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第6話:名もなき兵士達のために
しおりを挟む倉庫で帳簿をめくっていると、足音が乱れて近づいてきた。
トマスが扉を開けるなり、息を少し切らしている。
「エドガー、来てくれ」
「どうした」
「負傷兵だ。包帯が足りないってさ」
包帯。
それは数字の欄にある言葉なのに、口に出されると急に生々しい。エドガーは鉛筆を置き、トマスの後ろに続いた。
◇
詰所の前に若い兵士が立っていた。
左腕に布が巻かれている。白かったはずの布が、血で滲んで灰色に変わっていた。
「すみません、包帯……分けてもらえませんか」
「腕、どうした」
エドガーがそう言うと、兵士は反射的に腕を引いた。痛みが走ったのだろう。
「訓練で。医務室に行ったんですが、包帯が切れてるって」
医務室が切れる。
それはつまり、ここが切らしているということだ。
「わかった。少し待って」
倉庫へ戻り、包帯の棚を開ける。
三巻。迷って、もう一巻。——いや、今は三巻でいい。帳簿が追いつかなくなる。
詰所へ戻り、手渡す。
「これで足りるか」
「ありがとうございます、本当に……」
兵士は、包帯を抱えるように受け取った。
エドガーは一瞬、兵士の顔を見た。
まだ若い。目の下にうっすら影がある。寝ていないのか、眠れないのか。
「名前は」
「え?」
「名前。記録する」
兵士は少し戸惑って、それから答えた。
「……レオンです」
「レオン。第何小隊」
「第七です」
エドガーは帳簿に書き込む。
レオン。第七小隊。包帯。
「次からは、切れる前に言ってくれ」
「はい。すみません」
レオンは頭を下げ、詰所を出ていった。
背中が少しだけ軽くなったように見えた。包帯を抱えているから、というだけではない。
◇
午後、オズワルドが地図を広げた。
「明日は第一と第二に食料を出す」
「両方ですか」
「ああ。第一は前線。第二は後方。離れてる」
地図の上で指が動く。線が二本になると、仕事が倍になるのだと、今のエドガーは知っている。
「馬車は二台。お前とトマスで分かれろ」
「わかりました」
エドガーは帳簿を覗き込む。
「第一小隊、人数は」
「三十」
「第二は」
「二十。ただ、第二は負傷兵が多い」
その言い方が、午前中の包帯と繋がった。
負傷兵は、数字の中にいる。だが、数字の中で血は止まらない。
オズワルドは帳簿をめくりながら言う。
「第二は後方警備だ。戦闘はないが、回復待ちが多い」
エドガーは、少しだけ黙った。
黙ったまま、干し肉の棚を思い浮かべた。乾燥果物の箱。塩。油。
「班長」
「ん?」
「第二に、少し多めに回せませんか」
オズワルドの手が止まった。
「多め?」
「干し肉とか。栄養になるものを」
「帳簿上の配分を変えるって話だぞ」
「はい」
オズワルドは腕を組む。
第一小隊の顔が浮かんでいるのだろう。前線は常に「足りない」と言う。
「第一が文句を言う」
「言うかもしれません」
エドガーは地図を見たまま言った。
「でも、第一は健康な兵が多い。第二は怪我人です」
顔を上げ、オズワルドを見る。
「必要な場所に必要な分を届けるのが、補給係ですよね」
オズワルドはしばらく黙っていた。
その沈黙は、否定じゃない。計算している沈黙だ。
やがて、小さく笑った。
「お前、変わったな」
「……そうですか」
「前は言われたことだけやってた。今は、自分で口を出す」
オズワルドは頷いた。
「いい。第二に多めに回せ。ただし、第一には説明しろ。揉めるのは面倒だ」
「わかりました」
◇
翌日、エドガーは第二小隊の野営地へ向かった。
荷馬車には、干し肉と乾燥果物を普段より多めに積んである。重さが違う。だが、それでいい。
野営地に着くと、テントの前に兵士たちがいた。
包帯、松葉杖、吊った腕。休んでいるのに、休めていない顔。
「補給です」
声をかけると、一人の兵士が近づいてきた。
髪に白いものが混じっている。年配の兵士だ。
「ああ、助かる。切れかけてたんだ」
「すみません、遅くなって」
「いや。来てくれただけでありがたい」
兵士は荷台を覗き込む。
「……おお、干し肉がある。久しぶりだな」
「栄養が要ると思って、多めに持ってきました」
兵士は一瞬、言葉を失ったように黙り、それから笑った。
「そうか。……ありがとう」
エドガーは食料を降ろし、配る。
一人一人に渡しながら、顔を見た。
包帯を巻いた若い兵士。
足を引きずる中年の兵士。
杖をつく老兵。
同じ「二十人」でも、二十通りの痛みがある。
「ありがとう、補給係」
声が上がる。
その声は、薄いテントの布よりも、少しだけ温かかった。
エドガーは、さっきの年配兵士に言った。
「名前、聞いてもいいですか」
「名前?」
「覚えておきたいので」
兵士は、驚いた顔をしてから、照れたように頬を掻いた。
「……ハンスだ」
「ハンス」
口に出して確かめる。
ハンス。二十人の中の一人ではなく、ハンス。
◇
詰所に戻ると、エドガーは帳簿を開き、名前を書き込んだ。
ハンス。第二小隊。負傷兵。
レオン。第七小隊。包帯。
他にも、思い出せるだけ書く。
紙の上で、兵士たちがただの数字から戻ってくる。
横からトマスが覗き込んだ。
「……何してんだ?」
「名前を記録してる」
「名前?」
「ああ。誰に何を渡したか、覚えておきたい」
トマスは帳簿を見て、ふっと笑った。
「お前、ほんと細けえな」
「そうかな」
「そうだよ。普通そこまでやらない」
だが、否定はしなかった。
「……でも、いいと思うぜ」
トマスは椅子に座り直す。
「名前呼ばれたら、嬉しいだろ。兵士だって人間だし」
エドガーは帳簿を閉じた。
「補給って、物を届けるだけじゃない気がする」
「どういう意味だ」
「相手が何を必要としてるか、考えることも含むんだと思う」
トマスは頷いた。
「なるほどな」
◇
夜。
詰所の灯りは落ちたのに、倉庫の方から小さな音がした。
エドガーは戸口で立ち止まり、そちらを見る。
誰かが棚を探っている。足を引きずるような音。
「……誰だ?」
声をかけると、影がびくっと揺れた。
顔が見えた。昼間の第二小隊の兵士——ハンスではない。別の、若い兵士だ。頬がこけている。
「すみません……」
小さな声。
「昼の配給、受け取れなくて」
言い終える前に、腹が鳴った。本人が一番驚いた顔をする。
エドガーは、何も言わずに棚を開け、干し肉の小袋を一つ取った。
帳簿のことが頭をよぎったが、それより先に手が動いた。
「これを」
兵士は両手で受け取り、何度も頭を下げた。
「……ありがとうございます。明日、ちゃんと隊に報告します」
「名前」
エドガーが言うと、兵士は瞬きをした。
「え……」
「名前、聞かせて」
兵士は小さく息を吸って答えた。
「……ヨハンです」
「ヨハン」
エドガーは、その名を覚えた。
倉庫の暗がりの中で、名前だけが妙に輪郭を持って残った。
※次回更新は、翌日を予定しています。
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