落ちこぼれ兵士、補給係からやり直します

和ノ白

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第6話:名もなき兵士達のために

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 倉庫で帳簿をめくっていると、足音が乱れて近づいてきた。
 トマスが扉を開けるなり、息を少し切らしている。

「エドガー、来てくれ」

「どうした」

「負傷兵だ。包帯が足りないってさ」

 包帯。
 それは数字の欄にある言葉なのに、口に出されると急に生々しい。エドガーは鉛筆を置き、トマスの後ろに続いた。



 詰所の前に若い兵士が立っていた。
 左腕に布が巻かれている。白かったはずの布が、血で滲んで灰色に変わっていた。

「すみません、包帯……分けてもらえませんか」

「腕、どうした」

 エドガーがそう言うと、兵士は反射的に腕を引いた。痛みが走ったのだろう。

「訓練で。医務室に行ったんですが、包帯が切れてるって」

 医務室が切れる。
 それはつまり、ここが切らしているということだ。

「わかった。少し待って」

 倉庫へ戻り、包帯の棚を開ける。
 三巻。迷って、もう一巻。——いや、今は三巻でいい。帳簿が追いつかなくなる。

 詰所へ戻り、手渡す。

「これで足りるか」

「ありがとうございます、本当に……」

 兵士は、包帯を抱えるように受け取った。

 エドガーは一瞬、兵士の顔を見た。
 まだ若い。目の下にうっすら影がある。寝ていないのか、眠れないのか。

「名前は」

「え?」

「名前。記録する」

 兵士は少し戸惑って、それから答えた。

「……レオンです」

「レオン。第何小隊」

「第七です」

 エドガーは帳簿に書き込む。
 レオン。第七小隊。包帯。

「次からは、切れる前に言ってくれ」

「はい。すみません」

 レオンは頭を下げ、詰所を出ていった。
 背中が少しだけ軽くなったように見えた。包帯を抱えているから、というだけではない。



 午後、オズワルドが地図を広げた。

「明日は第一と第二に食料を出す」

「両方ですか」

「ああ。第一は前線。第二は後方。離れてる」

 地図の上で指が動く。線が二本になると、仕事が倍になるのだと、今のエドガーは知っている。

「馬車は二台。お前とトマスで分かれろ」

「わかりました」

 エドガーは帳簿を覗き込む。

「第一小隊、人数は」

「三十」

「第二は」

「二十。ただ、第二は負傷兵が多い」

 その言い方が、午前中の包帯と繋がった。
 負傷兵は、数字の中にいる。だが、数字の中で血は止まらない。

 オズワルドは帳簿をめくりながら言う。

「第二は後方警備だ。戦闘はないが、回復待ちが多い」

 エドガーは、少しだけ黙った。
 黙ったまま、干し肉の棚を思い浮かべた。乾燥果物の箱。塩。油。

「班長」

「ん?」

「第二に、少し多めに回せませんか」

 オズワルドの手が止まった。

「多め?」

「干し肉とか。栄養になるものを」

「帳簿上の配分を変えるって話だぞ」

「はい」

 オズワルドは腕を組む。
 第一小隊の顔が浮かんでいるのだろう。前線は常に「足りない」と言う。

「第一が文句を言う」

「言うかもしれません」

 エドガーは地図を見たまま言った。

「でも、第一は健康な兵が多い。第二は怪我人です」

 顔を上げ、オズワルドを見る。

「必要な場所に必要な分を届けるのが、補給係ですよね」

 オズワルドはしばらく黙っていた。
 その沈黙は、否定じゃない。計算している沈黙だ。

 やがて、小さく笑った。

「お前、変わったな」

「……そうですか」

「前は言われたことだけやってた。今は、自分で口を出す」

 オズワルドは頷いた。

「いい。第二に多めに回せ。ただし、第一には説明しろ。揉めるのは面倒だ」

「わかりました」



 翌日、エドガーは第二小隊の野営地へ向かった。
 荷馬車には、干し肉と乾燥果物を普段より多めに積んである。重さが違う。だが、それでいい。

 野営地に着くと、テントの前に兵士たちがいた。
 包帯、松葉杖、吊った腕。休んでいるのに、休めていない顔。

「補給です」

 声をかけると、一人の兵士が近づいてきた。
 髪に白いものが混じっている。年配の兵士だ。

「ああ、助かる。切れかけてたんだ」

「すみません、遅くなって」

「いや。来てくれただけでありがたい」

 兵士は荷台を覗き込む。

「……おお、干し肉がある。久しぶりだな」

「栄養が要ると思って、多めに持ってきました」

 兵士は一瞬、言葉を失ったように黙り、それから笑った。

「そうか。……ありがとう」

 エドガーは食料を降ろし、配る。
 一人一人に渡しながら、顔を見た。

 包帯を巻いた若い兵士。
 足を引きずる中年の兵士。
 杖をつく老兵。

 同じ「二十人」でも、二十通りの痛みがある。

「ありがとう、補給係」

 声が上がる。
 その声は、薄いテントの布よりも、少しだけ温かかった。

 エドガーは、さっきの年配兵士に言った。

「名前、聞いてもいいですか」

「名前?」

「覚えておきたいので」

 兵士は、驚いた顔をしてから、照れたように頬を掻いた。

「……ハンスだ」

「ハンス」

 口に出して確かめる。
 ハンス。二十人の中の一人ではなく、ハンス。



 詰所に戻ると、エドガーは帳簿を開き、名前を書き込んだ。

 ハンス。第二小隊。負傷兵。
 レオン。第七小隊。包帯。

 他にも、思い出せるだけ書く。
 紙の上で、兵士たちがただの数字から戻ってくる。

 横からトマスが覗き込んだ。

「……何してんだ?」

「名前を記録してる」

「名前?」

「ああ。誰に何を渡したか、覚えておきたい」

 トマスは帳簿を見て、ふっと笑った。

「お前、ほんと細けえな」

「そうかな」

「そうだよ。普通そこまでやらない」

 だが、否定はしなかった。

「……でも、いいと思うぜ」

 トマスは椅子に座り直す。

「名前呼ばれたら、嬉しいだろ。兵士だって人間だし」

 エドガーは帳簿を閉じた。

「補給って、物を届けるだけじゃない気がする」

「どういう意味だ」

「相手が何を必要としてるか、考えることも含むんだと思う」

 トマスは頷いた。

「なるほどな」



 夜。
 詰所の灯りは落ちたのに、倉庫の方から小さな音がした。

 エドガーは戸口で立ち止まり、そちらを見る。
 誰かが棚を探っている。足を引きずるような音。

「……誰だ?」

 声をかけると、影がびくっと揺れた。
 顔が見えた。昼間の第二小隊の兵士——ハンスではない。別の、若い兵士だ。頬がこけている。

「すみません……」

 小さな声。

「昼の配給、受け取れなくて」

 言い終える前に、腹が鳴った。本人が一番驚いた顔をする。

 エドガーは、何も言わずに棚を開け、干し肉の小袋を一つ取った。
 帳簿のことが頭をよぎったが、それより先に手が動いた。

「これを」

 兵士は両手で受け取り、何度も頭を下げた。

「……ありがとうございます。明日、ちゃんと隊に報告します」

「名前」

 エドガーが言うと、兵士は瞬きをした。

「え……」

「名前、聞かせて」

 兵士は小さく息を吸って答えた。

「……ヨハンです」

「ヨハン」

 エドガーは、その名を覚えた。
 倉庫の暗がりの中で、名前だけが妙に輪郭を持って残った。


※次回更新は、翌日を予定しています。

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