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しおりを挟むキョウ君がバスルームから出てきたのは、私がちょうどタコときゅうりとワカメで酢の物を作り終わった時だった。
彼は逞しい肢体にバスローブ一枚を羽織っただけの姿だ。
このバスローブはクリスマスプレゼントに二人お揃いで買った物。
〝タミちゃん謝恩感謝デー〟にホテルでお泊りさせてもらった時、着用したバスローブがあまりに着心地よかったので奮発して似たようなものを購入した。これが大当たりで今では二人のお気に入りになっている。
「キョウ君、新年会どうだった?」
「……うん、普通。飲んで、食って、騒いで……」
江戸切子のグラスに“千代の光”をお酌しながら何気なく聞いたのだが、彼の返事はいまいち冴えない。よく見ると表情も曇り気味だった。
実はなんとなく気になっていたのだ。外で飲んできたのに飲み直したいだなんて、深酒をしないキョウ君らしくないと。
キョウ君と一緒に住み始めて分かったことがある。
彼は滅多に弱音を吐かない。しかし何か聞いて欲しい事がある時は私を家飲みに誘う事が多いのだ。
私はタコの酢の物をつまみ、「タコは〝多幸〟でお正月には縁起がいいんだよ~」なんておばさんチックなウンチクを披露しつつ、彼の心が日本酒で温まっていくのを待った。
キョウ君は凄い勢いでタコの酢の物を食べ進め、グラスの中のお酒がほとんどなくなった頃、ポツポツと言葉を吐き出し始めた。
「実は…ここ何ヶ月かJ2リーグのチームに来ないかって誘われているんだ…エリナと正式離婚した時に少しマスコミに騒がれたじゃん。それがきっかけで俺の事を思い出したスカウトがいて、練習場に通ってくるようになっていた。そのスカウトが新年会に来ていたんだ」
私は彼の話に耳を傾けつつ、冷蔵庫に入っていたお節の残りも食卓にのせる。
酢の物を食べた勢いからして、もしかすると彼が新年会であまり食べられなかったのかもしれない。
三段重だったお節は今や一段となり色合いの悪いお弁当的なオーラを放っていたが、それでもキョウ君は「昆布巻きまだあったんだ、やった!」と声を上げると早速箸を伸ばした。
「スカウトの人は練習とか試合とか見に来るうちにタガワのメンバーとも仲良くなったから、みんなが新年会に誘ったんだけど……飲むと熱くなるタイプの人だったみたいで……色々説教されちゃった」
私はキョウ君の空いたグラスに今度は“久保田”を注いだ。甘めの昆布巻きをつまんでいるので“久保田”の方が合うだろう。
私は何も言わず、ただ彼の話を聞きながらお酌をする。
今は彼のペースで心の内を声にする時だ。
「俺、言われたんだ……〝男なら頂点を目指せ〟〝この条件のスカウトをどれほど多くのサッカー選手が望んでいると思っているんだ〟〝今のジェットは逃げている〟〝人生をかけてサッカーと向き合え!〟って……そういう感じのことを2時間も聞かされて……そのスカウトの言う事、間違ってないと思う自分がいて……」
キョウ君は隣にいる私にその大きな体を摺り寄せてくる。
なんだかク~ンと苦しげに鳴く大型犬の声が聞こえてきそうだった。
「俺、逃げてるのかな。スカウトからはタガワで働いていたら何年もかかって稼ぐ金額でオファーを受けてる……こんなチャンスを掴むのに躊躇っている俺は……やっぱりダメなのかな」
私は彼の頭を撫でながら自分の言葉を探した。
確かに実業団チームではいくらゴールを決めても一銭の得にもならず、メンバーはみんなスパイクシューズ一つを買うにもお給料の中からやり繰りをしなければいけない。キョウ君がオファーに尻込みするのは贅沢なのだろう。
だけどキョウ君は若い頃からプロの世界で生きてきたからこそ、年俸の裏に隠されたシビアな世界を知っている。
体は強靭だけれどキョウ君の精神は意外と繊細だ。
彼が再びサッカーを仕事にすれば、今のように笑顔でボールを追う事はなくなるだろう。
サッカーに関して私は何も言うべきことはないけれど、キョウ君にはなるべく笑顔でいて欲しかった。
「キョウ君。私サッカーのことは分からないけれど、男ならこうすべき、好きならああすべきって人に言われるのは違うと思う。プロでお金を稼ぐことが誰にとっても正解ではないだろうし……私はキョウ君がキョウ君らしくサッカーと向き合えればそれでいいんじゃないかなって思うよ」
「……うん……ありがとう。タミちゃん……」
彼はふわりと微笑むと、「大好き」と言ってこめかみにキスをくれた。
私だってイラストレーターとして個人で仕事をしながら、日々悩んでいる。キョウ君も実業団チームでサッカーボールを追いかけつつも、迷いながら生きている。
生きていくって道を探しながら毎日探検をするようなものだ。
時々しんどくなる。
でも大丈夫。
二人でいられたら、たとえ迷子になってもきっと楽しい。
私の肩を引き寄せてキョウ君の顔には、いつもの可愛い笑顔があった。
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