蜜柑色の希望

蠍原 蠍

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蜜柑色の彼と色褪せた世界

ジョックとナード ※修正済み

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 親しみのない国、日本。僕が初めての首都東京に足を踏み入れた時に感じた事はニューヨークと然程大差がないな、という感想だった。音楽院があったニューヨークで暮らしていた僕にとって、都心部の違いは然程無いに等しいもので、どちらも空に伸びるようなビルが建ち並び、人目を引く何かを宣伝する看板が煌々と光を放ち、雑踏に行き交う人々の大半がアジア人なのが東京。白人と黒人が大半で稀にアジア人が居るのがニューヨークである事位しか違いは感じられないものだった。
 
 前に音楽院にいた時、クラスメイト達は、ヒカルの故郷に行ってみたいななんて僕を取り囲み、笑って皆んなが言っていたのを思い出していた。
 その時、古い車のエンジン音が僕の横を通り過ぎて行った音があまりにも耳障りで、僕はその車を眉を顰めて車が近くの交差点を曲がるまで見つめていた。
 その車は軽自動車と呼ばれるもので、曲がっていった車のない交差点を見つめながら、これもニューヨークには無かったな、と薄ぼんやりと考えていた。
 
 僕は数年前の街並みを鮮明に何故か思い出して、小さなため息を吐いた。何故こんな事を思い出しているのか。失った、楽しかった頃の幻影に思いを馳せ、色褪せた慣れない通学路を歩く自分があまりにも惨めに思えて、それを誤魔化すかのように首を左右に振り、学校の門を潜る。
 下駄箱の小さな扉を開いて、中にあった白い室内履きのシューズへと今まで履いてきた、なめした牛革の質の良いローファーから履き替える。
 まだ日本の生活には慣れないが、この登校に関しては数日繰り返してきた為、違和感が薄れつつあったが、そんな些細な事に気がつく余裕なんてない程に、今僕は憂鬱な気持ちでいっぱいだった。
 また今日も朝が来て、この学校生活が始まる事実に、片頬が軽く痙攣を起こし心の内にはどんよりと、雷が降る前の空の色が広がっていった。
 
 それでも教室に向かうしか選択肢はない為、僕は玄関口から天井が開放的なホールへと向かい、そのホールの左右に設けられた階段の自身の教室に近い方である右の階段を選択し階段を一段、また一段と上がって1-Aと表記された扉の前で立ち止まり、教室内を見渡す。
 いつもの如く、スマホを見ながら何がそんなに楽しいのか笑い合っている、クラスメイト達の姿の中に、脳裏によぎった蜜柑色の輝きは無く、そそくさと自分の席に座る。
 ガヤガヤと、騒めく声はまるでホワイトノイズのようにただただ生活音の一部に溶け込み、脳内に入り込んでくる事はない。僕はその中で静かに今日の学生生活の為に身支度を整えていた。
 そんな事をしていると、僕の前方の右の方では男女合わせて四名がスマホを握りながら、楽しそうに雑談をしていて、教室中に笑い声を響かせていた。
 その声が少し煩いなと思って、顔を向け一瞥すると、その中にいたのは先日の女子の一人であった。その彼女を中心にして盛り上がっているようで、その様子から僕は昔、音楽院にいた頃のクラスメイトの話をまた思い出す。
 スクールカースト、それはアメリカニューヨークにも良くある事だと言われており、その中で暮らしていたのは本当に大変だったと嘆くクラスメイトの様子はやつれた山羊を彷彿させるほど、話をしてくれた彼の顔には険しさを滲ませていた。
 
 僕、個人はそのような経験したことがなかった。僕は幼い頃は殆どピアノ関係のことで学校には行っていなかったし、音楽院では僕が最年少の子供だからか皆んな僕に話しかけてくれて、そういった事とは無縁だったから、世間を知らない僕に、スクールカーストの怖さを教えてくれた。
 スポーツマン、鍛えられた肉体、セレブであることが条件の男性の中で地位が最も高いジョックに華やかな容姿にカリスマ性を併せ持つ女性しか許されないクイーンビー、それらに従属するサイドキックス…、そんな内容を僕におどろおどろしく話したのは、燃えるような赤毛を持つウィリアムだった。
 その話を聞かせてくれた時、彼は過酷さを物語るようにげっそりしていた。
 
 まあ、しかしこの話は、後に幼い僕を揶揄っていただけでそこまで厳密なカースト制度などはないのだと、僕に行き過ぎたカースト制度を教えたクラスメイト達を叱り、呆れた様子でブロンドヘアを靡かせた、優秀なヴァイオリニストで面倒見が良かったティアが教えてくれたのだが、まさに今、その聞かされていた光景が目の前に繰り広げられていた。
 僕は噂に聞いた事のある目の前の光景を、マジマジと見つめる。
 暇に任せて、彼らをよく観察していると、彼らは声も大きく身振りも大きく、彼らに遠慮するように周りの人間は彼らを避けるか、彼らに合わせて笑っているだけで会話には混ざっていない人間もいるようだった。
 このクラスの中心的な存在であるというのは、あまりスクールカーストを知らない僕でも何となく察する事ができた。それに対して僕は、昔聞かされたヴァンパイアにでも本当に会ったかのような気持ちだった。実しやかに聞かされた、悍ましい顔をして話された子どもに言って聞かせる怖い話が、目の前で現実に存在していているのが不可思議だったのだ。
 
 その時、教壇側の方から見覚えのある蜜柑色の髪色をした彼、芦家が入って来た瞬間、今まで話していたクイーンビーと思わしき先日僕に対して、芦家の事でとやかく言ってきた髪が肩で切り揃えられた細身の彼女がすぐに其方を向いて、それに伴い周りの人間達もこぞって彼の方に目を向ける。
 
「おはよーっ!足家!」
「うぃーす、亮介、今日は早いな?」
「おぉ、おはよ、今日は朝練短めの日だからね」
 
 親しげに話しかけたクイーンビーに対して芦家は、挨拶だけを返してさっさと此方に歩いてくる様子に、僕は目を丸くする。
 いくら、冷静を装おうとも、彼から先日言われた『自意識過剰なんだな』という言葉に対して、若干の苛立ちもあったが、それよりもそんな事を言ってくるのにも関わらず、僕に笑みを浮かべ話しかけようとしてくる得体のしれなさが勝り、兎に角、彼に対してどうしていいのかがわからないでいた。
 勿論無視できるなら無視したいが、そうさせないのが彼という人間らしく、彼は目を背ける僕に気にせずに話しかけてくるのが、厄介なのである。
 
「おはよう」
「………」
「なぁ、おはよう」
「……っ」
「…おーい、おはようっ」
「……っ、お、はよう」
 
 最初は聞こえないふり、次に無視をしたが彼はそれでも此方を気にする事なく、わざわざ僕の目の前に立って身体を屈めて挨拶をしてきた為、流石にそれ以上どうする事もできず、挨拶に返答をしてしまう事になった。
 僕の呟くような挨拶に対して人懐こく、ニコリと人好きのする笑顔を返して、僕の隣の席へと着く。
 本当に訳が分からず、理解ができずで、彼の存在に僕は警戒心を抱いて、彼を横目で盗み見たが、彼は機嫌が良さそうに笑みを浮かべながら身支度を整えているのを見て目を細める。
 一体何でこんなにも、何を考えているのか読ませないのかが掴めず目線を送っていると、程なくして、わらわらと彼を取り囲むように、先程のクイーンビーを含めたサイドキック達が四人で芦家の周りに集まってきて、僕の彼を見ていた視線は遮られた。
 
「ねぇねぇ、先輩言ってたけど青藍バスケのエースは芦家に早々に変わるって話してたけど本当っ?」
「え、何どゆこと?」
「あー、亮介はバスケの推薦で青藍入ったんだよ」
「まじ?!すげぇー、青藍バスケって強豪なんだろ?スーパースターじゃん」
「中学の時も、芦家は凄かったんだよー?三年のインターハイとかさ——」
 
 盛り上がる会話の声量は大きく、聞くつもりがなくても聞こえてくる彼の身の上話が耳に入る。
 ここがバスケの強豪という話さえも知らなかった。別に知りたくもなかった情報だけど、確かに耳に入った話に僕はついその話に耳を澄ませてしまう。
 
「——なんて事があったんだよ?凄くない?」
「すげぇー天才じゃん」
「半端ねぇな」
「そういやそんな事あったよな」
 
「全然、俺なんて大した事ないよ?もっと上手い人とか普通にいるし」
 
「えー、謙遜する事ないじゃん?」
「そうだって!充分凄すぎだろ」
 
 天才、という言葉に身体が嫌悪感を示すように小さく跳ねたが、彼を褒め称える様子に、僕はこれが噂に聞いたスクールカースト最上位のジョックが芦家なのだと理解した。
 その時に芦家は「本当のことなんだけどな」と呟いた後、更に「ごめん、そこ退いてくんないかな?」と言った瞬間、僕と芦家の間にさえぎるように立っていた男子生徒二人が一歩ずつカーテンを開くように横にずれた瞬間、芦家は僕をしっかりと瞳に捉え此方に顔を向けていた。
 その大きめで厚めの唇が、紡ぐ言葉に僕は言葉を失うしかなかった。
 
「俺、黒瀬と仲良くなりたいから」
 
 そう彼が言った瞬間、芦家以外のクラスメイト達も僕に視線を向けて舐めるように見つめてくるのを感じ取って、僕はその言葉に焦燥で心をざわつかせた。何故いきなりそんな事を。
 冷たく此方を見たクイーンビーと思わしき女子生徒や戸惑った様子を見せるサイドキックと思わしき男子生徒達の視線を受けて、僕は余計な事をしないでくれと苛立ちながら、芦家に目を向けた。
 
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