フッチボウ!

藤沢五十鈴

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第一章

東京ラバーズ その⑦

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 六人一組で直線百メートル上に並べられたカラーコーンの間をドリブルで駆けるテストは、短時間のうちにA組からC組までが走り終え、やがて園田が入るD組に順番がまわってきた。

「では、D組。ラインに並んでください」
  
 スタート係のスタッフが呼びかけると、のっしのっしと大股歩きでやってきた園田が、スタートライン上に立った。
  
 かつては「ドリブルキング」の異名でならしたドリブルの名手だけに、その顔には自信の色と、なによりほかの選手に対する優越感全開の薄笑いが浮かんでいた。

「まったく、どいつもこいつもアマチュアレベルだな。ここはひとつ、俺がプロのドリブルってやつを見せてやるかな、フフフ」
  
 口端をつりあげて笑う園田を、タイム係の澤村と伊原がゴール付近から眺めていた。

「いよいよお出ましだぞ。マイアミの奇跡の演出者とやらが」

「彼のサッカー人生のためにも、さらなる奇跡に期待しましょうか」
 
 ヘッドコーチとキャプテンが皮肉たっぷりの会話を交わしている間にも、スターターの笛が鳴り、D組のスタートは切られた。

 「いくぜぇ!」という気迫のこもった声とともに猛烈なスタートダッシュを見せた園田が、最初のコーンに到達する前に早くも集団のトップに躍りでた。
 
 スパイクの内側と外側を交互にすばやく使いわけ、巧みにボールを足下でコントロールしつつ、直線上に並べられたカラーコーンの間を猛然と駆けぬけていく。

 終始トップを維持した園田が二位の選手に10メートル以上の差をつけてゴールしたのは、スタートからわずか二分後のことだった。

「よっしゃあ、見たかっ!」
 
 ゴールと同時に高々と拳を宙空に突きあげて、園田は高ぶった叫びをとどろかせた。
  
 それは、かつてひとつの時代を築き、日本のプロリーグの発展に多大な貢献をした(と思いこんでいる)スーパースターの(と信じて疑っていない)自分をないがしろにし、そればかりか審判に対する言動を理由にプロリーグからの追放という暴挙(あくまで本人の見解)を断行した日本サッカー協会への怨讐の叫びであったのだが、あいにくとそれに気づく者は誰もいなかった。
  
 一瞬、顔を見あわせた澤村と伊原だけはその怨嗟の叫びに気づいた節もあったが、すぐに聞こえなかった態を装うと、伊原は手にするストップウォッチを澤村に見せた。

「これまでで最高のタイムです。腐っても鯛ってやつですかね」

「そりゃ、タックルもプレスもかけてこないコーンが相手だからな。自由にドリブルできるだろうよ」

 伊原とは対照的に澤村の評価は辛辣をきわめたが、一方で園田のドリブルテクニックが、それまでの選手の中では突出していることまでは否定しなかった。

「まあ、ほかにくらべれば、たしかに鯛かもしれんけどな」

「鯛らしき選手は、まだ残っていますけどね」

 伊原はふたたびスタートラインに視線を向けた。

 そこに立ちならぶ選手の中には最終E組で走る永見と西城の姿があったが、このとき伊原の目に映っていたのはその二人ではなく、同じE組で走る涼の姿だった。

 六人の選手が横隊に列する最右端に、どことなく遠慮がちに並ぶ姿が見える。

「澤村さん。一番右端にいる彼がそうですよ」

「うん? ああ、さっき言っていたブラジル帰りの少年か?」

「ええ。なんでもサンパウロFCの下部組織でプレーしていたとか。全国大会でMVPを取ったことがあるとも言ってましたが、まあ、どこまで本当の話かはわかりませんがね」

「どれどれ……ああ、なるほど。たしかにまだ子供だな」

 涼の姿を遠くに視認すると、澤村は得心したようにうなずいた。
 
 テスト選手のほとんどを二十代が占める中で、長身ではあるが、まだ幼さが残る涼の容姿はやはり目立つ。
 
 そんな涼に永見と西城も気づいたらしい。
 
 スパイクのひもを点検する涼のもとに歩みよると、まず永見が声をかけた。

「おい、そこのお前。ずいぶん若そうだけど、歳はいくつだ?」

「16歳ですけど」

「な、なにぃ、じゅうろくぅ?」
 
 驚いた永見は下品そうに目玉をむくと、横にいる西城に向き直り、

「おいおい。これってユースの入団テストだったのか?」
 
 永見の皮肉に西城はおもわず吹きだしたが、すぐに表情を厳しいものに変えると苦々しげに吐き捨てた。

「まったく、これだから弱小クラブは嫌なんだよ。いくら戦力不足だからって、誰かまわず参加させればいいってもんじゃないだろう。高校生に受けさせてどうするんだよ」
  
 どうしようもないクラブだな、と、西城と永見は笑声まじりに嘲ったが、そのどうしようもない弱小クラブに契約してもらわねば、自分たちのサッカー人生に幕が降りるという現実に二人はまったく気づいていない。

「まあいい。転ばないようにゆっくり走りなよ、坊や。なあ、ジョー」

「そうそう。陽が暮れるまでなら待っててやるからさ」
 
 笑声をあげながら離れていく二人の背中を、涼はぽかんとした表情で見つめていた。

「それでは、最終E組。ラインに並んでください」
 
 スタッフの指示をうけて、最後となる六人の選手がライン上に立った。
 
 中央に西城と永見が両隣で並び、最右端を涼が走る。

「ジョー、悪いがトップは譲れないぜ」

「それはこっちの台詞ですよ、ヒデさん」

 ほかの選手など眼中に無しと言わんばかりに、西城と永見がにやりとした笑いをかわしあったその五秒後。スタートの笛が高らかに鳴り、六人の選手たちが同時に芝の上を駆った。

「ぬおおぉ!」

「うりゃあ!」

 事前の予想どおり、猛り声をあげてスタートラインを飛びだした西城と永見がまず集団から抜けだし、ほぼ横に並んだ状態で最初のコーンに突入していった。

 園田に勝るとも劣らないスピードとキレのあるドリブルで、等間隔におかれたコーンの間を颯爽と走りぬけていく。
 
 だが、スタートから二十秒後。ほかの選手を大きく引き離して集団のトップに躍りでたのは西城ではなく、また永見でもなく、最右端を走る最年少の選手だった。

「は、速いっ!?」
 
 一瞬、伊原は驚愕におもわず声を高くさせ、澤村は大きく目をみはった。
  
 スパイクに吸着しているような絶妙のボールコントロール。
  
 コーンを抜きさる際の左右への俊敏なステップ。
  
 長身にもかかわらずわずかなブレもない安定したボディバランス。
 
 それらが三位一体となってドリブルに反映されたとき、涼の横に競りあう選手の姿は消えていた。
  
 後続の選手たちをみるみる引き離し、ほどなくトップでゴールしたとき。二番手争いをしていた西城と永見はようやく半分の地点を過ぎたばかりだった。

「やった、やった、一番よ!」

 ベンチから立ちあがってはしゃぐ蘭の隣で、反対に黙然とベンチに座る優子の目は点になっていた。
 
 プロ選手を相手に圧勝したこともさることながら、それが自分と同年齢の少年であることが優子により強烈な驚きをあたえ、声を失わせたのだ。

「西城や永見より速いなんて……」

 言いさして口を閉じると、優子はゆっくりと頭を動かして隣の由美を見やった。
  
 無感動を絵に描いた顔で、ぼりぼりとチョコクッキーを頬ばるクラスメートの姿がそこにあった。

「ねえ、すごいと思わない? 彼、私たちと同じ高校生なのよ。それなのにプロ選手よりも速いなんて……」

「そう? あの二人って、落ち目なうえにもう三十過ぎのおじさんじゃない。勝って当然じゃないの?」

「…………」
 
 これ以上のやりとりは無意味であることを悟った優子は小さく吐息し、蘭に向き直った。

「すごいわね、あなたのお兄さん。あの組には元日本代表だった選手もいたのよ。それなのにトップでゴールするなんて」

「当然よ。なにしろうちの涼は、ブラジルにいたときは〈カミカゼリョウ〉の異名で知られたドリブルの天才なんだからね。あのくらい、お茶の子ナントカよ!」
 
 蘭が得意顔で優子に応えていた同時分。グラウンドの中では、そんな蘭と対極にある反応を見せる男たちがいた。

 タイム係の澤村と伊原である。
 
 とりわけ澤村などは口を半開きにしたまま、しばし手に持つストップウォッチを声もなく見つめていたのだが、やがて伊原にゆっくりと向き直った。

「見ろよ、トシ。園田のタイムより20秒も速いぞ。信じられん……」

「……本当だったんですね、あの子の話」
 
 疑ってごめんな。胸の中で蘭に謝罪する伊原であった。

 

          †


    
「ナイスよ、ナイス。その調子よ、涼!」
  
 見学エリアから興奮した声を飛ばしてくる蘭に気づき、涼は手を振って応えた。

 その顔には薄い苦笑いがある。

 一人嬉々とはしゃぐ蘭に「誰だ、あれは?」と言いたげな好奇の視線が、グラウンドの内外から注がれていることに気づいたからだ。

「まったく、ドリブルテストくらいで騒ぎすぎ……うん?」
  
 そのとき涼は、見知らぬ女の子が二人、蘭と同じベンチに座っていることにようやく気づいた。
 
 しかも、なにやら仲良そうに喋りあっている。
 
 たんに同席しているだけではなさそうな雰囲気は、遠目にも察することができた。

「誰だろう、あの子たち……?」
 
 優子と由美の姿を眺めやりながら涼はいぶかったが、その素姓を詮索している時間はなかった。
 
 ひとつの人影がその背後から、音もなく忍びよってきたのだ。

「わっはっは! やるじゃないか、少年!」
  
 背後から突然聞こえてきたその声に涼は驚き、とっさに振り返った。
  
 視線の先にいたのはテストが始まる前、伊原と言葉を交わしていた三人組の一人だった。
  
 元日本代表選手ということはすでに知っているが、名前を園田真彦といい、審判や所属チームの監督にも平気で悪態をつく傲岸不遜な性格が災いし、協会によって国内リーグどころかサッカー界そのものからも追放された過去を持つ、自称「マイアミの英雄」ということまではさすがに知らない。
 
 その園田。涼に向けている顔はいちおう笑ってはいるのだが、その目もと口もとはひくひくと微妙にひきつっていた。
 
 それも当然であろう。

 天才ドリブラーの(と疑っていない)自分が、得意とするドリブルで完敗。

 しかもその相手というのが、プロ経験がまったくないアマチュアの選手というだけでも屈辱なのに、16歳の高校生という驚愕の事実まで追加されては、マイアミの奇跡の立役者としては心中穏やかでいられるはずもなく、いてもたってもいられず接触をはかったというわけである。

「君、まだ高校生なんだってね? ドリブルのスピードといい、ボールをコントロールする技術といい、とてもアマチュアとは思えないよ、うん」

「ありがとうございます」
 
 園田に賞されて、涼は顔をほころばせた。
 
 現状がどうであれ、代表経験者にテクニックを褒められて嬉しくないはずがなかった。

「うんうん、実にみごとなドリブルだった。アマチュアに毛の生えたていどのプロ選手では、とても君には勝てないだろうねぇ」

「いや、そんなことありませんよ」

「いやいや、謙遜しなくていい。君のドリブルはまちがいなくプロのレベルにある。元日本代表選手の俺が言うのだからまちがいない。自信を持っていいぞ」

「はい、ありがとうございます」

「だがな、少年。ドリブルなんか、しょせんお遊びにすぎないぞ」

「いや、それほどでも……えっ?」
 
 一瞬、涼はきょとんとした表情を浮かべ、あらためて園田を見やった。

 見つめる先の園田の顔にはすでに笑みはなく、かわりにひきつったようなこわばったような、なんとも表現に苦しむ表情が浮かんでいた。

 涼は別に鈍感な人間ではないのだが、園田の態度の豹変ぶりに思考が追いつかず、両目をしばたたかせながらその顔を見ていると、そこにまた別の声が加わってきた。

「ソノさんの言うとおりだぞ、少年!」
  
 またしても背後から聞こえてきた声に涼が振り返る。
  
 そこに見たのは黒い頭髪を短く刈った細身長身の男――西城だった。
  
 園田同様、元代表選手ということはすでに知っているが、名前を西城陽一といい、元代表のエースストライカーであったことを今でも自負しているが、そのじつ「決定力不足の模範」とファンに嘲笑され、あげくには「役立たず!」と空港で罵声とともにコップの水をかけられた哀れな過去を持つ選手、ということまではさすがに知らない。

 その西城が言う。

「ドリブルテストなどしょせん前座にすぎん。いや、たんなるウォーミングアップだ。このていどのことでいい気にならないほうがいいぞ、少年」

「はあ……」
 
 涼が返答に窮していると、さらに別の声がその鼓膜を刺激した。

「まったくだ。ドリブルくらいで図にのられては困る!」
  
 またまた背後から聞こえてきた声に涼が振り返る。
 
 視線の先で腕を組んだまま仁王立ちしていたのは、頭髪を茶色に染めあげた男――永見だった。
  
 園田や西城と同様、元代表選手ということは知っているが、名前を永見秀和といい、サッカー選手というよりは派手な私生活でならす「サッカータレント」として名を馳せ、試合で活躍することよりも芸能人との交遊に情熱を注いだ元オリンピックプレーヤーということまではさすがに知らない。

 その永見が言う。

「チームのほうもドリブルテストの結果など重視していない。メインは次の紅白戦だ。どうせ威張るのなら、そっちで結果を出してからにしてほしいな」
 
 誰も威張ってなどいませんが、と涼は思ったが、あえて黙っていた。
 
 ひとつには、いつの間にか三方向から取り囲まれ、自分をとりまく異様な空気に発声の意志をそがれたこともある。

「聞くところによると、君はブラジル帰りらしいな?」
 
 そう訊ねてきた園田に、涼は小さくうなずいた。

「はい。6歳のときに家族と向こうに……」

「なるほど。じゃあ、俺たちのことはよく知らないようだな。よろしい。いい機会だから教えてやろう、少年」

「はあ……」

 別に知りたくはないんですが、と涼は思ったが、そんな涼の心情などおかまいなしに三人は口々に自己紹介を始めた。

「俺の名は園田真彦。マイアミの奇跡を演出した天才司令塔だ」

「俺の名は西城陽一。元代表のエースにして、日本人初のスペインリーガーだ」

「俺の名は永見秀和。タカラヅカ女優もメロメロにするサッカー界随一の色男だ」
 
 憶えておいてもらおうか。三人は異口同音にそう言いはなつと、これまた同時に踵を返し、歩調を合わせて涼の前から去っていった。
  
 着ているユニフォームはむろん、風貌も体格も異なる三人であったが、にもかかわらず涼の目にはなぜか、去りゆく三人のうしろ姿が「同一人物」のものに見えた。
  
 しばしの時間。なぜそんな風に見えたのか、涼は思考のエンジンを回転させて答えを探っていたのだが、スタッフの召集の声にわれに返ると吐息まじりにつぶやいた。

「とても憶えきれん……」

    


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