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第4話:届けられないパン
しおりを挟む朝、オズワルドは地図を机に広げた。
紙が擦れる音が、やけに大きく聞こえた。
「今日は前線への輸送だ。第三小隊」
エドガーとトマスが地図を覗き込む。
オズワルドの指が、街道をなぞった。
「ここから北へ二時間。途中に川がある。橋を渡った先が野営地だ」
「荷馬車は?」
「二台。食料と水。護衛を付けて運ぶ」
そこで、オズワルドはエドガーを見た。
「初輸送だな」
「はい」
「難しい仕事じゃない」
一拍。
「だが、時間を守れ。昼までに届かなきゃ、兵士は昼を食えん」
「……わかりました」
その「わかりました」は、少し軽かったかもしれない。
その時のエドガーは、まだ気づいていなかった。
◇
荷馬車に食料を積み込む。
パンの入った麻袋、干し肉、水の樽。
一つ一つ、数を確認する。
帳簿と合っている。それだけで、どこか安心してしまう。
「全部だな?」
「ああ」
トマスが荷台を軽く叩いた。
「よし。行こう」
護衛の兵士が二人、馬上で待っている。
エドガーは御者台に上がり、手綱を握った。
「初めてか」
「はい」
「焦るな。馬は急がせるもんじゃない。道さえ間違えなきゃいい」
「わかりました」
馬が歩き出す。
荷馬車がきしみ、車輪が回る。
出発は、予定通りだった。
◇
街道は、思っていたより荒れていた。
轍が深く、石が多い。馬は一歩一歩、慎重に足を置く。
荷馬車が揺れるたび、エドガーは手綱を握り直した。
「大丈夫か!」
後ろからトマスの声が飛ぶ。
「ああ!」
声は返した。
だが、馬の速度は上がらない。
空を見上げる。
太陽は、もうずいぶん高い。
一時間。
まだ川は見えない。
「もう少し急げないか」
護衛の一人が並んできた。
「これ以上だと、荷が崩れます」
「……わかった。でも、時間がない」
護衛は前を見た。
エドガーも同じ方向を見る。
ようやく、川が見えた。
◇
橋の手前で、馬が止まった。
前方に、別の荷馬車。
商人らしい男たちが、車輪を囲んでいる。
「何だ、あれは」
護衛が馬を降り、商人に近づく。
「すみません。車輪が外れまして」
「どれくらいで動く」
「……三十分ほど」
「三十分?」
舌打ちが落ちた。
エドガーは御者台から降り、橋を見る。
狭い。荷馬車一台で精一杯だ。
「迂回は……」
言いかけて、止めた。
「無理だな」
護衛が先に答えた。
「川を越えられるのは、ここだけだ」
腕を組む。待つしかない、という姿勢。
エドガーは空を見た。
太陽は、ほぼ真上にあった。
時間は、待ってくれない。
それだけは、はっきりしていた。
◇
三十分後、ようやく道が空いた。
「急ぐぞ!」
橋を渡り、街道を進む。
だが、もう昼は過ぎている。
「……間に合わねえな」
トマスの声が、後ろから聞こえた。
「ああ」
手綱を引く。
馬は応えようとするが、荷が揺れる。
無理はできない。
野営地に着いたのは、昼から一時間後だった。
◇
野営地は、静かだった。
兵士たちは休憩している。
エドガーが馬車を止めると、小隊長が歩み寄ってきた。
「遅いな」
「……すみません」
「もう昼は終わった」
それだけ言って、荷台を見る。
「パンは?」
「あります。全部」
「配れ。腹を空かせた奴がいる」
踵を返す背中は、怒ってはいなかった。
それが、余計に堪えた。
パンを配る。
兵士たちは黙って受け取り、食べ始める。
文句は出ない。
ただ、疲れた顔だけが並んでいた。
エドガーは、胸の奥がじくりと痛んだ。
◇
帰り道。
「仕方ないよ」
トマスが言う。
「橋が塞がってたんだ」
「……でも、遅れた」
「誰も責めちゃいない」
「……そうだな」
それでも、前を見たまま、エドガーは手綱を離さなかった。
仕方ない、で済ませていい気がしなかった。
◇
詰所に戻ると、オズワルドが待っていた。
「遅かったな」
「橋が塞がっていて……」
「聞いている」
小隊長から連絡が来ていたらしい。
「お前の判断ミスじゃない」
一拍。
「だが、結果は同じだ」
「……はい」
「兵士は昼を食えなかった。午後の動きに影響が出た」
帳簿が開かれる。
「次からは、橋が使えない場合も想定しろ。迂回路、代替手段」
「はい」
「出発を早めるのも一つだ。余裕を作れ」
「……はい」
帳簿が閉じられる。
「補給が遅れたら、困るのは前線だ。それを忘れるな」
「忘れません」
エドガーは頭を下げた。
◇
夜、ベッドに横になる。
天井を見つめる。
今日の道、橋、太陽の位置が、頭の中で何度も再生される。
戦わない仕事だと思っていた。
だが、失敗はちゃんと誰かに届く。
補給係の仕事も、戦場の一部だ。
エドガーは拳を握った。
次は、遅れない。
その「次」が、いつ来てもいいように。
※本作は本日22:20に第5話が続けて更新されます。
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