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 アーツブルク王国の南西に位置する隣国、ジプティア王国。
 バーミリオン伯爵の計らいによって、私はこの国のレストランの支配人となった。

 名前と身分を捨てた私は平民として、新しい人生を歩もうとしていた。


「今日もお疲れ様ですの。毎日、忙しそうですわね、ルシア様」

 閉店後、私が売上の計算をしていると、メリルリアがワインとグラスを持って来た。

「“様付け”はまずいですよ、メリルお嬢様。私は雇われの身なのですから――」

 私は肩をすくめて彼女からグラスを受け取った。

「誰も気にしませんわ。むしろ気にさせません。ルシア様こそ、お父様が居ないときは、今までどおりメリルと呼んでくださいまし。敬語もお止めください」

「それは、さすがにちょっと……」

「むぅー、呼んでくださいまし……」


「はぁ、わかった。私の負けだよ、メリル。ちょうど、今日の仕事も終わったことだし、君の要求を飲もうじゃないか、ついでにワインも。ただし、業務中だけは敬語を使わせてもらう。君はオーナーの娘なのだから。これは譲れないよ」

 私はワインに口をつけながら返事をした。
 うん、仕事終わりのアルコールってこんなに美味かったんだな。最近知った。

「ルシア様って、意外と律儀で真面目ですわね。もっと反骨精神が強い方かと思ってましたわ」

「あー、“反骨精神そういうもの”はもう必要無くなったからね。私が私のやりたいように振る舞えるわけだし、不満がないからさ。君からすると物足りない人間になったかもしれないが」

 前世かつての私は貴族の令嬢という立場で、良い縁談を成立させるために躍起になって毎回失敗していた。
 だから、今世こんどは、その運命に抗おうと必死になって戦っていたのだ。

 しかし、立場を捨て去った今はどうだろう? 私はありのままでいることができる。運命とかいう厄介なしがらみが無くなったから。

 まぁ、ありのままと言いながら見た目は偽りの姿なんだけど……。
 精神的な意味では自由になれたというわけだ。

「物足りないはずがございませんわ。むしろ、より、魅力的になられたと思いますの。それはもう、眩しいくらいに……」

「止してくれよ、少しだけ照れるじゃないか」

「ルシア様、わたくしはまだあなたを――」

 メリルが赤くなった顔を私に近づけてきた。
 この子はブレない。というか、本当にジプティア王国に引っ越して来るくらい情熱的だ。
 最近、私も彼女の熱に負けそうになってしまう。

「ルシア様――」

「おーい、片付け終わったぞー! おっ、悪ぃな、お邪魔だったか?」

 掃除用具を片手に私の仕事部屋に入ってきたのは、アーツブルク王国の元第一王子、現在は私の店【シルバーガーデン】の従業員となったケビンである。

「――あら、ケビンさん。いつも狙ったタイミングで出てきますわね」

「メリルリアちゃん、そりゃあ邪推だって、俺ぁ別に……」

 メリルリアに睨まれて狼狽するケビンという構図はもう何回目かわからない。

 命を救った借りを返すと言った彼は、私の店で働きたいと志願してきた。

 元王子である彼を雇うことには抵抗があったが、この男、私の話など聞きやしない。半ば強引に店を手伝いだし、なし崩し的に雇うことになってしまった。

 ちなみに彼は処刑を免れたその日から顔を変えた。焔のようにウェーブがかった赤い髪に、女性のような線の細い顔立ちに変化させたのだ。

 これは整形魔法というものらしく、一度かけると二度と戻せない欠点があるが別人になるにはうってつけの魔法なのだそうだ。

 さて、彼の働きぶりはというと、予想を裏切るほど凄まじいものであった。
 【天眼】はズルい力だ。例えば、料理を一瞥すると材料から作り方まで頭に入るので、レシピ要らず。
 料理長の作業を見れば、同じ動きをマスターしてしまう。などなど……。まさに万能能力である。
 
 そりゃあ、一週間で敵対勢力を沈黙させるなんてことを、あっさりやってのけるよね。

 アウレイナスが兄には敵わない。国家を治めてほしいと懇願するのも頷ける。
 なんで、レストランの従業員なんてやってるんだ、この人は――。

「ケビンさん、今度わたくしとルシア様の時間を邪魔すると許しませんよ」

「べっ別に邪魔しようなんて、思ってないって。だけどさ、俺だってルシアちゃんとコミュニケーション取りてぇわけで」

 最近、ケビンもやたら私に絡んでくる。メリルリアに対抗するように……。
 そして、妙に気を使うようになった。多分、私に婚約破棄を強制させた負い目があるのだろうが……。

「ちゃん付けはよせって、支配人って呼べって言ったろ?」

 私はケビンを咎めた。まったく、いつの間にか変な呼び方するようになったのだ?

 今の私は髪と瞳の色を変化させただけなので、見た目は思いっきり色違いのクリスティーナである。

 なのにもかかわらず、相変わらずバーミリオン伯爵は私を男性だと思っている。
 というより、初対面の人の8割は男だと思っている節がある。

 まぁ、仕事着がタキシードだからだと思うけど、メリルリア曰く私の顔立ちはノーメイクでも割と中性的な感じらしく、顔だけじゃ性別が判りにくいらしい。
 そして、ショートヘアに男装に近い格好を合わせると、男に見える確率が上がるという理屈みたいだ。

 なんだか納得いかないがそういうことみたい。

 まぁ、今世を自由に楽しみたいと思っているし、当分恋愛ごとから離れようと思っているので男から言い寄られないのは都合がいいかもしれない。
 

 前よりマシになったが、相変わらず男の人は苦手だからさ。

 さぁ、明日も仕事を頑張るぞー!
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