クリスタライズ~ある狙撃手へのレクイエム~

浅倉優稀

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#37 ミズキの痕跡

#37_1 

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 シュラルドと少しばかりの時間を過ごしたと思っていたが、気がつけば時間は深夜1時を回っていた。
 軍事裁判ーーという名の懲罰ライブーーが始まってから、忙しい日々を過ごしていた。ただ、ミハイルの懲罰を決めるだけであれば、傍聴人まで入れて裁判などする必要はなかったのに、こうまでした理由は、軍に対する国民のガス抜きをしたかったのがあるのだろう。
 終戦からこちら、マスコミのミズキや戦後処理に対する国へのアジテーションがひどかったから、国民はみんななにかしらの「イベント」を見たくて仕方ないのだ。
 しかし、今日ミハイルが傍聴者の前で明らかにした、「クラウスによるミズキへの蛮行」そして「クラウスが考えるディスタンシア捕虜の処遇と再利用」を聞かされ、傍聴人たちの空気が少しばかり変化した。
 全員ではないかもしれないが、聴衆たちの中に、自分たちすらも気づかずにいた、ある種の罪悪感を植え付けることができればそれでいい。ミハイルはそう考えていた。
 ミズキの処分が厳しいものになるとしても、ただの極悪人で断罪されることはない。どうせ天国そらへ逝く運命なら、せめて現世ここでの荷物は軽くしてやりたい。
 ミズキは……いなくなる。
 仕方ない時代の、どうしようもない運命。
 もう何度も考えた。
 戦争などなかったらーーと。
 戦いを始めた政治家たちは戦地に赴かない。家族には安全な場所を確保して、なるべく普通の生活を続けて送れるようにしているのに、意思に反して住み慣れた場所を離れ、やりたくもない殺人を犯し、失いたくない人を失って悲しみにくれるのはいつだって市井の人々だ。
 ミハイルは軍人だ。クラリスという国と国民を守るために働いてきた。
 しかし自分のこの手は家族どころか、たったひとり、自分が愛した人すら守れない。
 自分の存在とは、いったいなんなのか。
 そんなことを考えていたら、ミズキの病室の前に来てしまった。
 会いたい気持ちが無意識にここに向かわせたかと、ミズキへの溺れっぷりにミハイルは苦笑する。
 でも……もうしばらくミズキの顔を見ていない。
 シュラルドがミズキを診ているし、裁判にも出廷できたというから、傷は回復に向かっているのだろう。
 面会時間はとっくに過ぎている。
 でも、一目だけでいい。
 ミズキに……会いたい。
 病室のドアノブに手をかけ、音がしないようにゆっくりと回す。鍵はかかっておらず、体でドアを押し開ける。
「失礼しますよ、ミズキ」
 小さな声で一言断りを入れ、ベッドに目をやる。
 ベッドのそばには点滴スタンドがあり、透明な薬剤の入った袋がぶら下がっている。そこから伸びるルートはミズキの腕に刺さっていた。規則的に落ちる点滴の薬剤、これがミズキの回復の手助けをしている。
 シュラルドの話によると、ミズキがちゃんと動けるようになるには、まだ半月くらいかかるということだった。そんな体調で法廷にひきずりだされたのだから、体へのダメージが来ているのだろう。
ーー無論、心にも。
 相変わらず、ミズキの顔の半分くらいが大きな包帯で覆われている。しかし、薬のおかげか、それとも治癒が進んでいるのか、そのいずれもか。静かな寝息をたてて、穏やかな顔でミズキは眠っている。
 顔が隠れていても、やはり眠れる森の可憐な少女のように見える。
 ミハイルは狙撃手としてのミズキを知っている。ミズキが標的を狙う時、蒼を帯びる黒くて大きな瞳に赤い炎が立ち上がり、スッと切れ味を帯びる獣のように変化する。
 その反面、嬉しいことや楽しいことがあると、目尻が下がって、心の底から満足したような笑顔になる。ミハイルはその宝石に心を奪われてしまった。
 そしてミズキはミハイルだけでなく、グスタフやジュリアの心をも変えた。そしてシュラルドすら、ミズキを生かす方法を模索し始めた。
    ミズキには心の中に澱む黒い恨みすら無くしてしまう、不思議で優しい波動カタルシスがあるようにも思えた。
 いずれ殺す。こいつは兄を殺した仇だ。弾丸一発などで済ますものか。足や腕の骨を粉砕し、指をゆっくり一本ずつ落とし、背中にはナイフで罪状を彫り入れながら書き込んで、死んだほうがマシだと懇願するまで、痛みと苦しみ、そして絶望を与えてやるーー何度も何度も自分に言い聞かせた。
 だが、心を奪われてしまった以上、自分から諦めるなんてできない。
 ミズキが自分を嫌い、心底恨んでくれるよう願い、ミズキにも自分を恨めと何度も言った。彼が自分を恨んだままなら、殺すときに躊躇しなくて済む。そう思った。
 だがミズキはミハイルに言った。ーーミハイルのことを、嫌いになれなくてごめんなさい。と。
 目の前で眠る、ミハイルの大切な人。クラウスがミハイルに向けた銃口。ミズキは自らの肉を斬らせて、クラウスの骨ばかりでなく命も断った。
 ミズキが庇わなければ、死んでいたのは自分で、ミズキはクラウスに捕らえられたままーーそんな未来は認めない。
 ミズキに大きな代償を支払わせたが、そのおかげで2人ともまだ生きてここにいる。
  そこに彼の打算はない。ミハイルのために、彼は体を盾にした。
「ミズキ……」
 愛しいその名を呼ぶ。顔を見ると、愛しさと嬉しさで泣きそうになってしまう。
 怪我をしている目の部分にはなるべく触れないようにして、ミズキの額にそっと手を触れた。額は熱かった。熱があるのだろうか。
「今日は……お疲れ様でした。ミズキ、よくがんばりましたね」
「ふぅ……ん? だぁ……れ?」
 片方の瞳が薄く開いた。
「あ………れぇ?」
「こんばんは、ミズキ。起こしてごめんなさいね」
「みは……る……。こんばんは……」
 どうも睡魔がまだミズキを離してくれないようだ。起こしてしまったと思ったが、どうせまた眠ってしまうだろう。
 ミハイルは子守唄がわりと、ミズキの頭をそっと撫でる。
「えへへ………」
 頭を撫でられるのが嬉しいのか、ミズキは満足げに微笑む。
「ミハイル……僕ね……頑張ったんだよ……」
「そうですね。本当にあなたはよくがんばりました。今日は疲れましたよね」
「うん……僕、ちゃんと……法廷で…お話できたよ……」
 ミハイルはミズキが何を話したのかを聞かなかった。
 聞かなくても予想はできる。ミズキの性格なら、きっと裁判の席で自分が全て罪を被る旨の主張をしたのだろう。
 軍は、犠牲者全員分の命の代償を、ミズキに背負わせる審理の展開をしたはずだ。そしてミズキは多分それを認めた。
 言い渡しがされたという話は聞かなかったから、ミズキの断罪も後日発表なのだろう。
「そうですか……法廷で……お話できたんですね。みんなの前で、泣いたりしませんでしたか?」
「僕……軍人だもん……泣かないよぅ……」
 目は覚めているようだが、声がふんわりとしていた。薬のせいなのだろう。今夜は遅いし、自分のわがままで来てしまったのだから、早々に退散してミズキを休ませてやらないと。
「ミズキ」
 それじゃあと踵を返そうとしたとき、ミズキの手がミハイルの服を掴んだ。
「…ミズキ? どうしましたか?」
「……僕、いつまであなたと一緒にいられる……?」
「ミズキ?」
 一瞬、問われた意味がわからなかった。だが、瞬間でその意味を理解した。
 恋情も、生命も、全てが切り離される残酷な砂時計の残り時間を、ミズキは聞いているのだ。
 ミハイルは腰を落とし、ベッドの上のミズキに視線をあわせる。近づいて初めてわかった。ミズキの瞳は涙で潤んでいた。
「ミズキ……」
「僕、いつ処刑されるの?」
「それは分かりません。ですが、クラリスでは判決が出れば、被告は即日中に刑の執行となります。刑務所に行く、ということですね」
「僕は……? だって僕、きっと」
「ミズキ」
 ミズキに最後まで言わせず、ミハイルは「まだ決まってもいないでしょう」と笑った。 
 ミハイルは法律家ではない。量刑を決める立場にはないが、さっきのシュラルドの態度からも、どのみちミズキは厳しい刑が求刑されるのは容易に予想できる。
 死刑となれば、クラリスの場合は半年以内の処刑となるが、ミズキの場合は軍事裁判になるので、おそらく一週間以内で前日言い渡し、翌日執行だろう。
 戦争中だったら尋問中に殺してしまうこともあったが、こうして公開裁判としてミズキが裁かれるのなら、クラリスの法律に則ったものになる。
「余計なことは考えないで、眠りなさい。一応、大きなことは終わったのですから、あとは待ちましょう」
「僕……せめて、あなたに殺してほしいな……」
「ミズキ?」
「銃殺されるにしても、僕は最後まであなたを見つめていたいよ」
「……ミズキ」
 どうして、なんてその理由を聞けない。
「ミズキ、あなた」
「僕、最後の最後まで、この記憶にあなた以外を残したくないんだ。もし、他の人が僕を殺すとしても、どこか僕の目に入るところにいてくれたら嬉しいな」
「……あなたは」
 ミハイルは立ち上がると、ミズキの掛布をそっと直しながら「バカですね」と笑った。
「もしかしたら、死刑にならないかもですよ」
 そんなことはありえない。
 ーー今日の法廷の様子からすれば、ミズキは死刑一択になる以外考えづらい。
 ミズキの審理を見ていないが、自分が臨んだ今日の裁判を傍聴した連中は、ほぼ下衆な興味にしか反応しなかった。ミズキの裁判もきっと同じような感じだったのだろうと思う。
 それでも、今、自分が口にしたような希望くらいは持っていてもいいのだろうか。
「さ、ミズキ、今日はもう休みましょう。起こした私がいうのも…ですが。傷に障りますよ」
「ううん、ミハイルが来てくれて嬉しいんだ。そのほうがきっと傷もすぐ治るよ」
「シュラルド先生の腕がいいからですよ。私はあなたに何もしてあげられないのだから」
「そんなこと……ないんだよぅ……」
 ミズキがぷくと頬を膨らませた。
「膨れていないで。かわいいお顔が台無しです。ミズキ、おやすみなさい」
 ミハイルはミズキに背を向け、病室を後にする。
 音がしないようにそっとドアを閉じる。
「ミズ……っ!」
 ミハイルはドアに背を預け床に頽れた。声にならない嗚咽とともに、頬に熱いものが流れる。どうやら自分は泣いている。大人になってから泣いたことなどなかった。
 そして、こんなふうに誰かの存在が、自分の全てを支配してしまっていることも。
 ミズキへの気持ちは大きくなって、もう彼なしでは歩けない。
 割れたガラスが全身を貫くような痛みを感じながら、ミハイルはよろよろと立ち上がり、力無く自室へ向かう。
 静かな廊下に響く軍靴の音は、2人に残された時間の重みを刻む、振り子時計のようだ。
 ミズキと出会ってしまったことを、こんなにも後悔するなんて思いもしなかった。失うことがこんなに怖くて苦しいなら、ミズキをさっさと殺しておけばよかった。
 それなのに、今は。
 こんなにも自分の心が愛しさに震えるほど、ミズキの痕跡がつくなんて思いもしなかった。
「ミズキ……あなたが愛しい……」
 ミズキの無邪気な笑顔を思い出せば思い出すほど、彼への愛が大きくなり抑え込めない。
 一緒にいられないなら、せめてミズキには生きていてほしい。彼が生きていれば、何度だって恋のやり直しはできる。
 だがミズキがいない世の中なんて、ミハイルにとって何の希望もない灰色の世界だ。
 運命は悪い方にこそスムーズに進む。きっと自分たちには時間がない。
 ミズキへ抱く願いも気持ちも、全てが音を立てて崩れるのを、流れる涙と共に聞いていた。
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