婚約破棄短編集

由香

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『傍観者の席は、いつも冷えている』

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 その断罪劇は、予定通りに始まった。

 王立学園の大広間。白い大理石の床、天井から垂れる紋章旗、貴族子弟たちのざわめき。私は壁際、観葉樹の影に立ちながら、その光景を静かに眺めていた。

「レティシア・アルヴァーン。君との婚約を、ここに破棄する」

 第一王子クラウス殿下の声は、よく通った。あまりに教科書通りで、私は内心、ため息をついた。

 ――また、か。

 私はこの世界に転生して十五年になる。前世では平凡な会社員だったが、気づけば異世界の下級貴族の三男として生まれていた。才能も野心もなく、家督争いからも早々に外され、王立学園では「いないもの」として扱われる立場。だからこそ、私は“よく見える席”にいる。

 物語の中心に立つ者たちを、邪魔せず、助けず、ただ眺める席だ。

 レティシア嬢は青ざめ、唇を噛みしめていた。銀髪碧眼、才色兼備。だが殿下の隣に立つ、桃色の髪の少女――マリアの存在によって、すべてが「悪役令嬢」へと再編成される。

「君はマリアを執拗に虐げた。証言も揃っている」

「……事実ではありません」

 レティシア嬢の声は震えていたが、背筋は折れていない。強い人だ、と私は思う。だからこそ、この役を与えられたのだろう。

 マリアが一歩前に出る。潤んだ瞳、か細い声。典型的な“守られるヒロイン”。

「殿下、もう……わたしのために争わないでください」

 貴族たちがどよめく。殿下の表情が柔らぐ。

 完璧だ。筋書き通り。
 そして、誰も私を見ていない。

 ――傍観者である限り、私は安全だ。

 だが、その瞬間だった。

 レティシア嬢の視線が、ふいにこちらを射抜いた。

 なぜ、ここで?

 彼女は私を知っているはずがない。会話を交わしたこともない。クラスも違う。ただ一度、図書館で本を取ってやっただけだ。

 けれど、その目は確かに私を捉え、そして――微かに、笑った。

「殿下」

 彼女は顔を上げ、澄んだ声で言った。

「婚約破棄、受け入れましょう。ですがその前に、一つだけ」

 殿下が眉をひそめる。

「ここにいる皆様は、真実を知りません」

 会場が静まり返る。

「私が悪役であるなら、証拠をどうぞ。感情ではなく、事実を」

 マリアが一瞬、言葉に詰まった。殿下も同じだ。証言とは、噂と涙と雰囲気でできている。

 私は気づいてしまった。

 ――彼女は、負けるつもりがない。

 それでも、結末は変わらないだろう。権力は殿下にあり、物語はヒロインを選ぶ。私が口を出す理由はない。出したところで、何が変わる?

 だから私は、動かなかった。

 結果、婚約は破棄された。レティシア嬢は国外追放。マリアは殿下の腕に守られ、拍手が起こる。

 拍手の中で、私はただ一人、冷えていく空気を感じていた。

 数日後。

 学園の掲示板に、新しい知らせが貼られた。

「レティシア・アルヴァーン、北方公国にて客将として迎えられる」

 どよめき。困惑。噂。

 彼女は負けていなかった。ただ、舞台を降りただけだ。

 その夜、私は寮の部屋で一通の手紙を受け取った。差出人はない。だが、封蝋の紋章でわかる。

 ――アルヴァーン家。

 短い文だった。

『あなたは、見ていましたね。それで十分です。傍観者でいることも、また選択なのですから』

 私は手紙を閉じ、息を吐いた。

 介入しなかった。救わなかった。
 けれど、見届けた。

 この世界では、英雄も悪役も注目される。だが、語られない者たちが、確かに物語を記憶している。

 傍観者の席は、今日も冷えている。
 それでも私は、ここに立ち続けるだろう。

 ――物語が、次のページへ進むのを見逃さないために。




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