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第8話(最終話) 悪役令嬢は、最後に微笑む
しおりを挟む王都中央広場は、ざわめきの中にあった。
人々の視線は、もはや演壇ではなく――
宙に浮かぶ記録魔法に注がれている。
改竄された文書。
不自然に欠けた署名。
そして、当時の裁定記録と一致しない証言。
どれもが、静かに、しかし確実に、王国の「正しさ」を削り取っていった。
*
「……これは、どういうことだ」
元王太子の声は、もはや威厳を保っていなかった。
彼は、側近たちを見回す。
だが、誰一人として、即座に答えられる者はいない。
――答えられないのだ。
証拠が、揃いすぎている。
「再調査の必要が……」
誰かが、弱々しく口にした。
だが、その言葉は遅すぎた。
「再調査?」
群衆の中から、怒声が上がる。
「今さらか!」
「追放された貴族は、人生を壊されたんだぞ!」
「都合が悪くなったら調べ直すのか!」
正義は、王宮の中だけにあるものではない。
それを、王国は忘れていた。
*
「……マリエル」
元王太子は、最後の縋るように、元聖女の名を呼んだ。
だが、彼女は――
一歩、後ずさった。
「……私は」
マリエルの声は、震えていた。
「私は、知らなかった……」
その言葉に、セレスティアは、初めて彼女を見た。
――哀れだ、とは思わない。
――怒りも、もうない。
ただ、理解した。
(この人は……最初から“光”ではなかった)
信じたかっただけ。
選ばれた存在でありたかっただけ。
だから、他者を踏み台にした。
それだけの話だ。
*
「王国は」
セレスティアは、静かに口を開いた。
広場は、自然と静まり返る。
「この件について、私や息子に“許し”を求める資格はありません」
彼女は、断罪を求めない。
謝罪も、いらない。
「裁くべきは、あなた方自身です」
その言葉は、刃よりも重かった。
*
元王太子は、膝が震えるのを感じていた。
(……私は、何をした?)
国のため?
秩序のため?
違う。
(自分の立場を、守っただけだ)
そして、理解する。
――もう、この親子には、二度と手が届かない。
*
「母さん」
リオンが、小さく声をかけた。
「もう、いい?」
それは、復讐を続けるか、という問いではない。
ここを去っていいかという、合図だった。
セレスティアは、息子を見下ろす。
穏やかで、強くて、優しい顔。
彼女は、微笑んだ。
「ええ。十分よ」
*
その時だった。
セレスティアは、ほんの一瞬だけ、悪役令嬢として微笑んだ。
誰にも媚びず。
誰も責めず。
ただ、「格の違い」を理解させる微笑。
それは、王国に向けた最後の別れだった。
*
数日後。
王国は、公式に発表した。
・過去の裁定における重大な瑕疵
・記録改竄の事実
・元王太子の政治的失脚
・元聖女マリエルの称号剥奪
だが、セレスティアとリオンは、そのどれにも立ち会っていない。
*
彼らは、王都を離れていた。
辺境よりも、少しだけ人の多い、だが、王国の影響が及ばない土地へ。
「ここ、いいね」
リオンは、柔らかな草の上に腰を下ろし、空を見上げた。
「うるさくないし、魔力も落ち着いてる」
「そうね」
セレスティアは、隣に座る。
「あなたが、安心して魔法を使える場所よ」
彼女は、もう隠さない。
息子の才能を、恐れない。
ただ――縛らせない。
*
「母さん」
「なあに?」
「僕……王国に行って、よかった」
セレスティアは、少し驚いた。
「どうして?」
「だって」
リオンは、照れくさそうに笑う。
「母さんが、どれだけすごい人か、ちゃんと分かったから」
胸の奥が、静かに熱くなる。
「……ありがとう」
それだけで、十分だった。
*
かつて、悪役令嬢と呼ばれた女は、王国を壊さなかった。
奪い返すこともしなかった。
ただ――
母として、守り切った。
そして、無自覚天才の息子は、誰にも縛られず、誰にも奪われず、自分の人生を歩いていく。
それが、何よりも完璧な“ざまぁ”だった。
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