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ユーグ村
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しおりを挟むその日はいつもと変わらない一日だった。
「ただいま」
『神谷』と表札の掲げられた家の玄関を開け、薫は室内へと向けてそう声を掛ける。
しかし返事は返ってこない。少し前まで専業主婦をしていた母は、薫が高校に入学したのを機に近くのスーパーでレジ打ちのパートをしている。
パートが終わって帰ってくる時間は大体7時前。母が帰ってくるまでまだまだ時間はある。
薫が家に帰ってきてただいまと言うのは、母が家にいた頃のそれが癖となって残っているから。
「またやっちゃったな」
バツが悪そうにそう呟くと薫は脱いだ靴をキチンと出船に並べ、階段を上がって自分の部屋を目指す。
ガチャッと自室の扉を開けると、薫は鞄を机の傍に置く。そして机上に置かれたパソコンの電源を入れると、型落ちのデスクトップパソコンがブォォンと一際大きな音を立てて暫く明滅した後に画面をパッと映し出す。
薫はお気に入りの背景が設定されたデスクトップ上にあるゲームのアイコンをカチカチッと選択し、起動する。
「さて、と」
ゲームが起動するまでの間に、着替えを始める薫。薫が着替えたのは学校指定の上下紺色のジャージ。胸元に刺繍されている『神谷千尋』という名前が、それが姉のお下がりであることを表している。
着替えも終わり、椅子に座るとタイミング良くゲーム画面が切り替わる。スピーカーから流れるアップテンポの曲と共に派手な演出で大きく出てきたゲームのタイトルは『ロスト・ファンタジア』。ファンの間からは『L・F』と略されるゲームだ。
このゲームは、最初に選択した男女どちらかの主人公が人類の敵である魔王を倒すという王道RPGでありながら、プレイヤーは主人公を操作するのではなく、主人公の仲間として共に冒険していくという、一風変わった雰囲気のゲームとなっている。
プレイヤーは様々なパーツから組み合わせられるエディットキャラを作成し、勇者の力を受け継いでいるという主人公とともに最初は魔物を討伐する『冒険者』として徐々にクエストを進めていくことになる。その後は魔族襲撃イベントや他国との戦争イベント等の各イベントを経ていき、最終的に魔王を倒すというシナリオが一般的だ。
しかしこのゲームの面白いところは、プレイヤーの判断と行動によって様々なエンディングが用意されていること。
例えば、他国との戦争イベントで自国から他国へと鞍替えすることも可能で、そうすると今度は他国の軍人として魔物、敵兵を討ち倒すことになる。そして全てを倒し終わった後、そのまま軍の英雄となるエンディングと反乱を起こして主人公が王になるエンディングに分岐したりーーといったように、重要な場面でのプレイヤーの選択次第で物語の展開が変わっていく。
これだけならば世にあるゲームでも同じような設定のものは多くある。だがこの『L・F』は製作者が何を考えたのか、イベントとエンディングの数が膨大に用意されているのだ。それこそ薫が確認しているだけでも数十種類のエンディングが用意されている。
また、ゲームをクリアした後はゲーム内で入手したアイテムとレベルが引き継いだ状態で最初から始める、所謂『強くてニューゲーム』をすることができ、おかげで薫もレベル上限である200までキャラクター育成を済ませている。
さらにこのゲームは各エンディングをクリアする毎に『クリア特典アイテム』というレアアイテムを入手することが出来るため、そのやり込み要素の多さから、初心者を始めコアなファンまでが『L・F』に熱中していた。
イベントも殆どが分岐ルートが用意されており、1周目ではレベルと装備的に勝つことが出来ない『負けイベント』も、周回を重ねてレベルや装備を整えて勝つことで、新たな展開に進めるイベントへと分岐する。
それが更なるやりこみ要素となり、薫もその例に漏れず、何度もゲームをクリアしてはやり直し、次は別分岐ルートを選び、新たなエンディングを見て……というのを繰り返していた。
時には英雄として国と人々を救い、時には見捨てて悪の道を走ったり、時には……と、様々な展開を楽しんでやり込んできた。
しかし、そんな薫でも絶対に避けられないイベントがあった。それが『ユーグ村襲撃イベント』
ユーグ村とは主人公が住んでいる村で、主人公が森で狩りに出掛けている間に魔族率いる魔物の襲撃を受けて壊滅してしまう。
その出来事がきっかけで主人公は魔族を倒すため、そして自身と同じ境遇の者を増やさないために魔族の王である魔王を倒すため冒険に旅立つ……という、主人公の冒険のきっかけとなるこのイベントは、絶対に避けることは出来ず、その重い展開を避けたいと思った多くのプレイヤーが試行錯誤を繰り返し、公式に問い掛けた結果、唯一の『避けられないイベント』であると判明した。
故に、薫を始めとした多くのプレイヤーはやり直す度に発生する『ユーグ村襲撃イベント』を嫌というほど見てきた。
「さて、今度はどのルートで行こうかな」
コントローラーを握り、薫は考える。
昨日の夜に数十回目のエンディングを迎えたばかりで、今日はまた改めて『やり直す』ため、今度はどんなルートで進めて行こうかと考えていた。
「昨日までので、結構有名なエンディングは見たからなぁ……」
そう呟きながも、画面の中では『ユーグ村襲撃イベント』が進められている。
最初のチュートリアルで一瞬だけ流れた村の長閑な風景は既になく、崩れ落ちた家屋と倒れ伏している人々の姿がある中で、主人公の少年が悲しみに涙を流している。
「……ふぁ」
そんな映像を見ながらも、薫は小さく欠伸を零す。
薫も、最初の数回は主人公が可哀想でこのイベントが嫌で堪らなかった。しかしそれも何十回と見れば慣れてしまうというもの。
それに公式がこの展開は避けられないイベントと回答している以上は、どうしようもない。
「やばい、眠い……」
このゲームは基本、スキップ機能はない。
それがやり直しプレイにおける面倒な点とも言えるが、公式が「折角頑張って作ったシナリオを飛ばして欲しくない。」とまで公式サイトで言っていたのだから、プレイヤーとしてもその熱意を無碍にすることは出来ない。それに会話イベントの中には次のイベントのヒントが隠されている場合もあるので、薫も一度見たイベントだろうと流し見することなく、ちゃんと読んでいる。
しかし、一番最初のイベントであるこれだけは既に何十回も見ているため、さすがにポチポチとボタンを押すだけの単調な作業にならざるを得ない。
加えて、昨日はエンディングという区切りを付けるために深夜までゲームをしていたのもあってか、薫の瞼はゆっくりと閉じていき、そしてとうとう完全に閉じてしまう。
ガチャン。
「はっ⁉︎」
何かが落ちる音にビクッと身体を震わせて目を開く。
意識を失ってコントローラーをつい落としてしまったか。
薫が寝惚け眼を擦りながら立ち上がると、慌てて床を見下ろす。
が、そこにあったのは部屋のフローリングではなく、剥き出しの茶色い地面だった。
「は?」
コントローラーを拾おうと伸ばし掛けた手は途中で止まり、薫は見下ろしていた視線を元に戻して前を見る。
「え、はぁ?」
目の前の光景に、薫は茫然と呟く。
薫の眼前に広がったのはパソコン画面でも自室の壁でもなく、遠くを大きな木々で囲まれた崩壊した家屋の姿だった。
風が吹き、薫の耳元まで伸びた黒髪が揺れる。その際に一瞬だけ目を閉じるも、次に目を開けた時に眼前の光景が変わっているなどということはなく、薫は大きく動揺する。
「な、なにこれ……」
薫はゆっくりとその場でグルリと回る。そして崩れているのは目の前の家だけではなく、辺りに建ち並ぶ全ての家屋が何らかの損壊をしていることに気付く。
木材のみで作られた別荘地のペンションなどとは違う、古臭い造りの見窄らしい家屋が何か大きな災害かテロでもあったかのように家の屋根は崩れ落ち、入り口と思われる部分は何か大きな物がぶつかったかのようにバラバラに砕けている。中には火事でもあったのか、燻って煙が上がっている家もある。
薫が立っていたのは、そんな家屋が周囲に並ぶ村の真ん中に設けられた井戸の近くで、その井戸も滑車が壊れ、木材の破片が足下に散乱している。
「ここ何処……というより、何で……あっ」
ふと、視線の端に何かを捉える。
井戸の陰、ちょうど薫の死角となっている所から人の腕がチラッと見えた。
「あ、あの」
恐る恐る井戸の陰に向けて声を掛ける。
しかし返事が返ってくることはなく、その手がピクリとも反応することはない。
薫が意を決し、ゆっくりと歩みを進めて井戸の向こう側を確認しーー目を見開く。
井戸の向こう側には、確かに人がいた。厳密には、『人だったもの』が。
それは大体二十代半ばくらいの男だった。上半身は薄汚れた服に身を包んでおり、下半身は腰から下がどこにもなかった。失われた部分からは、赤というよりもピンクに近い色をした臓物が姿を現し、近くに赤黒い水溜りが出来上がっていた。その男の表情は、事切れる間際まで叫んでいたのを思わせるほど恐怖に歪み、苦悶を浮かべていた。
「あ、あぁ……ウグッ⁉︎」
後退る薫に、独特の鉄臭さと生臭さ、それに焦げた臭いといった周囲から漂う様々な臭いが薫の鼻腔を刺激する。
周囲の変化に戸惑い、正常に思考することを放棄していた頭が一瞬で状況を認識しようとする。そして目の前の光景を脳が認識した瞬間、身体の底から込み上げてくる酸っぱいものを薫はその場に蹲って思い切り吐き出した。
「ゲホッ、ゴホッ」
何度も何度も嘔吐き、もう吐き出せるものもなくなってきた頃、薫の前に小さな木の板が落ちる。
それは井戸の近くに立て掛けられた案内板としての看板の残骸が、遂に耐え切れずに落ちてきたものだった。
その板には見たことのない字でーーそれでも不思議と書かれていることが読めたーーこう書かれていた。
『王国最南端の村、ユーグ村へようこそ』
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