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外伝 【白と黒の英雄】
外伝17 【白・雷鳴の兄】
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白く艶のかかった米を始めとし、焼いた青魚や出汁の香りのする味噌汁。他にも卵焼きやら漬物やら、質素な感じがする飯だが、それが良い。1番安心する飯だ。
「どうだ、デルシア。懐かしい飯だろ?」
「懐かしいと言われても、まだほんの数週間食べてないだけですが......」
「そうだったか?まあいい。遠慮せずに食え。そして早く傷を治せ」
「は、はぁ......」
怪我のせいで食欲が無いといった顔をしている。が、そんなもの食べ始めればすぐに食欲が沸いてくるはずだ。
「そういや、カンナの姿が見当たらないが」
「あの2人なら、書庫に行っている。しばらくは出てきそうにないな」
書庫。そうか、傷を3日で治すと言ったんだ。元から知ってるだけの知識じゃ足りないのか。
「姉さん。分かってはいると思うが、カンナは姉さんのために自分の命を削る覚悟で治療にあたる。それだけは覚えておいてくれ」
「分かり......命を削るって?」
「......俺から正直に話しておこう。治癒魔法が無限に使えるようなものではない、ということは承知しているよな?」
「はい。魔法学では当たり前の話ですが......」
「なら、度が過ぎた魔法を使う時、足りないマナはどこから補うか分かるか?」
「......えっと、確か、コアと呼ばれる部分......あっ」
「そういうことだ。お前の傷を3日で治すには、普通の治療じゃ間に合わない。コアを削るほどの覚悟で魔法を使い続けなければならない」
「......」
「まあ、俺達がある程度は抑えるから、5日程には延ばすがな」
「......私、何も分かってなかった」
デルシアが悲観な目をしてそう呟く。
誰よりも優しい子だ。自分の目的のために、誰かが命を削るとなれば諦めるはずだ。しかし、ここで諦めれば、カンナのやる気が削がれてしまう。あれほどやる気になったカンナを易々と手離したくない。だが、無理はさせたくない。だから、俺はこう言う。
「悪いが、できることなら1週間は待っていてほしい」
「......」
「早く動けるようになりたいお前の気持ちは分かる。だが、カンナは国内随一の治癒術師であり、俺の従者だ。お前なら、納得してくれると思ってるし、カンナにも納得させる」
「......分かりました」
悲しそうな顔をしている。やはり、今この場で言うべきではなかったか......。折角の飯が不味く感じられてしまう。
「それはそうと姉さん。聞きたいことが幾つかあるのだが、いいか?」
「あっ、はい。私が答えられることだったらなんでも」
なんでも......か。まあ、どうせ嘘はつけないだろう。
俺はサツキと目を合わせてから、こう尋ねた。
「ぶっちゃけた話、お前は黒月とどれくらい関わっている?」
「関わり......ですか......」
「そうだ。ただ、昔の話ではない。あの橋で俺達と会う前。えーっとだな、こっちの世界に戻ってきたからの話だ」
「......向こうにベルディアっていう私の義姉であり、黒月の王女様がいるのですが、その方と繋がりを作ってます」
そう言いながら、デルシアが米を口に運ぶ。ただ、途中で落とす。相変わらず箸の使い方が成っていない。まあ、この際無視しておくが。
「繋がりとは、どれくらいだ?」
「うーん......暗殺隊の8割くらいの指揮権を与えられるくらいですかね......」
「8割!?本気で言ってるのか姉さん!」
突然サツキが立ち上がってそう叫ぶ。
「落ち着けサツキ。俺達にその敵意は向けてきてない。というか、そこのお嬢さんはいつまで立ってるつもりだ。ここに用意してあるのはお前の分だ」
サツキを落ち着かせた後、ずっと部屋の片隅に佇んでいるネイに話しかける。
「い、いえ私は......」
「遠慮するな。俺は龍人がどうこう気にしない」
「は、はぁ......」
ようやく席に着いたが、食べ物を口につけようとはしない。
「それで、デルシア。暗殺隊は、お前が指揮すれば今すぐにでも動かせれるか?」
「無理です。何せ、兄さん達のところには私が単独で向かいましたから」
それもそうだった。いるとしたら、普通に向こう側だろう。精鋭部隊が1つ増やせれると思ったが宛が外れた。
俺は勢いそのままに白飯を全て食べ尽くす。うん。美味い。
「......どう動こうが、しばらくは何も出来そうにないな。ゆっくりとお前の回復を待って、そっから黒月と協議。あー、でも向こうにはギリスとかいう絶対的国王がいたか......」
アルフレアが刃を振るう理由は、あいつ以外にない。話し合おうとしても、まずはアルフレアをあの国王の束縛から解き放つ必要がある。
「どこかの誰かが、都合よくギリスの首を取ってくれないものか」
「そんなことしたら黒月の情勢が大変なことになりますよ」
デルシアの言う通りだ。それこそ対談の余地も無くなる。
「何か、都合よく事が進んでくれないものか」
考えても、そこまで上手く回せれる方法がない。いや、密談という形なら......。
《ポタッ》
考えてる俺の脳を遮るように、水滴がどこかに落ちる音がした。
気になって気になって辺りを見渡すと、その原因がすぐそこにあった。
(ネイか......)
水の音の正体はネイの涙。涙?
(涙を流すほど美味かったのか......)
と、そんなことを考えもしたが、多分違う。器用に箸を扱いながら、食事をするネイの顔は、どこか懐かしい香りを出していた。
「あの、ネイさん。どうかしました?」
「えっ、何がですか?」
「いえ、なんか泣いてるっぽいから......」
「泣いてる......?」
どうやら、自分でも気づいていなかったらしい。
「なんで......涙なんか......」
頬を伝う涙を拭っているが、次から次へと止めどなく涙は溢れてきている。
「うっ......う"ぅ"......」
涙を拭いきったかと思えば、突然頭を押えてその場に倒れた。
「っ、ネイさん!ネイさん!」
デルシアが必死に呼びかけるが、応答はない。
崩れるように倒れた少女の顔は、泣き疲れた子供のようだった。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「それではいきますよ!」
「お願いします」
「せりゃあ!」
背中にマナが集まっていくのが感じられる。
治療を受ける側には痛みとかは何もないが、治療をする側のカンナの顔には、薄らと汗が滲み出ている。
汗が出るほどなので、傷が治っていってる、という感じは大きい。ミューエのあれとは比べ物にならないほどだった。
「痛く、ないですか?」
カンナがマッサージ師か、と思うような質問を投げかけてくる。
「はい、大丈夫です」
むしろ、心配なのはカンナの方だった。あんな話を聞いてしまった後だ。否が応でも気になる。だからこそ、今しているであろう不安な顔はカンナに見せられない。
「ネイさん......」
自分の体も大事だが、それ以上に仲間のことも大事だ。食事の席で突然倒れたネイは、兄さんが優しく抱き抱えて連れて行った。
なぜ、涙を流していたのか。なぜ、それに気づいた時に倒れたのか。
記憶が戻ったか、それとも別の何かがあったのか。彼女に聞いてみないことには分からないが、恐らく、話してはくれない。1週間ちょっとの付き合いだが、それくらいの事は分かるようになっていた。
「デルシア、入っても大丈夫か?」
襖越しに兄さんの声がした。
「大丈夫です」
「じゃ、入るぞ」
兄さんと、その後ろにいたサツキが律儀にお辞儀なんかをして入ってくる。
「酷い傷だな......」
「開口一番に言う言葉がそれですか......」
「すまん。その傷を見てしまうと、あの時の後悔が脳裏に蘇ってきてだな」
「あまり見ないでください」
「なんでだ?」
「背中の傷は剣士の恥です」
「そういうもんか?俺は気にしないけどな」
この人は、本当に白陽が誇る剣士......いや、侍なのだろうか。変なところでは気が利くのに、剣士としての作法とかはまるで知らない。あまり剣を振ったことのない私の方が余っ程知っているというのもどうかと思う。
「まあ、そんな些細なことは気にするな」
いや、気にしてよ。アルフレア兄さんと違って、血の繋がった家族なんだから、もう少し堂々とした兄であってほしい。
なんてことを言っても通用しない。それくらいの事は分かっている。兄さんは兄さん。何事にも動ずることなく、自分の信念を絶対に曲げない。使えるものはなんだって使うし、情も深い。アルフレア兄さんとは真反対の性格だ。多分、この人のところで育ってたら、私はかなり抜けてる人になっていただろう。こらそこ、今も抜けてるとか言うんじゃない。
「さて、雑談はこのくらいにして、本題に入ろうか」
「?」
話すことは全部話したつもりではあるのだが、何を話そうというのだ?
「色々と考えたんだが、1週間後、ギリエア大橋を渡って黒月に侵攻する」
「......そんなことしたら!」
「まあ、落ち着いて、一旦俺の話を全部聞け」
兄さんの瞳が、今までに見た事のない真剣なものへと変わる。思わず唾を飲んでしまうくらいだ。
「この侵攻は形だけのものだ。目的は全然違うものだ」
「......」
「あの橋で、俺達は黒月と和平を結ぶ。それも、ギリスにバレないよう極秘裏にだ」
「でも、戦いを起こすんじゃ、どの道注目をーー」
「それが目的だ。ギリスの目を掻い潜ってアルフレアを呼び出すには、『戦い』という形にするのが手っ取り早い。見ているとは言えど、奴が実際に戦場に出ることはない」
自信満々、といった顔だ。
「ただ、この作戦を行う上で、不利益、というほどのものではないが、デルシアには無理をさせることになる」
「無理?」
「その橋で和平を結んだ後、その足でお前の言う、もう1つの世界に行く」
「え?」
「ギリスの目を掻い潜って行うんだ。そのままの足で行かなきゃもうチャンスはない。いや、白陽だけでならいつでもできるが」
なるほど。実に理にかなっている。だが、そうなると別の疑問が沸いてくる。
「それが終わったら、どうするんですか。ギリスがいる限り、また戦争が起きそうな気がします」
「その言い方だと、まるでギリスを殺さなければいけない、というふうに聞こえるが」
「あっ......」
「そんな顔しなくていい。これは、あくまで俺とサツキで導いた推測なのだが、ギリスはもう死んでいる」
「死んでる?」
「今いるギリスは、多分、向こうの世界の息がかかった者だ。このまま行けば、この世界は奴のもの。都合のいい従者がすぐそばにいるから、行動も容易い」
ギリスが別人、ということは考えたこともなかった。だが、今の推測は、実に理にかなっていると思った。
「ギリスが別人になったのは、恐らく、この戦争が始まるより、少し前......」
「いや、もう少し後くらいだと思う。そう、お前らが向こうの世界に行った日だ」
「......私達が行ったことで、向こうとこちらの世界が繋がった?」
「それもそうだと思うが、多分、向こうの奴らはお前らが行くより前から着々と準備を進めている。過去の新聞を漁ってみたが、辻斬り事件が何件かある。それも、今に近づけば近づくほど多くなっている」
「狙われていたんだろうな。奴らはもう少し時を待ちたかったが、姉さんらが来たことで焦りを感じた。だから、今になって急に活動を始めた。ギリスはその被害者の1人に過ぎん」
となると、ゆっくり時間をかけて皆を説得している場合ではなかった、ということか。
兄さんが1週間後と言う理由も分かってきた。
「時間がない......?」
「平たく言えばそうだな。どれだけ期限があるのかは計り知れたものじゃないが、少なくとも早く動いた方がいいことは明らかだ」
なるほど、それで病み上がりになる私に「無理をさせることになる」と......
「それで、作戦が上手くいって、向こうの世界に着いたのなら、そこから先の指揮はお前に託す」
「......え?えぇ!?」
「当たり前の事だ。ここまで俺達をまとめあげたのはお前ということになる。それに、俺かアルフレアかのどちらかが指揮をとっても、上手く指示が通る保証はない。それなら、双方に通じているお前が適任だ」
「えっ、で、でも、私なんか痛てて」
「あぁあぁあ、急に動かないでください」
思いっきり腰を仰け反らせてしまったせいで、背中に物凄い痛みが走る。
「あの日言ったことを覚えているか?どちらにも就かない。始まったばかりの戦争をやめさせる。忘れたとは言わせんぞ」
「......」
「考えなしに言ってるんじゃない。お前が始めたことで、適任だと考えたんだ。それに、お前の指揮なら誰も文句は言うまい」
私なんかにできるだろうか。
まともに戦場に出たことのない私が。
誰かの助けを借りないとどうにもならない私が。
異色だらけの軍隊を指揮することができるのだろうか。
「心配しなくても、お前には黒と白の家族。それと、信頼出来る仲間達がいるはずだろう?」
シンゲン、サツキ、クウガ、カンナ、アルフレア、ベルディア、ゼータ、ミューエ、イグシロナ、ガンマ、ネイ、カイナ。
大丈夫だ。みんなが付いてる。
「どうだ、デルシア。懐かしい飯だろ?」
「懐かしいと言われても、まだほんの数週間食べてないだけですが......」
「そうだったか?まあいい。遠慮せずに食え。そして早く傷を治せ」
「は、はぁ......」
怪我のせいで食欲が無いといった顔をしている。が、そんなもの食べ始めればすぐに食欲が沸いてくるはずだ。
「そういや、カンナの姿が見当たらないが」
「あの2人なら、書庫に行っている。しばらくは出てきそうにないな」
書庫。そうか、傷を3日で治すと言ったんだ。元から知ってるだけの知識じゃ足りないのか。
「姉さん。分かってはいると思うが、カンナは姉さんのために自分の命を削る覚悟で治療にあたる。それだけは覚えておいてくれ」
「分かり......命を削るって?」
「......俺から正直に話しておこう。治癒魔法が無限に使えるようなものではない、ということは承知しているよな?」
「はい。魔法学では当たり前の話ですが......」
「なら、度が過ぎた魔法を使う時、足りないマナはどこから補うか分かるか?」
「......えっと、確か、コアと呼ばれる部分......あっ」
「そういうことだ。お前の傷を3日で治すには、普通の治療じゃ間に合わない。コアを削るほどの覚悟で魔法を使い続けなければならない」
「......」
「まあ、俺達がある程度は抑えるから、5日程には延ばすがな」
「......私、何も分かってなかった」
デルシアが悲観な目をしてそう呟く。
誰よりも優しい子だ。自分の目的のために、誰かが命を削るとなれば諦めるはずだ。しかし、ここで諦めれば、カンナのやる気が削がれてしまう。あれほどやる気になったカンナを易々と手離したくない。だが、無理はさせたくない。だから、俺はこう言う。
「悪いが、できることなら1週間は待っていてほしい」
「......」
「早く動けるようになりたいお前の気持ちは分かる。だが、カンナは国内随一の治癒術師であり、俺の従者だ。お前なら、納得してくれると思ってるし、カンナにも納得させる」
「......分かりました」
悲しそうな顔をしている。やはり、今この場で言うべきではなかったか......。折角の飯が不味く感じられてしまう。
「それはそうと姉さん。聞きたいことが幾つかあるのだが、いいか?」
「あっ、はい。私が答えられることだったらなんでも」
なんでも......か。まあ、どうせ嘘はつけないだろう。
俺はサツキと目を合わせてから、こう尋ねた。
「ぶっちゃけた話、お前は黒月とどれくらい関わっている?」
「関わり......ですか......」
「そうだ。ただ、昔の話ではない。あの橋で俺達と会う前。えーっとだな、こっちの世界に戻ってきたからの話だ」
「......向こうにベルディアっていう私の義姉であり、黒月の王女様がいるのですが、その方と繋がりを作ってます」
そう言いながら、デルシアが米を口に運ぶ。ただ、途中で落とす。相変わらず箸の使い方が成っていない。まあ、この際無視しておくが。
「繋がりとは、どれくらいだ?」
「うーん......暗殺隊の8割くらいの指揮権を与えられるくらいですかね......」
「8割!?本気で言ってるのか姉さん!」
突然サツキが立ち上がってそう叫ぶ。
「落ち着けサツキ。俺達にその敵意は向けてきてない。というか、そこのお嬢さんはいつまで立ってるつもりだ。ここに用意してあるのはお前の分だ」
サツキを落ち着かせた後、ずっと部屋の片隅に佇んでいるネイに話しかける。
「い、いえ私は......」
「遠慮するな。俺は龍人がどうこう気にしない」
「は、はぁ......」
ようやく席に着いたが、食べ物を口につけようとはしない。
「それで、デルシア。暗殺隊は、お前が指揮すれば今すぐにでも動かせれるか?」
「無理です。何せ、兄さん達のところには私が単独で向かいましたから」
それもそうだった。いるとしたら、普通に向こう側だろう。精鋭部隊が1つ増やせれると思ったが宛が外れた。
俺は勢いそのままに白飯を全て食べ尽くす。うん。美味い。
「......どう動こうが、しばらくは何も出来そうにないな。ゆっくりとお前の回復を待って、そっから黒月と協議。あー、でも向こうにはギリスとかいう絶対的国王がいたか......」
アルフレアが刃を振るう理由は、あいつ以外にない。話し合おうとしても、まずはアルフレアをあの国王の束縛から解き放つ必要がある。
「どこかの誰かが、都合よくギリスの首を取ってくれないものか」
「そんなことしたら黒月の情勢が大変なことになりますよ」
デルシアの言う通りだ。それこそ対談の余地も無くなる。
「何か、都合よく事が進んでくれないものか」
考えても、そこまで上手く回せれる方法がない。いや、密談という形なら......。
《ポタッ》
考えてる俺の脳を遮るように、水滴がどこかに落ちる音がした。
気になって気になって辺りを見渡すと、その原因がすぐそこにあった。
(ネイか......)
水の音の正体はネイの涙。涙?
(涙を流すほど美味かったのか......)
と、そんなことを考えもしたが、多分違う。器用に箸を扱いながら、食事をするネイの顔は、どこか懐かしい香りを出していた。
「あの、ネイさん。どうかしました?」
「えっ、何がですか?」
「いえ、なんか泣いてるっぽいから......」
「泣いてる......?」
どうやら、自分でも気づいていなかったらしい。
「なんで......涙なんか......」
頬を伝う涙を拭っているが、次から次へと止めどなく涙は溢れてきている。
「うっ......う"ぅ"......」
涙を拭いきったかと思えば、突然頭を押えてその場に倒れた。
「っ、ネイさん!ネイさん!」
デルシアが必死に呼びかけるが、応答はない。
崩れるように倒れた少女の顔は、泣き疲れた子供のようだった。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「それではいきますよ!」
「お願いします」
「せりゃあ!」
背中にマナが集まっていくのが感じられる。
治療を受ける側には痛みとかは何もないが、治療をする側のカンナの顔には、薄らと汗が滲み出ている。
汗が出るほどなので、傷が治っていってる、という感じは大きい。ミューエのあれとは比べ物にならないほどだった。
「痛く、ないですか?」
カンナがマッサージ師か、と思うような質問を投げかけてくる。
「はい、大丈夫です」
むしろ、心配なのはカンナの方だった。あんな話を聞いてしまった後だ。否が応でも気になる。だからこそ、今しているであろう不安な顔はカンナに見せられない。
「ネイさん......」
自分の体も大事だが、それ以上に仲間のことも大事だ。食事の席で突然倒れたネイは、兄さんが優しく抱き抱えて連れて行った。
なぜ、涙を流していたのか。なぜ、それに気づいた時に倒れたのか。
記憶が戻ったか、それとも別の何かがあったのか。彼女に聞いてみないことには分からないが、恐らく、話してはくれない。1週間ちょっとの付き合いだが、それくらいの事は分かるようになっていた。
「デルシア、入っても大丈夫か?」
襖越しに兄さんの声がした。
「大丈夫です」
「じゃ、入るぞ」
兄さんと、その後ろにいたサツキが律儀にお辞儀なんかをして入ってくる。
「酷い傷だな......」
「開口一番に言う言葉がそれですか......」
「すまん。その傷を見てしまうと、あの時の後悔が脳裏に蘇ってきてだな」
「あまり見ないでください」
「なんでだ?」
「背中の傷は剣士の恥です」
「そういうもんか?俺は気にしないけどな」
この人は、本当に白陽が誇る剣士......いや、侍なのだろうか。変なところでは気が利くのに、剣士としての作法とかはまるで知らない。あまり剣を振ったことのない私の方が余っ程知っているというのもどうかと思う。
「まあ、そんな些細なことは気にするな」
いや、気にしてよ。アルフレア兄さんと違って、血の繋がった家族なんだから、もう少し堂々とした兄であってほしい。
なんてことを言っても通用しない。それくらいの事は分かっている。兄さんは兄さん。何事にも動ずることなく、自分の信念を絶対に曲げない。使えるものはなんだって使うし、情も深い。アルフレア兄さんとは真反対の性格だ。多分、この人のところで育ってたら、私はかなり抜けてる人になっていただろう。こらそこ、今も抜けてるとか言うんじゃない。
「さて、雑談はこのくらいにして、本題に入ろうか」
「?」
話すことは全部話したつもりではあるのだが、何を話そうというのだ?
「色々と考えたんだが、1週間後、ギリエア大橋を渡って黒月に侵攻する」
「......そんなことしたら!」
「まあ、落ち着いて、一旦俺の話を全部聞け」
兄さんの瞳が、今までに見た事のない真剣なものへと変わる。思わず唾を飲んでしまうくらいだ。
「この侵攻は形だけのものだ。目的は全然違うものだ」
「......」
「あの橋で、俺達は黒月と和平を結ぶ。それも、ギリスにバレないよう極秘裏にだ」
「でも、戦いを起こすんじゃ、どの道注目をーー」
「それが目的だ。ギリスの目を掻い潜ってアルフレアを呼び出すには、『戦い』という形にするのが手っ取り早い。見ているとは言えど、奴が実際に戦場に出ることはない」
自信満々、といった顔だ。
「ただ、この作戦を行う上で、不利益、というほどのものではないが、デルシアには無理をさせることになる」
「無理?」
「その橋で和平を結んだ後、その足でお前の言う、もう1つの世界に行く」
「え?」
「ギリスの目を掻い潜って行うんだ。そのままの足で行かなきゃもうチャンスはない。いや、白陽だけでならいつでもできるが」
なるほど。実に理にかなっている。だが、そうなると別の疑問が沸いてくる。
「それが終わったら、どうするんですか。ギリスがいる限り、また戦争が起きそうな気がします」
「その言い方だと、まるでギリスを殺さなければいけない、というふうに聞こえるが」
「あっ......」
「そんな顔しなくていい。これは、あくまで俺とサツキで導いた推測なのだが、ギリスはもう死んでいる」
「死んでる?」
「今いるギリスは、多分、向こうの世界の息がかかった者だ。このまま行けば、この世界は奴のもの。都合のいい従者がすぐそばにいるから、行動も容易い」
ギリスが別人、ということは考えたこともなかった。だが、今の推測は、実に理にかなっていると思った。
「ギリスが別人になったのは、恐らく、この戦争が始まるより、少し前......」
「いや、もう少し後くらいだと思う。そう、お前らが向こうの世界に行った日だ」
「......私達が行ったことで、向こうとこちらの世界が繋がった?」
「それもそうだと思うが、多分、向こうの奴らはお前らが行くより前から着々と準備を進めている。過去の新聞を漁ってみたが、辻斬り事件が何件かある。それも、今に近づけば近づくほど多くなっている」
「狙われていたんだろうな。奴らはもう少し時を待ちたかったが、姉さんらが来たことで焦りを感じた。だから、今になって急に活動を始めた。ギリスはその被害者の1人に過ぎん」
となると、ゆっくり時間をかけて皆を説得している場合ではなかった、ということか。
兄さんが1週間後と言う理由も分かってきた。
「時間がない......?」
「平たく言えばそうだな。どれだけ期限があるのかは計り知れたものじゃないが、少なくとも早く動いた方がいいことは明らかだ」
なるほど、それで病み上がりになる私に「無理をさせることになる」と......
「それで、作戦が上手くいって、向こうの世界に着いたのなら、そこから先の指揮はお前に託す」
「......え?えぇ!?」
「当たり前の事だ。ここまで俺達をまとめあげたのはお前ということになる。それに、俺かアルフレアかのどちらかが指揮をとっても、上手く指示が通る保証はない。それなら、双方に通じているお前が適任だ」
「えっ、で、でも、私なんか痛てて」
「あぁあぁあ、急に動かないでください」
思いっきり腰を仰け反らせてしまったせいで、背中に物凄い痛みが走る。
「あの日言ったことを覚えているか?どちらにも就かない。始まったばかりの戦争をやめさせる。忘れたとは言わせんぞ」
「......」
「考えなしに言ってるんじゃない。お前が始めたことで、適任だと考えたんだ。それに、お前の指揮なら誰も文句は言うまい」
私なんかにできるだろうか。
まともに戦場に出たことのない私が。
誰かの助けを借りないとどうにもならない私が。
異色だらけの軍隊を指揮することができるのだろうか。
「心配しなくても、お前には黒と白の家族。それと、信頼出来る仲間達がいるはずだろう?」
シンゲン、サツキ、クウガ、カンナ、アルフレア、ベルディア、ゼータ、ミューエ、イグシロナ、ガンマ、ネイ、カイナ。
大丈夫だ。みんなが付いてる。
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