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はじめての作曲依頼

英雄の終わり3

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 二人の距離は自然と縮まっていった。

「やあ、エルフ君。今日は新作を読ませてもらえるのかね」

 日課のコーヒー片手のお出迎え。まるで昔馴染みの友人のよう。

「新聞じゃないですからありませんよ。今日は少量ですが噛みタバコを持ってきました」
「毎日ご苦労だね」
「いえいえ、皆さんに守られているんですからこれくらいの働きは当然です」
「私としては君の書く物語が一番の差し入れなんだけどね。娯楽はいい。疲れを忘れられるからな」
「勘弁してください。人に読ませる物じゃないんです」
「それでは君は何のために書いているんだい?」
「え……それは……」

 エルフは答えが浮かばず、ぼんやりとする。

「考えたこともなかったか」
「そう、ですね……紙の作り方とペン、それに時間を与えられたから……いつの間にか書いていたという感じでしょうか」
「そうだ。不思議に思っていた。なぜ文字を必要としないエルフ族が紙の作り方を知っていて、そしてペンを持っているんだい? 君の他に変わり者はいるのか?」
「いいえです。変わり者は私だけです。ただ、もう10年も前の話です。この森に人間の旅商人が現れたのです。彼が鹿に追いかけまわされていたので助けてあげたんです」
「ふむ、エルフの森に人間の旅商人か」

 人間がエルフに近づくことは不思議な話ではない。エルフは人間と距離を置きたがるが全ての文化を否定しているわけではない。人間が作り出した鉄製道具は極端に嫌がる一方で裁縫道具となる針は重宝する。

「お礼に貨幣を渡されそうになりましたがお断りしました。だってエルフは基本物々交換。それに胡散臭い顔をしていたのでその貨幣が本物かどうかもわからない」
「なるほど。君の判断は賢明だ」
「なのでお礼は物を貰うことにしました。変な模様の布を開くと使い道のわからない奇妙な物ばかり。裁縫道具はわかりましたが私は男なので必要はない」
「……それもそうか」
「いらないものばかりだなーと思いました。だけど一つだけ、目を引く物がありました。それがこれです」

 エルフは懐から大事に取り出す。

「これは……万年筆か!」
「そうです。旅商人もそう言ってました。メンテナンスをさぼらなければ一生使えると。長命のエルフにうってつけだって。私は欲しいものを欲しい時に欲しい人に渡すことを生業としていると言ってました」
「そいつは口の上手い商人だったのだな。エルフは文字を持たないと知って押し付けたのだろう」
「それがとても良い人でした。ペンがあるのなら紙が必要になるだろうって。紙の作り方に、文字の読み書き、インクの作り方まで教えてくれました」
「もしや君を足掛かりに多くのエルフと商売しようと企んでいたのか」
「そうなのかもしれません。だけどしばらくしたら忽然といなくなりました。名前も名乗らずに」
「……心変わりの早い旅商人もいたもんだな」
「はいです。きっと彼も人間の中でも変わり者だったのかもしれませんね」

 楽しく談笑していると砦の方角から国境結界の管理者が暗い顔をしてやってくる。

「マシュー様……なにとぞ、なにとぞ、ご決断ください」
「管理者殿。よしたまえ。エルフ君の前だぞ」

 管理者はエルフの顔を一瞥し、舌打ちする。

「……税金を一銭も払わぬエルフなんぞどうでもよいではありませんか」

 その態度をマシューは許せなかった。

「管理者殿! それでも国防を任された軍人か!」
「あ、あの、私、用事があるので失礼します……!」

 エルフは気まずい空気を察知すると元の仕事に戻った。

「指令室に向かおう。道中でいい。何があった。包み隠さず報告したまえ」
「国境結界がまた侵入を検知しました……新たに千人規模が森の中に潜んでおります」
「……我々の隊と並び始めたな」
「それと実は……独断で私の直属の部下を斥候で森の奥に行かせました」
「……その様子だと帰ってこなかったのか」
「……はい。森に慣れた熟練の兵士でした。隊を組ませて送り込んだのですが……一人も帰ってきませんでした」
「それは昼か、夜か」
「森に入ったのは早朝です……」
「そうか……惜しいことをしたな……」

 心の底から弔うマシュー。
 しかしその態度、今度は管理者が気に食わなかった。

「……マシュー様が早く決断をなされないからです」

 声を震わせて反抗する。

「エルフの森なんぞ早々に見捨てるか、焼き払えば良かったのです。国には忠誠を誓わない、何ら価値のないエルフなんぞ守る価値はありません!」
「いいや、ある。命ある者には皆生きる価値がある」
「それは部下の命よりも大事ですか? エルフの、異民族の命を守るため同胞の命を差し出さねばならんのですか」
「管理者殿。君は疲れている。少々休んで冷静になりたまえ」
「私は正気だ。狂っているのはあなただ、マシュー・カンタービレ。最初は偉大な父のように尊敬できるお方だと思った。そして側にいるうちにわかった。あなたとは肩を並べて戦える友にはなれないと」

 管理者の目は突き放すような畏怖の目をしていた。理解も信用も信愛もない。外敵を見るような恐れる目。

「憔悴しきってるようだ。コーヒーでも一杯どうだ? 私自らが振る舞おうではないか」

 肩に手を回そうとするが露骨に避けられる。

「……紛い物のどんぐり汁をコーヒーと一緒にするのはおやめ下さい。私は見てしまったのです。あなたがこっそりと部下の目を盗み、野草を取って腹の飢えを誤魔化すところを。首都では大砲大王と呼ばれる偉大なお方がなんとみすぼらしい……」
「全ては愛する母国のためだ。そのためならどんな努力をも私は惜しまない」
「こんな辺境を守ったところで何の足しになりませぬ……マシュー様。本当のことを仰ってください。あなたはこんな雑草だらけの地に勝利を求めに来たのではない。死を求めに来たのではありませんか」
「……何を、馬鹿なことを……」
「じゃないと説明がつかないのです。納得できないのです。粗食で栄養失調になろうとしか思えぬのです。目立つ丘に陣地を構えて一斉攻撃を待ってるとしか思えぬのです。部下に不満を募らせ、反感を買おうとしてるとしか思えぬのです」

 管理者は長期間のストレスに苛まされ、精神が極限状態に陥っていた。

「楽に……させてください。もう、疲れました。撤退なり、森を焼き払うなり、ご決断ください。でないと私……あなたを後ろから刺してしまいそうだ。何度も、何度も、何度も、頭に過ぎりました。ここであなたが死ねば撤退できて、晴れて故郷に帰れると。ブキカで思う存分女遊びができると」
「……そうか、君は意外にも女遊びをするほうだったのか。やはり私の人を見る目は信用できないな。妻だったらびしっと見抜くだろうに」
「お願いです、マシュー様。私はこんな辺境で、礼儀を知らぬ者たちのために死にたくはありません。どうか死ぬときは、おひとりで」

 指令室の前にたどり着いた。
 しかし管理者は中に入ろうとしなかった。
 言うことは言い尽くしたという態度で足を止める。

「……兵糧も限界が近い。救援物資もいつ届くかわからない」
「でしたら……!」
「あと一日だ!」

 管理者は一瞬は笑みを浮かべたが瞬時に軽蔑の睨みに豹変する。

「貴君の訴えで臆病者の私が心を決めた。明日の朝には全て決着がつく」

 大戦で激減した腹を括る。
 大砲大王は生死を賭けた大博打に出る。
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