裏信長記 (少しぐらい歴史に強くたって現実は厳しいんです)

ろくさん

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四十七話 剣豪VS重治(その三)

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信綱が、重治を強く警戒するほど、重治から強い、闘気や殺気が放たれている訳ではなかった。

いや、むしろ、重治の精神は、心穏やかにして、波たつことのない鏡の水面のような精神へと昇華しつつあった。


「くっ、誰だ、こいつは……」


相手を思い通り手玉にとり、自在にあしらい続けた信綱。
これまでは確かに、完全に優位にたっていたはずの信綱であった。


剣の道を極めんがために人生すべてを修行にあててきた信綱の経験、体験に、今、目前に迫るような相手に、出会った事はない。



「ごめんな‥‥。あんなに、注意してくれていたのに……」


重治は、ぶつぶつと独り言をもらしながら、一歩ずつ、無造作ながらしかし確実に、信綱との間合いを詰めていく。




『重治様は、勝とう、負けまいとするから、動きが悪くなるのです。もっと、心を無にして、力を抜かなければ……』



重治の心に、伊蔵の声が語りかけていた。


「……うん、うん。‥‥大丈夫だよ。……今度は、ちゃんとやるから……」



重治に追い詰められ、回り込みながら、後退に次ぐ後退をした信綱の背後には、最初、重治達を威嚇するために放たれた、地面に突き刺さった矢の林が迫っており、信綱のそれ以上の後退を許そうとはしなかった。


「くっ……」


背後の足元を確認した信綱は、覚悟を決めた。
いや、否が応もなく、決めざるをえなかったのである。


目前に迫る、突然に変身した得体の知れない敵、信綱は、不安を抱えながらも自分の間合いに入り込む重治をギリギリになるまで待った。


そして……


「うおぉー」


まったく、警戒していることさえ感じさせず、ただ無造作に近づく重治に、信綱が、斬り込んだのである。



勝負は、二人の決着は、僅かに瞬きをするぐらいの一瞬の事であった。







足元に横たわる信綱を見下ろす重治は、事切れそうに呻く信綱に、とどめを刺すことなく、慌てて振り向き走り出した。


重治は、血の海に沈む、伊蔵の前にまでくると、うつぶせに臥したままの伊蔵を抱き起こそうと、ゆっくりとうずくまった。


「……いぞう……」


伊蔵を抱き起こした重治の目からは、止め処なく涙が、こぼれ落ち続けた。


「ごめんな‥‥伊蔵……痛かったよね……」



伊蔵を抱きしめ泣き崩れる重治の傍らで、茫然とたちすくむ末松、信繁もまた、顔をくしゃくしゃにして、止め処なく流れ続ける涙を拭おうともせずに泣き続けた。


ゆっくりと、重治に抱き起こされ、力無くだらりと下がった伊蔵の手。

その伊蔵の手の指が、ピクリと動いた。


「…………シゲハルサマ……」


「‥‥シゲハル‥‥サマ、御逃げくだ‥‥サイ……」


「!!!、いぞう。‥‥伊蔵、わかるか?伊蔵」


重治の表情が瞬時に変わった。
何故か、辺りを必死で見回す重治。


そんな重治の視線が、ある一点で、突然止まり、重治は、叫んだ。


「袋だ!袋だ! 末松、袋だぁ!!」


「……袋?‥‥?‥‥あっ、は、はい。ただいま!」


兄、伊蔵の状況に動転する末松には、重治の叫びがその時すぐには何の事だか理解できなかった。

しかし、それでも重治の視線を素早く辿った末松は、重治の言う袋を見つけ出し、慌ててそれを取りに向かったのである。


重治の叫んだ袋とは、読者ならば、直ぐにピンときたであろう。
そう、重治が七つ道具と称して、現代からこの時代に持ち込んだ、重治流、必須アイテムである。


重治が、どんな時にも、肌身はなさず常に持ち歩いていた、必須アイテムその一、救急セットが役立つ時がやってきたのである。


救急セットと言っても、家庭用の絆創膏などというレベルの簡素な物ではもちろんない。

現代で過去に戻れた時の非常時を想定し、医学書を紐解き、救急の知識、それに必要な物、ありとあらゆる手を使い、調達したアイテム!

それらを持ち歩く重治は、歩く救急外科病院と言っても大袈裟ではなかった。


重治は、腕に抱えた伊蔵をそっと寝かせると、伊蔵の着物の傷口に近いと思われる一部を大きく切り裂いた。


「……シゲハルさ……オニゲ……」


「伊蔵! しかっりしろ!伊蔵!しっかりするんだ!!」


そんな背後の兄の様子を気にかけながら、末松は、重治の七つ道具を収めた袋を目指して走っていた。


ほんの僅かな距離にしかないその袋。

しかし、この時の末松には、それが遥か果てしない場所にあるような気さえ感じていた。


「ううおぅー」


焦っても、もがいても縮まらない、その袋との距離。
心とは裏腹にもどかしいほどに進まない足。気がつけば末松は、雄叫びをあげていた。



やっとの思いで袋を手にした末松は、一秒を惜しんで、全速力で重治たちに駆け寄った。


「し、重治さま、こ、これ……」


すぐさま、末松は、手に持った袋を重治へと差し出した。


重治が、着物を引き裂いて見たものは、伊蔵がいつも着物の下に着込んでいる鎖帷子すら見事な太刀筋にて斬り裂かれた、腹部から胸元への大きな傷であった。


重治は、信繁から渡された袋の中から、急いで消毒用のアルコールを取り出した。


「うっ……」


重治は、用意したアルコールを使って、その伊蔵の傷口を洗い流した。


こんな日が絶対に来る事がないようにと願いながらも、こつこつと独学で身に付けていった救急治療の知識である。

しかし、そんな知識が身についたからといって、人は平常心を持って、簡単にそれを行使したりする事はできはしない。

ましてやそれが、今、目の前で死と隣り合わせにいるものが、肉親、親兄弟よりも身近な存在の伊蔵である。



傷口周辺が綺麗になって初めて、伊蔵の傷の全貌が明らかになる。


鎖帷子を着込んでいたおかげであろうか、その傷口は、致命傷となるまで、後わずかという所までで、その深さは辛うじて止まっていた。

問題は、傷口からの出血。その出血量の多さが、伊蔵の生死を決めることになると想われた。


出血を少しでも、早く止めようと考えた重治は、伊蔵の負った傷口を縫い合わす事をいち早く決断していた。


しかし、袋から出した結束するために手に持った針は、重治の意識とは、全く無縁に、小刻みに震えだしていた。

縫い合わそうとする重治の指先は、傷口に近づいていっても小刻みに震え続け、いっこうに止まる気配を見せない。


「し、師匠……」


「重治さま……」


重治の手元の震えに気がついた信繁と末松は、間髪あけず、されど、おそるおそると重治に声をかけた。


「う、うるさい……」


例え、頭の上から突然、声をかけられても、今の重治の視線が、伊蔵の傷口から外れることはない。


重治は、どんな強敵を前にしている時よりも緊張していた。

震える指先と今から治療する傷口を交互に見つめ、緊張と怯えの入り混じる気持ちのなか、重治は、大きく一つ深呼吸をした。


『集中しろ!集中しろ!』


重治は、指の震えが止まった一瞬を見極めると、一気に、目の前にある伊蔵の傷口を縫合しにかかった。

重治は、傷口が開くことのないようにと、一針、一針、丁寧に、そして確実に、縫い合わせていった。



重治という人間は、格闘、剣技、軍略など、なんでも器用にこなし、会得してきた。

しかし、本質的にいって、器用であるかといえば、そうとも言い切れない部分を多々、抱えていた。


そのなかの一つが、裁縫という実技であることは間違いない。

重治が、記憶に残る最後に針と糸を持って、運針というものをしたのは、小学校の四年生の時。

掃除で使う雑巾は、自分たちで作ると、その当時、重治の担任の一瞬の閃きからの出来事であった。


古いタオルをたたんで、ただ、糸の通った針を動かす簡単な誰にでも出来る作業のはずであった。

しかし、クラスでただ一人、担任の先生、クラスメイト全てがあきれかえる作品、なぜかタオルをボール状に完成させたのが重治であった。


そんな不器用な重治が、その時、将来、自分が人の命をかけて、針と糸を持つ日が来るなどとは、本人でなくとも想像出来る事ではなかった。




かなりの時間を有して重治は、伊蔵の傷口の縫合を 無事に・・? 終了することが……まあ、できた?


たとえ、それが大蛇がのた打つように曲がりくねった歪な曲線を描いているようでも、とにかく、傷口は、開く事のないようしっかりと、無事に縫合を終了したのである。


あとは、伊蔵が、出血させしまった、その血液の量が問題であった。



血液型の知りようのないこの時代では、いくら重治の知識に、輸血という言葉があろうとも、それを実行する事など叶いはしない。


重治は、苦しむ伊蔵を心配しながら、傷口の悪化を防ぐため、袋の中から、薬のカプセルの入ったケースをとりだし、抗生物質など、幾つかの薬を伊蔵の口の中に押し込み、竹筒の水をゆっくりと伊蔵に与えた。



「……イゾウ…………!?」


重治が、小さく一言、呟いて、緊張を緩めながら顔をあげた時、重治の目に、全く気づかぬうちに周りを取り囲むように出来た人垣が入り込んだ。
見るからに、うさんげな行商人や浪人、はたまた百姓に忍びそのものの装束。
どこから、いつ現れたのか、重治たちを一重二重に取り巻き続けていた。


もちろん、その者たちが見た目、どれだけ胡散臭く見えようとも、伊蔵を見つめる心配げな眼差しが、敵ではないことをはっきりと物語っている。


「‥‥重治さま……か、頭は……」


そんな怪しげな集団となった者の一人が、真剣な眼差しを向け、そう口を開いた。


重治にまったく気配を感じさせずに近づく事など、誰にでも容易に出来る事ではない。

それが、いくら手元にのみ集中をしていた重治であったにしてもである。


しかし、今、重治の周りを取り囲む者たちは、確かに気配をまったく覚られることなく現れている。

伊蔵を心配する、たくさんの配下たち。
そんな伊蔵の配下たちの能力の高さを重治は、この時、改めて感じさせられていた。

そして、そんな配下たちから慕われる伊蔵の存在を重治は、今までより遥かに強く、重いものであると思い知ったのであった。


「……な、なにをそんなに、心配そうな顔をしている。……伊蔵が‥‥伊蔵が、こんな傷ぐらいで、‥‥死んでたまるか……」


重治は、自らに言い聞かせるように、それでいて、はっきりとその男に向かって叫んでいた。



「……うぅ、……重治‥‥さま……」


「!!!、‥‥い、伊蔵。‥‥解るか、伊蔵。伊蔵。伊蔵……」


「………………」


伊蔵は、重治の顔を見て、辺りの様子が確認出来て安心したのか、重治の問いかけに、無言でにこりと微笑んだ。
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