王国最強の天才魔導士は、追放された悪役令嬢の息子でした

由香

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第1話 追放された悪役令嬢と、何も知らない息子

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 夕暮れの空は、燃えるような朱と深い藍が溶け合っていた。
 遠く、丘の向こうに見える城のシルエットは、まるで別世界の幻のように霞んでいる。

 リオンはその景色を横目に、手のひらに浮かんだ魔法陣をじっと見つめていた。

「……あれ?さっきより線が多いな」

 指先で円をなぞると、淡い光が増幅し、幾何学的な紋様が静かに回転を始める。
 風もないのに、足元の草がざわりと揺れた。

「リオン」

 背後からかけられた穏やかな声に、少年ははっとして振り返る。

「母さん。ごめん、また勝手に――」

「いいのよ」

 セレスティアはそう言って、そっとリオンの肩に手を置いた。
 深紅のドレスの裾が夕風に揺れ、長い髪が光を受けて柔らかく煌めく。

 彼女の表情は、いつもと変わらず穏やかだった。
 だが、その眼差しだけは、魔法陣を見つめるときだけ、わずかに鋭さを帯びる。

「その魔法、また改良したの?」

「うん……たぶん。なんか、ここをこうした方が安定する気がして」

 リオンは無邪気に言い、光る陣の一部を指で示す。
 セレスティアは一瞬、言葉を失った。

(――理論が、完成している)

 それは王国魔導院でも「未完成」とされている高等結界式だった。
 しかも、改良されたその構造は、効率・安定性ともに段違いだ。

(……この子は、本当に)

 胸の奥で、誇らしさと恐れが同時に膨らむ。

 セレスティアは微笑みを崩さないまま、静かに言った。

「無理はしないで。あなたの魔法は、少し……強すぎるから」

「え?そうかな。村の人たちが困らないように、ただ丈夫にしただけだよ」

 リオンは首をかしげ、本気で不思議そうな顔をする。
 その様子に、セレスティアは思わず小さく息を吐いた。

(無自覚……ええ、本当に)

 この子は知らない。
 自分がどれほどの才能を持って生まれたのかも。
 なぜ、母と二人でこの辺境の地に暮らしているのかも。

 ――そして、セレスティア自身が、かつて「悪役令嬢」と呼ばれた存在だったことも。



 セレスティアは、かつて王都に名を轟かせた公爵令嬢だった。
 王太子の婚約者として、未来の王妃とまで囁かれていた。

 だがある日、彼女はすべてを失った。

 聖女による涙ながらの告発。
 王太子の冷たい断罪。
 「嫉妬深く、聖女を害そうとした悪役令嬢」という烙印。

 弁明の機会は与えられず、婚約は破棄され、国外追放が言い渡された。

(あの時……私は泣かなかった)

 悔しさよりも、怒りよりも、先に来たのは冷静な理解だった。

 ――この国に、私の居場所はない。

 だからセレスティアは背を向けた。
 王都にも、かつての愛にも、未来の栄光にも。

 追放先の地で、彼女は一人の子を産んだ。
 それが、リオンだった。

(この子だけは、守る)

 王国も、権力も、復讐も――二の次だった。
 セレスティアにとって最優先なのは、ただ一つ。

 息子が、穏やかに生きられること。



「母さん?」

 リオンの声で、セレスティアは現実に引き戻された。

「どうしたの?」

「これ、今夜も使っていい?村の結界、夜になると少し薄くなるから」

 あまりにも自然な善意。
 あまりにも、危うい力。

 セレスティアは一瞬だけ迷い、そして頷いた。

「ええ。でも、私がそばにいるときだけよ」

「うん!」

 無邪気な笑顔に、胸がきゅっと締め付けられる。

(……いつまで、隠し通せるかしら)

 その答えは、思ったより早く訪れた。



 数日後。
 古びた家の扉を叩く、場違いなほど整った音が響いた。

 セレスティアが扉を開けると、そこに立っていたのは、王国の紋章を掲げた使者だった。

「セレスティア・フォン・アルヴェイン殿」

 懐かしく、そして二度と聞きたくなかった名。

「王国魔導院より、正式な招聘状をお届けに参りました」

 使者の差し出した封筒には、間違いなく王家の印が押されている。

 背後で、リオンが小さく息を呑んだ。

「王国……?」

 セレスティアは、静かに封筒を受け取った。
 指先が、わずかに震える。

(来てしまった……)

 王国は、気づいたのだ。
 辺境に存在する、“規格外”の魔導士に。

 そして同時に、彼女自身の過去とも、再び向き合う時が来たのだと。

 セレスティアは、ゆっくりと息子を振り返った。

「リオン」

「なに、母さん?」

「これから少し……遠くへ行くことになるかもしれないわ」

 不安げに揺れる金色の瞳を見つめ、彼女は微笑む。

 かつて断罪された悪役令嬢としてではない。
 一人の母として。

(大丈夫。あなたの人生は、私が守る)

 そして心の奥で、静かに決意する。

(――もし、あの国がこの子を縛ろうとするなら)

 その時だけは。

 もう一度だけ、悪役令嬢として、微笑んでみせましょう。




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