クリスタライズ~ある狙撃手へのレクイエム~

浅倉優稀

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#36 開廷

#36−1

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 日々はあっという間に過ぎて行き、軍事裁判の日がやってきた。
 ミズキは病室の鏡の前に立ち、白いカッターシャツと黒いスラックスを着た自分の姿を確認していた。
 まだ顔の半分と手のひらの包帯はとれていない。そんな風貌でシャツの色が白なのも相まって、上半身全てが包帯男みたいに見える。
 正直、かなり回復はしたものの、まだ傷の痛みもあって自分の足で歩くのはきつい。
 さらには片目だけしか見えていないので、すぐに目が疲れてぼやけてしまうのも悩みの種だった。
「……僕はあと何日生きられるだろう」
 軍事裁判がどれくらいの期間で結審するのかわからない。それを思うと、この服は黄泉へ向かうためのタキシードのように思えてくる。
 ミハイルはあの夜以来、病室に来ることはなかった。代わりにグスタフが時折着替えやお菓子を持ってきてくれるようになった。
 ミハイルの様子を聞くと「兄貴、すごい忙しい。自分の資料作りやら、変なのに絡まれて、通常業務もろくにできていない」という。
 グスタフの言うところの、ミハイルに絡む「変なの」とは、軍の検察に当たる連中のようで、しょっちゅう呼び出しては同じ質問を何度も何度も繰り返すらしい。
「一度言って理解できねーのかっていうの。時間の無駄なんだよ」とグスタフは憤慨していた。
 おそらくそれはミハイルに「反論」という武器を作らせないための工作なのだろう。
 ミズキはそう思ったが、グスタフには黙っておくことにした。彼は興奮すると声のトーンが大きくなるので、話は漏れてしまうし、なによりシュラルドの怒りを買う。
 そうやって過ぎて行った2週間。ミハイルに捕まったあの雪の日に、心底望んだ日を迎えられたというのに、自らの望みとは裏腹に、心は重かった。
「ミズキ、支度できたか」
 ドアが開き、シュラルドが入ってきた。
「うん、町で適当に買ってこさせたが、よく似合っている。サイズもちょうどいいな」
 ミズキの格好を見て、シュラルドが満足そうに頷いた。
「先生、何から何までありがとうございます」
 頭を下げて礼を言うと、シュラルドは「いいんだ」と笑った。
「今のおまえさんを街に連れて行ったら大変だし、なにより傷を治してもらうことが先決だった。本当はもう半月時間があれば良かったんだが……」
「先生の腕がいいから、僕、こんなに回復したんですよ」
 見て、とばかりにその場で軽く飛び上がっては見たものの、やはり着地と同時に衝撃が傷を正確に直撃する。
「痛い……」
「当たり前だ。ほら、今日のおまえはこれで移動するんだ」
 シュラルドが入り口に置いてある車椅子を指さす。
「担当医師として、俺が法廷につきそう。体調に変化があったらすぐにでもここに連れて帰る」
 そんな気遣い無用だ。自分は罪人としてこれから裁かれる。
 だが何よりも気になることがあった。
「ミハイルは……?」
 彼はどうしているのだろう。こんな時にと思いながらも、恐る恐る訊ねてみると、シュラルドは神妙な面持ちで遠くへと視線をやる。
「ミーシャもこれから戦うんだ。おまえの名誉を守るために」
「僕の? なぜ?」
「ミーシャはクラウスを殺したのは自分だと言い張っている。実際のところ、俺はおまえとミーシャが何をしたのかは詳しくは知らん。が、余計なごたごたまで法廷で明らかにする気はないんだろう。たぶんな」
「それは、僕があの海軍の人と一緒にいたこと、なの……?」
 クラウスに激しく抱かれたときのことをふっと思い出す。あの男は恐ろしいほどミズキに執着していた。
 ミズキを絶対に渡さないと言い、ミハイルの前で辱めた。
「そのこと」なのだろうか……。
 シュラルドは知らないと言ったが、実のところ「そのこと」を彼は知っているのではないのか。
 自然と表情も気持ちも、何もかもが翳ってくる。
「あの海軍のえらい人を殺したのは……僕だよ。それだけは」
「間違いないのか?」
「うん」
「じゃあなぜ殺した?」
「僕……」
 クラウスに向けて凶弾を撃ったのは、たった一つの願いをかなえたかったから。
「僕はミハイルを……守りたかったんだ」
「ミーシャを守りたかった?」
「うん……」
 大切な人を守りたかった。その人の命も、未来も何もかも。
 あの時、ミハイルに撃鉄トリガーを引かせたくなかったから、ミズキがクラウスを撃ったのだ。
 どうせ死ぬ身、罪の一つや二つ増えたところで、別に構わない。
 それよりも大切な人のすべてをけがしたくなかった。
「僕のせいで、ミハイルが死ぬって思って……だから咄嗟に」
「銃を取って、クラウスの爺様をぶち殺した……ってことか?」
「うん」
 ミズキは深くうなづいた。
「僕、ミハイルに何もあげられないし、恩返しもできない。出来るのは、僕が彼の盾になることくらい……僕が死ぬとしても、彼を守れるならそれでいいんだ」
 命を投げ出すことで、大好きな人を守れるなら、安いものだ。
 後悔はない。クラウスを殺した事実がミズキだと認定されるならそれでいい。
 大切な人のために殉ずるのなら、むしろそのほうが誇らしい。
「僕、大好きなんだ。ミハイルもグスタフも、先生も……この国で知り合ったみんなが」
 この気持ちは嘘じゃない。そしてミハイルに関しては、「大好きよりも上」の気持ちだ。これを何て言えばいいのか、ミズキにはわからないし、恥ずかしくて、なかなか言えないけれど。
「ミハイルが助かるなら、僕は何でもするんだ」
 ミズキはそう言うとニコッと笑った。それにつられて、シュラルドも表情を緩めた。
「ミズキ……おまえって奴は面白い奴だな」
「面白くしたつもりもないんだけどな」
 結構僕は真面目なんだよと返すと、今度はシュラルドが腹を抱えて「真面目なのかよ、それ」と笑い出したが、すぐに時計を見る。
「おっと、入廷時間まで時間がないな。そろそろ行くぞ。ほら」
 さあ乗れと促され、ミズキはゆっくりと車椅子まで歩いていく。片目で前を見ているから、その不安定な視界になれず、足取りがおぼつかない。
 歩行訓練をすれば、じきにまた筋肉がついて元のように歩けるそうだが、今はまだ老人のようにゆっくりと歩くしかできない。
 少し長めの時間を掛けて車いすまでたどり着くと、シュラルドに促されるまま、ゆっくりと腰かけた。
「先生、僕のこと、こんなに優しくしてくれてありがとう。僕、今なら銃殺言い渡されても大丈夫だよ」
「子どもには酷な運命が待っているってのに、おまえは本当に前向きだな」
「子どもじゃないのに……もう大人だよ」
 ぷくと頬を膨らませると、シュラルドの笑い声が頭上から降ってくる。
「そういうのは、子どもがよくやる顔だ」
 ミズキは色白で、顔は中性的だ。それも少女のような幼い顔をしている。色々な人に「ミズキは父親似だ」と言われたが、ミズキの記憶に残る父親の姿はぼんやりとして、顔もよく覚えていない。
 でもミズキと関わった人は、誰もが父親に惹かれ、焦がれ、そして――恨みをもった。
 自らの生い立ちに関することは、シュトラウスが書いたであろう日記に残されていたが、父親が実際のところ、クラリスとディスタンシアの間で何をしようとしていたのかは書き残されていない。
 ただ、クリスタライズを開発した人物だろうと言うのはわかった。
 その謎も解きたいが、ミズキに残されている時間はあまりにも短く不透明だ。
「さあミズキ、法廷へ行くぞ。おまえと同じ時間、隣の部屋ではミハイルがおまえの尊厳をかけて戦っている」
 シュラルドは気合を入れるかのように、ミズキの両肩を軽く叩いた。
「恥じるところがないなら、おまえも卑屈にならず、堂々と臨め」
「はいっ!」
「よしよし、元気なのが一番だ」
 シュラルドに押された車いすがゆっくりと動きだす。
 その行き先は、ミズキを裁く大法廷。
 未来はどう見ても明るくはなかったが、ミズキの心は不思議なほどに静謐に満ちていた。
 どんなひどい言葉を投げつけられても、今なら胸をかき乱すような小さな漣すら起こすこともできないくらいに、気持ちはすっきりと落ち着いていた。
   見事な装飾が施された重い木製のドアの前に立つと、そのドアがゆっくりと開いた。薄暗い廊下に慣れた目には、大法廷の明るさはたくさんの光を一気に浴びたような眩さで、ミズキは思わず目を閉じた。
「あいつが、クラウス大将を殺した奴か」
「まだ子供じゃないか」
 そんなざわめきが傍聴席から漏れ聞こえる。この裁判はクラリスでは非常に注目されているらしく、傍聴席は満員で、マスコミらしき連中はカメラをミズキに向け、たくさんのフラッシュをたく。
 まるで花火のように、次々と虹色の光がミズキを捕らえて爆ぜる。
「ミズキ、この国では、裁判が始まる前に、マスコミに撮影許可が与えられる。見世物みたいで気分がよくないと思うが、我慢してくれ」
 シュラルドがミズキの耳元でこの洗礼の理由を囁いた瞬間、法廷の右手、黒のマントを羽織った裁判長らしき男性が立ち上がった。
「報道関係者は撮影をやめてください。間もなく開廷です。撮影をやめてください」
 低くよく通る声が響き、マスコミらのシャッターの音が止まった。
「報道関係者は電源を切り、機材をしまってください。被告人は被告人席へ移動してください。なお、被告人に対する介助者の帯同を認めます」
 裁判長はミズキたちの方を向いて軽く頷いた。それに応え、ミズキも裁判長に一礼する。
 シュラルドは静かに車いすを押して、被告人席へ向かう。やがて法廷中央で車いすを止めると、向きを裁判官の方に向けてロックをかけ、ミズキの左側に立つ。
「先生、ありがとう」
 ミズキが小声で礼を述べると、シュラルドは頷いた。
「被告人席の後ろに介助者の椅子を準備しています。介助者はそこに座って裁判を傍聴してください。なお、介助者の発言、また行動はいかなる理由があろうと一切認めません」
「なっ……!」
 シュラルドは低くうなると、右手をスッと上げ、一歩前に出た。
「僭越ながら申し上げます!」
「介助者の発言は認められません」
「いいえ!」
 発言を制止されても、シュラルドは構わず続けた。
「私は彼の主治医です。彼はご覧の通り、大けがをしており、現在も状態は芳しくありません。介助者として、また主治医として、彼の医療面でのサポートを許可願います」
 裁判長は切れるような怜悧な視線をシュラルドに向けた。
「介助者の申し入れは、一切許可できません」
「しかし、彼は!」
「これ以上は強制退廷となります。介助者にもう一度通告します。介助者の発言、行動はいかなる理由があろうと、一切認めません。介助者は本日の審理が終了するまで、指定場所での待機をお願いします」
 ミズキはシュラルドと裁判長の攻防戦を見守っていたが、シュラルドは拳を硬く握りしめ、「承知しました」といい、一歩下がると、ミズキの横に戻った。
 裁判官がシュラルドのサポートを認めないのは、関係ない人間が首を突っ込むなという意味ではない。
 この法廷でミズキがどうなろうがかまわないということだ。ミズキの具合が急変して、死ぬような目に遭ったとしてもーーいや、死んでも構わないという裁判官の思惑が、その発言に透けて見えて、ミズキは苦笑した。
 まともな裁判を受けられるなんて毛頭考えていない。
 ある意味、予測通りに事が進みそうだ。彼らの目的は、ミズキを処刑台に送ること。それ以外にない。
――面白くなってきた。
 自然に笑みがこぼれる。どのみちもう逃げも隠れもできないのだ。
 クラリス国における、戦犯を裁く軍事法廷では、被告に一応弁護人が付く。しかし、被告に有利な証言があってもほぼそれは評価されずに終わるという。
 有罪か無罪かを決めるのは、裁判のために集められた陪審員たちで、決め方も多数決だという。その結果、有罪の場合は裁判長が最終的な量刑が決定される……と、シュラルドから聞いた。
 弁護人がついたとしても、ろくな弁護など期待できないと思っていたから、もう多数決でさっさと決着をつけてほしい。陪審員たちもミズキが有罪か無罪かなんて話し合いはしないだろう。有罪にするべく事前の申し合わせは済んでいるはずだ。
 ミズキがここでディスタンシアがクラリスに対して犯した戦争犯罪とクラウス殺しの罪を言い渡されれば、ミハイルに追及の手が及ぶことはないし、クラリス国としてもミズキはともかく、陸軍のトップにまで粛清の手を伸ばすとは考えづらい。
 裁判官の傍らには分厚い法律書があり、そこにこの国の規律がびっしり記載されているのだろう。裁判官の後ろにある、年季の入った木製の壁には、女性が天秤を掲げる公平を意味するテミスの天秤レリーフが彫られている。法廷において、天秤は司法、裁判の公平さの象徴だが、レリーフというのがまた皮肉なものだ。  
 レリーフは「浮き彫り」という意味を持つ。
 ここが「戦争犯罪人」を裁く軍事法廷であるなら、法律書は厳しい断罪をミズキに突き付け、浮き彫りになるのはクラウスがミズキに対して行った悪虐非道の行為ではなく、クラリスに都合のいい創作でっちあげも含めた「ミズキの罪」だ。
「では開廷します。介助人は指定の場所へ」
 シュラルドは「はい」と返答し、ミズキの傍らに腰を落とした。
「ミズキ」
「先生?」
 何事かとミズキが目を丸くすると、シュラルドはミズキの双肩に手を置いた。
「ミズキ、何があっても俺はおまえの味方だ。それを忘れるな」
「先生……」
「皮肉な運命だが、おまえも国を背負って戦ったんだ。そこに恥じることが何もないなら、前だけ向いていればいい。おまえはひとりじゃない」
「はい」
「よし、がんばれよ」
 まるで励ますように、シュラルドが優しくミズキの肩をぽんぽんと叩き、シュラルドは指定された場所に腰を下ろす。
「では裁判を始めます」
 裁判長が開廷を宣言し、シュラルドは指示された通り、ミズキの後ろに設置された椅子に腰かけた。
 裁判長の木槌ガベルが澄んだ音を響かせ、一瞬にして法廷の空気が変わる。
「被告人はその場で名前を述べなさい」
 裁判長に言われ、ミズキは息を吸い込んだ。
「ミズキ・ブランケンハイム」
「職業を述べなさい」
「ディスタンシア軍の狙撃兵スナイパーです」
「よろしい。ではあなたの裁判を始めます」
ミズキの運命を決する大一番がいま、幕を開けた。
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