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エピローグ
舞台の果てに
しおりを挟む春の風が、静かに荒野を撫でていく。
かつて王都ルオネがあった場所は、今や一面の野花に覆われていた。
崩れた石壁の跡には小さな芽が息づき、誰もが“再生”という言葉を口にする。
その丘の上、黒いマントを羽織った青年が立っていた。
彼の名はディラン。
――黒薔薇の主に仕え、最後までその影を守り抜いた男。
彼の足元には、一輪の黒薔薇が咲いていた。
この地に、セレーナが最後に残した印章を埋めたのだ。
印章はやがて朽ち、代わりにこの花が芽吹いた。
「主様……あなたの望んだ“新しい国”が、少しずつ形になっています」
ディランは空を見上げて呟いた。
雲の切れ間から差し込む陽光が、まるで彼女の微笑のように穏やかだった。
王家は滅び、神殿は解体された。
だが、民は生きている。
新たな議会が築かれ、貴族も平民も、同じ席で語り合うようになった。
それは、セレーナが信じた「理想の舞台」――誰も欺かず、誰も踏みにじられない世界。
風に乗って、どこからか歌声が届く。
それは新しい時代の歌。
“悪女”を讃えるものでも、“聖女”を罵るものでもない。
ただ、今日という日を生きる人々の歌だった。
「……もし、あなたがこの光景を見ていたら、なんて言うだろう」
ディランは微笑み、黒薔薇の花をそっと撫でた。
その花びらが一枚、風に乗って舞い上がる。
――あなたは、今どこで笑っているのだろう。
遠い東の国。
白い砂浜に面した小さな港町に、一人の旅の女がいた。
黒髪を結い、薄紫の衣を纏い、瞳には静かな光を宿している。
彼女は朝の市場で小麦粉を買い、商人たちと笑いながら言葉を交わしていた。
その仕草は、かつての「黒薔薇の主」を思わせるものがあったが、誰も彼女の名を知らない。
「お嬢さん、どこから来たのかね?」
老商人が尋ねると、女は少し考えてから微笑んだ。
「……遠い昔の舞台から、でしょうか」
その答えに、老人は笑って肩をすくめた。
女は礼をして、港の方へ歩き出す。
潮風が頬を撫で、彼女は目を細めた。
ふと、通りの片隅に咲く黒薔薇を見つけた。
女は足を止め、そっと花に触れる。
指先が花びらを撫でた瞬間、風が吹き抜け、髪が揺れた。
――まるで、誰かが「おかえり」と囁いたようだった。
女は微笑み、海を見つめた。
白い帆を掲げた船が、遠くの水平線に向かって進んでいく。
その光景を見ながら、彼女は小さく呟く。
「舞台の幕は、もう降りた。けれど……物語は、まだ続いているのね」
潮風が彼女の声をさらい、青い空へと消えていった。
――彼女の名を知る者は、もうどこにもいない。
けれど、彼女の微笑は世界のどこかで確かに生き続けていた。
悪女の名を冠した令嬢が最後に残したのは、断罪でも復讐でもなく――希望。
そして静かに、“悪役令嬢の物語”は永遠の幕を閉じた。
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