるシュラルドが、ミズキにしか聞こえないような小声で話しかけてきた。
「話したくないことは無理に話さなくていい。黙秘したっていいんだぞ」
「そうは……いかないよ」
話さずに済むならそうしたいが、今のミズキの立場を考えると、ここでの黙秘権は心象を悪くするだけのように思えた。
それにさっき「説明しましょうか?」なんて啖呵も切っている。さらには、クラウスの件に関しては、ミハイルとの共犯、もしくはどちらか一方の主導ということで収める気のようでもある。
彼の裁判を見ていなくてもわかる。隣室で彼がミズキのために戦ってくれていることも。
ミハイルは絶対にミズキを苦しめたりする方法をとったりしない。
だから、真実を話し、彼に罪が重くのしかかるのを防がなくては。
ミズキはゆっくりと深呼吸をすると、裁判長、そして裁判長席の下に並ぶ陪審員たちを見回した。
「僕はクラウス氏と体の関係を持っていました」
「体の……関係……え?」
「ちょっと待って、ブランケンハイム氏、あなたは……」
陪審員たちの口から驚きが漏れ、常識と非常識の間で混乱しているのが見て取れる。
「もう一度言います。クラウス氏と僕は体の関係を持っていた。だけどこれだけは信じてほしい。まともな尋問であるなら、その最中に命を落としたとしても別に良かった。僕のやったことは、この国の大切な人を傷つけた。だから銃殺でもなんでも受け入れる覚悟はある」
そこに嘘偽りはない。
「でも僕は、どうせ死ぬなら僕を捕まえた人に殺されたいと思った。僕はその人だけでなく、その人の家族、友人、みんなを傷つけた」
かつて心底願った。どうせ死ぬならミハイルに殺されたい、と。好きな人に撃たれて死ぬなんて、この上ない幸せだと。
だからミハイルのところに、どうしても帰りたかった。ミズキの意識がこの世界から切り離される瞬間まで、黒衣の悪魔と称される大切な人の側にいたいから。
「その人の恨みを全身で受けて死にたい、それをかなえるために、クラウス氏から提示された交換条件を飲んだだけ」
「交換条件? 被告、それはクラウス氏の提示なのですね?」
「はい」
「クラウス大将は、あなたに何の条件を提示したのですか?」
また法廷がざわざわとノイズに揺れた。普通なら、捕縛した敵兵に要求するのは、相手が持っている情報とその命だけのはずなのに、ミズキの告白でここにいる全員が狐につままれたようになっている。
無理もないよな、とミズキは思う。
普通に話を聞いていたら、不可解という絵に黒い絵の具でも盛られて、何も見えなくなっていくだけの展開に彼らは臨んでいる。
話の核どころか、話を受け止める糸口すら全く見えてこない陪審員たちも、前のめり気味にミズキの話に耳を傾け、常識ではありえない話を、なんとか自分で理解できるところに落とし込もうと必死なのが見て取れた。
「ブライデン氏の元へ帰してほしければいうことを聞けと言われて、何度も薬みたいなものを打たれ、彼にされるがまま体を暴かれました」
「薬……何の薬かは分かりますか?」
聞かれてミズキは首を横に振った。
「分かりません。ただ、僕が初めてクラウス氏の尋問を受けた際、薬剤注射を受けました。自白剤の類だと思っていましたが、正直、そこから記憶も曖昧です。薬を打つとお腹がそんなに空かなくなるし、眠気も飛ぶから、食事なんかまともにとってなかった」
抱かれて、貫かれて、注がれて……クラウスを御主人様と呼び、彼がミズキにもたらすこと全てに、ミハイルの幻影を重ねたあの日々。
「クラウス氏の言う事を聞いていれば……ブライデン氏の元に帰してくれると。だから僕は彼の言う通りにしました。洋服もすべて剥ぎ取られて、僕は裸のまま、クラウス氏と……」
悔しい。どうしてこんなに惨めな気分になるのだろう。ミズキはうつむいて、唇を噛みしめる。
薬を打たれて酩酊していたとしても、男を誘って受け入れてしまう自分の体が憎らしくてたまらない。
どうしてシュトラウスは、ミズキに男を受け入れる方法など叩き込んだのか。男と交わる方法など知らないまま、兵士として死んだほうがよほどマシだった。
自分を縛っていた運命の呪縛は、いったいミズキをどこへ連れて行く気なのか。
確かに、ミズキの命運はここにきて動き出した。クラリスに来て、ミズキは自由も不自由も味わった。だけど、ここに来てから、太陽輝く青空の下にはほとんど出ていない。
死ぬ時くらいは、空の下で、と思う。犠牲者の無念が壁の穴の数だけ澱む営倉の処刑場ではなく、風が流れる穏やかな空の下で、自らが行くべき場所を見上げたまま、そこに行けることを願ってその瞬間を迎えたいと思う。
誰もがミズキのことを何を知らないままで、ただ罰して殺して欲しかったのに。
「ブランケンハイム被告、よろしいですか」
ゆるいウェーブの髪を後ろで一つにまとめ、細くて丸いフレームのメガネを掛けた、若い女性陪審員の1人がおずおずと手を挙げ、裁判長の方を向く。裁判長は無言でうなづき、陪審員へ発言の許可を与えた。
彼女は立ち上がると、ミズキに一礼した。
「審理の進行とは少しそれますが、私はあなたにどうしても伝えたいことがあります」
「……なんでしょうか」
男が男を抱く媾合の事実など、普通には理解できない話を聞かされたのだ。どうせ、ひどい言葉をぶつけられるに決まっていると、ミズキは身構える。
「あなたが受けた壮絶な状況が少し読み取れました。正直なところ、あなたが受けた心の傷、それが現実にあったことなのか私にはまだ理解が難しい。そしておそらく、あなたが絶対知られたくなかったことだと思います。それを勇気を出して告白してくれたことを、まず感謝します」
陪審員は再度頭を下げ、ミズキもそれに倣って一礼したが、彼女の言葉が胸に刺さって離れない。
ーー感謝、とは?
不可解だ。感謝されるようなことなど、ミズキはしていない。いったいこの人は何をミズキに言おうとしているのか。だが、その口調からして、ミズキを軽蔑する意図はなさそうだ。ミズキは黙って、彼女の話に耳を傾けた。
「クラリスではそれが軍事裁判である場合、本来私たちは検察のような質問をしません。敗者を裁くような場所ですから、被告に弁護人がついても形だけで、有罪に持っていくような議論の展開します。なぜなら、すでに確証が取れ、証拠も揃っている状態で確認作業をするようなものだからです」
「はい……」
どうしてこの場で、クラリスの裁判のあり方の説明を始めたのか、ミズキは首を傾げたが、陪審員はミズキをまっすぐ見つめたまま話を続ける。
「質問等は裁判官が行い、私たちはただあなたがしたことによって、有罪が無罪かを決めます。ですが、あなたの告白は、それが有罪なのか無罪なのか、私たちがそんな簡単に決められる話ではない……ここにいる全員が、あなたの闇に触れ、そこに隠された真実に動揺しています」
「え……」
男に体を差し出した自分など、故郷だったら銃殺刑だし、クラリスでも大して変わらないだろうと思っていたのに、ミズキの予想とは真逆の空気に逆にミズキが驚いていた。
「僕を……汚いとか、軽蔑とかしないんですか……」
「あなたを軽蔑? どうして」
「僕は……男性に体を差し出し、受け入れた。生命の営みに逆行することをしたんです。その結果、彼を殺した……。あなたたちは僕を汚らしいとは思わないんですか」
「思いません」
逡巡の間もなく、はっきりとした意思の通った返答に、ミズキの胸が熱くなる。
「どうして……?」
「むしろそんな状況下にいて、あなたが我慢強くよく耐えたと思っています。私なら、そんな屈辱的なことを強制されて、それをこの場で不特定多数を前に告白するなんて……考えただけでもゾッとします」
ミズキの心が何やらふっと軽くなる。
できれば自分とクラウスの情事の真相など知られず、殺した事実のみだけミズキ1人が背負い込んで墓場に持っていくつもりだった。しかし、ここをはっきりさせなければ、ミハイルの今後に関わってくる。
それでも、あの状況を思い出し、口にするのは、砂を噛み締め、飲み込むような苦しさだ。そして誰もがミズキのことを嫌悪するだろう。それは遠い昔、子供の頃にミズキを狙撃手に育て上げたシュトラウスから問われたことだ。
思い出せる。暗い地下室、寒い冬の夜。自分はあの時、両親を殺した。両親は嘘つきなのだとシュトラウスは言った。
ーー嘘つきはいけない。おまえは世界中の人から嫌われるんだ。それでもいいのか?
この法廷で嘘はつかなかったが、クラウスに抱かれたことを知られた今、クラリス中の遺恨に、生理的な嫌悪までもがミズキにのしかかり、指をさされて見せ物にされるのだろうと思っていた。
どうして、ミズキの闇を知って、ここの人たちは自分のことを拒絶しないのか。
「ふっ……ううっ……ひっ……」
ミズキの置かれた境遇を慮り、受け入れてくれる言葉に触れ、自分自身を縛っていた呪縛が解かれたような気がした。それは嗚咽となり、ミズキの全身を震わせた。
色の違う瞳、父親譲りの顔……自分が持つ何もかもが大嫌いだった。
だから、他人も同じようにミズキのことを嫌うと思っていたのに。
「ふぐっ……う……」
涙が止まらない。
「ブランケンハイム被告」
名を呼ばれて、ミズキは涙に濡れた顔を上げる。
「あなたの誇り高き強さに敬意を。そしてあなたが生きることを諦めないでくれたことに感謝します」
「……なんでお礼を言うんです? 僕が……したことは……」
「あなたがこうして話してくれなければ、クラウス大将の闇は暴けないままだった」
「でも……僕は、僕……うっ……」
伝えたい言葉はたくさんあるのに、嗚咽にしかならない。どんな事情であれ、今まで「生きていたこと」に感謝されたことなどない。しかもこの国においては自分は戦犯で、なおかつ軍の人間を射殺した犯人だ。
「本来、断罪と言うものは、自らが犯した罪と向き合うことで、初めて課せられた懲罰が有効となるのだと思っています。あなたは確かに罪を犯した。でもそうなるに至った背景は、まだまだ謎が多すぎる。今すぐ『あなたは銃殺だ』と言い渡すのはとても簡単ですが、今のあなたにそれだけを押し付けても意味がない」
彼女の言葉は穏やかなさざ波のように、法廷全体を包み込み、誰もが無言で頷いていた。それは煽るだけのアジテーションではなく、事の本質に目を向けようとする空気を生んでいた。
ミズキの頬をはらはらと涙が伝い落ちる。拒絶されないことが嬉しくもあり、同時に辛い。
いろんな感情や思い出が、ミズキを飲み込んでいた。悲しいことも嬉しいことも。生きることだけに必死だった。でもクラリスに来て運命は変わった。
この審理はあっさり終わるはずではないのかーー。「はいあなた有罪、明日処刑」これくらいの速さで決まると思っていたのに、ここにいるみんながミズキのことを思って言葉を投げかけてくれる。
ミハイル率いる特殊部隊に捕えられた時は、目を潰され、耳や鼻も削がれ、無惨に殺されて犬の餌くらいになるのだろうと思っていた。本国で、クラリス兵は残虐だと聞いていたからだ。
それがどうだ。こんな展開など、予想していなかった。傍聴席からも啜り泣くような声が聞こえてくる。皆がミズキの闇に触れ、その残酷で悲しい運命に自らを重ねているようにも思えた。
「クラウス大将殺害の件は、あなたにとってはまた身体を暴かれるような審理となるでしょうが、この場でできる限り話していただけますか?」
「はい」
陪審員に促され、ミズキは頷いた。
****
ミハイルは傍聴者の騒ぎをただ黙って目を閉じて聞いていた。
皆口々に己の混乱を吐き出している。中にはミハイルの言うことは全て嘘だとかかり、怒鳴り声を上げる者もいた。
粗暴ではあるが、人によっては美髯公の好々爺で通っていた男だ。だから、捕えた戦犯相手に拷問を加えるならまだしも、性的虐待とは。
一度湧き上がってしまった興味は、それが危険な香りを漂わせるほど魅力的だ。もはやそこでミズキが何をされたのか、どう淫らだったのか、そちらの方を全員が知りたがっていた。
「静粛に! みなさん静粛に!」
木槌がもはやエイトビートでも刻みそうな勢いで、静かにしないものは出て行けと傍聴者に圧力をかけ始めるが、一向に騒ぎは収まりそうにない。
「あなた方は、そこまで堕ちたのか!」
この耳障りな下卑た騒ぎの壁に穴を開けたのは、ミハイルだった。彼は一言で民衆を黙らせると、ややあって先を続けた。
「まさにこの話は、あなたがた下衆な連中の興味を強く引くことでしょう。人間である以上、それはしかたないことかもしれません。しかし、下衆の興味だけでこの真相を知りたがるなら、あなたたちは誇り高きクラリス国民ではなく、私が射殺した海軍大将と同じだ!」
「………」
法廷内が一瞬で水を打ったようになる。俯いたり、目を逸らしたり、誰もがミハイルの言葉にさまざまに反応する。
「クラリスの法は、たとえ犯罪者であっても、罪人の尊厳、誇りを傷つけるようなやり方を旨としないはずです。だから私は海軍大将を射殺した。それが罪なら、私は喜んでその罰を受け入れる」
その言葉に嘘偽りなどない。無謀な匹夫の勇でもなければ、妥協でもない。
ただ、己の信じる通りに、意思を貫くだけだ。
「取り調べ中、私の身を案じてくれた人に感謝を申し上げたいが、私は自身に誇りを持って、はっきりと申し上げたい」
胸を張って言える。恋のために甘んじて殉じるのでもなく、自分の行動に恥じることもない。
ただまっすぐに、自らの信を貫く。
「先ほど、この審理において、今の私の発言を正確に盛り込んでいただけると約束した」
ミハイルは、彼らの言質を取るかのように、居並ぶ法曹たちをゆっくりと見回した。
「海軍大将を殺したのは、間違いなく私だ」
****
ミズキの審理が終わり、シュラルドは誰もいない診察室にいた。
まもなく日が変わる。壁にかけられた時計が、深夜12時をさそうとしていた。
今日はいつも仕事とはまた違った疲労感があった。それは肉体的ではなく、精神的なものだった。
公判が始まり、おそらく軍はミズキを処刑する方法で魔女裁判のように話を展開するだろうと見ていたが、予想に反して、法曹たちはミズキを公平に審くつもりのようだった。
判決は後日言い渡されることとなったが、その話の中でクラウスに関する不審な動きが明らかになった。
と言うのもここ最近、軍内部で医薬品、とりわけ麻薬や劇薬の類が無断で持ち出されていたようで、管財はその行先と持ち出した人間を特定するため、密かに調査を行っていたという。
そして薬剤が消えた時期がミズキが監禁されていた頃とぴったり重なるので、無断持ち出しはおそらくクラウスであろうと断定された。
しかし、クラウスは死亡しているため、クラウスの後釜についた者が事後調査、および処理を行うことになるだろう。
公判の席で、ミズキはクラウスとの関係を話したが、やはり最終的に「殺したのは自分だ」と主張した。
裁判官からは「殺したのは陸軍の大将ではないのか」と何度も何度も聞かれたが、彼はそこだけは「違う」とはっきり否定し、さらに「ブライデン氏が仮にやったと言っても、凶器となった銃のトリガーを調べれば、一目瞭然だ。そこに僕の指紋はあっても、彼の指紋はない」とも。
シュラルドは今日の出来事を思い返し、ため息をつく。
確かにミズキは戦犯だ。クラリスの要人を何人も手にかけた、ディスタンシアの狙撃手。クラリス全軍が、この狙撃手を沈黙させようと、さまざまに捕縛作戦を展開した。
並の作戦では、捕縛どころか追跡さえできなかったのに、ミハイル兄弟が捕えたと知った時は、友人の功績によくやったと手を叩いて喜んだ。
だが、捕まえてみればどう見てもまだ子供だ。本人は20歳を超えているというが、ミハイルの弟であるグスタフと並んでもずいぶん小柄で華奢だ。
ものの言い方や仕草も、成人男性のそれではなく、無邪気さが抜けない少年のようだ。
犯した罪の大きさに子供、大人の区別はない。やったことは事実であり、それ以外ではない。
だが彼だけに、国同士が起こした戦争の後始末をさせ、責任を取らせるにしても、他に方法はないのか。
殺すのは簡単だ。だがミズキが死んでしまって、真の戦争終結となるのか? ミズキに生きて償わせる方法はないのか。
クラウスによってひどく衰弱して痛めつけられて、手と目の機能まで失ったミズキに、これ以上背負わせるものが「死」しかないのか。
ミズキの傷を見た時、シュラルドは真剣にミズキの死を願った。
こんな子供が大人が勝手に始めた戦争の責を負って死ぬのなら、今ここで死んでしまった方が絶対に楽なはずだと。
だが皮肉にもシュラルドは医師だった。医師がやるべきことは、目の前の患者を救うこと。
三途の川を渡りかけていたミズキを河岸から強引に連れ戻し、身体の回復を優先した。医師としての自分は間違っていない。
だが、1人の人間として考えると、ミズキを治療したのは間違いでなかったかと思えてくる。
戦場で捕縛されたディスタンシアの捕虜がクラリスから無罪放免された例は過去にないし、今日の審理など、正直なところ、セカンドレイプを受けたようなものだ。
そんなものを詳らかにして死地に赴くなど、なんの冗談か。
誇りも尊厳もあったものじゃない。
シュラルドは主治医として、ミズキのサポートに当たった。当たり前だが、クラウス殺害の話に関して、シュラルドは全く関係ない。今日の公判も、ミズキの横で話を聞いたり、彼の身体的なサポートをしただけだ。
なのにこの審理を通して、シュラルド自身にも、「クラリス人として」何か大切なことを問われている。そんな気がした。
テーブルの上のマグカップを手に取り、中身をあおる。すっかり冷めてしまった飲みかけのコーヒー。シュラルドはコーヒーが好きだ。少し酸味を感じるマンデリンを好んで飲むが、今日はその味がとてつもなく苦い。
顔を顰めて、カップを半ば叩きつけるようにテーブルに置いた瞬間、ドアがノックされた。
こんな時間に誰だろうかと思ったが、こんな夜更けに来る人物は限られている。
どうぞ、と返事をすると、ドアが静かに開いた。黒いロングコートに身を包んだ、騒動の渦中にある、もうひとりの人物だ。
「ミーシャ、今日はお疲れさん」
「ええ、あなたも。ミズキのサポート、お疲れ様でした。あの子は何事もなく審理を終えられましたか?」
「ああ。あの子にとっては誰にも知られたくないだろう秘密まで国民が知るところとなったが、泣いて取り乱すこともなかった」
「そうですか……」
少しホッとしたような、それでいて辛そうに唇を噛んで俯いたミハイルに、シュラルドは「まあ座れよ」と椅子をすすめる。
「ミーシャ、そっちはどうだった、即日結審か」
「私も後日言い渡しがあるようです。おそらくは減給とか謹慎とか、退職勧告とか、まあそういうものでしょう」
ミハイルが子供のように口を尖らせて饒舌な時は、大体怒っている。長い付き合いだからわかってしまう。
仮にも軍事裁判にかけられたというのに、ミハイルの態度を見る限り、イタズラがバレた悪ガキが、両親同伴の上で校長室で怒られているようにも見えて、シュラルドは苦笑する。
「あなたこそどうしたんです? いつもの元気がない。今日は慣れないことで疲れているとしても、なんとなくあなたらしくない」
ミハイルの指摘にシュラルドは「まあな」と答えた。こちらの友人も、シュラルドのことを正確に見抜いてくる。
先ほどまで考えていた、ミズキの処遇。医師である自分には、ミズキの量刑を勝手に決める資格はないが、この男なら、最適解を見つけ出してくれるのではないか。
たとえ、それが実際に実行されなくてもいい。何か、何か救済の方法を、ミハイルならーー。
「ミーシャ、おまえならどう思う」
目の前の親友は聡明だ。何か答えを導き出してくれないだろうかと、シュラルドは縋るように問う。
「ミズキは……あいつには」
何度も自分の中で考えた。そしてそれをミハイルにもぶつけている。その上でもう一度シュラルドはミハイルに問う。
「あいつには、他に方法はないのか?」
「他に……とは?」
「あいつは……死ぬしかないのか。大人の勝手で始めた戦争の後処理を、あいつひとりがしないとダメなのか」
「………」
ミハイルは唇を真一文字に引き締めて、天井を見上げた。
その空間に、何か思いを馳せているのか。彼もシュラルドと同じ気持ちであることを願いたい。償いの方法は死だけではないのだと。
「ミーシャ、おまえはどう思う」
「……私たちやミズキが生まれたときは、すでにクラリスとディスタンシアは交戦中でした。私たちは、戦争が当たり前の中で育った……。そして当たり前のように巻き込まれた。正直、理不尽とは思いますよ。戦後処理なんて、責任の大元はどこかといえば、私たちではないのですから」
「……だよな」
生まれた時から戦禍だった。
クラリスは軍人のみの被害が大きく、国内はそうでもなかったが、それでも街で傷病軍人が歩いているのを見かけると、国の外に出たらどんな酷いことになっているのか、怖くて震え、それを見ながら大人になった。
シュラルドは母親が医師だったから、その後を継いだ。とりわけシュラルド自身は器用で腕も良かったから、野戦病院の医師として現場の任務に就いたが、幸にして、味方が防衛ラインをきっちり守っていたので、危ない思いはしなかった。
目の前で消えゆく命の炎をもう一度力強く燃やすこと。その仕事だけに集中した。
シュラルドはテントの中にいた。人間同士が命を散らす、砂埃舞う戦場を見ていない。
だが、医師として戦場で戦った。だからこそ思うのだろう。
生きていて、何が悪いのだ、と。
それは戦場で大切な人を失った者たちからすれば、「なにを寝ぼけたことを」と言われるのかもしれない。
それでも、国中の怨嗟を背負ったとしても、ミズキには生きていてほしい。
戦争は終わったとはいえ、この先の未来は誰にもわからない。戦争を始めるのは人間だ。だがそれを回避できるのも人間しかいない。未来に向けてもまだ恨みを背負うなんて冗談じゃない。戦争を知る者だからこそ、できることだってあるはずだ。
逆に平和を知らなければ、平和を維持する方法がわからないままだ。
「ミーシャにとっちゃミズキは兄貴の仇、クラリス全軍にとっても敵とも言えるのに、ミズキを見ていると、赦すと言う決断をしないとって思う。この国はいつまで恨みを持って行くんだ?」
「ミズキもまた、この狂った時代の被害者です。そして、彼の体の半分はクラリスの血が流れている。いわば同胞ですよ。こんな時代でなければ、そして彼の父親が斥候などでなかったら、彼は狙撃手にはならなかったでしょう。そう……こんな時代でなかったら」
どこにぶつけていいのかわからない戦争で受けた苦しみ。いったいそれはいつになったら終わる?
「この国に留め置かれているディスタンシアの捕虜を全員処刑したら、この国の連中は満足するのか? ミーシャはどうだ。それで兄貴の恨みはおさまるか?」
「そんなわけないでしょう」
シュラルドの問いに、ミハイルは吐き捨てるように答えた。
「どうしたって兄は戻ってきません。グスタフと一緒に、兄を失った悲しみをミズキの全身に刻みつけて殺してやろうと思っていたのに……ミズキを見ていたら、最初の意思が揺らいでしまった……そして今また、私は兄に続き、戦争の犠牲にミズキも失おうとしている」
「ミーシャ……」
「彼の境遇に同情したわけではありません。でもあの美しい瞳は、自由と幸せを知らないままです。私は彼の瞳にたくさんたくさん、ありふれた平和を見せてやりたい。兄には申し訳ありませんが、ここで立ち止まっているままではなく、未来へ向かって歩みを進めなくては……そう思います」
こんなに苦しそうな顔をしている親友を、シュラルドは初めて見た気がした。
「ミーシャ、じゃあおまえはもう、ミズキへの復讐は考えていないのか」
「考えていません。今もこうして、彼を生かす方法を考えています。でも私には……彼を助ける力がない。それどころか、私は立場上、彼の絶命の瞬間まで見なくてはならない。……こんな残酷なことはないですよ」
「ミーシャ……」
ミハイルの声は涙交じりに震えていた。
黒衣の悪魔は、いつだって冷静で冷酷だったのに。
自分の心の中に、大切な人がいることが、人を強くも弱くもさせてしまう。
シュラルドの目の前にいるミハイルは、かつての冷たい彼ではなかった。
同じ頃。ミズキは罪状認否を行っていた。
ミズキはこの国では罪人だ。ディスタンシアの「軍人」として潔く死ぬことに悔いはない。
心残りはミハイルのことだけだ。灰色の空と瓦礫ばかりのディスタンシアの隣にある、平和な世界を教えてくれた愛しい人。その人の名誉だけでも守りきりたい。
自分が罪を全て受け入れ、ミハイルに何も追及がないのなら、もうそれでいい。
起訴状にはたくさんの罪状が並んでおり、いちいち「相違ありませんか」と確認が入る。
正直なところ、クラリス軍の誰を殺害したかなんて覚えていないどころか、その人の詳しい素性まではわからない。
スナイパーライフルの弾は貫通力が高い。時には一発で2人まとめて頭を吹き飛ばしたこともあるから、ミズキが殺したとされる人物の名を読み上げられても、一体誰なのか見当もつかなかった。
やったことには違いない。この際、犠牲者が多めに見積もられていたとしても、ミズキには認めるしか術がない。
次の犠牲者の名前が読み上げられる。しかしこの時点で、クラウスの名前はまだ読み上げられていなかった。
ミズキは敵国の狙撃手。立場は著しく悪い。クラリス軍の将校ばかりを狙い撃ちにし、その仕上げが海軍大将なのだから、ただですむはずがない。
「あなたはクラリス軍第二旅団ヘンドリック・ブライデン連隊長を狙撃し殺害した。それに相違はありませんか?」
半ば聞き流すように起訴状の読み上げを聞いていたが、ミズキの耳がある名前を捉えた。
「ヘンドリック•ブライデン……」
自然とその名が口から漏れ出た。
ミハイルの名前と同じだ。そしていつぞや、ミハイルは言っていた。
ーー自分の兄は、狙撃兵に暗殺された、と。
おそらくそれは間違いなく自分の罪。その名はジュリアの夫だった人。そして大好きなミハイルの兄だった人の名前。
ミズキにとって大好きな人たちの大切な人たちを、この手で奪った。戦争というおかしな波に翻弄された結果だとしても、ミズキのこの手は大切な人たちの未来を正確に、そして残酷に撃ち抜いた。
「ブランケンハイム被告、相違ありませんか?」
再度問われる。ミズキは裁判長をまっすぐに見据え、はっきりと答えた。
「相違ありません」
「相違ありませんね?」
「はい」
ミズキはゆっくりと頷いた。
「彼は間違いなく……僕が殺しました」
震える声でミズキは罪を認めた。射殺した将校のどれがミハイルの兄なのかは正直分からない。
「本当に相違ありませんね?」
今までとは違う確認をされる。
「相違ありません」
これまでは「罪を認める」と答えていれば、それ以上の追及はなかった。なのにこの質問に関してだけ、裁判長は念押しをして、ミズキにその認否を問う。
この人物に関してだけ、クラリスの国家的に何かあるのだろうかとも思ったが、そんな説明をしてくれるわけもなく、裁判長はゆっくりとうなづいた。
「一つ申し上げておきます。ブランケンハイム被告、よく聞いてください」
「……はい」
いったい何だろうか。
開廷してからもうずいぶん時間が経っている。起訴状の読み上げだけで1日が終わりそうだから、余計な時間をとっていていいのだろうかとミズキが訝しんでいると、ややあって裁判長が口を開いた。
「ここはあなたの犯した罪に対して、有罪かどうかを審理する場所です」
「はい……」
どういうことだ?
「ブランケンハイム被告、あなたは先ほどから確認において、全て自分の罪であると認めている。ディスタンシアの狙撃兵によって暗殺された将校はそこそこの数に上る。だが、先ほどのあなたの返事は、今までとは違った」
……違った? いったい何を言っているんだろう。ミズキは首を傾げた。
「僕がやったから、やったと答えましたが、何か問題だったでしょうか?」
「あなたにとって確かな記憶ならば良いが、違うことは違うとはっきり否定をしてください」
「……なぜ今更そんなことを?」
裁判長の言うところが分からない。軍事裁判なんて、戦争に勝利した側が敗戦国の兵を裁くものだ。
とりあえず、敗戦国の人間に対し、法的な私刑を加えるものなのにーーとミズキは思っている。
それなのに、違うことは違うと言え、だって?
「……暗殺なら、ほとんど僕がやったことで間違い無いと思いますが」
「そう思っているのは、あなただけです。あなたはご存知ないかもしれないが、ディスタンシアにはクリスタライズというものがある。あなたもかの国の兵士であるなら、その存在を知っていると思います」
「……はい」
そうだ。クリスタライズは兵士のプライドだ。美しく輝くクリスタルのように、眩く煌めきながらその命を散らして敵にダメージを与える、兵士自身を武器とする自爆装置だ。
「……クリスタライズは、僕たちディスタンシア軍兵士のプライドです」
ミズキが答えると、裁判長は「そうですね」と続けた。
「殺害された兵士の中には、爆弾に巻き込まれて死んだ者もいます。そういった者も起訴状には入っています。あなたは狙撃手だったのだから、殺すとすれば射殺だと思います。爆弾テロではない。どうせ有罪になるのだから、こんな裁判は意味がないと思っているかもしれませんが、かの国の罪をあなたが全てかぶる必要はありません。記憶をたぐるのも大変でしょうが、あなたはあなたのやったことだけに関して認否してください」
「……はい」
まともそうなことを言うが、ミズキ自身正直覚えていない。クリスタライズで死亡した人までの認否をしろと言われても、無理がある。それこそ意味などないのではないか。
とりあえず返事をすると、また起訴状の読み上げが始まった。
機械的な返事をしていると、「ではこれが最後になります」と裁判官が述べた。
「あなたはクラリス海軍のクラウス上級大将を尋問中に射殺した。これに相違ありませんか?」
クラウスと言う名前を聞いて、ミズキがハッと顔を上げる。
「ごしゅ……じ、さ……ちが……」
全身の血が凍りつくような感覚に、ミズキは無意識に自分の体をかきいだく。
途端に心臓の鼓動が早まり、自分の呼吸音、身体中の血が流れる音、いろんな音が頭の中で耳障りなノイズを生んでいた。
記憶が曖昧でも、この体がクラウスから受けた淫らな時間を覚えている。
「僕、ぼく、は……」
「被告人? どうかしましたか?」
必死に呼吸を整える。ここはあの尋問室ではないはずなのに、周囲の景色が薄暗い地下室に変わる。
ミズキはたった今、戦犯として裁判を受けているーそのはずだ。
そう強く意識するように自分の理性に「ここは違うのだ」と念押しして、ゆっくりと気持ちを立て直す。
それなのに、クラウスの影が消えない。
自分の頭の中か、それとも目の前か、亡霊の残影が鮮やかに蘇る。視界もグラグラ回って、酷い乗り物酔いにも似たような気持ち悪さを感じ、何だか吐きそうだ。
あの地下室、散々にクラウスに抱かれ、彼の徴が身体の中にも外にもこびりついていた自分。その腐臭が漂っているような気がして、ミズキはえずきながら胸を押さえて体を二つに折った。
(ミズキ……おまえはずっと俺と一緒にいるんだ……)
気を抜けば、クラウスが耳元で囁いているような錯覚すら覚える。
クラウスから逃げ出したい。ここにいれば彼にまた貫かれて、男娼へと堕ちてしまう。そこから逃れようとして、ミズキは車椅子から滑りおちた。
早くここから逃げないと。クラウスに首根っこを掴まれそうな気がして、怖くてたまらない。
(俺と一緒にいると、おまえは言っただろう?)
彼がーーどこかにクラウスがいる。
床を這いずって逃げようともがくが、四肢が痺れて力が入らない。この間にもクラウスがすぐそばに来ているような気がして。
いやだ。こんな大勢がいる場所で、クラウスに抱かれてしまうのか。
ーー僕は……僕は……
錯覚が混乱を呼び、理性が吹き飛び、意識がおかしくなってくる。自分は今どうなっているのかわからないまま、ミズキはただ己の傍に感じるクラウスの亡霊に翻弄されていた。
「裁判長!」
背後でガタンと何かが倒れる音と同時に、シュラルドが声をあげた。
「ミズキ!大丈夫か!」
「へい……き……僕……」
法廷の床しか見えていなかった視界が、一気に反転する。
「ミズキ、ミズキ!」
誰かがミズキを抱き起こしてくれた。必死にそれが誰か確認する。
「先生……」
「喋るな、いいからじっとしていろ」
ミズキの視界に飛び込んできたのは、シュラルドだった。この腕の中がクラウスではなくてホッとする。
だが彼は何か怒っているようだった。
「審理の一時停止を! 被告の容態がおかしい!」
「介助人の発言は認めていません。静かにしてください」
「明らかに無理です!こんな状態の被告に、審理の内容を理解させて認否させるなんてどうかしてる!」
ミズキを腕に抱き留めたシュラルドと裁判長の怒気含むやり取りが始まった。
確かにクラウスはミズキが殺した。そうでなければ、ミハイルが殺されていた。自分はどうなってもよかった。その行動に嘘も偽りも恥もない。
大好きな人をクラウスから守り抜けたのだから、もうそれだけで満足だ。
なのにどうして自分の心は、過去の亡霊に怯えてしまうのか。
自分はいつだってそう、臆病で怖がりだ。ミハイルの手によってクラリスに連れてこられた時は、シュトラウスの幻影に怯えた。そして今はまた自分を好きに嬲った男の恐怖に震えている。
こんなにも自分は弱かったのか。
自分は何人もの将校を手にかけた、誇り高きディスタンシアの強い軍人であるはず。
なのにどうして。
「大丈夫かミズキ」
戦慄に震えるミズキの肩を抱き、背中をシュラルドの手が優しく支えてくれている。
それはミハイルの手の優しさにも似ていて、少しだけ落ち着きが戻ってくる。
「ミズキいいか、ゆっくり息をするんだ。何か思い出してしまったんだな。だけど心配するな。俺がいる」
「先生……僕……」
「無理に喋らなくていい」
「介助人は指定の場所で着席してください!」
裁判長の指示が再度飛んだ。シュラルドはミズキの背中をさすりながら、その場に立ち上がった。
「主治医として、人命尊重の観点から、しばしお時間をいただきたい! わがクラリスの法律人たちは、弱者をいたぶって有罪とするのが職務か!?」
「最初に申し上げたはず。介助人のーー」
「こんな状態では、いいも悪いも判断できない。こんな状態で何をもって彼を裁くのか!」
「介助人、今は審理中です」
「クラリスの法曹は、いつからそこまで腐った!」
シュラルドがミズキを支えながら叫んだ。
「明らかに審理に臨める体調じゃない! ここの法曹たちは、これが戦犯ではなく、クラリス人を裁く時にも同じような策を取るのか?」
「しかし……」
「こんな状態のやつをここに立たせるのが、公平な裁判だって言うのか! クラリスの法律は弱者をいたぶる審理のやり方を旨としているのか!?」
クラリスは、捕虜に対して規律を守る国だ。ディスタンシアのような扱いはしないというのが建前だ。
シュラルドの叫びは、目の前の法曹たちだけでなく、クラリスの国民に向けた問いのようにも聞こえ、誰一人として反論の声はなかった。
「先生……僕、だいじょうぶ……」
「バカいえ、顔が青い。声も身体も震えているじゃないか」
「ちょっとだけ……怖かっただけ。でももう大丈夫。先生がいてくれるから」
あの男がここにいるわけがない。クラウスは確かに自分が撃ち殺した。
それとも、彼はミズキが忘れられず、黄泉に連れて行こうとしているのか。
ミズキを執拗に嬲った、狂気宿るクラウスの眼光が体をがんじがらめにしているような気さえしてしまう。
「被告人、審理を続けられそうですか?」
陪審員の1人が心配そうにミズキに尋ねる。
「少し休まれたほうが……」
「大丈夫……です」
「本当に大丈夫ですか?」
「本当に……大丈夫。先生ごめんなさい、少し手伝ってください」
シュラルドに介助を申し出ると、シュラルドは無言で頷いた。
彼に支えられながら、震える四肢に力を入れて、何とか車椅子に座り直す。それを確認すると、シュラルドは片膝をつき、ミズキの傍に座った。
「裁判長、付き添いの許可を。被告はまだ動揺している。あらゆる危険を避けるために、彼の横で付き添うことを許可願いたい」
シュラルドの申し出に、裁判長が頷いた。
「審理中の発言は認めません。被告のサポートのみに徹してください」
「もちろんです」
「被告人もそれでよろしいですか?」
シュラルドが側にいてくれるなら心強い。ミズキも頷いた。
「お騒がせしました……審理の再開をお願いします」
「では、クラウス海軍大将殺害についてのところから続けます」
「はい」
ミズキが返事をした瞬間、隣室のあたりから何か大きな音のうねりみたいなものが響いてきた。それはミズキたちがいる場所の空気を激しく揺さぶるようでもあり、この異変に誰もが気づいていた。
「なんだ?」
「何の音だ、隣か?」
「隣は陸軍大将の裁判だろ、何か騒ぎになっているのか?」
傍聴者たちは落ち着きなく、音のした方に振り向き、首を傾げている。
耳をすませば、隣では何か誰かの怒号のような、歓声のような……くぐもった音が微かに漏れ聞こえていたが、それが何かまではわからなかった。
「皆さん、静粛に。クラウス上級大将殺害についての質問を続行します。あなたは海軍のクラウス上級大将より尋問を受け、その最中に彼を殺害した。その事実に相違ありませんか?」
「……相違、ありません」
「殺したのはあなたではなく、ミハイル・ブライデン陸軍上級大将ではないのですか?」
「違います。殺したのは彼ではありません。僕です」
「なぜ殺したのか、理由を聞かせてください」
「理由……」
「そうです。あなたは尋問を受けている最中にクラウス大将を殺害した、となっています。ですが、多数の証言によるとその場には陸軍大将もおり、クラウス大将を殺したとされる武器は、陸軍大将が持っていたと」
正確には、クラウスを殺した銃は、2人で持っていたことになる。ミズキの手にミハイルが手を重ね、2人で殺したーー。
「再度伺います」
裁判官が硬い声でミズキに問う。
「本当は陸軍大将が殺したのではないのですか?」
「いいえ」
ミズキは首を横に振った。
正直なところ、あの地下室の記憶の大部分は曖昧でぼやけている。ただ、ミハイルがミズキを助けに来てくれたのははっきり覚えている。
そしてクラウスを殺した銃を持っていたのはミズキだ。ミハイルの手が重なってはいたけれど、引き金を引いたのは、自分の指だ。そこだけは覚えている。
「殺したのは僕です。何なら、銃の指紋をもう一度調べてみてはいかがですか。トリガーに手をかけたのは、間違い無く僕です」
「殺害の理由は何ですか? 脱走でも企てましたか?」
脱走? そんなチンケな理由なんかじゃない。
「ブライデン氏を……彼を守りたかったから、です……」
ついいつもの呼び方が口をついて出そうになり、ミズキは寸前で言葉を飲み込んだ。
「守りたかった? なぜ」
「それは……」
ミズキの発言に、「どういうことだよ」「尋問中だろ、海軍の」「なんで陸軍関係あるんだよ?」と傍聴席からどよめきが起きる。
「皆さん、静粛に」
かぁんと澄んだ音を響かせ、木槌が傍聴者の騒ぎを鎮めるが、一度湧き上がった疑問は好奇心に炙られ、どんどんその声が大きくなる。
「静粛に! 指示に従えない場合は強制退出となります!」
傍聴人の誰もがこのミズキの裁判の行方が気になるのだろう。
この裁判は、ただの軍事裁判ではない。クラリス全軍を本気にさせた狙撃手。それがクラリスの基地内において、海軍大将まで殺害した。半ばショーのようなこの裁判を最後まで見届けたいのだろう。傍聴席はすっと静かになった。
「では続けます。ブライデン陸軍大将を守りたかった、というのはどういうことですか?」
「クラウス氏……ですか。あの人はブライデン氏を殺そうとした」
体の震えが止まらない。今でもはっきり思い出せる。クラウスは本気だった。本気でミズキを一生飼うつもりだった。
「クラウス大将がブライデン大将を殺そうとした? それはどうして?」
「……それは」
「あなたはその場にいたのですよね。当時のこと、2人のやりとり、覚えているでしょう?」
それはそうだ。大将が尋問中の捕虜を「救出に」来るなんておかしな話だ。
おそらくミハイルのことだから、クラウスを殺したのは自分だと言い張っているに違いない。このままではミハイルも、そしてミハイルの弟であるグスタフまでもが謗りを受け、全てを失うことになるかもしれない。
ミズキがあの地下室でクラウスと情事に耽っていたことを話せば、話の辻褄が合うはずだ。
「僕を取り返しにブライデン氏は尋問室に来ました。でもクラウス氏は……僕のことを……自分のものであると言って、僕を離さなかった」
「ええっ!?」
陪審員たちが首を傾げ、目を見開いている。表情はそれぞれだが、おそらくは誰もミズキの言っていることが理解できていないようだった。
「僕がクラウス氏と何をしていたか、説明しましょうか」
声も身体も震えている。それでもミズキは何とか平静を保とうと強く意識した。ここが正念場だ。ここを乗り越えないと、ミズキが納得できる形で終わらないし、ここにいる人たちも、クラウスが何をしたかを詳細に話さないときっと納得しない。
あの部屋でのおぞましい毎日など、思い出したくもない。
腰を振って男を煽り、その精を身体中で受け歓喜していた自分の存在など、できることなら今すぐ消してしまいたいくらいだ。
「ミズキ、どうした。息が荒いぞ」
横にいるシュラルドが、ミズキにしか聞こえないような小声で話しかけてきた。
「話したくないことは無理に話さなくていい。黙秘したっていいんだぞ」
「そうは……いかないよ」
話さずに済むならそうしたいが、今のミズキの立場を考えると、ここでの黙秘権は心象を悪くするだけのように思えた。
それにさっき「説明しましょうか?」なんて啖呵も切っている。さらには、クラウスの件に関しては、ミハイルとの共犯、もしくはどちらか一方の主導ということで収める気のようでもある。
彼の裁判を見ていなくてもわかる。隣室で彼がミズキのために戦ってくれていることも。
ミハイルは絶対にミズキを苦しめたりする方法をとったりしない。
だから、真実を話し、彼に罪が重くのしかかるのを防がなくては。
ミズキはゆっくりと深呼吸をすると、裁判長、そして裁判長席の下に並ぶ陪審員たちを見回した。
「僕はクラウス氏と体の関係を持っていました」
「体の……関係……え?」
「ちょっと待って、ブランケンハイム氏、あなたは……」
陪審員たちの口から驚きが漏れ、常識と非常識の間で混乱しているのが見て取れる。
「もう一度言います。クラウス氏と僕は体の関係を持っていた。だけどこれだけは信じてほしい。まともな尋問であるなら、その最中に命を落としたとしても別に良かった。僕のやったことは、この国の大切な人を傷つけた。だから銃殺でもなんでも受け入れる覚悟はある」
そこに嘘偽りはない。
「でも僕は、どうせ死ぬなら僕を捕まえた人に殺されたいと思った。僕はその人だけでなく、その人の家族、友人、みんなを傷つけた」
かつて心底願った。どうせ死ぬならミハイルに殺されたい、と。好きな人に撃たれて死ぬなんて、この上ない幸せだと。
だからミハイルのところに、どうしても帰りたかった。ミズキの意識がこの世界から切り離される瞬間まで、黒衣の悪魔と称される大切な人の側にいたいから。
「その人の恨みを全身で受けて死にたい、それをかなえるために、クラウス氏から提示された交換条件を飲んだだけ」
「交換条件? 被告、それはクラウス氏の提示なのですね?」
「はい」
「クラウス大将は、あなたに何の条件を提示したのですか?」
また法廷がざわざわとノイズに揺れた。普通なら、捕縛した敵兵に要求するのは、相手が持っている情報とその命だけのはずなのに、ミズキの告白でここにいる全員が狐につままれたようになっている。
無理もないよな、とミズキは思う。
普通に話を聞いていたら、不可解という絵に黒い絵の具でも盛られて、何も見えなくなっていくだけの展開に彼らは臨んでいる。
話の核どころか、話を受け止める糸口すら全く見えてこない陪審員たちも、前のめり気味にミズキの話に耳を傾け、常識ではありえない話を、なんとか自分で理解できるところに落とし込もうと必死なのが見て取れた。
「ブライデン氏の元へ帰してほしければいうことを聞けと言われて、何度も薬みたいなものを打たれ、彼にされるがまま体を暴かれました」
「薬……何の薬かは分かりますか?」
聞かれてミズキは首を横に振った。
「分かりません。ただ、僕が初めてクラウス氏の尋問を受けた際、薬剤注射を受けました。自白剤の類だと思っていましたが、正直、そこから記憶も曖昧です。薬を打つとお腹がそんなに空かなくなるし、眠気も飛ぶから、食事なんかまともにとってなかった」
抱かれて、貫かれて、注がれて……クラウスを御主人様と呼び、彼がミズキにもたらすこと全てに、ミハイルの幻影を重ねたあの日々。
「クラウス氏の言う事を聞いていれば……ブライデン氏の元に帰してくれると。だから僕は彼の言う通りにしました。洋服もすべて剥ぎ取られて、僕は裸のまま、クラウス氏と……」
悔しい。どうしてこんなに惨めな気分になるのだろう。ミズキはうつむいて、唇を噛みしめる。
薬を打たれて酩酊していたとしても、男を誘って受け入れてしまう自分の体が憎らしくてたまらない。
どうしてシュトラウスは、ミズキに男を受け入れる方法など叩き込んだのか。男と交わる方法など知らないまま、兵士として死んだほうがよほどマシだった。
自分を縛っていた運命の呪縛は、いったいミズキをどこへ連れて行く気なのか。
確かに、ミズキの命運はここにきて動き出した。クラリスに来て、ミズキは自由も不自由も味わった。だけど、ここに来てから、太陽輝く青空の下にはほとんど出ていない。
死ぬ時くらいは、空の下で、と思う。犠牲者の無念が壁の穴の数だけ澱む営倉の処刑場ではなく、風が流れる穏やかな空の下で、自らが行くべき場所を見上げたまま、そこに行けることを願ってその瞬間を迎えたいと思う。
誰もがミズキのことを何を知らないままで、ただ罰して殺して欲しかったのに。
「ブランケンハイム被告、よろしいですか」
ゆるいウェーブの髪を後ろで一つにまとめ、細くて丸いフレームのメガネを掛けた、若い女性陪審員の1人がおずおずと手を挙げ、裁判長の方を向く。裁判長は無言でうなづき、陪審員へ発言の許可を与えた。
彼女は立ち上がると、ミズキに一礼した。
「審理の進行とは少しそれますが、私はあなたにどうしても伝えたいことがあります」
「……なんでしょうか」
男が男を抱く媾合の事実など、普通には理解できない話を聞かされたのだ。どうせ、ひどい言葉をぶつけられるに決まっていると、ミズキは身構える。
「あなたが受けた壮絶な状況が少し読み取れました。正直なところ、あなたが受けた心の傷、それが現実にあったことなのか私にはまだ理解が難しい。そしておそらく、あなたが絶対知られたくなかったことだと思います。それを勇気を出して告白してくれたことを、まず感謝します」
陪審員は再度頭を下げ、ミズキもそれに倣って一礼したが、彼女の言葉が胸に刺さって離れない。
ーー感謝、とは?
不可解だ。感謝されるようなことなど、ミズキはしていない。いったいこの人は何をミズキに言おうとしているのか。だが、その口調からして、ミズキを軽蔑する意図はなさそうだ。ミズキは黙って、彼女の話に耳を傾けた。
「クラリスではそれが軍事裁判である場合、本来私たちは検察のような質問をしません。敗者を裁くような場所ですから、被告に弁護人がついても形だけで、有罪に持っていくような議論の展開します。なぜなら、すでに確証が取れ、証拠も揃っている状態で確認作業をするようなものだからです」
「はい……」
どうしてこの場で、クラリスの裁判のあり方の説明を始めたのか、ミズキは首を傾げたが、陪審員はミズキをまっすぐ見つめたまま話を続ける。
「質問等は裁判官が行い、私たちはただあなたがしたことによって、有罪が無罪かを決めます。ですが、あなたの告白は、それが有罪なのか無罪なのか、私たちがそんな簡単に決められる話ではない……ここにいる全員が、あなたの闇に触れ、そこに隠された真実に動揺しています」
「え……」
男に体を差し出した自分など、故郷だったら銃殺刑だし、クラリスでも大して変わらないだろうと思っていたのに、ミズキの予想とは真逆の空気に逆にミズキが驚いていた。
「僕を……汚いとか、軽蔑とかしないんですか……」
「あなたを軽蔑? どうして」
「僕は……男性に体を差し出し、受け入れた。生命の営みに逆行することをしたんです。その結果、彼を殺した……。あなたたちは僕を汚らしいとは思わないんですか」
「思いません」
逡巡の間もなく、はっきりとした意思の通った返答に、ミズキの胸が熱くなる。
「どうして……?」
「むしろそんな状況下にいて、あなたが我慢強くよく耐えたと思っています。私なら、そんな屈辱的なことを強制されて、それをこの場で不特定多数を前に告白するなんて……考えただけでもゾッとします」
ミズキの心が何やらふっと軽くなる。
できれば自分とクラウスの情事の真相など知られず、殺した事実のみだけミズキ1人が背負い込んで墓場に持っていくつもりだった。しかし、ここをはっきりさせなければ、ミハイルの今後に関わってくる。
それでも、あの状況を思い出し、口にするのは、砂を噛み締め、飲み込むような苦しさだ。そして誰もがミズキのことを嫌悪するだろう。それは遠い昔、子供の頃にミズキを狙撃手に育て上げたシュトラウスから問われたことだ。
思い出せる。暗い地下室、寒い冬の夜。自分はあの時、両親を殺した。両親は嘘つきなのだとシュトラウスは言った。
ーー嘘つきはいけない。おまえは世界中の人から嫌われるんだ。それでもいいのか?
この法廷で嘘はつかなかったが、クラウスに抱かれたことを知られた今、クラリス中の遺恨に、生理的な嫌悪までもがミズキにのしかかり、指をさされて見せ物にされるのだろうと思っていた。
どうして、ミズキの闇を知って、ここの人たちは自分のことを拒絶しないのか。
「ふっ……ううっ……ひっ……」
ミズキの置かれた境遇を慮り、受け入れてくれる言葉に触れ、自分自身を縛っていた呪縛が解かれたような気がした。それは嗚咽となり、ミズキの全身を震わせた。
色の違う瞳、父親譲りの顔……自分が持つ何もかもが大嫌いだった。
だから、他人も同じようにミズキのことを嫌うと思っていたのに。
「ふぐっ……う……」
涙が止まらない。
「ブランケンハイム被告」
名を呼ばれて、ミズキは涙に濡れた顔を上げる。
「あなたの誇り高き強さに敬意を。そしてあなたが生きることを諦めないでくれたことに感謝します」
「……なんでお礼を言うんです? 僕が……したことは……」
「あなたがこうして話してくれなければ、クラウス大将の闇は暴けないままだった」
「でも……僕は、僕……うっ……」
伝えたい言葉はたくさんあるのに、嗚咽にしかならない。どんな事情であれ、今まで「生きていたこと」に感謝されたことなどない。しかもこの国においては自分は戦犯で、なおかつ軍の人間を射殺した犯人だ。
「本来、断罪と言うものは、自らが犯した罪と向き合うことで、初めて課せられた懲罰が有効となるのだと思っています。あなたは確かに罪を犯した。でもそうなるに至った背景は、まだまだ謎が多すぎる。今すぐ『あなたは銃殺だ』と言い渡すのはとても簡単ですが、今のあなたにそれだけを押し付けても意味がない」
彼女の言葉は穏やかなさざ波のように、法廷全体を包み込み、誰もが無言で頷いていた。それは煽るだけのアジテーションではなく、事の本質に目を向けようとする空気を生んでいた。
ミズキの頬をはらはらと涙が伝い落ちる。拒絶されないことが嬉しくもあり、同時に辛い。
いろんな感情や思い出が、ミズキを飲み込んでいた。悲しいことも嬉しいことも。生きることだけに必死だった。でもクラリスに来て運命は変わった。
この審理はあっさり終わるはずではないのかーー。「はいあなた有罪、明日処刑」これくらいの速さで決まると思っていたのに、ここにいるみんながミズキのことを思って言葉を投げかけてくれる。
ミハイル率いる特殊部隊に捕えられた時は、目を潰され、耳や鼻も削がれ、無惨に殺されて犬の餌くらいになるのだろうと思っていた。本国で、クラリス兵は残虐だと聞いていたからだ。
それがどうだ。こんな展開など、予想していなかった。傍聴席からも啜り泣くような声が聞こえてくる。皆がミズキの闇に触れ、その残酷で悲しい運命に自らを重ねているようにも思えた。
「クラウス大将殺害の件は、あなたにとってはまた身体を暴かれるような審理となるでしょうが、この場でできる限り話していただけますか?」
「はい」
陪審員に促され、ミズキは頷いた。
****
ミハイルは傍聴者の騒ぎをただ黙って目を閉じて聞いていた。
皆口々に己の混乱を吐き出している。中にはミハイルの言うことは全て嘘だとかかり、怒鳴り声を上げる者もいた。
粗暴ではあるが、人によっては美髯公の好々爺で通っていた男だ。だから、捕えた戦犯相手に拷問を加えるならまだしも、性的虐待とは。
一度湧き上がってしまった興味は、それが危険な香りを漂わせるほど魅力的だ。もはやそこでミズキが何をされたのか、どう淫らだったのか、そちらの方を全員が知りたがっていた。
「静粛に! みなさん静粛に!」
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「あなた方は、そこまで堕ちたのか!」
この耳障りな下卑た騒ぎの壁に穴を開けたのは、ミハイルだった。彼は一言で民衆を黙らせると、ややあって先を続けた。
「まさにこの話は、あなたがた下衆な連中の興味を強く引くことでしょう。人間である以上、それはしかたないことかもしれません。しかし、下衆の興味だけでこの真相を知りたがるなら、あなたたちは誇り高きクラリス国民ではなく、私が射殺した海軍大将と同じだ!」
「………」
法廷内が一瞬で水を打ったようになる。俯いたり、目を逸らしたり、誰もがミハイルの言葉にさまざまに反応する。
「クラリスの法は、たとえ犯罪者であっても、罪人の尊厳、誇りを傷つけるようなやり方を旨としないはずです。だから私は海軍大将を射殺した。それが罪なら、私は喜んでその罰を受け入れる」
その言葉に嘘偽りなどない。無謀な匹夫の勇でもなければ、妥協でもない。
ただ、己の信じる通りに、意思を貫くだけだ。
「取り調べ中、私の身を案じてくれた人に感謝を申し上げたいが、私は自身に誇りを持って、はっきりと申し上げたい」
胸を張って言える。恋のために甘んじて殉じるのでもなく、自分の行動に恥じることもない。
ただまっすぐに、自らの信を貫く。
「先ほど、この審理において、今の私の発言を正確に盛り込んでいただけると約束した」
ミハイルは、彼らの言質を取るかのように、居並ぶ法曹たちをゆっくりと見回した。
「海軍大将を殺したのは、間違いなく私だ」
****
ミズキの審理が終わり、シュラルドは誰もいない診察室にいた。
まもなく日が変わる。壁にかけられた時計が、深夜12時をさそうとしていた。
今日はいつも仕事とはまた違った疲労感があった。それは肉体的ではなく、精神的なものだった。
公判が始まり、おそらく軍はミズキを処刑する方法で魔女裁判のように話を展開するだろうと見ていたが、予想に反して、法曹たちはミズキを公平に審くつもりのようだった。
判決は後日言い渡されることとなったが、その話の中でクラウスに関する不審な動きが明らかになった。
と言うのもここ最近、軍内部で医薬品、とりわけ麻薬や劇薬の類が無断で持ち出されていたようで、管財はその行先と持ち出した人間を特定するため、密かに調査を行っていたという。
そして薬剤が消えた時期がミズキが監禁されていた頃とぴったり重なるので、無断持ち出しはおそらくクラウスであろうと断定された。
しかし、クラウスは死亡しているため、クラウスの後釜についた者が事後調査、および処理を行うことになるだろう。
公判の席で、ミズキはクラウスとの関係を話したが、やはり最終的に「殺したのは自分だ」と主張した。
裁判官からは「殺したのは陸軍の大将ではないのか」と何度も何度も聞かれたが、彼はそこだけは「違う」とはっきり否定し、さらに「ブライデン氏が仮にやったと言っても、凶器となった銃のトリガーを調べれば、一目瞭然だ。そこに僕の指紋はあっても、彼の指紋はない」とも。
シュラルドは今日の出来事を思い返し、ため息をつく。
確かにミズキは戦犯だ。クラリスの要人を何人も手にかけた、ディスタンシアの狙撃手。クラリス全軍が、この狙撃手を沈黙させようと、さまざまに捕縛作戦を展開した。
並の作戦では、捕縛どころか追跡さえできなかったのに、ミハイル兄弟が捕えたと知った時は、友人の功績によくやったと手を叩いて喜んだ。
だが、捕まえてみればどう見てもまだ子供だ。本人は20歳を超えているというが、ミハイルの弟であるグスタフと並んでもずいぶん小柄で華奢だ。
ものの言い方や仕草も、成人男性のそれではなく、無邪気さが抜けない少年のようだ。
犯した罪の大きさに子供、大人の区別はない。やったことは事実であり、それ以外ではない。
だが彼だけに、国同士が起こした戦争の後始末をさせ、責任を取らせるにしても、他に方法はないのか。
殺すのは簡単だ。だがミズキが死んでしまって、真の戦争終結となるのか? ミズキに生きて償わせる方法はないのか。
クラウスによってひどく衰弱して痛めつけられて、手と目の機能まで失ったミズキに、これ以上背負わせるものが「死」しかないのか。
ミズキの傷を見た時、シュラルドは真剣にミズキの死を願った。
こんな子供が大人が勝手に始めた戦争の責を負って死ぬのなら、今ここで死んでしまった方が絶対に楽なはずだと。
だが皮肉にもシュラルドは医師だった。医師がやるべきことは、目の前の患者を救うこと。
三途の川を渡りかけていたミズキを河岸から強引に連れ戻し、身体の回復を優先した。医師としての自分は間違っていない。
だが、1人の人間として考えると、ミズキを治療したのは間違いでなかったかと思えてくる。
戦場で捕縛されたディスタンシアの捕虜がクラリスから無罪放免された例は過去にないし、今日の審理など、正直なところ、セカンドレイプを受けたようなものだ。
そんなものを詳らかにして死地に赴くなど、なんの冗談か。
誇りも尊厳もあったものじゃない。
シュラルドは主治医として、ミズキのサポートに当たった。当たり前だが、クラウス殺害の話に関して、シュラルドは全く関係ない。今日の公判も、ミズキの横で話を聞いたり、彼の身体的なサポートをしただけだ。
なのにこの審理を通して、シュラルド自身にも、「クラリス人として」何か大切なことを問われている。そんな気がした。
テーブルの上のマグカップを手に取り、中身をあおる。すっかり冷めてしまった飲みかけのコーヒー。シュラルドはコーヒーが好きだ。少し酸味を感じるマンデリンを好んで飲むが、今日はその味がとてつもなく苦い。
顔を顰めて、カップを半ば叩きつけるようにテーブルに置いた瞬間、ドアがノックされた。
こんな時間に誰だろうかと思ったが、こんな夜更けに来る人物は限られている。
どうぞ、と返事をすると、ドアが静かに開いた。黒いロングコートに身を包んだ、騒動の渦中にある、もうひとりの人物だ。
「ミーシャ、今日はお疲れさん」
「ええ、あなたも。ミズキのサポート、お疲れ様でした。あの子は何事もなく審理を終えられましたか?」
「ああ。あの子にとっては誰にも知られたくないだろう秘密まで国民が知るところとなったが、泣いて取り乱すこともなかった」
「そうですか……」
少しホッとしたような、それでいて辛そうに唇を噛んで俯いたミハイルに、シュラルドは「まあ座れよ」と椅子をすすめる。
「ミーシャ、そっちはどうだった、即日結審か」
「私も後日言い渡しがあるようです。おそらくは減給とか謹慎とか、退職勧告とか、まあそういうものでしょう」
ミハイルが子供のように口を尖らせて饒舌な時は、大体怒っている。長い付き合いだからわかってしまう。
仮にも軍事裁判にかけられたというのに、ミハイルの態度を見る限り、イタズラがバレた悪ガキが、両親同伴の上で校長室で怒られているようにも見えて、シュラルドは苦笑する。
「あなたこそどうしたんです? いつもの元気がない。今日は慣れないことで疲れているとしても、なんとなくあなたらしくない」
ミハイルの指摘にシュラルドは「まあな」と答えた。こちらの友人も、シュラルドのことを正確に見抜いてくる。
先ほどまで考えていた、ミズキの処遇。医師である自分には、ミズキの量刑を勝手に決める資格はないが、この男なら、最適解を見つけ出してくれるのではないか。
たとえ、それが実際に実行されなくてもいい。何か、何か救済の方法を、ミハイルならーー。
「ミーシャ、おまえならどう思う」
目の前の親友は聡明だ。何か答えを導き出してくれないだろうかと、シュラルドは縋るように問う。
「ミズキは……あいつには」
何度も自分の中で考えた。そしてそれをミハイルにもぶつけている。その上でもう一度シュラルドはミハイルに問う。
「あいつには、他に方法はないのか?」
「他に……とは?」
「あいつは……死ぬしかないのか。大人の勝手で始めた戦争の後処理を、あいつひとりがしないとダメなのか」
「………」
ミハイルは唇を真一文字に引き締めて、天井を見上げた。
その空間に、何か思いを馳せているのか。彼もシュラルドと同じ気持ちであることを願いたい。償いの方法は死だけではないのだと。
「ミーシャ、おまえはどう思う」
「……私たちやミズキが生まれたときは、すでにクラリスとディスタンシアは交戦中でした。私たちは、戦争が当たり前の中で育った……。そして当たり前のように巻き込まれた。正直、理不尽とは思いますよ。戦後処理なんて、責任の大元はどこかといえば、私たちではないのですから」
「……だよな」
生まれた時から戦禍だった。
クラリスは軍人のみの被害が大きく、国内はそうでもなかったが、それでも街で傷病軍人が歩いているのを見かけると、国の外に出たらどんな酷いことになっているのか、怖くて震え、それを見ながら大人になった。
シュラルドは母親が医師だったから、その後を継いだ。とりわけシュラルド自身は器用で腕も良かったから、野戦病院の医師として現場の任務に就いたが、幸にして、味方が防衛ラインをきっちり守っていたので、危ない思いはしなかった。
目の前で消えゆく命の炎をもう一度力強く燃やすこと。その仕事だけに集中した。
シュラルドはテントの中にいた。人間同士が命を散らす、砂埃舞う戦場を見ていない。
だが、医師として戦場で戦った。だからこそ思うのだろう。
生きていて、何が悪いのだ、と。
それは戦場で大切な人を失った者たちからすれば、「なにを寝ぼけたことを」と言われるのかもしれない。
それでも、国中の怨嗟を背負ったとしても、ミズキには生きていてほしい。
戦争は終わったとはいえ、この先の未来は誰にもわからない。戦争を始めるのは人間だ。だがそれを回避できるのも人間しかいない。未来に向けてもまだ恨みを背負うなんて冗談じゃない。戦争を知る者だからこそ、できることだってあるはずだ。
逆に平和を知らなければ、平和を維持する方法がわからないままだ。
「ミーシャにとっちゃミズキは兄貴の仇、クラリス全軍にとっても敵とも言えるのに、ミズキを見ていると、赦すと言う決断をしないとって思う。この国はいつまで恨みを持って行くんだ?」
「ミズキもまた、この狂った時代の被害者です。そして、彼の体の半分はクラリスの血が流れている。いわば同胞ですよ。こんな時代でなければ、そして彼の父親が斥候などでなかったら、彼は狙撃手にはならなかったでしょう。そう……こんな時代でなかったら」
どこにぶつけていいのかわからない戦争で受けた苦しみ。いったいそれはいつになったら終わる?
「この国に留め置かれているディスタンシアの捕虜を全員処刑したら、この国の連中は満足するのか? ミーシャはどうだ。それで兄貴の恨みはおさまるか?」
「そんなわけないでしょう」
シュラルドの問いに、ミハイルは吐き捨てるように答えた。
「どうしたって兄は戻ってきません。グスタフと一緒に、兄を失った悲しみをミズキの全身に刻みつけて殺してやろうと思っていたのに……ミズキを見ていたら、最初の意思が揺らいでしまった……そして今また、私は兄に続き、戦争の犠牲にミズキも失おうとしている」
「ミーシャ……」
「彼の境遇に同情したわけではありません。でもあの美しい瞳は、自由と幸せを知らないままです。私は彼の瞳にたくさんたくさん、ありふれた平和を見せてやりたい。兄には申し訳ありませんが、ここで立ち止まっているままではなく、未来へ向かって歩みを進めなくては……そう思います」
こんなに苦しそうな顔をしている親友を、シュラルドは初めて見た気がした。
「ミーシャ、じゃあおまえはもう、ミズキへの復讐は考えていないのか」
「考えていません。今もこうして、彼を生かす方法を考えています。でも私には……彼を助ける力がない。それどころか、私は立場上、彼の絶命の瞬間まで見なくてはならない。……こんな残酷なことはないですよ」
「ミーシャ……」
ミハイルの声は涙交じりに震えていた。
黒衣の悪魔は、いつだって冷静で冷酷だったのに。
自分の心の中に、大切な人がいることが、人を強くも弱くもさせてしまう。
シュラルドの目の前にいるミハイルは、かつての冷たい彼ではなかった。
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