だから俺には春が来ない。

入巣 八雲

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15 それでもそのシフォンケーキには夢がある。

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 久米くめの依頼を引き受けた翌日の今日、俺は最後の授業である3限目を終えると、部室へ行く前に腹を満たすべく購買へと足を運んだ。

 長い行列の末ようやく目当てのサンドイッチを手に入れた俺は、暑苦しい人混みの中を掻き分け出口を目指す。
 やっと人混みを脱出し、出口を目の前にしたというところで、がやがやと鬱陶うっとうしい界隈かいわいの中、ゆらゆらと揺れる見慣れたポニーテールが俺の前を横切った。

 明らかに俺の姿を見てから素通りしやがったよな...。

「なぁ、おい!」

 俺にしては珍しく張った声で呼びかける。だが彼女は振り向かない。

「おい愛梨!」

 名前を読んでみるとその歩みを止め、立ち止まってくれた。

「なんですか?」

 呼び止めたはいいが、振り向いた幼馴染は酷く不貞腐ふてくされていて、そしてなぜか敬語だった。

「何むくれてんだよ。」

「どなたですか?私の知り合いにシスコンの変態はいません。」

 まだこないだのこと根に持ってるのか......。ってかシスコンじゃねぇし。

 先日、我が愛しき妹が遊びに来た日、愛梨は俺たち兄妹の仲睦まじ過ぎる実態を長い付き合いながらも初めて知ったようで、それからというものここ数日、俺はずっとこいつに避けられていたのだった。

「俺はシスコンでもなければ変態でもないぞ。」

「道端で堂々とエロ本見てたくせに。」

「わかった、変態は認めよう。だからそれ以上言わないであげて。」

 いくら俺の精神が強靭だといっても、こんなに人がいる前で暴露されては流石に敵わん。別に恥じることはなにもしていないのに......男としては。

「くふっ、認めちゃうんだ...!」

 なんでか吹き出すほど可笑しかったようだ。しかし俺としては笑みがこぼれてホッとした。って言っても嫌われたかと思ったとか、そういうのじゃないんだからね。

「それで?どうかした? しづから話しかけてくるなんて久々な気がするよ。」

「そうか? まぁ、これといって用があるわけじゃなかったんだが......。」

 俺はとりあえず正直に答える。別に幼馴染と気まずいのが続くのが嫌だったからとか、そういうのでもないんだからね。いやマジでなんとなく。

「そう......なんだ。 ふーん...。」

 すると何故か愛梨は薄っすらと頬を赤らめ、俺から顔を下の方に逸らした。
 どうやら機嫌は直してくれたようだがどこか落ち着かない様子である。

 なに?情緒不安定?

「あ、いた! 愛梨ちゃーん。」

 背後から聞き覚えのあるどことなく幼い感じの声が近づいてくる。

「っておろ? 紫月しづきくん!」

 振り返ってみると、目の前にひょっこりとアホ毛が立っていた。喋るアホ毛かと思いきや、少し視線を下に落としてみると、そこには先日知り合ったばかりの星ヶ崎 羽衣音はいねの顔が拳一個分くらいの距離にあった。
 俺はあまりの近さに慌てて後ずさる。目と鼻の先から感じられる女性のフェロモン的な何かに俺の顔は一気に暑くなり、それに伴い胸の鼓動も早まってしまう。

「うぉっ!? ......星ヶ崎...。」

「きゃっ!」

 あぶねーよ、もうちょっと近かったらでブチュッちまうとこだったじゃねぇか。いやまぁ俺的にはそれでも良かったりとかなんとか、思ったりもしなくもなくもなくもなく......ん?何かひじのあたりに心地良い感触が......。

 俺は左足を重心にして後ずさったのだが、自然とそれについて行っていた左腕が、後ろにいた愛梨に当たってしまったようだった。だが、当たってしまった場所が場所なだけに俺の背筋は瞬く間に凍りつく。
 当たった肘にふと目を向けてみるとそこには、鍛えられた見事なボディラインにも劣らずしっかりと主張された、腕を軽く押し返す程度の弾力がある一流パティシエも驚きの丸いシフォンケーキがあったのだ。

「わ、悪い...。わざとじゃ...ないんだ...。」

 やべぇ、殺られる......。

 愛梨のこの後の反応を考えてしまうと、俺の額からは嫌な汗が垂れ、先程まで火照っていた俺の体は寒気がする程までに一瞬にして冷めきってしまった。

「わかってるわよ...。そこまで怯えなくてもいいじゃない......。」

 そう言った愛梨は頬を赤らめながらむくれているだけで、その剛腕を振りかぶることはなかった。

 いつもなら確実に殴られる場面だよな......。なんか拍子抜けじゃないけど、ビビリ損というか冷や汗損というか......そんな愛梨逆に怖いんだけど。

「ありゃりゃ、これはお邪魔だったかなー?」

「なっ!?」

 星ヶ崎が俺たちの顔をうかがいながら悪戯な笑みを浮かべてつぶやくと、愛梨はさらに頬を赤く染め上げた。

「そんなことはない。お前のお陰で実に甘美な感触を味わえた。」

 いい仕事をしてくれたよ、お前は。こいつの胸に触れたのは小学生の時以来かもしれない。

「お主も悪よのー。」

 ゴスッ!

「ぐふっ!?」

 俺の腹でおぞましいまでに鈍い音がなる。

「ほんと変態!! 行こ、羽衣音!」

 目にも止まらぬ早さで打たれた拳は見事にクリーンヒットをかましてくれた。

 なんだよ......結局殴るんじゃねぇ...か...。

 極真空手さながらに遺憾なく俺へ正拳突きを放った愛梨は、そのまま星ヶ崎を連れて何処かへ去っていく。一方の俺はあまりのダメージに立っていられず、腹を抱えてその場に座り込む。
 まさにT.K.Oであった。

 そしてこの日、そんな惨めな醜態しゅうたいを大勢の前で晒した俺に玉砕貴公子というあられもない称号が、知る由もなく与えられることになったのは言うまでもない......。
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