フッチボウ!

藤沢五十鈴

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第二章

ワンダーボーイ その④

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「……なんだ、騒々しいな?」
 
 ふいに鼓膜を刺激した歓声に愛木は不快げに両の眉をしかめ、ぎょろりとした視線をテントの外に投げつけた。
 
 獲物を見つけた肉食動物の目。

 そうとしか表現できない愛木の鋭い目つきに、テント内にいた彼の秘書たちは怯えたような表情をかわしあった。
 
 その愛木はこのとき、入団テストなどそっちのけで「経営者とはどうあるべきか」とか「企業人としての生き様」とか、およそサッカーとは無関係な話を、葉巻の煙を吹かしながら秘書らを相手にとうとうと喋り続けていた。
 
 ところが、人が気持ちよく喋っているというのにワーワーとやたら周囲が騒々しい。
 
 気がつくと、テント内にいたのは秘書たちだけで、磯辺や瀬功の姿はない。
 
 どこに行ったのかと捜してみると、二人はテントの外に出て、なにやら熱心に話しこんでいるではないか。
 
 けしからんことに、自分のありがたい話そっちのけで……。

「おい。そこで何をしているんだ?」
 
 葉巻を手に愛木がテントから出てくると、それまで何事かを熱心に話しこんでいた磯部と瀬功は同時に振り返った。

 どことなく興奮した声で応じたのは磯部だ。

「あっ、社長。見てください、この試合を!」

「試合?」
 
 愛木は葉巻をくわえたまま磯部を正視し、時間にして10秒間ほど考えこんだ後、ようやくその言葉の意味するところを理解した。

「ああ、入団テストのか。なんだ、まだやっていたのか」

「…………」

 沈黙した磯部にかわり、今度は瀬功が声を向けた。

「すごいですよ、社長。いや、本当にすごいのなんのって」
 
 磯部だけでなく瀬功までもが妙に興奮した様子を見せると、さすがに愛木も興味に駆られたらしい。
 
 葉巻の煙を宙空に吐きだした後に二人に訊ねた。

「どうしたんだ、二人とも。誰ぞ、いい選手でもいたのか?」
 
 問われた磯部と瀬功は同時にうなずき、

「そのとおりです」と磯辺は答え、

「それも超のつく逸材がです」と瀬功は応じた。

「ほほう……それで、どんな選手だ。例の元代表組の一人か?」
 
 磯辺は頭を振り、

「いえ、社長。じつはまだ16歳の高校生なんです。なんでもブラジル帰りの帰国子女とかで、あの名門クラブのサンパウロFCでプレーをして……」

「なにぃ、16歳の高校生だぁ!?」
 
 一瞬、愛木の両目が強く光って針を含んだ。
 
 およそ「一般人」のものとは思えない獰悪な眼光はその声にふさわしいもので、磯部と瀬功はまるで冷水を頭から浴びせられたかのように心身を凝固させた。
 
 息をのんで沈黙する二人の幹部を見やりながら、愛木が不快げに語をつなぐ。

「いったい何のためのテストなのか、君たちはわかっているのかね? プロの即戦力が欲しいからであって、アマチュア向けのテストをやっているのではないのだぞ」
 
 テストの目的だけは憶えているらしいな。瀬功は胸の中で毒づいた。

「いえ、社長。彼はただの高校生ではありません」
 
 全身の勇気を総動員して磯部が反論する。

「シュート、ドリブル、パス。どれひとつとっても高校生のレベルを超えています。いや、すでにプロのレベルに達していると断言してもいいです。テストマッチとはいえ、実戦でマルセイユ・ルーレットを軽々と使いこなすなど、とてもアマチュアとは思えません」

「ほう……そんなにすごい選手なのか?」
  
 熱のこもった磯辺の説明に、愛木は少しだけ心を動かされたようだった。

「で、なにかね。そのマルチーズ・ルーレットとかいうのは?」
 
 磯辺はあえて訂正せず、元フランス代表の世界的サッカー選手、ジダンが得意としていた高度なフェイントです、と説明した。
 
 説明したところでこの人に理解できるわけないかと磯部は意地悪く思ったが、案の定、そのとおりだった。

「フランスのジダン? ああ、あの芸術家のことか。サッカーもやっていたとは知らんかったな」

(それはジダンじゃなくてロダンでしょうがっ!)
 
 磯辺は胸の中で怒声をはりあげた。
 
 サッカーの世界にまるで無知な愛木に理解できるとは思っていなかったが、正直なところ、ここまでピントのずれた反応が返ってくるとはさすがに思っていなかったのだ。
 
 愛木のあまりのピンボケぶりに、またしても磯部はぶ然とした顔で沈黙したが、そんな磯部にかわって傍らの瀬功が口を開いた。

「社長。あの少年、いけるかもしれませんよ」
 
 そうささやいてきた瀬功の顔を愛木が見返す。
 
 なにやら思惑に満ちた笑みが広報室長の面上にあった。

「何のことだ?」

「チームの宣伝にですよ。マスコミに『東京ラバーズ、16歳の少年とプロ契約』とでも流せば、絶対にくいついてきます。しかも全国規模で、ちょっとした騒ぎになるのはまちがいありませんよ」
 
 瀬功の説明に愛木は沈黙で応えた。瀬功の真意をとっさにはかりそこねたのだ。 
 
 だが、それも長いことではなく、すぐに愛木の顔にも瀬功と同種の笑みが浮かんだ。
 
 広報室長の意図するところを正確に理解したのだ。

「なるほど、たしかにいい宣伝にはなりそうだな」

「でしょう。いくら元代表選手とはいえ、とうがたったロートル選手なんかではファンもマスコミも見向きもしないでしょうが、あの少年なら年齢といい話題性といい、これ以上ない逸材ですよ」

「うむ、たしかにそのとおりだな」
 
 と、愛木は得心したようにうなずいたものの、

「しかし、本当に試合で使えるのか? いくらレベルが高いといっても、しょせんはまだ高校生だろう」

「無理に試合に出す必要はありませんよ。とりあえず一軍に登録してベンチ入りさせておくだけでも十分話題になります。それだけでマスコミへの露出も増えるでしょうし、彼目当てにうちの試合のテレビ中継も増えるかもしれません。そうなればAIKEブランドはむろん、アイキスポーツの企業イメージも高まるのは必至です」
  
 いずれにせよ、獲得して得することはあっても損することはなし。

 モーターボートのスクリューのように舌を回転させて力説する瀬功に愛木は破顔で応えた。

「よし、鉄は熱いうちに打てだ。おい、磯部君。さっそく彼と契約したまえ」

「えっ、契約ですか?」
 
 唐突すぎる愛木の指示に、磯辺はおもわずそのいかつい顔を見返した。
 
 瀬功との会話の流れから、愛木のいう契約が下部組織の選手としてではなくプロ契約を指していることはすぐに理解できたが、まさかテストを半分も消化していないこの段階で、契約の話を持ち出してくるとは思っていなかったのだ。

「しかし、社長。テストはまだ一次の段階ですが?」

「一次も二次もない。オーナーの私が許可するのだ。いいから彼と契約したまえ。今すぐにだ!」

「わ、わかりました。では、試合後すぐに……」

「うむ……あっ、ちょっと待ちたまえ」

「はい?」

「やっぱり契約は、私が直接、彼と結ぶことにしよう」

「えっ、社長がですか?」
 
 驚く磯部に、愛木はニヤリと笑って見せた。

「そうだ。そのほうが彼にとってもハクがつくだろうからな。フフフ」

「はあ……」

「よし。では、試合が終わったら、彼をクラブハウスに連れてきてくれ。応接室で待っているからな」
 
 葉巻の煙を吹かしながらそれだけ言うと、愛木は仮設テントには戻らず、瀬功たちを引き連れてそのままグラウンドから出ていってしまった。

「あ、あの、社長……」
  
 紅白戦がまだ一試合残っていることを磯辺は告げようとしたのだが、もはや愛木には関心も興味もないことがあきらかだったので、あえて黙っていることにした。
  
 その磯辺の鼓膜に試合終了のホイッスルが響いてきたのは、それからまもなくのことだった。



         †



「ブラボー! ブラボー!」
 
 試合を終えて休憩をとるために見学エリアにやってきた涼を、蘭は拍手で出迎えた。

「プロ選手を相手に二点も取るなんて、さすがは涼ね!」

「まあ、ちょっと出来すぎだけどな」
  
 照れくさそうに笑うと、涼は見学エリアの一角にちらりと視線を走らせた。
  
 名前も素姓も知らない二人の女子高生の姿がそこにあった。

「ところで、蘭。あの子たちは誰だ?」
 
 涼のいう「あの子たち」というのは、むろん優子と由美のことだ。
 
 20メートルほど離れたベンチで何事かを口にしながら、ちらちらとこちらを窺っている姿が見える。

「あの子たち? それがね……」
  
 蘭は悪戯っぽく笑うと、二人が自分たちの転入する高校の生徒で、しかも同じ二年生であることを涼に教えた。

 優子の父親がこのチームのヘッドコーチを務めていることも蘭は口にした。

 紅白戦の主審を務めていた中年の男性がそうだと言う。

「へえ、そいつはすごい偶然だな」
  
 事情を知って、さすがに涼も驚いたようだ。

「でしょう。あとで涼にも二人を紹介してあげ……」
  
 言いさして口を閉じた蘭は、視線をすばやく横に転じた。接近する第三者の気配に気づいたのだ。
  
 涼もその気配に気づき、同じように横を向く。二人に近づいてきたのは磯部だった。
  
 むろん涼は磯部が何者か知っているが、蘭はそうではない。「誰、この人?」と視線で訊ねる蘭に涼が答えるよりも早く、磯部が声をかけてきた。

「ああ、君。今、ちょっといいかな?」

「僕……ですか?」 

「そう。じつはだね、うちの……」
 
 磯部の声がふいにとぎれた。

 横合いから割って入ってきた蘭が磯部の前に立ちはだかり、じろりとした視線を向けてきたのだ。

「ちょっと、おじさん。どこの誰よ?」

「だ、誰って……」
 
 糸のように細めた目で蘭に見すえられて、磯部はおもわず声を詰まらせた。
 
 愛木のものとはまた別種の、その端麗な容貌には似つかわしくない鋭い目つきに、つい怯んでしまったのだ。
 
 それでもそんな心情はおくびにもだすことなく、磯部は気を取り直すように軽く咳ばらいすると蘭に自身の身分を明かした。

「私は、このチームのゼネラルマネージャーをしている磯辺という者だよ」

「ゼネラルマネージャー……?」

「そう。ついでに言えば、このチームの初代監督でもあるがね」
 
 磯部は誇らしげにかつての肩書きを追加したが、蘭の鼓膜に監督うんぬんのくだりはまるで届いていなかった。

 ゼネラルマネージャーという単語を聞いた途端、蘭の思考はたちまちフル回転をはじめ、何種類かの表情がその顔に浮かんでは消えるを繰りかえす。

 秒単位で変化を続けるその表情から、さまざまな考えが蘭の脳裏でめぐらされていることに涼は気づき、わずかに眉をひそめた。

 双子の妹がこの種の表情の変化を見せるとき、その頭の中で「つまらないこと」を考えている確率が高いことを、涼はこれまでの経験から知っていたのだ。

「たしか久住君だったね。じつはうちの社長が、ぜひ君と話をしたいと言っているんだがね」

「社長さんが、ですか?」

「そう。それで疲れているところをすまないのだが、これからクラブハウスのほうに私と一緒に来てくれないかな。そんなに時間はとらせないからさ」

「はあ、僕は別にかまいませんが……」
 
 すると、それまで黙して何事かを思案していた蘭が、血相をかえて声をはさんできた。

「私も、私も一緒に行きたいっ!」

「なんでお前まで?」

「な、なんでって……」
 
 涼に真顔で問われると、蘭は返答に窮して沈黙した。
 
 むろん、一緒についていきたい確固たる理由が蘭にはあるのだが、一方で、それを口にするわけにはいかない事情もあった。

 かといってこのまま黙ったままでは「じゃあ、だめ」と涼につれなく拒絶され、この場に置いてけぼりをくうのは確実である。
 
 さて、なんと答えようかしらと10秒間ほど思考のエンジンを必死に回転させた後、蘭が口にしたのは次のような一語だった。

「べ、別にいいじゃない。言うなれば保護者代わりよ」

「保護者代わり?」

 なんのこっちゃ? と涼は思ったが、じつはこのとき、双子の兄よりもはるかに勘の働く双子の妹は、「ゼネラルマネージャー」「うちの社長」「話がある」という三つのキーワードから、会談の目的が何であるかを明確に察していたのだ。
 
 となれば、ある理由から蘭としては、なにがなんでもその場に同席しなくてはならなかった。

「ねえ、いいでしょう、涼?」

「俺に言われても……」
 
 涼は困ったように磯辺に向き直ると、だめだろうなと思いつつも、いちおう訊いてみた。

「あの、この子も一緒でいいですか? 僕の妹なんですが」
 
 すると、意外なほどの快諾の声が磯部から返ってきた。

「うん、別にかまわないよ。二人で来なさい」

「やったね!」

  涼に向かって蘭は嬉しそうにウインクした。


 
      †



 「……あれれ?」
  
 ふと視線を動かしたとき。由美は見学エリアから出ていこうとする蘭たちに気づき、あわてて横に座る優子の肩をたたいた。

「ほら、見てよ、優子。あの子がどこかに行くわよ」

「えっ?」
 
 由美の言葉に優子が視線を走らせると、涼の横を歩きながらこちらに向かって手を振る蘭の姿が見えたが、優子の目はすぐに別の人物に向けられた。
 
 涼と蘭の前を歩くスーツ姿の中年の男性。

 チームの初代監督を務めたにもかかわらず、ラバーズファンの間ではもっとも印象の薄い監督として知られている人物に。

「ねえ、由美。あの一緒に歩いている男の人。もしかして、ゼネラルマネージャーの磯部さんじゃない?」

「あっ、本当だわ。最近、まったく名前を聞かないから、成績不振の責任を取らされてクビになったと思っていたんだけど、まだチームにいたのね」
 
 悪意もないが容赦もない由美の率直な物言いに優子はつい苦笑を漏らしたが、すぐに笑いをおさめるとあらためて三人の姿を目で追った。

「それにしてもどこに行くのかしら。まだ試合は残っているのに……」
  
 同時分。優子たち同様に三人の姿をグラウンドの一隅から眺めていた伊原は、近づいてきた澤村に声を向けた。

「なにか嫌な予感がすると思いません?」

「あいかわらず聡いね、お前さんは」
 
 肩をすくめて澤村は笑った。
 
 伊原のいう「嫌な予感」というのが何を指しているのか、明確に察したからだ。

「やっぱり、澤村さんもそう思います?」

「ああ。たまたま近くで話を聞いていたスタッフが言うには、社長と瀬功室長と磯辺さんが、彼のことでひそひそとやっていたらしい。なんでも『客寄せパンダ』とか『宣伝になる』とか口にしていたようだから、まあ、だいたい察しはつくわな」
 
 皮肉の響きを大量に含んだ澤村の言葉に、伊原は小さく息を吐きだした。

「まさかとは思いましたけど、いきなりプロ契約ですか?」
 
 呆気の表情を浮かべる伊原に、澤村は苦笑まじりにうなずいた。

「それだけの価値はあると幹部連中(おえらがた)は判断したらしいな。実力のほうか、それとも話題性のほうか。どちらを重視したかは知らんけどな」

「なんとねえ……」
 
 伊原がふたたび視線を向けたとき、もう三人の姿はどこにも見えなかった。





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