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第6話|幼き者の“お願い”
慧妃が後宮から消えて以降、
瑞栄王朝の宮中は、奇妙な均衡を保っていた。
表立った混乱はない。
むしろ、整いすぎている。
帳簿は正しく整えられ、
報告は過不足なく揃えられ、
誰もが規則を口にし、規則を守る。
――だが、その裏で、人々は怯えていた。
皇孫・凌曜の前で、
「自然」を装うことができなくなったからだ。
その日、凌曜は景帝と共に、御苑を歩いていた。
春の終わり。
若葉が揺れ、風がやわらかい。
景帝は、政務の合間に無理を言って、
孫との散策の時間を作っていた。
「お外、すき?」
凌曜が尋ねる。
「ああ。気が休まる」
「……でも」
凌曜は、歩きながら、少し首を傾げた。
「じぃじ、つかれてる」
その一言に、景帝は思わず笑った。
「よく見ているな」
凌曜は、地面に落ちた葉を拾い、指でなぞる。
「おしごと、むずかしい?」
「難しいな」
「……そと、みてない?」
景帝は、足を止めた。
「どういう意味だ」
凌曜は、言葉を探す。
「ここ、きれい。でも……」
落ち葉を並べてみせる。
「そと、ぐちゃってしてる」
幼い比喩だった。
だが、核心を突いている。
後宮と朝廷が整うほど、
地方は取り残されていく。
景帝は、しばらく黙っていた。
「凌曜」
「なに?」
「……お前は、外を見たことがあるか」
凌曜は、首を振る。
「ない」
だが、すぐに言った。
「でも、しってる」
「何をだ」
「みんな、えがおで、ほんとは、こまってる」
景帝の胸に、重たいものが落ちた。
――この子は、見ていないのに、分かっている。
「……それで?」
景帝は、ゆっくりと促す。
凌曜は、祖父の衣を掴み、小さな声で言った。
「おねがい」
それは、初めてだった。
凌曜が、誰かに「お願い」をしたのは。
「そとも、みてあげて」
その言葉で、決まった。
翌日。
景帝は、朝廷で宣言した。
「地方監察を行う」
ざわめきが走る。
「形式的なものではない。抜き打ちだ」
重臣たちの顔色が変わる。
地方官の不正は、
見て見ぬふりをされてきた領域だった。
だが、皇帝の決意は揺るがない。
「皇孫の名において、行う」
その一言が、致命的だった。
皇孫の名。
すでに、それは“正義”の象徴になりつつある。
数日後。
監察使が、各地へ散った。
凌曜は、御苑で、その様子を聞いていた。
「みんな、いくの?」
「ああ」
「……もどってくる?」
景帝は、少しだけ目を伏せる。
「戻れぬ者も、いるだろう」
凌曜は、黙った。
しばらくして、ぽつりと言う。
「……でも、なおる?」
「何がだ」
「ぐちゃってしたの」
景帝は、孫の頭を撫でた。
「時間はかかる。だが、必ず」
最初の報告が届いたのは、半月後だった。
ある地方で、税の二重取り。
救済米の横流し。
役人による暴力。
次々と明らかになる惨状。
景帝は、報告を読みながら、拳を握りしめた。
その夜、凌曜は、祖父の部屋を訪れた。
「じぃじ」
「どうした」
「……かお、こわい」
景帝は、思わず息を吐く。
「すまぬ」
凌曜は、近づいて、景帝の膝によじ登る。
「……だいじょうぶ」
小さな手が、景帝の手を握る。
「じぃじ、やってる」
その言葉に、景帝の目が潤んだ。
「……ああ」
翌日から、処分が始まった。
地方官の罷免。
財産没収。
再教育。
同時に、救済策も打ち出される。
税の軽減。
監察の常設化。
告発制度。
すべてが、凌曜の一言から始まった。
後宮では、誰もが囁く。
――皇孫は、外に目を向けさせた。
――国そのものを、揺らし始めた。
凌曜は、その評価を知らない。
ただ、御苑で、葉を並べていた。
今度は、ぐちゃぐちゃだった葉が、
少しずつ、整っていくように。
その様子を見て、凌曜は小さくうなずく。
「……これで、いい」
幼き改革者は、まだ玉座を知らない。
だが、確かに――
国は、その歩みに合わせて、形を変え始めていた。
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