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第一章
東京ラバーズ その③
しおりを挟む摩天楼の世界が広がる東京・西新宿の一角に、神話上の巨塔を想起させるような白亜の高層オフィスビルがある。
中堅スポーツ用品メーカー『アイキスポーツ』の本社オフィスは、そのビルの二十階から二十五階にかけて入居していた。
そこの二十五階にある一室。周囲のビル群を見はるかす社長室にはこの日、日曜日にもかかわらずおもだった会社の幹部たちが姿を見せていた。
イタリア様式の調度品で統一されたその室内では、イタリア製のスーツで身をかためた六人ほどの男たちが革張りのイタリアンソファーに腰をおろし、イタリア大理石で造られた応接テーブルを囲みながらエスプレッソコーヒーが入ったイタリア陶器製のカップを手にしつつ、なにやら深刻そうな純和風の顔を並べていた。
その中の一人。アイキスポーツの社長であり、東京をホームタウンとするプロサッカークラブ「東京ラバーズFC」のオーナーである愛木直太朗は、室内にいならぶ幹部たちを前に朝から不機嫌のきわみにあった。その理由は三つある。
一つ、ラバーズが、リーグ戦開幕から勝ち星ゼロの連敗続きであったから。
二つ、その原因はチームの強化をはかれないチームの首脳陣の無能さにあると、マスコミやサポーターから批判されていたから。
三つ、それらの批判がおおむね事実であったから。
以上の理由から、愛木は不機嫌さを隠しきれずにいたのである。
「くそっ、マスコミめ。またこんな記事を書いてやがる!」
読んでいたスポーツ新聞を黒檀造りのデスクの上に叩きつけると、愛木はすっかり冷めたコーヒーをがぶがぶと口の中に流しこんだ。
アイキスポーツ社長の愛木直太朗は、今年で60歳になる。
脂ぎった精力的な容貌を持つ初老の男で、180センチ近い身体はこの世代の人間としては高く、幅と厚みもある。
ほぼ真っ白な頭髪をのぞけば、四十代後半といっても通用するであろう。
太い眉と端がつりあがった両目で構成される面相は「威圧的」という表現がぴったりで、ワンマン経営者であることを無言で主張している。
愛木が社長を務めるアイキスポーツは、「世界に通用する日本発のスポーツブランド」を目標に某大手メーカーの社員だった愛木が35歳のときに独立して創業した会社で、自らの名を冠した「AIKE」ブランドのスポーツ用品類を販売する中堅メーカーである。
しかし創業者の意気ごみとは裏腹に、海外の有名ブランドや国内の大手メーカーの前に販売は苦戦を強いられ、世界にうってでるどころか国内ですら低迷が続いた。
東京をホームタウンとするプロサッカークラブを創設し、無謀としか思えないプロリーグ参入を表明して周囲を驚かせたのはそんな最中のことであった。
国内にサッカーのプロリーグが誕生し、日本中が空前のサッカーブームに沸いていた20年前。
それまでスポーツといえば野球かゴルフしか頭になかった愛木は、世間の熱狂的な盛りあがりを目の当たりにして、ひとつの天啓が脳裏に閃いた。
プロリーグに参入するクラブチームに、ユニフォームなどを提供する供給メーカーになれば、海外ブランドや大手メーカーの前に苦戦を強いられている現状を打破できるかもしれない。そう考えたのだ。
供給メーカーともなれば、提供するのはユニフォームだけにとどまらない。
スパイクに始まり、トレーニングウェア、ボール、ソックス、バッグなど、取り扱う商品の種類は多岐にわたる上、テレビの放送などで「AIKE」のロゴが映されれば、その宣伝効果はまさに絶大といえる。
ブランドの浸透と事業の拡大をもくろんだ愛木は、すぐさまプロリーグ参入を表明したクラブチームに契約をもちかけたのだが、愛木が直面した現実は非情なものだった。
「うちはだめだよ。某大手メーカーさんとは、実業団時代からの付き合いがあるからさ」
「供給契約? 無理だね。もうドイツのメーカーと契約したのでね」
「AIKE? そんな海外ブランドのパチモンみたいな製品、とても使えないよ」
と、知名度の低さを理由にことごとく門前払い。「パチモンとはなんだっ!」と愛木が激憤している間にも、各チームのサプライヤーはすべて定まってしまった。
その後、プロリーグは規模を拡大し、参入するチームも年を追うごとに日本各地に増えていったのだが、アイキスポーツとサプライヤー契約を結んでくれるチームはひとつとしてあらわれず、そんな状況が四年、五年と続くと、もとより乏しかった愛木の忍耐力は底を尽き、ついには爆発したのだ。
「ええい、もう他人などあてにするか。こうなったら自分たちでチームを創り、プロリーグに自前で参入してやるわっ!」
ある日の役員会議の席上で発した、怒号にもひとしいこの一語が、すべての始まりであった。
当初、この話を聞いた会社の幹部たちは、皆、血相をかえて驚いた。
創業二十年あまりの中堅企業にプロスポーツチームを運営する体力などない、というのがその理由である。
だが自社製品をことごとく拒否し、あまつさえ「パチモン扱い」した既存のチームに逆恨みにも似た敵愾心を燃やすワンマン社長に、どすのきいた声と猛禽類を思わせる鋭い目で、
「よもや、異論のある者はおるまいなぁ?」
などと凄まれては、反対意見など口にできるわけがなかった。
かくして潜在的反対意見が多数を占める中、愛木主導によるプロリーグ参入計画はスタートしたのだが、そこからが絵に描いたような苦難の道のりであった。
某大手電機メーカーのサッカー部を譲りうけ、それを母体に東京ラバーズを創設したまではよかったが、それにあわせて集めた選手のほとんどが、ほかのチームを解雇された戦力外選手ばかりでは戦力になるはずもない。
まず参入した三部リーグで二年間足踏みし、その後に昇格した二部リーグに四年間もとどまったのは当然の結果であろう。
この間にもラバーズの運営資金は底が見えはじめ、一昨年、元日本代表ゴールキーパーの伊原俊彦を擁して悲願の一部昇格を果たしたときには、すでにクラブの財政は破綻寸前にまでおちいっていた。
当然、一部リーグで戦えるだけの戦力補強などできるはずもなく、その年のリーグ戦では開幕からリーグ新記録となる十連敗を達成。
結果、ぶっちぎりの最下位でシーズンを終え、一年で二部リーグに落ちるのは確実と思われたが、二部チームとの入れ替え戦で得た奇跡にも近い勝利のおかげで、かろうじて降格だけはまぬがれた。
それでもチームの財政難はかわりようもなく、今シーズン前には、待遇の悪さを理由に数人の主力選手が他のチームに逃げだすように移籍。
慌てふためいたフロントはすぐに選手の補充に動いたが、「貧乏」「弱小」「待遇最低」と三拍子そろったチームに来たがる選手などいるわけもなく、移籍交渉はことごとく破談。
かといって外国から助っ人選手を獲得しようにも、チームの累積赤字が十億円を超えていては費用の捻出など夢のまた夢。
結局、今年もまったく補強せずにシーズンを迎え、現在、開幕四連敗、単独最下位という予想どおりの成績に沈んでいた。
日曜日の今日。朝から複数の幹部を社長室に呼び集め、そこで臨時の会議を開いたのも、そんなチームの危機を打開するためだった。そこに集っていた幹部の顔ぶれは、
アイキスポーツ社長・兼・ラバーズ社長 愛木直太朗
同社専務・兼・ラバーズ副社長 名越信一郎
同社営業部長・兼・ラバーズ営業部長 熊谷一郎
同社広報室長・兼・ラバーズ広報室長 瀬功典宏
東京ラバーズ・ゼネラルマネージャー 磯部幸彦
以上の五名である。
その中の一人。手にしていたコーヒーカップを受け皿に戻し、愛木に向かって危機感に満ちた声を向けた者がいる。
年齢は六十歳前後。白髪まじりの細身の男で、アイキスポーツの専務でラバーズの球団副社長を兼務する名越信一郎だ。
「しかし、社長。このままではマスコミの言うとおり、本当に二部リーグに落ちてしまいます。急いでなんらかの手を打ちませんと」
「だからこそ、入団テストで新たな戦力を補充するのではないか。たしか今日だろう、テストは?」
そう愛木が声と視線を投げたのは、ソファーの一番端に座る銀縁の眼鏡をかけた四十代の男にだった。
名を磯部幸彦といい、ラバーズのゼネラルマネージャーを務める人物である。
チームの初代監督であり、二部リーグ時代にフロント入りし、昨年、現職に就任した。
声を向けられた磯辺はうなずき、眼鏡をわずかに直しながら声調をととのえた。
「はい。なにぶん、社長直々のご発案ということもあり、われわれ現場の人間も、万全を期して準備を進めてまいりました」
そう口では言う磯辺であったが、じつのところ、今回の入団テストにまったく乗り気ではなかった。
それどころか内心では「冗談じゃないよ、まったく!」と、苦々しくさえ思っているほどだ。
その理由は実施する時期にある。
シーズンが開幕したばかりのこの時期にテストなど実施したところで、集ってくるのはレベルの低い下部リーグの選手か、この冬に解雇されて、いまだに所属先が見つからない戦力外選手のいずれかであることは明白だったからだ。
それを承知しながらも磯部がテストの無意味さを愛木に進言しなかったのは、部下からの「諫言」を蛇蝎のごとく嫌うその性格を恐れたこともあるが、現在のラバーズがあきらかに戦力不足であることを、ゼネラルマネージャーとして痛感していたからだ。
「まあ、なにもやらないよりはましか」
そう自分自身を納得させて、磯部は準備を進めてきたのだ。
「そういえば、スポンサーの件はどうなりました。協会に依頼してさがしてもらっていたのでしょう?」
そう声を発して幹部たちの視線を集めたのは、テーブルをはさんで名越と向かいあうようにソファーに座る男だった。
前頭部が禿げあがった、肥満気味の小柄な身体をチョコレート色のスーツでつつんだ中年の男で、名を熊谷一郎という。
会社とクラブ双方で営業部長を兼務しているが、当人はゴルフと釣りが趣味で、サッカーにはまったく関心がない。
コーヒーをひと口すすった後、その熊谷が語をつないだ。
「たしか、どこかの飲料メーカーが名乗りをあげたと聞いたのだが、どうなったのかな」
乾いた笑い声で応えたのは名越である。
「デマに決まっているじゃないか、部長。うちのような弱小チームのスポンサーになりたがる物好きな企業が、この不景気なご時世にいるわけないだろう」
「それもそうですな」
名越と熊谷は愉快そうに笑ったが、すぐにその顔から笑いは消えた。
愛木が不快の光をたたえたどぎつい目で、社長席から睨みつけていることに気づいたのだ。
とっさに下を向いて恐縮する二人の幹部に、愛木は陰気な視線を投げつけただけで声にはなにも出さず、ケースから葉巻を取り出して火をつけた。
有毒ガスのようにわだかまる重い空気と沈黙が社長室を占拠したが、ソファーの一角からあがった問題提起の声がそれを破った。
「今のスポンサーに関するお話ですが、やはり一番の問題は、チームの顔となる人気選手の不在が大きいかと思います」
幹部たちの視線が注がれたのは、会社とクラブで広報室長を務める瀬功典宏だった。
おしゃれなブラウンの頭髪が印象的な瀬功は、列席の幹部の中ではもっとも若い四十歳である。
以前は大手広告代理店に勤務する広告マンであったが、アイキスポーツの広告を担当していた際に愛木にスカウトされ、三年前、現職に就いた。
その瀬功がさらに言う。
「たとえチーム自体が弱くても、話題になるスター選手がいればファンは試合に足を運び、マスコミも取りあげます。世間の話題にさえなれば、スポンサーのなり手もあらわれるかと思います」
「伊原君がいるだろう。元日本代表のゴールキーパーだぞ。何の不満があるのだ」
「お言葉ですが、社長。いくら元代表選手といっても、彼はもう三十六歳です。膝の古傷もありますし、いつ引退してもおかしくない選手です。それに若いファン層をひきつけるには、同様に若い選手がおりませんと」
「うちにだって、若い選手はいるだろう?」
そう名越が訊くと、瀬功は苦笑し、
「ええ、たしかに若い選手はいますよ。問題は、その上につく形容詞が〈人気がある〉ではなく〈まるで無名〉ということでして」
「たしかに知名度のある選手も必要でしょうが……」
それまで幹部たちの話を黙して聞いていた磯部が、遠慮がちに声をはさんできた。
「その前に、まずは戦力を考えませんと。監督からも不満がきています。『プロと呼べる選手がほとんどいない。こんな戦力でどうやって結果を出せというんだ!』と……」
ふいに磯部の声がとぎれた。
愛用する黒檀造りのデスクを、愛木が乱暴にバンッとひとたたきしたのだ。
「それをなんとかするのが監督の仕事じゃないのか。たとえ戦力が劣っていようとも、名采配をふるってチームに快進撃をもたらしてこそ、真の指揮官というものだろうが!」
「た、たしかに……」
鋭い語気と猛禽類のような目を向けられて、磯部は冷水を浴びせられたように心身をこわばらせた。
それは都合が良すぎるだろう、と内心で思わずにはいられなかったが、その心情は声に出してはむろん、表情にも出せるものではなかった。
もっとも、さすがの愛木も自分でも都合の良すぎることを言っているのを自覚したのだろう。
葉巻の煙をひとつ宙空に吐きだした後、あらためて磯辺に問い直した。
「では、試しに訊くが、今、うちのチームに必要なのはどんな選手だ?」
「点の取れるフォワードです」
磯辺の返答は、簡にして要をきわめていた。
「なんといっても現在のチームの惨状は、一にも二にも点が取れないところに起因しているのですから。得点感覚にすぐれたフォワードの選手はどうしても必要です」
「うむ、なるほど」
磯部の明快な説明に、愛木は得心したようにうなずいた。
「では、そういう選手がいれば、うちは勝てるのだな?」
「いや、できれば視野の広いパサーも欲しいところです」
「パ、パサー?」
聞きなれない語彙に、愛木は困惑したように目をしばたたいた。磯辺がうなずく。
「はい。どんなに得点能力の高いフォワードがいても、ボールがこなければ点は取れません。フォワードとボールを供給するパサー。このふたつはセットで考えていただきたいところです」
「な、なるほど。では、そのふたつがそろえばチームは勝てるのだな?」
「あっ、できれば運動量の豊富なミッドフィールダーと、ついでに身体能力の高いディフェンダーも欲しいところですね。そうそう、あとできれば……」
「ええい、もうわかったわ!」
さえぎるように噴きあがった愛木のヒステリックな声に、磯部はまたしても仰天して息と声を詰まらせた。
こわばった表情で沈黙する磯辺をじろりと見すえながら、愛木はまだ長い葉巻をガラス造りの灰皿に乱暴にこすりつけた。
「ようするに、まったく戦力が足らん。選手がいない。そういうことだな?」
「まあ、早い話がそういうことで……」
今ごろ気づくなよな。愛木に応える磯辺の表情はそう主張していた。
「それで磯部君。今日のテストに、誰か有望な選手は来ているのかね?」
名越に問われてようやく表情に余裕を取り戻した磯辺は、愛用する革かばんから一冊のファイルを取り出した。
「時期が時期ですので、現時点での応募者のほとんどが、他のクラブを解雇された選手です。ですが、中にはそれなりに期待できる者もいます」
手にするファイルをペラペラとめくりながら、磯部は一人の選手名をあげた。
「まずはこの選手、西城陽一です。元日本代表選手で、かつて横浜マリンズでプレーしていた選手といえばおわかりかと思いますが」
「おっ、彼なら知っていますよ」
一番に応じたのは、いならぶ幹部の中では磯辺についでサッカーの世界に詳しい瀬功だった。
「たしか彼は、海外に行っていたと思っていましたが」
「はい。昨年までスペインのリーグでプレーしていました。と言いましても、三部リーグのチームですが」
「で、そこで通用せずに、日本に逃げ帰ってきたわけですか?」
「まあ、早い話が」
瀬功の率直な物言いに、磯部は苦笑せざるをえなかった。
「うちなら通用すると思ったのかな」
「ずいぶんとあまく見られたものですな」
嘲笑する幹部たちに「あまく見られて当然だと思いますが」と磯辺は思ったが、声に出してはこう続けた。
「では、この選手はどうでしょう。同じく元日本代表選手の園田真彦です。昔の一時期、企業のコマーシャルにも頻繁に起用されていましたから、ご記憶のある方もいらっしゃるかと思いますが」
西城のときとくらべて反応は鈍かったものの、幹部たちはどうにか名前だけは思いだすことができたようだ。
「そういえば、そんな選手もいましたな」
そう応じた瀬功の声は、懐古の響きに満ちていた。
「ここ数年、まったく動向を聞かないから引退したかと思っていましたが、まだ現役を続けていたのですか、彼は?」
「はい。昨シーズンまで韓国のリーグでプレーしていました。ただ、本人は国内リーグへの復帰を望んでいまして、先日、彼の代理人から獲得してほしいと打診がありました。とりあえずテストへの参加を伝えましたが、知名度もそれなりにありますし、チーム事情にマッチするかと思いますが」
幹部たちの反応は一様に冷ややかだった。
「しかしね。向こうで解雇されたというくらいなのだから、実力のほうもたかが知れているのではないのかね?」と名越。
「それに元代表だろう。昔の名前で出ています、というのもどうかと思うがね」と熊谷。
じゃあ、伊原はどうなるのだろう、と磯辺は思ったが、やはり声には出さず、さらに別の選手名を口にした。
「そこそこ有名どころではもう一人います。元日本代表の永見秀和です。と言いましても、彼の場合、A代表の経験はなくオリンピック代表のみですが」
誰だっけ? それが幹部たち共通の反応だった。
顔を見あわせて小首をかしげる幹部たちに、磯部は慌てて説明を補足した。
「かつて東京バビディに所属していた選手です。そのバビディを自由契約になった後、福岡と静岡のチームで一年ずつプレーし、いったんバビディに戻りましたが、すぐに横浜のチームに移籍。その後、さらにバビディに戻った後、彼の故郷である大分のチームに移籍しましたが、そこも先日解雇されました。現役続行を望み、うちのテストに申しこんできたというわけです」
磯部の説明を受けた幹部たちの「拒否反応」は、西城や園田のときよりも強く、そして露骨だった。
「ずいぶんとややこしい経歴の選手だな、おい」と名越。
「いったい何チームに所属しているんだ、この選手は?」と瀬功。
「いくら元代表とはいえ、そんな渡り鳥みたいな選手、本当に使えるのかね?」と熊谷。
「それはなんとも……」
幹部たちの冷めた反応に、磯辺の声がくぐもる。
それにしても「渡り鳥」とはうまいこと言うなあと、磯部は内心で感心しつつも、声に出してはこう締めくくった。
「いちおう名の知れた選手はこのくらいです。あとはブラジルに飛んだ財前部長からの報告を待つだけです」
ラバーズの強化部長を務める財前英彦は現在、上司である磯辺の指示で人材の宝庫といわれるサッカー王国ブラジルにわたり、チームの財政事情に見合った「超格安」で「能力の高い」選手を獲得するために奔走していた。
だが、かの国にわたってすでに一ヶ月が過ぎるが、いまだ音沙汰はない。
人材を見つけるのに苦労している部下の姿が、磯部にははっきりと見えていた。
「ところで磯部君。今日のテストは何時からだったかな?」
それまで他人事のように黙して葉巻を吹かしていた愛木がふいに訊いてきた。
「午後一時からの予定ですが、それが何か?」
「決まっているだろう。私もテストに立ち会うのだよ」
「えっ、社長もお見えになるのですか?」
おもわぬ愛木の言葉に磯辺は驚き、両目をみはった。
何しに来るんだよ、このおっさん? その表情はそう主張していたが、幸いにも愛木は気づかなかった。
気づいたのは他の幹部たちで、皆、必死に笑いを押し殺している。
「明日のラバーズを担う人材を発掘するために、私もひと役買おうと思ってな。長年、経営者をしてきて人を見る目には自信がある。まあ、まかせておきたまえ。わっはっは!」
「はあ……」
高笑いをあげる愛木に向けられた磯部の顔は、高濃度の懐疑色で染まっていた。
サッカーのサの字も知らない愛木が来たところで、戦力強化をはかるうえで何の役にも立たないのは自明なのだが、それを口にしたら最後、彼は「自尊心の塊」と称されるワンマン社長の怒りをかい、退職金無しで会社から放りだされること疑いなかった。
「それでは、小平の練習グラウンドでお待ちしております。私はこれからテストの準備がありますので、先に失礼させていただきます」
磯辺はソファーから立ちあがり、幹部たちに会釈を繰り返しながら社長室を出た。
だが、廊下を数歩ほど進んだところで振り返ると、オーク材造りの重厚な社長室の扉を眺めやった。
深刻なため息とぼやきがその口から漏れたのは直後のことだ。
「まったく、何から何まで気まぐれなんだからな、あの人は……」
さらにため息をつくと、磯辺は力のない歩調でエレベーターに乗りこんだ。
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