婚約破棄された人たらし悪役令嬢ですが、 最強で過保護な兄たちと義姉に溺愛されています

由香

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第2話 帰る場所

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 馬車の中は、驚くほど静かだった。

 がた、と車輪が石畳を踏む音だけが、一定のリズムで響いている。
 窓の外では、夕暮れの王都が流れていった。

 私は兄の外套に包まれたまま、膝の上で手を重ねていた。

「……すみません」

 思わず、そんな言葉がこぼれる。

 正面に座る次兄――レオンハルトが、ぴくりと眉を動かした。

「何に対して?」

「……いえ。その……ご迷惑を……」

「却下」

 即答だった。

 彼は眼鏡の位置を直し、淡々と言う。

「迷惑という言葉は、君と我々の関係において使用禁止だ」

 意味が、わからなくて。
 私は小さく首を傾げる。

 その様子を見て、三兄ユリウスがくすりと笑った。

「ほら、混乱してる。もう少し優しく言ってあげてよ、レオン」

「事実を述べているだけだ」

「事実ほど残酷なものはないんだけどね」

 二人のやりとりを遮るように、馬車の揺れが止まった。

「着いた」

 短く告げたのは、長兄アルベルトだ。

 扉が開く。
 冷たい夜気とともに、見慣れた景色が広がった。

 エルヴェイン公爵邸。
 幼い頃から過ごした場所――けれど、ここ数年は“帰ってはいけない場所”だと、どこかで思っていた。

「……ただいま、です」

 そう呟くと、胸が少し痛んだ。

 石段を上がると、屋敷の正面扉が音もなく開く。

 そこに立っていたのは――

「お帰りなさい、リリアーナ」

 凛とした声。

 深い藍色のドレスに身を包んだ女性が、微笑んでいた。
 長い銀髪を結い上げ、氷のように澄んだ瞳を持つ、美しい人。

「……セラ、フィーナ……様……?」

 記憶が、遅れて追いつく。

 ――長兄の妻。
 冷酷無比と噂される、隣国出身の公爵夫人。

 私は、思わず一歩下がりそうになった。

 けれど。

「……っ」

 次の瞬間、私は強く抱きしめられていた。

「……よく、耐えましたね」

 耳元で、震える声。

「怖かったでしょう。悔しかったでしょう。……それでも、あなたは誰も傷つけなかった」

 細い腕が、逃がさないとでも言うように回される。

 頭を撫でる手は、驚くほど優しかった。

「……え?」

 理解が追いつかない。

 セラフィーナ様は、ゆっくりと私を離し、両肩に手を置いた。

 その瞳は、噂の“氷”など微塵もなく――

「今日から、私があなたの盾になります」

 静かで、けれど確かな声。

「エルヴェイン家に嫁いだ日から、あなたは私の妹です。――誰が何を言おうと」

 視界が、滲んだ。

「……あ、の……」

 言葉が、うまく出てこない。

「私は……悪役令嬢で……」

「違う」

 即座に、否定。

「あなたは、優しすぎただけ」

 その断言に、胸の奥が熱くなる。

「……兄様たちが、そう言わせているのでは……?」

 恐る恐る言うと、背後で重たい気配が動いた。

「言わせてなどいない」

 アルベルトの声。

「最初から、そう判断している」

 彼は私の前に立ち、目線を合わせる。

「お前は、誰かを陥れるような人間じゃない」

 ただ、それだけ。

 けれど、その言葉が――
 今まで、どれほど欲しかったか。

「……っ」

 涙が、止まらなくなった。

「ごめんなさい……。私、ちゃんと……強く、なれなくて……」

「それでいい」

 セラフィーナ様が、私の手を包む。

「強くなる必要なんて、ありません。――守るのは、私たちの役目ですから」

 レオンハルトが、ため息をついた。

「まったく……王太子は、本当に愚かだ」

「同感」

 ユリウスが笑みを深める。

「宝石を、道端の石ころと間違えるなんてね」

 その言葉に、私は慌てて首を振った。

「そ、そんな……私は……」

「はいはい」

 セラフィーナ様が、私の頬を両手で包む。

「自己評価が低すぎます。今後は、矯正します」

 にこり、と完璧な微笑み。

 ――あ、逃げ場がない。

 そう思った瞬間。

「夕食の準備が整っております」

 執事の声が響く。

「本日は、リリアーナ様のお帰りを祝して」

 私は、目を見開いた。

「……祝う、のですか?」

「当然です」

 セラフィーナ様は、はっきり言った。

「不幸から戻った日こそ、祝うべきでしょう?」

 胸が、じんわりと温かくなる。

 ああ――
 ここが、帰る場所なのだ。

 私はまだ知らない。

 この屋敷が、私を中心に回り始める“最強の拠点”になることを。

 そして――
 私に手を伸ばした者たちが、どんな末路を辿るのかを。




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