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第四話 後宮からの使者
しおりを挟む北境軍の屋敷に、後宮の紋を刻んだ輿が到着したのは、昼下がりのことだった。
重々しい太鼓の音もなく、
ただ静かに、しかし確かな存在感をもって。
それを見た瞬間、紗月は悟った。
(……来た)
契約婚が“うまくいっているか”を、
後宮が確認しに来たのだ。
「奥方様」
女中が、どこか硬い声で告げる。
「後宮より、監察の女官が参っております」
予想通りだった。
「お通ししてください」
紗月は深く息を吸い、背筋を伸ばす。
自分はもう、
後宮の下級巫女ではない。
鬼将軍・玄耀の――
“正妻”なのだ。
*
応接の間に現れたのは、年配の女官だった。
白粉の奥から覗く目は鋭く、
人を値踏みする癖が染みついている。
「――これはこれは」
形式ばった一礼。
「私は後宮監察役、李芳と申します」
「紗月と申します」
名を名乗るだけで、身分は告げない。
それが今の自分の立場だ。
李芳は、部屋を一瞥した。
「……質素ですこと」
「将軍のお好みです」
紗月は淡々と答える。
李芳は小さく鼻で笑った。
「なるほど。では早速ですが――」
扇を閉じ、視線を突き刺すように向ける。
「鬼将軍殿と、夫婦の実はございますか?」
直球だった。
後宮らしい、容赦のなさ。
紗月は一瞬も動じず、答えた。
「政の命により、契約を交わしております」
「“契約”?」
「はい。将軍の気を鎮め、屋敷を清める役目です」
李芳の目が細まる。
「それだけ?」
「それ以上でも、それ以下でもありません」
空気が、張り詰めた。
下手な言葉を選べば、
“偽りの婚姻”と断じられる。
だが――
「……鬼将軍殿は、満足しておられますか」
その問いに、紗月は少しだけ間を置いた。
「将軍は」
静かに、しかしはっきりと。
「ご自身の役目を果たしておられます」
それは、人として。
将として。
そして――夫として。
李芳は、その答えをどう測るべきか迷っているようだった。
*
そのとき。
「――俺の妻に、何の用だ」
低い声が、部屋に落ちた。
玄耀だった。
いつの間にか背後に立っている。
気配すら、感じさせなかった。
李芳は一瞬、言葉を失い、
慌てて頭を下げる。
「これは将軍殿。政より、婚姻の実態を確認するよう命を受けまして」
「確認は済んだか」
短く、冷たい声音。
「は、はい……」
玄耀は、紗月の前に立つ。
庇うように。
それが当然のように。
「この婚姻は、政の命だ」
「承知しております」
「ならば」
玄耀の視線が、鋭く光る。
「俺の屋敷に、口出しするな」
ぴしり、と空気が鳴った。
李芳の顔色が、明らかに変わる。
「……失礼いたしました」
それ以上、何も言えず、女官は退いた。
*
使者が去った後。
重苦しい沈黙が落ちる。
「……申し訳ありません」
先に口を開いたのは、紗月だった。
「私の立場が弱いために」
「違う」
玄耀は即座に否定する。
「お前は、何も間違えていない」
そう言ってから、少し言い淀む。
「……後宮は、面倒だな」
その言葉に、紗月は小さく笑った。
「はい。とても」
玄耀は、紗月を見る。
「怖くはなかったか」
「正直に申しますと」
少しだけ、息を吐く。
「後宮にいた頃よりは、ずっと」
玄耀の眉が、わずかに動いた。
「ここでは」
紗月は続けた。
「私は、道具ではありませんから」
その言葉は、
静かだが、確かだった。
玄耀は、何も言わなかった。
ただ、紗月の頭に、そっと手を置く。
一瞬だけ。
確かめるように。
「……もう、下がれ」
低い声。
「今日は、俺が外を固める」
それは、命令ではなく、
守るという意思だった。
*
その夜。
紗月は、自室で一人、灯を見つめていた。
後宮からの使者。
試される言葉。
それでも――
(私は、ここにいる)
鬼将軍の屋敷で。
彼の隣で。
それは、かつての下級巫女には、
想像もできなかった立場だ。
契約婚。
だが、確かに――
守られている。
そしてその事実が、
胸の奥に、静かな温もりを残していた。
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