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はじめての作曲依頼

英雄の終わり2

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「ありっがとう……ぐすっ、ありがとうございますっ……!」

 一人の若いエルフが泣きじゃくりながら礼を言う。彼は成人間近の少年の見た目をしていた。

「礼などいらない。むしろ謝らないといけないのはこちらのほうだ。さぞ怖かっただろうに。しかし陣地に無言で近づいてはならない。せめて白旗を持って近づくべきだったな。まあでもエルフだし、仕方ないか。若いし、そういうミスもあるよね」

 マシューは彼を温かく迎えた。

「マシュー様。見た目に騙されてはいけませんよ。少年のように見えますが自称50歳ですよ。ほとんどおじいさんのようなものです」
「なるほど。それでは私はおじいさんよりもさらにおじいさんということになるな」
「あっ、決してそういう意味では」
「それよりも。彼が、君の言っていたエルフだね」
「……はい。ハーフエルフのエルフです。ハーフエルフが種族名で、エルフが名前です」
「ううん、紛らわしい……ええと、エルフ君でいいんだね」
「はいです。エルフと申します」

 エルフは伝聞通りの容姿をしていた。緑色の衣に身を纏い、横に突き出るようにして長い耳を持っていた。しかし純血ではないため、耳は純血よりも半分と短かった。

「ここへは何しに来たんだい」
「皆様にお渡ししたいものがありまして。果実酒と……喜んでもらえるかわかりませんが噛みタバコを」
「なんと。村にまだ残っていたのか」
「はいです。醸造中の未完成品でよろしければたくさんあります。だから皆様に村まで下りてきてほしくて」
「代わりに持っていってほしいということだな。早速下りましょう、マシュー様」
「……いや、指揮官たる私が持ち場を離れるわけにはいかない。だがそうだな、一部の兵を交代して村に行かせることにしよう。作戦に差し支えが出ないほどの数を絞ってな」
「それでは兵に不満が出ませんか?」
「ああ、出るだろう。しかしわかってくれるさ。我々は誉れ高い使命の真っ最中だということを」
「ううん、そうですか……」

 国境結界の管理者は残念がる。我慢を強いている部下に今すぐにでも贅沢させたかったからだ。
 一方でエルフは輝かせた目をマシューに向けていた。

「マシュー様……もしやあの大砲大王マシュー様でございますか!」
「ん、私の名前を知っているのかね。エルフは外界に興味を示さないと聞いていたが」
「はいです。私は森の中でも変わり者でして、森の外に興味があるんです」
「自分で変わり者を自称するのか……」
「こんな辺境にまで来ていただけるなんて……なんというか、その、もったいないです」
「辺境といえどドナタ・ソナタ。ならば私には守る使命があるのだよ。遠慮せずに守られなさい」
「噂以上のお方だ! あの、あの、握手してもらってもよろしいですか!?」
「握手かい? お安い御用だよ」

 すかさず国境結界の管理者が二人の間に割って入る。

「マシュー様、軽率ですよ。エルフは人間よりも魔法に長けております。触ると呪術をかけられるかもしれません」
「いいえです。私、光魔法しか使えません。火だって起こせません」
「と言ってるぞ、管理者殿」
「なりませぬぞ、マシュー様」

 管理者は譲らない。総大将に何かあれば自分の命だけでなく、仲間の命を危険にさらす。副官として絶対に譲れなかった。

「……ということだ。申し訳ないが、握手はまた今度だ」
「はいです。楽しみにしております」

 エルフはその愛嬌もあってか、次第にマシュー率いる軍と打ち解けていった。
 彼は協力を惜しまず、マシューたちによく尽くしてくれた。




 彼は必ず朝のうちにやってくる。マシューはそれをコーヒー片手に迎えるのが自然と日課となっていた。
 とある朝のこと。

「聞いてください! 今日は十頭もの猪を狩ることができました! 皆さんでぜひ!」

 兵士が村まで下りて猪を陣地まで運ぶ。
 彼の言葉に嘘偽りはなく、本当に十頭揃えていた。

「もしや、これ全部一人で?」
「はいです。私、狩り上手なんです。夜に狩りを行うんです。獲物は闇に目が慣れています。そこで光魔法を使うと目が眩んで、上手く行くと岩に頭をぶつけて気絶するんです」
「……ほう、さすがだ」
「マシュー様。喜んでくれましたか?」
「ああ、大喜びだとも。これで部下たちの腹を満たせる」
「マシュー様。実は私、マシュー様のために頑張りました。ぜひマシュー様にも猪食べてほしいです」
「気持ちは有難いがね、私には国から賜った保存食がある。早く食べないと腐ってしまうのだよ。腐った食料を豊かな森に廃棄をするわけにはいかない」
「そう……ですか」
「だが保存食がなくなった時……その時は遠慮なくご馳走になるとしよう」

 その言葉を聞いてエルフは顔を明るくする。

「はいです! ぜひぜひ! ご馳走になってください!」

 エルフが陣地から去っていくと入れ替わりに国境結界の管理者がやってくる。

「マシュー様。悪い報告とさらに悪い報告があります」
「なんだ。遠慮なく言え」
「……エルフの村から譲り受けた果実酒がありましょう。それも特上の味の」
「うむ、心得ている」
「あまりに美味と噂されていたものだから順番待ちの我が兵士が我慢できずに……蔵に忍び込み、勝手にこれを飲みました」
「……なんたる失態か」
「さらに悪いことに、それは醸造に失敗した腐った酒でして、数名が腹を下しました」
「んんんん……!」

 手癖のタバコを探す癖。もはや腹を叩いているようにしか見えない。

「エルフから譲り受けた噛みタバコがありますよ? 野性味があってどうも苦手でしたが続けていると案外いけるようになります」
「いや、いい。賜ったものは大事にしろ。それと猪の調理の件だが」
「勿論今日は宴! 酒と肉! それも猪の丸焼きなんて野営のご馳走ですな! 久々に部下たちに英気を養えることでしょう!」
「……」
「……もしやその表情。もしや丸焼きにせずに全部保存食になさるおつもりですか?」
「全部とは言わん。そうだな、せいぜい二頭が許せる範囲だ」
「それでは一人肉一枚しか回りません!」
「……直に増援部隊が来る。救援物資をたんまり抱えてな」
「……魔女便だって一日一度来るか来ないか。期待はせぬことですな」

 管理者が怒りを滲ませて簡易指令室を出ていった。

「……ふう」

 マシューはため息をこぼす。

「……私もそろそろ休むとしよう」

 マシューの寝室は簡易指令室から離れた位置にある。
 簡易指令室を出た途端、突風に見舞われる。

 ピタン!

 おまけに風に乗って一枚の紙が顔に当たる。

「……部下に負担強いた罰があたったか?」

 木材を原料とした紙だった。白紙ではなく、美しい筆遣いで文字が記されていた。

「なになに……第1章エルフの旅立ち……? 指令書ではなく小説か」

 内容は古来よりよくある英雄譚。窮屈な生まれ故郷を自らの意思で離れ、様々な土地に冒険する物語。

「にしてもエルフを主人公にするとは珍妙な。誰が書いたのだ?」

 エルフは魔法以外では文字を用いない。そもそもエルフ独自の文字を持っていない。伝統や知識は全て口承で受け継いでいる。
 近くにもう一枚同じ材質の紙が落ちていた。

「第3章未来の花嫁との出会い……はっはっは! 面白くなってきたではないか!」

 手垢まみれの、読んでて恥ずかしくなるような妄想に近い絵空事であったが緊張が続く戦場で唯一触れた娯楽。久方ぶりに肩の力が抜け、心の底から笑えた瞬間だった。

「どこかにまだ落ちてないだろうか」

 きょろきょろと辺りを見渡すと遠くから猛スピードで駆け寄ってくる影。

「マシュー様ー!! こちらに紙は飛んできませんでしたかー!?」

 エルフ君だった。耳を真っ赤にして突っ走る。

「おお、もしや、これは君が」
「ああああああああああ!!?」

 奇声を上げて紙を強奪し、くしゃくしゃに丸める。

「これは読んだものを必ず不幸な目に遭わせる恐ろしい呪文なのです! すぐにお忘れください! 忘れないと一生腹が下りますよ!!」
「呪文なものか。腹は下らず、腹の奥底から笑いが出たわ」
「もしや読まれた!? 読まれたのですか!!?」
「極秘文書かもしれないからね。あながち間違っていなかったようだが」
「あ、あああ、あああああ……!! ごろじ、ごろじでぐだじゃい」

 エルフは奇声を張り上げながら地面でのたうち回る。

「まあまあ、君の年頃なら全然普通のことだよ。かくいう若かりし頃の私もこういった空想はよくしたものだ」

 マシューはしゃがみ込み、優しく声をかける。

「マシュー……様もですか?」
「ああ。しかし文字にすることはなかったがな。私が大抵ペンを持つときは報告書だよ」

 右手のひらを見せる。

「今ではすっかり消えてしまったが……古い家系となると教育にうるさくてね。貴族の必須教養である美しい筆跡になるまで手にタコを作り続けたし、何度も鞭で叩かれた。紙の端に落書きしようものなら貴重な紙を粗末にするな集中が足りないと頭を殴られた」

 彼の頭にはところどころ毛が生えていない部分がある。教育という名目で暴力を振られ、外傷で生えなくなってしまっていた。

「……私は君が羨ましいよ、エルフ君」
「私が……ですか?」
「ああ。戦争と距離を置き、のびのびと文筆活動ができる。私は君くらいの年には戦場に立たされていた。前線からは離れていたものの、いつ後ろから撃たれるかわからない生きた心地がしない、生と死が曖昧な場所に立たされていた。嫌だとも言えなかった。逃げることもできなかった。泣き言も許されなかった」
「そう……だったのですか」
「まあ、でも、妻や愛人への手紙も報告書と同じくらいいっぱい書いたがな。苦労したおかげで多くの美女を落とせた。美しい文字だと評判だったのだぞ、ほっほっほ」
「あああああ! うらやまじいいい!」

 嫉妬にもだえ苦しむエルフ。
 軍人のように畏まった彼が感情をあらわにするのはマシューにとって新鮮であり癒しだった。
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