防犯ブザーで変身したら、フリフリ衣装の最強戦士になっちゃいました

和ノ白

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え、魔法少女!?

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プロローグ

放課後の公園って、昼の続きを装ってるくせに、もう夜の入り口の顔をしている。
まだ子どもが走ってるし、まだ犬も散歩してるし、まだ自転車も通る。でも、空気が違う。説明しろと言われたら困る。困るけど、鼻とか耳の奥が「違う」って言ってくる。こういうのはだいたい後から利いてくる。

夕日が斜めになると、滑り台も鉄棒も、急に「知らないもの」みたいに見える。
昼間はただの遊具なのに、夕方は影が長い。影が長いと、物が大きくなる。大きくなると、なんか、勝てない気がする。勝てないって何に? それが分からないから、怖いのだと思う。

砂場の砂は、昼は白っぽいのに、夕方になると茶色く沈む。色が変わるだけで触りたくなくなるのは、たぶん、砂が悪いんじゃない。こっちの気分が沈むからだ。沈むって、どこが沈むのか分からないけど、足の裏じゃない。胸の内側のどこかだ。

僕――春野ユウト(小学三年生)は、友達のケンタとサッカーボールを蹴っていた。

「ユウト、パス!」

「おー!」

ボールが来て、足で返して、また来て。
それだけのはずなのに、時間だけが勝手に先へ行く。時間は誰にもパスしない。ずるい。たぶん時間は、キーパーじゃなくて審判だ。笛は吹かないくせに、試合を終わらせる。

空の色が、オレンジから紫に変わり始めてる。紫になると、もうすぐ夜だ。夜は急にやってくる。やってくる前に帰らないと。

五時半までに帰るって約束してる。うちの五時半は、学校のチャイムより強い。お母さんの声が強いというより、五時半が法律みたいに強い。法律ってたぶん、破ると怒られるやつだ。

「そろそろ帰るわー」

ケンタが手を振って走っていく。影が長い。影が長いと、人が大きく見える。
ケンタが大人に見えるのが、ちょっとだけ変だ。明日も同じ身長のくせに。

「じゃあなー」

僕もランドセルを背負い直して帰ろうとした、そのとき。

「あ、あの……」

後ろから、細い声がした。

振り向くと、スーツを着た知らないお兄さん。メガネ。肩は少し内側に折れていて、顔はまじめそうなのに、目だけがずっと落ち着かない。信号が青なのに進めない車みたいだ。

お兄さんは鞄を片手に持って、もう片方の手でメガネを直した。メガネを直す人って、時間を稼いでる感じがする。言葉の準備をしてるのか、逃げ道を探してるのか、どっちかだと思う。

「ぼ、僕、桜井って言いまして……」

「……」

知らない人にはついていかない。話しかけない。母のルールブック第一章。
なのに足が止まる。止まった瞬間、心臓だけが急に忙しくなる。体って、だいたい勝手だ。

「あの、君に、ちょっとお願いが――」

桜井さんがポケットに手を入れた。

(やばい)

“やばい”って言葉は便利だ。分からない怖さを一つに丸めてくれるから。
僕は反射で、ランドセルにつけてる防犯ブザーに手を伸ばした。

ジリリリリリリ!!

音が公園中に響く。響いた途端、世界が急に広くなる。広いと、どこにも逃げられない気がするのが不思議だ。

「ああっ、違うんです! 僕は怪しい者じゃ――」

桜井さんが両手を出した。慌て方が、雨に濡れた紙みたいにヨレヨレだ。大人なのに。大人は普通、もっと角があるはずなのに。

そして、その瞬間。

体が、光った。

「――え?」

まぶしい。熱い。体の中で、炭酸が弾けてるみたいにチカチカする。
怖いのに軽い。軽いのに逃げられない。逃げられないくせに、浮くみたいな感じ。

目を閉じても光が消えない。消えないと、怖さが増える。増えるのに、体は浮いてる。怖さと浮遊感が、同じ袋に入ってる感じ。混ぜたくないのに混ざってる。

「……適性検査、合格、しちゃった……」

桜井さんの声が聞こえた。
“合格”って言葉だけが、きれいに耳に引っかかる。学校のテストみたいで嫌なのに、ちょっとだけ胸が上がるのが腹立たしい。上がるって、何が? 胸の内側のどこかの温度が、ほんの少し変わる。

光が消えたとき――

僕の体は、変わっていた。

―――

第一章 契約成立!?

「うわあああ!?」

視界が高くなっている。世界が一段下がったみたい。
自分の身長が伸びたはずなのに、逆に僕だけが「別の場所」に立ってる感じがする。あれ、これ、僕の体だよね? って、脳みそが確認してくる。確認されると、僕は僕じゃないみたいだ。

地面が遠い。遠いと、落ちる気がする。落ちないのに。
落ちないのに落ちる気がするっていうのが一番厄介だ。怖さって、だいたいそういうやつだ。

それと――

「な、なにこれ!?」

ピンク色のヒラヒラ。スカート。リボン。キラキラ。
かわいいの押し売り。押し売りって、断りたいのに断れないやつだ。断ったら罰が当たる雰囲気まで付いてくる。

足元は白い靴下に、光る靴。靴が光ると、歩かなくても目立つ気がして、胃の奥がむず痒い。むず痒いって、かゆいのに掻けない場所にできる。

胸元にはリボンが三つもついてる。三つも必要? って聞きたいけど、聞く相手がいない。聞く相手は目の前にいるのに、聞くべき内容が見つからない。言葉が迷子。

「これ……魔法少女の、衣装です……」

桜井さんが言った。
言い方がやけに丁寧で、学校の先生みたいに落ち着いてるのに、顔だけは今にも泣きそうだ。大人が泣きそうなのは、なんか、ずるい。

「ま、魔法少女!?」

「す、すみません! 本当は説明してから適性検査するはずだったんですけど……防犯ブザーが反応しちゃって……」

桜井さんは頭を下げた。下げたまま、どこまで下げたら許されるか探してるみたいだった。
頭を下げる大人って、見てるとこっちまで息苦しくなる。息苦しいと、言い返す力がなくなる。

「てきせーけんさ……?」

難しい言葉だ。難しい言葉って、大人が先に決めてる話のときに出てくる。しかも、決まってるのはだいたい僕じゃなくて大人の都合だ。

「あの、契約が成立しちゃったので……」

「けーやく?」

「えっと……約束みたいなもので……」

桜井さんは鞄を探り、薄いメモ帳を取り出した。
メモ帳には小さな字がびっしり。文字が多いほど、逃げ道は少ない。ここから先、僕の気持ちが入る余地がないみたいに見える。

「本部の規定だと……この場合は、えー……“段階的説明”を――」

「だんかいてき、って何」

僕が聞くと、桜井さんは一瞬固まった。
固まった顔って、冷凍庫の中の水みたいだ。透明なのに動かない。

二秒くらい固まって、それから急にうなずく。

「……すみません、子ども向けの言い方を想定してなくて」

それ、想定しておいてほしい。だって僕、子どもだし。
なんなら、魔法少女にしようとしてる相手も子どもだし。

「とりあえず、元に戻りたいです……」

「あ、はい! 解除手順は……えっと……」

桜井さんはメモ帳をめくる。めくる指が震えてる。大人の指って、震えるとちょっと怖い。普段震えないから。震えが“本気の失敗”に見えるから。

ページをめくる音が、夕方の静かな公園に響く。響くと焦りまで伝わってくる。

「胸部のリボン……中央のシンボル……押下……」

「おす、ってこと?」

「はい! それです!」

僕は胸のリボンを触った。真ん中に小さな防犯ブザーのマーク。
なんでブザーのマークがここにあるのかは分からない。分からないけど、分からないまま押す。

押した。

光が走って――

元に戻った。小学生の体。ランドセル。いつもの重さ。
さっきまでの背の高さが、嘘みたいに消えた。夢ってこうやって終わるんだっけ。終わるときって、もっと「あれ?」ってなるものじゃないの?

地面が近い。近くなると安心する。安心するのに、胸の奥が変な感じ。
安心と変な感じが同居してる。二段ベッドの上下みたいに、別々なのに同じ部屋。

「……夢?」

「夢じゃないです……」

桜井さんは、夢を否定する顔で言った。

「契約が成立したので、これから君は、魔法少女として――」

「やだ」

「え?」

「やだ。僕、男だもん」

魔法少女は女の子のもの。テレビでそう習った。
テレビで習ったことはだいたい本当だと思ってたのに。テレビって、そういうところがある。急に裏切ってくる。

「そ、そうですよね……反応としては正常です……」

桜井さんは“業務報告”みたいに言って、すぐに困った顔に戻った。

「でも、契約は解除できなくて……規定上、一度成立した契約の破棄は……」

また規定。規定って言葉は壁みたいだ。
壁は越えられないし、殴ると痛い。痛いのは僕だけだ。

「じゃあどうすんの!」

声が勝手に大きくなる。怒りって、怖さの上に板を載せる感じがする。板があると少しだけ立てる。

「……申し訳ありません。僕の不手際です。ただ……」

桜井さんは、ここだけは言い切った。

「変身すると、すごく強くなれます」

強くなれる。
その言葉が、胸の奥のどこかを押す。ボタンみたいに押す。押された場所が少し明るくなる。明るさに名前はつけられない。つけた瞬間、しぼんでしまいそうだから。

「足も速いし、跳べるし、打撃も――あ、打撃って、殴るとか蹴るとかです」

「……ほんとに?」

「はい。規定上、保証されてます」

規定上ってなんだよ。
でも、保証って言葉はちょっと安心する。家電みたいだけど。家電だって壊れるのに。

僕は自分の手を見た。いつもの小さい手。
この手が、強くなる。速くなる。いつもの僕が、いつもじゃなくなる。

「……本当に、やんなきゃダメ?」

「はい……活動は夕方から夜だけです。学校生活への干渉は――“原則”ありません」

原則って怖い。原則の裏には例外がいる。例外は、突然出てくる。
突然出てくるものに備える術を、僕はまだ知らない。

でも、断れない。
断れないなら、やるしかない。やるしかないって、変に楽だ。選ばなくていいから。選ぶって、だいたい疲れる。

「わかった」

僕が言うと、桜井さんの肩が目に見えて落ち着いた。人って肩で息してるんだって初めて思った。僕はたぶん、まだ肩で息してない。胸で息してる。胸は忙しい。

「ありがとうございます……! あと、最重要事項です」

桜井さんは急に早口になった。

「絶対に誰にも言わないでください。保護者、友人、学校関係者――全員です。契約違反は記憶消去の対象になります」

記憶消去。
記憶が消えるって怖い。怖いのに、ちょっとだけ楽な気もする。忘れられるって、楽だから。
楽って、怖いと隣り合わせなんだと思う。

「わかってる」

言った瞬間、時計を見て背中が冷たくなった。

「あ、もう五時過ぎてる!」

「では、緊急連絡は……えっと……」

桜井さんはメモ帳をめくり、焦って紙が破れそうになる。

「防犯ブザーの音がトリガーで……要するに、いつものやつで大丈夫です!」

“いつものやつ”って言い方が雑すぎる。でも、今は走るしかない。

「じゃあ!」

僕は走り出した。ランドセルが背中で跳ねる。跳ねるたびに、現実が戻ってくる。
現実は、重い。重いけど、ちゃんと掴める。

家に着くと、お母さんが玄関で待っていた。腕組み。目だけで怒ってる。
目で怒る人は、言葉より怖い。言葉は聞き流せるけど、目は避けられない。

「ユウト、遅い」

「……」

喉がつかえる。言葉が通らない。
“悪いことをした”って気持ちだけが先に出て、後から言葉が追いつかない。追いつかないとき、僕はだいたい短い単語を使う。

「五時半までって言ったでしょ?」

「うん……」

「もう。手、洗ってご飯にしなさい」

「はーい」

怒鳴られなかった。よかった。
なのに胸の中に、細い糸が一本残る。糸は見えないのに、引っかかると分かる。引っかかると、どこかがちくっとする。

僕、これから魔法少女やんなきゃいけないんだ。

どうしよう。
どうしようの中身は、まだ言葉になってない。言葉になってないから、余計に重い。



第二章 初めての戦い

その夜。

夕ご飯、お風呂、宿題。
いつもの順番が終わって、“普通の小学生”が完成したころ。

部屋の明かりは白い。白いと昼みたいに見える。でも窓の外は真っ暗。暗いと、昼が嘘みたいに見える。
昼と夜が、窓ガラス一枚で分かれてる感じ。ガラスって薄いのに、すごく強い。

「ユウト君、聞こえますか」

頭の中に、桜井さんの声。

「うわっ!?」

鉛筆を落とした。落ちた音がやけに響く。夜の部屋って、音が大きくなる。音が大きいと、心もバレそうになる。

「すみません。テレパシーです。ネガモンスターが出ました。変身してください」

「ね、ネガモンスター?」

「えっと……悪い怪物です。人間の負の感情から――あ、今は詳細不要ですね。発生地点は、駅近くの商店街」

商店街。夜。
その二つを並べただけで、体の中が冷える。冷えるのに、どこが冷えてるかは分からない。たぶん、心の内側だ。

僕は部屋のドアを少し開けた。廊下の向こうからテレビの音。お母さん、まだ起きてる。
お母さんの笑い声が聞こえる。バラエティ番組を見てるんだ。笑い声が聞こえると、こっちの胸の奥が少し重くなる。重くなる理由は、まだ名前がない。

玄関は無理。絶対バレる。
僕は窓を開けた。一階。外に出られる。

窓の鍵を開ける金属音が、やけに大きく聞こえる。大きい気がするだけで、実際は小さいのに。
“気がする”って、すごい。現実をねじ曲げる。

「……行ってきます」

小さく言って、窓から外へ。

夜の空気が冷たい。冷たいと肌が縮む。
背中に家の明かりが張りついた。心が一歩だけ遅れる。
――ごめん、お母さん。
(ここだけ、はっきり言葉にした。言葉にした瞬間、胸がチクッとした)

商店街までは走った。走ると息が上がる。上がると、怖さが少し薄くなる。息が苦しいと、余計なことを考える余裕がなくなるから。

商店街は人が少なかった。昼の顔が消えて、店のシャッターがみんな口を閉じている。
口を閉じた通りを歩くと、足音がよく聞こえる。足音が聞こえると、自分がここにいるって実感が増える。増えると、逃げたくなるのに逃げられない。

暗い路地の奥に、黒いモヤがうごめいていた。

「あれが……?」

モヤは形がない。形がないものは怖い。形がないと、どこまでが“それ”なのか分からない。

「はい。ネガモンスターです。変身してください」

僕は防犯ブザーを握って、押した。

ジリリリリ!

光。熱。体が伸びる。空気が軽くなる。
そして、フリフリ。

「うわ……」

恥ずかしさが、耳の裏あたりまで上がってくる。上がると、顔が熱い。
熱いのに、寒い。夜の空気は冷たいから。熱と寒さがケンカしてる。

「今は衣装に意識を割かないでください! 接敵します!」

桜井さんの声が急に“現場”になる。現場って言葉は、テレビのニュースで聞くやつだ。僕が現場にいるなんて、変な話だ。

黒いモヤがこっちに来る。

「う、うわあ!」

僕は後ろに跳んだ。

――え?

跳びすぎた。三メートルくらい。
体が勝手に決めてくる。僕より先に、僕が動いてる。

着地した瞬間、地面が固い。固いのに、痛くない。足の裏が強くなってる。
強いって、こういうこと? よく分からないけど、とにかく“痛くない”。

「君の魔法は『瞬発力』です。高速移動と打撃が得意です」

「殴るの?」

「はい。第一選択です。倫理的には……後で説明します!」

倫理って言葉が怖い。倫理は、正しいか正しくないかの話だ。
僕は今、正しいことをしてるのかしてないのか、その基準を持ってない。

黒い何かが飛んできた。
僕の体は、考える前に横へ滑った。避けた。速い。速すぎて、景色が置いていかれる。

(これ……)

怖いのに、笑いそうになる。笑う理由は分からない。分からないまま胸の奥が弾む。
弾むって、バネみたいだ。僕の胸にバネが入ってるみたい。

体が軽い。軽いと、地面が味方してる気がする。

「行ける!」

僕は走った。地面を蹴って、近づいて、拳を振る。

――ドゴォン!

ネガモンスターが吹っ飛んだ。壁に当たって形が崩れる。
崩れる音が、ちょっと気持ちいい。気持ちいいって思う自分が、少し怖い。怖いけど、止められない。

「やった!」

「素晴らしいです、ユウト君!」

褒められると、さらに体が軽くなる。褒められるって、力なんだ。力になるって知らなかった。

ネガモンスターがまた立つ。
でも怖さは前から消えて、背中に回った。背中にくっついてる感じ。
背中に怖さがあると、前へ進める。変なのに。

「もう一回!」

殴る。蹴る。
――バキッ!
黒がほどけて、光の粒になって消えた。

粒が消えると、夜の静けさが戻る。静けさが戻ると、急に疲れが来る。
疲れは、後からちゃんと来る。律儀だ。

「撃破確認。……本当に、撃破できましたね」

桜井さんの声が、少しだけ震えていた。事務的なのに、その一瞬だけ人間に戻る。

僕は拳を見た。
強い。僕、強い。

拳はいつもと同じ形なのに、中身が違う。中身って見えないけど、感じる。
感じるだけで、もう充分すごい気がした。

「帰りましょう。保護者の監督下から外れる時間が長いと、規定違反に――」

規定って何でも言う。
でも、急いで帰った。帰らないと、お母さんが部屋を見に来るかもしれない。
見に来られるのが怖いっていうより、“僕がいない”って事実が怖い。事実はバレる。

窓から部屋へ戻り、布団に潜る。布団は温かい。温かいと、少しだけ安心する。

しばらくして、お母さんがドアを開けた。

「ユウト、寝た?」

「……」

寝たふり。
心臓がうるさい。うるさいのに、止められない。止められないと、妙に腹が立つ。
怒ってるわけじゃないのに。自分に腹が立つって、変だ。

お母さんは少しだけ僕を見て、静かにドアを閉めた。

閉まった音が、胸のどこかに沈んだ。
沈んだものには名前がない。ただ、重さだけが残った。



第三章 仲間との出会い

それから一週間。

僕は毎日ネガモンスターを倒していた。
怖さは薄くなっていくのに、夜の空気だけは毎回新しい。夜って同じ色なのに、同じじゃない。

一週間で、僕は夜の顔をいくつも覚えた。
駅前の夜。商店街の夜。公園の夜。
夜は場所によって匂いが違う。駅前は油の匂い。商店街は冷めた匂い。公園は土の匂い。
匂いって、目に見えないのに記憶に刺さる。刺さると抜けない。

桜井さんのテレパシーは相変わらず丁寧で、最近ちょっとだけ焦ってる。
焦ってる理由は言わない。言わない大人は、だいたい大事なことを抱えてる。抱えると、姿勢が悪くなる。桜井さんも姿勢が悪い。

その日も、駅近くの公園。

ネガモンスターが暴れてる。暴れ方がいつもより大きい。大きいと、怖さも大きい。

「よし、やっつけ――」

そのとき。

「キュアライトニング・スパーク!」

黄色い光が走った。

「え!?」

振り向くと、黄色い服の女の人。僕と同じくらいの背丈。髪が短い。
動きが軽い。軽いのに、止まらない。軽くて止まらないって、すごい。
僕の瞬発力とは別の“軽さ”だ。彼女は空気と仲良しみたいに動く。

そして、彼女が動くたび、小さな音がした。
鈴が鳴るみたいな、透きとおった音。

音が透きとおると、夜が少しだけ優しくなる気がする。
夜の角が丸くなる。角が丸くなると、怖さが刺さらなくなる。

「あ、新入りさんだ! 初めまして!」

彼女は笑った。笑い方が、夜に合ってない。合ってないのに、嫌じゃない。
夜に合ってないものって、だいたい希望みたいに見える。

「私、『キュアライトニング』! よろしくね!」

「え、えっと……」

「君の名前は?」

「……」

言いかけて詰まる。自分の正体って、口に出すと崩れそうだ。何が崩れるのか分からない。分からないから怖い。

「あ、そっか。桜井さんから聞いてた! 『キュアバースト』だよね?」

「う、うん」

キュアバースト。
口にすると、体がちょっとだけ大きくなる気がする。気がするだけ。でも、気がするって大事だ。
人はたぶん、“気がする”で生きてる。

僕は彼女の腰を見た。小さな鈴がついてる。キーホルダーみたいに。
鈴は金色で、動くたびに小さく鳴る。音が規則正しい。規則正しいと安心する。安心って、たぶんリズムだ。

「二人で片づけちゃおう!」

彼女は言いながら突っ込む。言葉より足が速い。
足が速いと、迷いがない気がする。迷いがない人って、強い。

「うん!」

僕も走る。

二人で攻撃すると、ネガモンスターはあっという間に消えた。
一人のときより、夜が薄い。薄いっていうのは暗さじゃなくて、怖さの膜のこと。膜が薄いと、息がしやすい。

「やった!」

彼女が手を上げる。僕も手を合わせる。

腰の鈴が、軽く揺れて音を立てた。
まるで「いいね」と言うみたいに。

「よろしくね、キュアバースト!」

「う、うん」

仲間ができた。
胸の奥に、見えない椅子が一脚増えた気がした。座れる場所が増えると、人は少し楽になる。
椅子って、そういうものだ。足が疲れたときに、ちゃんとそこにある。



第四章 魔法少女の日常

二人で戦うようになってから、夜が“ただの仕事”じゃなくなった。
仕事って言ったら怒られるかもしれないけど、桜井さんは規定ばっかりだから、仕事にしか見えない。
でもキュアライトニングがいると、仕事の外側に何かがくっつく。名前はない。ないから、落とさずに済む。

最初の数日は、お互いの動きに慣れる時間だった。
彼女の電撃は速い。速いから、僕の突進が怖くなくなる。
僕の打撃は重い。重いから、彼女の電撃がちゃんと終わる。
二人で戦うって、パズルみたいだ。ピースが合うと気持ちいい。気持ちいいと、もっとやりたくなる。
もっとやりたくなるのが、ちょっと危ない気もする。危ないのは、怪物じゃなくて、僕の気持ちの方かもしれない。

戦闘が終わって、公園のベンチに座る。

「今日もお疲れ様!」

彼女が伸びをした。鈴が、短く合図みたいに鳴った。
合図があると、ちゃんと終わった感じがする。終わった感じって、人を救う。

「コンビニ寄ってく? 甘いのほしい」

「うん」

コンビニの明かりは、夜の中で一番“現実”だ。眩しい現実。
僕はガリガリ君、彼女はパフェアイス。
夜の冷たさが舌に乗ると、頭が少しだけ空っぽになる。空っぽになると安心する。
安心するのに、心のどこかが「こんなことしてていいの?」って言う。言ってくる場所が分からない。分からない声は、だいたい本物だ。

彼女が言った。

「最近、出現率高くない?」

「うん。増えてる」

僕はテレパシーで桜井さんに聞いた。

「なんか分かった?」

返事まで一拍。その一拍の間に、嫌な予感が立ち上がる。
予感は言葉じゃない。体温とか、空気とか、そういうので来る。

「……ええと。発生源がある可能性が高いです。位置は特定できていません。こちらも手順上、慎重に調査しています」

“手順上”の中に、焦りが挟まってた気がした。
挟まったものって、噛むと痛い。

「だって」

「そっか。見つかったら共有してもらおう」

彼女は笑ってみせた。でも目だけは真面目だった。
目って、嘘をつくのが苦手だ。顔は笑えるのに。

黙ってアイスを食べる。
黙ってても変じゃない。黙ってていいって、仲間の証拠だ。
証拠って、紙に書くやつじゃなくて、こういう空気のことだと思う。



別の日。
戦いが終わって、息が落ち着いたころ、公園の木の幹に何かを見つけた。

「あ、カブトムシ!」

虫って、急に世界を変える。
ネガモンスターの黒いモヤのことを考えてたのに、カブトムシが出ると、全部が“夏の話”になる。
夏の話は、明るい。明るいと、夜が少し後ろに下がる。

ツノが立派で、持つだけで強くなった気がする。錯覚なのに嬉しい。
嬉しいって、説明すると軽くなるから、できれば説明したくない。

「……そのテンション、すごいね」

キュアライトニングが笑った。
笑われると恥ずかしい。でも、恥ずかしいの中に“許された”が混ざってる。混ざってるから、耐えられる。

「虫は別!」

「別なんだ」

「別だよ。だって……なんか、すごいじゃん」

“すごい”の中身は言えない。言えないけど、分かってほしい。
分かってほしいのに、言えない。言えないのに、彼女はうなずいた。

「うん、すごい」

その短い返事で、僕の胸の奥が少し軽くなった。
軽くなると、夜の空気が痛くなくなる。

カブトムシを木に戻すと、彼女が鈴を指でつまんだ。

「ねえ、キュアバースト」

「ん?」

「戦い、怖い?」

僕はすぐ返事ができなかった。
怖いは怖い。でも、怖いだけじゃない。だけど、怖い以外の言葉が見つからない。

「……怖いよ」

「それで、なんで来るの」

空を見た。星がある。あるけど遠い。
遠いものを見ると、言葉が薄くなる。薄い言葉の方が、本当のことに近いときがある。

「強いのが……気持ちいいから」

「それだけ?」

「……それだけじゃない」

口から出たのに、説明になってない。説明になってないと、胸の奥がむずむずする。
むずむずは、名前のつかない感情の合図だ。

「君がいると、なんか……大丈夫っぽい」

“大丈夫っぽい”が一番正直だった。
正直って、だいたい格好悪い。でも格好悪い方が本当だ。

彼女は一瞬目を見開いて、それから笑った。

「変な言い方。でも、ありがと」

鈴が、控えめに鳴った。
控えめな音って、近くで聞くと強い。強いっていうのは、胸に刺さるって意味。



さらに別の日。
僕たちは商店街を歩いていた。パトロール。
パトロールって言葉は、ちょっと偉く聞こえる。偉くないのに。
でも、偉いって思うと背筋が伸びる。伸びると、守ってる気がする。守ってる気って、人を前に進ませる。

「静かだね」

「うん」

静かな夜は、逆に怖い。
怖いのに、歩くのをやめるのはもっと怖い。止まると、黒いモヤが追いついてきそうだから。追いついてくるのはモヤじゃなくて、不安の方かもしれない。

歩きながら、僕は考えた。
キュアライトニングは、どんな人なんだろう。
学校に行ってるのかな。家の人は優しいのかな。
好きな食べ物は? 嫌いなことは? 笑うときの癖は?
聞きたいけど聞けない。聞いたらルール違反な気がする。
ルールって、守るときだけ重い。

そのとき、急に思い出した。
昼間、ケンタが言ってた漫画のセリフ。
セリフって、口に出すと気持ちが整うときがある。整うのに、意味は分からない。

「あ、そうだ」

僕は滑り台に駆け上がった。

「俺は海賊王になる!」

叫んだ。叫ぶと、胸がすっきりする。
すっきりって、掃除みたいだ。心の掃除。

「……それ、別の漫画じゃない?」

キュアライトニングが苦笑した。

「え? そうなの?」

「そうだよ。でも、元気だね」

鈴が笑うように鳴った。
笑う音って、怒られてない証拠だ。証拠があると安心する。



戦闘の後、僕たちはいつもの公園で休んでいた。
“いつもの”ができると、人は生活してる感じがする。
生活って、戦いより強い。たぶん。

「ねえ、キュアバースト」

「ん?」

「この鈴、可愛いでしょ」

彼女が腰の鈴を見せてくれた。
鈴は小さい。小さいのに、音はちゃんと聞こえる。
金色で、表面に小さな模様が彫ってある。模様が細かいと、見てると目が疲れる。疲れるけど、見たい。

「うん。綺麗な音する」

「これが私の変身アイテムなの。鳴らすと変身できるんだ」

彼女は鈴を鳴らした。
音が夜に溶ける。溶けると、夜が少しだけ優しくなる。

「キュアバーストは防犯ブザーだよね」

「うん」

僕は自分の防犯ブザーを見た。

プラスチック。赤い。ボタンが一つ。
格好よくはない。でも、これが僕の“武器”だ。
格好いいかどうかより、“役に立つ”の方が大事なときがある。
そのことを僕は、もう知ってしまった。

彼女の鈴と僕のブザー。
違うのに、どっちも僕たちを同じ場所へ連れてくる。
同じ場所って、怖い場所なのに、なぜか大事になっていく。

鈴の音が、やさしく響いた。
やさしさって、たぶん音でできてる。



第五章 迫る危機

ある夜。
宿題をしていると、桜井さんのテレパシーが来た。声の温度が低い。
低い声は、風呂上がりの床みたいに冷たく感じる。

「ユウト君、大変です」

「どうしたの?」

「ネガモンスターの発生源が……見つかりました」

「本当!?」

「はい。この街の中央にある旧市庁舎の地下です。ただ……発生源が肥大化しています。このままだと、街全域に拡散します」

“街全域”って言われると、頭の中にいつもの道が出てくる。
スーパー。学校。公園。家。
そこに黒いモヤを置いてみると、胸の中がぐしゃっとなる。ぐしゃっとなるのに、どこがぐしゃっとなったか分からない。分からないって、怖い。

「今夜、二人で発生源を破壊してください。……これが最後の戦いになります」

最後。
最後って言葉は息を細くする。細くなると、言葉が出にくい。
出にくいのに、返事はしなきゃいけない。返事をしないと、何も進まない。

「……わかった」

僕は防犯ブザーを握った。
プラスチックなのに、指に形が残る。形が残ると、決意みたいに見える。
決意って、きっとこうやって手に残るものだ。

窓を開けて外へ。
鍵の金属音が小さく鳴った。その音が家の中の気配を揺らした気がして、指先が一瞬だけ止まった。
止まったけど戻れなかった。戻るって、今はできない。

外の空気は冷たい。冷たいと目が覚める。目が覚めると怖さがはっきりする。
はっきりすると、逆に歩ける。ぼんやりの怖さは足を止めるから。

旧市庁舎までの道が、いつもより長く感じた。
長く感じると、不安が増える。不安が増えると、周りの音が大きくなる。音が大きいと、心臓も大きくなる。
大きくなった心臓は、走れと言う。

旧市庁舎の前にはキュアライトニングがいた。
建物は古い。古いと壊れやすそうに見える。窓は黒い。黒い窓は向こうが見えない分、想像が勝手に増える。

「キュアバースト!」

「遅くなった」

「……平気。行こ」

彼女の声が、いつもより少し低かった。
低い声は、怖さを隠すときに出る。隠してると分かると、僕も怖さを隠したくなる。隠すって、難しい。

彼女が扉を開ける。鈴が、小さく合図を出す。
合図が小さいと、逆に本気に聞こえる。本気は、静かだ。

地下へ降りる。懐中電灯の光は細い。
光が細いと、暗闇が太く見える。太い暗闇は、押してくる気がする。
押してくるのに、触れない。触れないものが一番手強い。

足音が反響して、建物が空っぽだと分かる。空っぽは怖い。
何もないのに怖いって、変だけど、古い建物はだいたいそうだ。
古さって、時間が溜まってるってことだから。溜まった時間は、触れたら手が汚れそうだ。

コツ、コツ。
鈴が、かすかに鳴る。
二つの音だけが、階段を降りていく。

奥に着いたとき――

「あれが……」

巨大な黒い塊。うねうね。天井へ伸びる。
見た瞬間、体の内側が縮む。縮むと息が浅くなる。浅くなると頭が白くなる。
白くなると、余計な言葉が消える。消えると、必要なことだけが残る。

塊は脈打ってる。脈打つと、生きてる感じがする。
生きてる黒って、見たくない。見たくないのに、目が離れない。離せないのが怖い。

「中心にコアがあります! それを壊せば――」

桜井さんの声。

次の瞬間、塊からネガモンスターがあふれ出した。
数が多い。多すぎる。数える気が消える。数えるって、現実の作業だから。現実の作業ができないとき、人は怖い。

「来るよ!」

キュアライトニングが叫ぶ。

「ライトニング・スパーク!」

電撃が走る。僕も突っ込む。殴る。蹴る。
倒しても倒しても出てくる。出てくるたびに体力が削られる。削られると、怖さが戻ってくる。
戻ってくると、腕が重くなる。重くなると、息も重くなる。
重いのは、体じゃなくて気持ちの方かもしれない。

「終わらない!」

息が上がる。上がると動きが鈍る。鈍ると、怪物より先に“負けた感じ”が来る。
負けた感じが来るのが、一番嫌だ。

「コアを狙うしかないね……でも、どうやって……」

そのとき、僕の口が勝手に答えを出した。

「……僕が行く」

「え?」

「中に入って、コアを壊す」

「無茶だよ!」

無茶って言葉は止めるための言葉だ。
でも今日は、止まるためのブレーキが効かない。ブレーキが壊れたんじゃなくて、足がアクセルを離さない。

「僕、速いから」

僕は笑った。笑うと怖さが薄く見える。見えるだけで消えないけど、薄いだけで助かる。
怖さって、厚みが問題なんだと思う。分厚いと呼吸ができない。

「一瞬で入って、割って、出てくる。信じて」

キュアライトニングは唇を噛んで、それでも頷いた。

「……戻ってきて」

短い言葉の方が重い。重い言葉は胸に落ちる。落ちると動ける。
落ちたものが錘になる。錘は、風に飛ばされないために必要だ。

「うん」

僕は走った。

ネガモンスターが来る。でも、彼女が道を作ってくれる。電撃で隙間を開ける。
隙間は狭い。狭いけど通れる。通れるって、希望だ。

「あと少し!」

声が背中を押す。鈴が小さく鳴って合図を重ねる。
合図が重なると、僕の体が勝手に“やれる”って言ってくる。

僕は拳を握る。

守りたい。
お母さん。ケンタ。クラスのみんな。先生。
守りたいの中身は顔とか声とか匂いとか、そういうバラバラのものだ。
バラバラだから強い。ひとつの言葉にならないから、壊れにくい。

黒い塊の中に飛び込んだ。

真っ暗。黒いモヤがまとわりつく。息が苦しい。体が重い。
瞬発力が鈍る。鈍ると動けない。動けないと怖い。
怖さが前に戻ってくる。戻ってくるのに、もう止まれない。止まれないって、こういうことだ。

――見えた。

奥に、赤く光る球。
あれがコア。あれが終わり。終わりは、始まりでもある。意味は分からないけど、そう感じた。

「届け……!」

叫びは声というより息だった。
拳を振る。全部の力。全部の僕。
全部って言葉も、たぶん嘘だ。だって僕の全部を僕は知らない。知らないけど、今出せる分は全部だ。

――バキィィン!!

球が割れた。光があふれて、黒がほどける。
ほどけると、空気が戻る。戻ると、息が吸える。吸えるって、すごい。

僕は外へ弾き出されるみたいに飛び出した。

「やった!」

「キュアバースト!」

キュアライトニングが駆け寄る。鈴が震えて、喜びを鳴らす。
喜びの音は、夜を少し明るくする。

黒い塊は消えた。静か。
静かすぎて耳が痛い。痛いのに安心する。
安心って、痛いと近い。

「終わった……」

僕は座り込んだ。体が震えてる。怖かった。
怖さはなくならない。ただ、ちゃんと終わっただけ。

「お疲れ様」

キュアライトニングが肩に手を置く。手の温度が、今はすごく助かる。
温度って、守りだと思う。

桜井さんの声が来た。

「二人とも、本当にお疲れ様でした。これでこの街のネガモンスターは発生しなくなります」

「よかった……」

「そして……契約は完了です」

「え……」

僕は顔を上げた。

「完了って……」

「君たちは、もう変身できません。通常生活に戻ります」

戻る。
戻れるはずなのに、胸の奥がすーっと冷える。冷えるのに嬉しい。嬉しいのに泣きそう。
気持ちが一列に並ばない。並ばないから、僕は困る。困るけど、困ってるってことは、本当ってことだ。

「じゃあ、私たちも……もう会えないんだね」

キュアライトニングの声が少し細くなった。
鈴が短く揺れて、寂しさを鳴らす。
寂しさって、音がある。

「記憶は残るよう、本部に申請しました。ただし――互いの正体を知ることはできません」

「……そっか」

僕は彼女を見る。
名前も家も知らない。でも、笑い方は知ってる。戦い方も知ってる。
知ってるって、こういうのでもいいのか分からない。分からないのに、胸は勝手に“知ってる”って言う。

「短かったけど、楽しかった」

彼女が笑った。
笑い方が、最後のページの顔だった。最後のページの顔って、なんとなく分かる。分かるけど、説明はできない。

「僕も……」

泣きそうになる。でも、泣いたら今がこぼれそうで怖い。
こぼれるって、手のひらから砂が落ちるみたいに。落ちたら集められない。

「一緒に戦えて……よかった」

言葉が震える。震えるのに、ちゃんと届いてほしい。
届いてほしいって、欲張りだ。でも、欲張っていい気がした。最後だから。

「ありがとう」

「うん。元気でね」

僕たちは手を繋いだ。
手は温かい。温かいと終わりが実感できる。実感は、悲しい。

鈴が、最後にひとつだけ、綺麗に鳴った。
綺麗な音は忘れない。忘れないから悲しい。
忘れないって、やさしい罰みたいだ。

「じゃあね」

「またね」

光が包んだ。
光の中で、彼女の顔が薄くなっていく。薄くなると掴めない。掴めないと、手が空っぽになる。
空っぽの手は、冷える。



エピローグ 日常へ

翌朝。

僕は目を覚ました。防犯ブザーは光らない。変身もしない。
でも、覚えてる。
覚えてるって、頭の映像だけじゃなくて、胸の底に“重さ”が残ってることだ。
重さが残ってると、夢じゃなかったって分かる。分かるのに、信じられない。

窓の外は明るい。明るいと夜が嘘みたいに見える。でも嘘じゃない。
嘘じゃないって、胸が言う。胸は、そういうときだけ賢い。

「ユウト、起きなさーい!」

お母さんの声。
声が聞こえると現実が戻ってくる。現実は、声の形をしてる。
声は空気なのに、家を支えてる気がする。

「今日、スーパー行くわよ」

「はーい」

朝ごはんは卵焼きと味噌汁とご飯。
湯気の匂いは、戦いの光よりずっと現実だ。現実って、こういう匂いでできてる。
卵焼きは甘い。甘いと、胸の奥の尖ったところが丸くなる。

外に出る。

「手、繋ぐ?」

「うん」

お母さんの手は温かい。温かさは強い。
殴らなくても、ちゃんと守ってくれる感じがする。
守るって、暴れることじゃないのかもしれない。かもしれないけど、まだよく分からない。

スーパーまで歩きながら空を見る。青い。雲が白い。
もう、あの高い視界はない。あの軽さもない。

でも、いい。

僕はちゃんと戦った。
ちゃんと終わらせた。
それで、いい。

「ねえ、お母さん」

「なあに?」

「変身ベルトが欲しい」

「また? この前ロボット買ったばかりでしょ」

「だって、かっこいいんだもん」

「誕生日まで我慢」

「えー」

文句を言いながら、心の中で笑った。
変身ベルトなんて、本当はもういらない。
だって僕は――もう、別のところで変身したから。

変身ベルトより、強いものを知ってしまったから。
強いものって言うと、拳みたいだけど、たぶん違う。違うけど、まだ言えない。

スーパーの入口で、女子高生が一人、反対から歩いてきた。

髪が短い。明るそうな顔。歩き方が軽いのに、芯がある。
制服のリボンが風に揺れてる。

僕と彼女は、ほんの少しだけ目が合った。
何かを思い出しそうで、思い出せない。思い出せないのに、胸が勝手に反応する。
反応の理由は分からない。分からないのに、確かに“ある”。

そして、お互いに少しだけ振り返った。

振り返ると、彼女の横顔が見える。横顔は正面より優しく見える。
優しさって、横から来るときがある。

そのとき、風が吹いた。

――遠くで、あの鈴の音に似たものが、かすかに混じった気がした。

気のせい…かな。

「ユウト?」

「ううん、なんでもない」

僕はお母さんの手を握り直した。
握り直すと、今に戻れる。今はちゃんとある。あるって、強い。

スーパーの中へ入る。野菜売り場。お肉売り場。お魚売り場。
お母さんがカゴにいろんなものを入れていく。

野菜は緑。お肉は赤。お魚は銀色。
色があると、生きてる感じがする。
生きてるって、こういうことかもしれない。かもしれない、ばかり増える。
増えると、大人に近づくのかもしれない。近づきたくないけど、近づく。

「今日はカレーにしましょうか」

「やった! カレー好き!」

「じゃあ、ニンジンとジャガイモと……」

いつもの日。
でも僕の中には“いつもじゃない夜”が残っている。
残っているのに言葉にできない。言葉にできないまま、確かにある。

「ユウト、カゴ持ってて」

「はーい」

カゴを受け取って、お母さんの後ろを歩く。

カゴは重い。重いと、ちゃんと生活してる感じがする。
生活は、地面みたいだ。地面があるから歩ける。
地面があるから、空も見上げられる。

レジを通って、袋を持って外へ出る。
帰り道、僕は一度だけ後ろを振り返った。

入口には誰もいない。
でも、風が頬を撫でたとき、音のないはずの空気が、ほんの少しだけ鳴った気がした。

鈴が、遠くで、きちんと一回だけ。

――気がしただけだ。

僕は言葉にしないまま、お母さんと並んで歩いた。
今日の空は青い。
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