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後日談⑤ 幸せは、もう増えている
しおりを挟む午後の陽射しが、庭の木々を柔らかく照らしていた。
窓辺に置かれた椅子に腰掛けながら、エマは静かに紅茶を口に運ぶ。
かつては落ち着かないと感じていたこの屋敷も、今ではすっかり「帰る場所」になっていた。
結婚して、数年。
嫌われていると思い込んでいた自分が、まさかこんな日々を送っているなど――当時は、想像すらできなかった。
「……今日は、少し風が強いな」
背後から声がして、エマは振り返る。
レオンが、書類を片手に部屋へ入ってきた。
以前よりも、肩の力が抜けた雰囲気。
けれど、その視線が真っ先に向かう先は、今も変わらない。
「寒くはないか?」
「大丈夫です」
そう答えると、彼は自然な動作で外套を脱ぎ、エマの肩にそっと掛けた。
「……大丈夫と言われても、気になる」
「相変わらずですね」
微笑むと、彼は少しだけ照れたように視線を逸らす。
――この人は、本当に変わった。
以前は、感情を表に出すことを極端に避けていた。
今では、隠そうともしない。
「今日は、少し顔色が薄い」
レオンが言った。
「……そう、でしょうか」
「無理はしていないか」
エマは、少しだけ迷ってから答える。
「……少し、眠気が強いだけです」
それを聞いた瞬間、彼の表情が微妙に変わった。
「……医師には、相談したのか」
「まだ、確定ではありませんから」
その言い方に、彼は何かを察したようだった。
椅子の横に膝をつき、視線を合わせる。
「……エマ」
「はい」
「体調の変化は、すべて教えてほしい」
いつもより、少しだけ慎重な声。
「一人で抱える必要は、もうない」
その言葉に、胸がじんと温かくなる。
「……はい」
そう答えると、彼は安心したように息を吐いた。
しばらく、沈黙。
庭から、子どもたちの笑い声が聞こえてくる。
使用人の子どもだろう。
元気な声が、春の空気に溶けていく。
レオンは、ふとその方向に目を向けた。
「……賑やかだな」
「ええ」
「……嫌いではない」
ぽつりと零された言葉に、エマは気づかないふりをした。
けれど、胸の奥で、確かな予感が芽生えていた。
――この人は、もう気づいている。
ただ、言葉にするのを待っているだけ。
「……エマ」
「はい」
「もし」
一度、言葉を切る。
「もし、家族が……増えたら」
慎重な問いかけ。
「君は、どう思う」
エマは、ゆっくりと微笑んだ。
「……きっと、賑やかになりますね」
それだけで、十分だった。
レオンの目が、驚くほど優しくなる。
「……そうだな」
手を取り、そっと指を絡める。
「その時は」
「はい」
「俺が、必ず守る」
以前なら、重く感じたかもしれない言葉。
今は、ただ心強い。
「……私も」
エマは、静かに続けた。
「一緒に、守ります」
彼は一瞬、言葉を失い――それから、ゆっくりと頷いた。
「……ああ」
そのまま、額に口づけられる。
昔のような、緊張を伴う触れ方ではない。
長い時間を共にした者同士の、確信に満ちた仕草。
夕方、医師が屋敷を訪れた。
診察は短く、穏やかに終わる。
「おめでとうございます」
その一言に、レオンは一瞬、息を止めた。
エマは、彼の手を握る。
「……やはり、そうでした」
小さく呟くと、彼はゆっくりとエマを抱きしめた。
強くはない。
けれど、揺るぎない。
「……無事でよかった」
真っ先に出た言葉が、それだった。
「ありがとう、エマ」
「こちらこそ」
その夜。
いつもの寝室で、二人は並んで座っていた。
「……不安は、あるか」
レオンが尋ねる。
「少しだけ」
正直に答える。
「でも……一人ではありませんから」
彼は、すぐに頷いた。
「当然だ」
そう言って、エマの手を包み込む。
「……嫌われていると思っていた頃」
ふと、エマが言った。
「こんな未来があるなんて、思いませんでした」
レオンは、少し困ったように笑った。
「俺もだ」
「……今なら」
彼女は、静かに続ける。
「全部、勘違いだったと……はっきり言えます」
彼は、はっきりと答えた。
「勘違いではない」
「え?」
「気づくのが、遅すぎただけだ」
そう言って、そっと額を合わせる。
「……これからは」
「はい」
「一つずつ、確かめながら進もう」
エマは、微笑んだ。
「ええ。増えていくものも……一緒に」
外では、夜風が木々を揺らしている。
静かな屋敷の中で、確かに感じる新しい鼓動。
――嫌われ令嬢だった私の物語は。
もう、恋の物語ではない。
愛され、守られ、
そして、次の命へと続いていく。
それは、とても穏やかで。
とても、確かな幸福だった。
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