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人気のカフェはたくさんの人々で賑わっている。サラもまたレオンハルトと二人でお茶を楽しんでいた。王立図書館で知り合っただけの彼と、こうしてデートをするのは初めてで少し緊張する。
レオンはサラの心に気づいたようにその悪戯っぽい瞳を細めた。
「先ほどの絵画展は素晴らしかったね。まるで異国を旅しているような気分になったよ」
「ええ、本当に。特に森林でピクニックをしている絵の光の質感が本物のようで。惹きこまれました」
サラが誘って見に行った絵画展の感想で盛り上がっていると、和やかな空気を壊すように荒々しい足音が近づいてきた。
「サラっ、しばらく顔を見せないと思えば、他の男と二人きりで過ごしているとはどういうことだっ」
険悪な声に周りの人々の視線が集中する。サラはせっかくの楽しい雰囲気を壊されたことに怒りを感じて乱入者――ハイル・フォン・アルハイム公爵令息とその背後で咎めるように見ているイザベラ・フォン・ヴェルフェン侯爵令嬢をにらみつけた。
「それはこちらの言葉です、ハイル様。なぜ無関係のあなたにそのような失礼なことを言われなければいけないのでしょうか?」
「ふざけるなっ。いくら君が私を避けているとはいえ、君は私の婚約者だっ」
今まで一切会いに来なかったのに。自分だけを詰るハイルにサラは心が冷え切っていくのを感じた。事情を知るレオンに励ますように視線で促されて、サラは遠慮なく本音を口にした。
「あなたとは一月前に両家の合意の元で婚約を解消しました。ですので、私たちは正真正銘無関係ですわ。ハイル・フォン・アルハイム公爵令息様」
*****
一月前、国王陛下主催の夜会は、きらびやかなシャンデリアの光と人々の楽しげな喧騒に満ちていた。
そんな華やかな輪から遠く離れ、私は壁際にひっそりと佇んでいた。平民の側室だった亡き母の血を引く私は、ヴェルフェン侯爵家では「汚れた存在」。社交の場に出ることは許されても、父からは常に「家の恥にならぬよう、壁の花でいろ」と命じられている。存在を許されるための、それが条件だった。
視線の先では、婚約者のハイルが、異母姉のイザベラと優雅にワルツを踊っていた。金の髪をなびかせるハイルと、華やかなドレスを翻すイザベラ。誰もが羨む、絵画のように美しい二人。その光景が、私の心をちりちりと灼いた。この家で虐げられる私にとって、格上の公爵家嫡男であるハイルとの婚約だけが、唯一の希望だった。いつか彼が私をこの息の詰まる家から救い出してくれる。そう、信じていた。信じようと、必死に努力していた。
やがて曲が終わり、二人は楽しげに笑い合いながら、連れ立ってバルコニーへと消えていく。胸騒ぎを覚え、私は人々の視線を避けながら、そっとその後を追った。厚いカーテンの陰に身を潜めると、ひそやかな囁き声が耳に届く。まるで、私の心を抉るために用意されたかのような、残酷な言葉たち。
「……それにしてもハイル様、いつまであんな地味で退屈な女を婚約者にしておくおつもり? 見ているだけで気が滅入るわ」
「もう少しの辛抱だよ、愛しいイザベラ。あいつの母親が遺した遺産と、ヴェルフェン家からの持参金さえ手に入れば、すぐにでも婚約を破棄してやるさ」
「まあ、本当ですの? でしたら、何か理由をつけて追い出してしまえばいいのに。不貞でもなんでも、濡れ衣を着せてしまえば簡単ですわ。あの女、気が弱いからきっと泣き寝入りするだけよ」
「はは、君は本当に悪知恵が働く。だが、それもいいな。僕の隣に立つのは、君のような華やかで美しい女性こそふさわしい」
唇が触れ合う生々しい音。
世界から、音が消えた。足元から崩れ落ちていくような感覚。今までかろうじて繋ぎとめていた希望という名の細い糸が、ぷつりと音を立てて断ち切られた。
(ああ……そう。やはり、あなたも……あなたたちも、同じだったのね)
家では継母と姉に虐げられ、父には存在しないものとして扱われる。唯一の支えだと信じていた婚約者には、財産目当てで利用され、虫けらのように捨て去る計画を立てられていた。
絶望が、冷たい水のように私の全身を満たしていく。涙さえ、流れなかった。ただ、凍てついた心の中で、何かが音を立てて砕け散った。
私は静かにその場を離れ、誰にも気づかれぬまま、闇に沈む王宮を後にした。馬車の中で、私はただ固く目を閉じていた。今日聞いた会話の一言一句が、侮辱的なハイルの笑みも、嘲るようなイザベラの声色も、完璧に、正確に、私の脳裏に刻みつけられていく。忘れたくても、決して忘れられない呪いのように。
レオンはサラの心に気づいたようにその悪戯っぽい瞳を細めた。
「先ほどの絵画展は素晴らしかったね。まるで異国を旅しているような気分になったよ」
「ええ、本当に。特に森林でピクニックをしている絵の光の質感が本物のようで。惹きこまれました」
サラが誘って見に行った絵画展の感想で盛り上がっていると、和やかな空気を壊すように荒々しい足音が近づいてきた。
「サラっ、しばらく顔を見せないと思えば、他の男と二人きりで過ごしているとはどういうことだっ」
険悪な声に周りの人々の視線が集中する。サラはせっかくの楽しい雰囲気を壊されたことに怒りを感じて乱入者――ハイル・フォン・アルハイム公爵令息とその背後で咎めるように見ているイザベラ・フォン・ヴェルフェン侯爵令嬢をにらみつけた。
「それはこちらの言葉です、ハイル様。なぜ無関係のあなたにそのような失礼なことを言われなければいけないのでしょうか?」
「ふざけるなっ。いくら君が私を避けているとはいえ、君は私の婚約者だっ」
今まで一切会いに来なかったのに。自分だけを詰るハイルにサラは心が冷え切っていくのを感じた。事情を知るレオンに励ますように視線で促されて、サラは遠慮なく本音を口にした。
「あなたとは一月前に両家の合意の元で婚約を解消しました。ですので、私たちは正真正銘無関係ですわ。ハイル・フォン・アルハイム公爵令息様」
*****
一月前、国王陛下主催の夜会は、きらびやかなシャンデリアの光と人々の楽しげな喧騒に満ちていた。
そんな華やかな輪から遠く離れ、私は壁際にひっそりと佇んでいた。平民の側室だった亡き母の血を引く私は、ヴェルフェン侯爵家では「汚れた存在」。社交の場に出ることは許されても、父からは常に「家の恥にならぬよう、壁の花でいろ」と命じられている。存在を許されるための、それが条件だった。
視線の先では、婚約者のハイルが、異母姉のイザベラと優雅にワルツを踊っていた。金の髪をなびかせるハイルと、華やかなドレスを翻すイザベラ。誰もが羨む、絵画のように美しい二人。その光景が、私の心をちりちりと灼いた。この家で虐げられる私にとって、格上の公爵家嫡男であるハイルとの婚約だけが、唯一の希望だった。いつか彼が私をこの息の詰まる家から救い出してくれる。そう、信じていた。信じようと、必死に努力していた。
やがて曲が終わり、二人は楽しげに笑い合いながら、連れ立ってバルコニーへと消えていく。胸騒ぎを覚え、私は人々の視線を避けながら、そっとその後を追った。厚いカーテンの陰に身を潜めると、ひそやかな囁き声が耳に届く。まるで、私の心を抉るために用意されたかのような、残酷な言葉たち。
「……それにしてもハイル様、いつまであんな地味で退屈な女を婚約者にしておくおつもり? 見ているだけで気が滅入るわ」
「もう少しの辛抱だよ、愛しいイザベラ。あいつの母親が遺した遺産と、ヴェルフェン家からの持参金さえ手に入れば、すぐにでも婚約を破棄してやるさ」
「まあ、本当ですの? でしたら、何か理由をつけて追い出してしまえばいいのに。不貞でもなんでも、濡れ衣を着せてしまえば簡単ですわ。あの女、気が弱いからきっと泣き寝入りするだけよ」
「はは、君は本当に悪知恵が働く。だが、それもいいな。僕の隣に立つのは、君のような華やかで美しい女性こそふさわしい」
唇が触れ合う生々しい音。
世界から、音が消えた。足元から崩れ落ちていくような感覚。今までかろうじて繋ぎとめていた希望という名の細い糸が、ぷつりと音を立てて断ち切られた。
(ああ……そう。やはり、あなたも……あなたたちも、同じだったのね)
家では継母と姉に虐げられ、父には存在しないものとして扱われる。唯一の支えだと信じていた婚約者には、財産目当てで利用され、虫けらのように捨て去る計画を立てられていた。
絶望が、冷たい水のように私の全身を満たしていく。涙さえ、流れなかった。ただ、凍てついた心の中で、何かが音を立てて砕け散った。
私は静かにその場を離れ、誰にも気づかれぬまま、闇に沈む王宮を後にした。馬車の中で、私はただ固く目を閉じていた。今日聞いた会話の一言一句が、侮辱的なハイルの笑みも、嘲るようなイザベラの声色も、完璧に、正確に、私の脳裏に刻みつけられていく。忘れたくても、決して忘れられない呪いのように。
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