フッチボウ!

藤沢五十鈴

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第一章

東京ラバーズ その④

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 東京都小平市のほぼ中央。

 小平駅から新青梅街道をめざして歩くこと約十五分。新青梅街道と新小金井街道とが交差する場所にその施設はある。

  東京ラバーズの練習施設「小平グラウンド」である。

  以前は母体チームを譲りうけた某電機メーカーの社有地のひとつで、テニスコートや体育館などの福利厚生施設がいくつも建っていた場所であったが、チームを譲りうけた際に土地も譲渡してもらい、そこにチーム所有の練習グラウンドを再整備したのだ。
 
 天然芝が敷きつめられたグラウンドはメインとサブの二面あり、いずれにも百人以上を収容できる簡単な見学スペースが敷設されている。

 グラウンドのフェンスを囲む防護ネットの支柱は、チームカラーの黒と白の二色からなるゼブラカラーに塗り分けられていて、ラバーズの専用グラウンドであることを強く感じさせる景観になっている。
  
 敷地内にはそのほかにも選手とスタッフ用のロッカールーム、応接室、食堂、事務所などが入るクラブハウスと、フィジカルトレーニングルーム、簡易記者会見場、ミーティングスペースなどが敷設された室内練習場がある。
  
 その小平グラウンドに伊原俊彦がやってきたのは、正午になる十分前のことだった。

  隣接する関係者専用の駐車場に車を止め、練習着に着替えるためにクラブハウスに向かって歩いていたのだが、その途上、そんな伊原に誰かが声を放ってきた。

「よお、トシ。早いな」

 その声に伊原が前方に視線を走らせると、ゼブラカラーのトレーニングウェアを着た男の姿があった。

 ラバーズのヘッドコーチを務める澤村和己である。
 
 澤村和己はこの年42歳になる。

 実業団リーグ時代はディフェンダーの選手として活躍し、日本代表に選ばれた経験こそないものの、相手選手への迅速で粘っこいマーキングには定評があったプレーヤーだ。
  
 実業団時代はラバーズの前身である電機メーカーのチームで社員選手としてプレーしていたが、チームの譲渡ともにプロ契約選手の一人としてラバーズに移籍。

 7年前に現役を退いた後は、ヨーロッパのクラブに二年間ほどコーチ留学した後、ラバーズに復帰。

 トップチームの守備コーチやサテライトチームの監督を歴任後、二年前に現職に就任した。

 歴史の浅いラバーズにとっては数すくない生え抜きのスタッフであり、実業団時代からの同僚である伊原とは、かれこれ17年の付き合いになる。

「どうも、澤村さん」
 
 近づいてくる澤村に、伊原は軽く手をあげた。

「悪いな、トシ。せっかくの休日なのに出てきてもらって」

「かまいませんよ。俺もこの目で戦力になる選手を直に見極めたいですしね」

「でも、美和子ちゃんに文句を言われなかったか? 『試合がない日くらいどこかに連れていってよ、お父さん』とかさ」

 気づかわしげな表情を浮かべる澤村に、伊原は手を振って笑ってみせた。

「そんなにやわな娘じゃありませんよ。今朝なんか父親よりも早く起きて、友達とフットサルをやるんだとかいって、さっさと出かけて行きましたよ」

「ははっ、さすがは伊原俊彦の娘だ。たくましいじゃないか」

「まったくです。ところで今日のテストのことですけど、エントリーしてきた中に誰かめぼしい選手はいましたか?」

 そう訊いてはみたものの、伊原とて即戦力として期待できる選手がこの時期に――というよりラバーズに――応募してくるはずがないことぐらい承知している。
 
 ところが、澤村の返答は意外なものだった。

「まあ、めぼしいというか、そこそこ有名なのは来ているな」

「へえ、誰です?」

「元日本代表選手の西城陽一と園田真彦。それに永見秀和の三人だ」

 複数の選手名を澤村が口にすると、伊原はおもわず足を止め、驚きの色に満ちた顔で澤村に向き直った。

 澤村が口にした選手たちを知っていたからだが、伊原が驚いた理由はそれだけではなかった。

「彼らが……うちのテストにエントリーしてきたんですか?」

「ああ。代表チームで一緒だったときもあるから、三人とも知っているだろう?」

「ええ、まあ……」

 ふたたび歩きだした伊原の顔には、ある種の複雑な感情が浮かんでいた。

「ただ正直なところ、あまりいい印象はありませんけどね」

「同感だ。なにしろテングで有名な連中だから、あの三人は」

  苦々しげな澤村の物言いに伊原は苦笑したが、じつのところ、彼らに対する伊原の評価も澤村のそれとさほどかわらない。
  
 というより、それは澤村や伊原にかぎらず、おそらくはすべてのサッカー関係者に共通する評価であろう。

 「協調性ゼロ」「唯我独尊」「自己中心的」と三拍子そろった彼らの「超個性的」な性格は、国内のサッカー界においてあまりにも有名だったのだ。

「まあ、三人ともプロデビューした頃はそうでもなかったんですけどね。日本代表に選ばれたあたりからマスコミにちやほやされて、すっかり自分を見失ってしまって……西城なんかスペインリーグにまで行ったというのに……」
 
 あえて三部リーグという事実には触れず、伊原は深いため息を漏らした。

「まあ、そういう意味ではうちの選手は代表に選ばれることもないだろうし、マスコミにちやほやされる心配もないから、安心といえば安心だな」
  
 澤村の言葉が本心なのか皮肉なのか。伊原には判断がつきかねた。
  
 そうしているうちに、二人の前方にクラブハウスが見えてきた。
  
 建物は鉄筋コンクリート造りの総二階建て。ガラス張りのエントランスホールは自然光がさしこむ構造になっていて、太陽さえ出ていれば、照明なしでもエントランス内の明るさを保つ設計になっている。
  
 床には一面、大理石や化粧タイルが張られるなどなかなかに立派な造りの建物なのだが、一方で、サポーターやマスコミからは「弱小チームには分不相応」だの「金の使うところをまちがえているだろう」といった声が聞かれ、あまり評判はよくない。

  そのクラブハウスの正面玄関からは、テストの準備のためであろう。クラブスタッフとおぼしき人々が、慌ただしく出入りしている姿が見えた。

「じゃあ、トシ。俺は先にメイングラウンドに行っているからな」

「あれ、テストはサブグラウンドでやるのでは?」

「予定変更だ。芝の調整をしたいんだとさ」

 得心した伊原は小さくうなずき、澤村と別れてクラブハウスの中に入っていった。

  

           †


  
 時間にしてきっちり十五分後。着替えを終えてクラブハウスを出た伊原は、建物から数歩ほど歩いたところで足を止め、軽く背伸びをしながら上空を眺めやった。

「それにしてもいい陽気だ。とても三月とは思えないな」

 伊原の視線の先には雲ひとつない、突きぬけるような快晴の空が無限の広がりを見せていた。
 
 透きとおった青さ、というよりは白っぽく見える空の一角を、二条の飛行機雲が北から南に向かって細長く伸びている。

 ふと視線を転じたとき、伊原は桜の花びらが数枚、ひらひらとした動きで宙空を流れていくのを見た。

 周囲を含め、練習場内にはいたる所に桜の木が植えられている。電機メーカーの社有地時代からの名残のものだ。

 三月も半ばを過ぎた現在。小平市を含めた東京にはまだ開花宣言は出されていないが、施設内に生え茂る幾本かは、すでに鮮やかなピンク色の花をつけていた。
 
 桜の開花時期というものは自生する場所もさることながら、種類によってずいぶん変わるものらしい。

 伊原が聞いたところでは、施設内に植えられた桜は一般的なソメイヨシノではなく、ヤマザクラというおもに関東の山間部に自生する一種で、開花時期は四月の初旬から中旬とのことらしいが、にもかかわらず、まるで何かの福音を告げるかのように早々と花をつけている周囲の木々を、伊原はしばし魅入られたように黙然と眺めていたが、テストの時間が迫っていることを思いだすとふたたびグラウンドに向かって歩きだした。

「……そうか、変更になったんだよな」

 そのことに伊原が気づいたのは、サブグラウンドの一角が前方に見えたときである。

 会場の変更という澤村の言葉を思いだした伊原は踵を返し、クラブハウスをはさんで敷地の反対側にあるメイングラウンドに向かおうとしたのだが、その足はすぐに止まった。

 グラウンドに敷設された見学エリアに、二人の子供の姿を見つけたのだ。
  
 それは涼と蘭であったが、むろん伊原には二人が何者か知るよしもない。
  
 他に誰もいない無人の見学席の中に立ったまま、周囲をきょろきょろと見まわしている。

「おーい、そこで何をやっているんだ!」
 
 伊原がそう声を投げると、まず蘭が驚いたように振り返り、少し遅れて涼もゆっくりと視線を転じた。

 伊原の存在に気づいた蘭が涼に向き直る。

「ねえ、涼。あの人、ここの関係者かしら?」

「どうやらそうみたいだな。トレーニングウェアみたいなのも着ているし」

「よかった。じゃあ、あの人に訊いてみましょうよ」

 そう言うなり蘭は、涼の腕をつかんでその場から走りだした。

「ねえ、おじさんってここの関係者?」

 駆けよってきた蘭に開口一番にそう訊ねられたとき、伊原はつい反応を選びそこなってしまった。

 伊原自身、別にうぬぼれているわけではないが、元日本代表選手でありラバーズのキャプテンであり、それなりに名前と顔の知られた選手であるという自負があった。

 それだけに、蘭の見せた「おじさん、誰?」的な態度に、おもわず面食らってしまったのだ。

(自分が思っているほど、俺って知られていないのかな?)

 そんな思いが脳裏の隅をよぎったが、それでもそんな心情をおくびに出すことなく伊原はうなずいてみせた。

「そうだけど、君たちは?」

「私たち、入団テストがここであるって聞いてやってきたんだけど、誰もグラウンドにいないのよ」

「ああ、テストね」

 得心した伊原は、微笑をたたえて西の方角に指を差し向け、

「それなら、ほら。ここからちょうど敷地の反対側にある、別のグラウンドに変更になったんだよ。ここの芝の調整をするからってね」

 テストの見学に来たのか。伊原はそう思った。

「よかった。場所をまちがえたのかと思ったわよ」

 傍らの涼を見やりつつ、蘭は安堵の息を漏らした。

 聞けば、募集ポスターで入団テストのことを知り、バスと電車を乗りついでこの小平グラウンドまでやってきたものの、着いてみればグラウンドには誰の姿もない。

 さらに五分待っても十分待っても、誰一人としてあらわれないので、「もしかして場所をまちがえたのかしら?」と不安になっていたという。

「そうか……いや、芝を調整するからって場所が変更になったんだよ」
 
 そう二人に説明する伊原は「まったく、張り紙の一枚でもだせばいいのに」と、チーム側の対応の鈍さを心底から苦々しく思わずにはいられなかったが、声にだしてはこう言った。

「よし。おじさんもこれからそこに行くから、連れていってあげるよ」

  じゃあ、いこうか、と、伊原は涼と蘭を連れてあらためてメイングラウンドへ歩を進めたのだが、歩きながら雑談をかわしているうちに、伊原は二人がブラジルからの帰国子女であることを知った。

「へえ、二人ともブラジルに住んでいたのか?」

「そうよ。10年ぶりに日本に帰ってきたの。ねえ、涼」
 
 無言でうなずく涼を見やる伊原の顔には、どことなく安堵の色が漂っていた。
 
 なるほど、帰国子女だったのか。どうりで自分のことを知らないわけだよ。二人を見つめる伊原の表情はそう主張していた。

「そうか、ブラジルに住んでいたのか……」
 
 誰にともなくぽつりとつぶやいた伊原の表情はどこか感慨深げである。
 
 その理由を、涼と蘭はすぐに知ることとなった。

「じつは、おじさんも若い頃。二年間ほどブラジルのクラブチームにサッカー留学をしていたことがあってね。ブラジルは思い入れの深い国なんだよ。もう15年くらい昔の話だけどね」

「ふうん。それで、どこのクラブにいたの?」

「サンパウロFCというクラブなんだけど、ブラジルに住んでいたのなら知っているよな。有名なクラブだもんな」

「えっ、本当!?」
 
 一瞬、蘭は足を止めて、まじまじと伊原の顔を見つめた。
 
 あきらかな驚きの感情(いろ)がその面上にあった。
 
 ――サンパウロFC。それはブラジルのサンパウロ市に本拠を置く、世界的なプロサッカークラブである。

 クラブチーム間のワールド杯と言われるFIFAクラブ世界選手権においては、過去に四度も優勝するなどブラジル国内のみならず世界的な知名度を誇る名門チームで、日本でも応援するファンは多い。
 
 プロリーグ草創期から現在にいたるまで、日本のチームに数多のブラジル人選手を供給していることでも知られており、日本のサッカーファンの間では最も馴染みのある海外クラブのひとつである。

「やっぱり知っていたか。まあ、ブラジルに住んでいたのなら当然かな」
 
 驚いたように目をみはる蘭の姿に、自分が世界的名門クラブに留学していたことに純粋に驚いている。
 
 そう伊原は解釈したのだが、じつは別種の驚きであったことをすぐに知ることとなった。

「知っているもなにも、うちの涼もサンパウロFCの選手だったのよ、おじさん!」

「えっ、サンパウロFCの選手?」

「うん。インファンチルとジュベニールのね」

「……インファンチルとジュベニール?」
 
 聞きなれない語彙に伊原は戸惑ったものの、若かりし頃のブラジルへの留学経験が生きたか。記憶の淵からすぐに答えを見つけることができた。

「ああ、クラブの下部組織のことか」

「そうよ。涼はそこでプレーしていたのよ。州の大会だけではなく、全国大会でも優勝したこともあるし、最優秀選手に選ばれたことも何度もあるんだから」

「へえ……」
 
 応じた伊原の声は低く落ちついたものであったが、そのじつ胸の内では、軽くない驚きが波紋のように広がっていた。
 
 下部組織とはいえブラジルのサッカークラブ、それも名門として名高いサンパウロFCに所属していたのなら、同年代の日本代表選手とくらべても同等か、それ以上のレベルにあることは疑いなかった。

 しかも最優秀選手に選ばれるほどの選手ともなればなおさらであろう。
 
 むろん、今の話があくまで「本当の話」ならだが……。
  
 そんなことを伊原が考えていると、通路の前方が開けてメイングラウンドが見えてきた。

「ほら、あそこがテストをおこなうメイングラウンドだよ」

 伊原が指を向けた先には四方を防護ネットに囲まれた、青すぎるほど青い天然芝が敷きつめられたグラウンドの中に、数にして三十人から四十人ほどの男たちの姿があった。

 市販されている無印のユニフォームを着ている者もいれば、以前の所属先と思われるロゴ入りのユニフォームも着ている者もいる。

 そんな選手たちを遠くに眺めやりながら、蘭は伊原に訊ねた。

「ずいぶん人がいるわね。あれ、みんなテストを受ける人たち?」

「いや、うちのスタッフや二軍の選手なんかも混じっている。テストの審査員とか記録係とか、あと紅白戦用のメンバーとかのね。それにしても……」
 
 言いさして口を閉じた伊原は、おもわず苦笑いを漏らした。

 クラブの広報が大々的に宣伝したにもかかわらず、マスコミの姿がグラウンドのどこにも見えなかったからだ。
 
 さらに伊原を苦笑させたのは見学者の数だった。
 
 サブグラウンド同様、メイングラウンドにも見学席が敷設されている。ファンサービスの一環として、選手たちの練習を間近で見てもらうためだ。今日のテストにしても、

「ぜひ入団テストをご覧になってください!」
  
 と、チームの広報部がポスターやインターネットのホームページなどで呼びかけていたのだが、100人は収容できる見学席には10人ほどの姿しかなかった。

 それも「家にいても暇なので散歩がてらに来ました」といった感じの年配者ばかりだ。

  マスコミはともかく一般の見学者の姿がほとんどないことに、伊原は苦笑をとおりこしてさすがに落胆せずにはいられなかった。
  
 もっとも、見学を呼びかけておきながら、場所が変更したことを知らせる張り紙一枚すら出さないような不親切なチームでは、ファンに見放されて当然かもしれないなと伊原は思う。

「なんだか日に日にファンの関心が薄れているような気がするな。まあ、自業自得のような気もするが……」

  自嘲気味につぶやくと、伊原は見学席に指を差し向けた。

「ほら、あそこが見学席だよ。ベンチがあるから座って見れ……」

「それよりもおじさん。受付けってどこでやっているの?」

「えっ、受付け?」

 唐突な蘭の質問に、伊原は困惑したように両目をしばたたいた。

「ええと、何の受付けかな?」

「入団テストのよ。当日も応募を受付けているって、ポスターに書いてあったわよ」

「ああ、テストの受付けね。それならほら、グラウンドの中にあるあの仮設テントの中でやっているはずだけど……」
  
 そこで伊原は蘭に向き直り、ある意味、当然すぎる疑問を口にした。

「でも、どうしてそんなことを訊くんだ?」

「だって受付けをしないと、テストって受けられないんでしょう?」

「まあ、そうだけど」

「ほら、ちゃんと鉛筆とかボールペンとか、筆記用具だって持ってきたんだから」
  
 そう言うなり蘭は、背負っているリュックサックから鉛筆やらボールペンやらを取り出して、伊原に見せつけた。
  
 このとおり用意は万全よ、とでも言いたげなその態度に、伊原はひとつの可能性に思いいたった。

「もしかして、入団テストを受けに来たのかな?  見学じゃなくて?」

「あたりまえじゃない。入団テストなんかをわざわざ見学に来るわけないでしょう」

「……ああ、そうなんだ。テストを受けに来たんだ」
 
 どこか面食らった態で伊原はうなずくと、またしても当然すぎる疑問を口にした。

「それで、誰が受けるの?」

「もちろん、ここにいる涼よ。ねえ、涼」

「うん。まあ、いちおう……」

 蘭に肩をたたかれて、涼は遠慮がちにうなずいた。

 どことなく、否、見るからにテストに対して乗り気でなさそうなその態度に、おもわず蘭はむっとした表情を浮かべた。

 ここまで来ておいてなによ、と思わずにいられない蘭であったが、それでもすぐに気を取り直すと、今度は涼が肩から下げているスポーツバッグを開けてみせた。

「ほら、見てよ。スパイクでしょう、パンツでしょう、それにレガースだってちゃんと用意してきているんだからね」
 
 嬉々とした蘭の顔を数秒ほど見つめた後、伊原はゆっくりとバッグの中を覗きこんだ。
 
 たしかにバッグの中には、見るからに使いこまれた、それでいて手入れの行き届いている感じのスパイクやレガースといった用具類が整然と収納されてあった。どれもたんなる見学者には不要なものだ。
 
 バッグから視線をはずすと、伊原はまじまじと涼を見やった。

「ああ、そう。君が受けるんだ。へえ……」
 
 たしかに身長は高く、やや細身ではあるが、それなりに鍛えられた身体であることは服の上からでもわかった。

 持ち主に馴染んでいるのが一目でわかる用具類からも、ブラジルのクラブでプレーしていたという話もおそらくは本当であろう。
 
 だが、伊原が気になるのはそんなことではなかった。

「ところで、君、歳いくつ?」

「16歳です。10月で17になりますけど」

「……だよな」
  
 どう見ても二十代には見えないもんな。伊原は内心でつぶやいた。
  
 すると、そんな伊原の「おいおい、本気かよ?」という、内なる冷ややかな声を敏感に感じとったのだろう。

 蘭はたちまち両目の端をつりあげて伊原を睨みつけた。

「なによ、おじさん。なにか文句でもあるの? ちゃんとポスターに書いてあったわよ、テストは16歳から受けられるって!」

「う、うん。まあ、そうなんだけどね」
 
  蘭の剣幕に、伊原はたじたじになった。
  
 たしかに、募集要項にそう明記されていることは伊原も承知している。

 しかし、それは16歳からプロ契約ができるというリーグの規定に沿って「とりあえず」記載したのであって、本当に応募してくる16歳がいるとは、伊原自身思ってもいなかった。

 テストを立案したクラブの幹部たちも同様であろう。
  
 だが、募集要項を信じてこうして入団テストを受けにきた以上、今さら「子供はお呼びじゃないよ。さあ、お帰り」などとはとても言えない。

 不快げに両目の端をつりあげ、今にも飛びかかってきそうな顔つきの蘭を前にしている状況では、なおさらであろう。

「ま、いいか」
 
  涼を見やりつつ、伊原は口もとに微笑をたたえた。
  
 下部組織とはいえ、あのサンパウロFCでプレーしていたとなれば、レベルもそれなりのものであろう。

 それが確かなときはプロうんぬんはともかくとして、下部組織のほうに推薦すればいいだろうし……。

「何をぶつぶつ言っているの、おじさん?」

「い、いや、別に……」

 伊原はわれに返ったとき、蘭の双眸から発せられる不審の光に気づいておもわず声をくぐもらせたが、すぐに気を取り直すと涼に向き直り、その肩に手をおいた。

「じゃあ、受付けに行こうか、涼君」


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