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従兄弟襲来
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イト──
「従兄弟っ⁉」
3秒後にようやく理解する事が出来た。
そしてその3秒後には最悪の事態も理解してしまった。
従兄弟って事は親戚だろ、風斗が言う同居も回避出来ないだろうし、何より奴は俺や翡翠と血が繋がっていながら翡翠と結婚出来る立ち位置にある。
厄介極まりない奴がオフェンスとして攻めて来た。
「寝耳に水なのも仕方が無いよ。家の親は駆け落ちで破門されてるから、その存在は親戚間で暗に禁句になっていたし」
「それが何で家に襲来する事になったんだよ?」
「ふふ、使徒みたいに言うね。家の両親はもう亡くなっちゃったし、俺が住んでるマンションは耐震偽装が発覚して大規模改修工事が入るから、君らのお父さんに泣きついたって訳。君らのお父さんとは近年、年賀状のやり取りくらいはしてたんだよ」
いや、知るか。そんなの、親父から一言も聞いてないぞ。
──────メールはチェックしてないけど。
何なんだよ、この負のコンボは──
俺には二人の仲を邪魔する権利は無いが、さっきみたいな事を目の前で繰り広げられたら風斗を刺さずにはいられない。
「お前、死にに来たのか?」
「え?」
風斗は事の重大さを理解していないのか鳩が豆鉄砲をくらったような顔をしている。
おい、死ぬ覚悟で来いよ。
「すみません、セキレイさん。私も、聞いてすぐにお知らせしていたら良かったんですけど、ちょっと言い出しにくくて……」
翡翠が険悪ムードの俺達の間にオドオドと割って入るが、俺は疎外感からその態度にすら苛々した。
二人は俺の知らない所で密会しては話を押し進めてたんだな。今日で胃に穴があきそうだ。
「それで、翡翠の部屋は何処?」
そう言って風斗はキョロキョロと辺りを見渡す。
「あの……」
「翡翠は俺の部屋で寝てる」
俺は言いにくそうにする翡翠に代わってスパッと答えた。
「えっ、マジで、ヤバッ!!!」
「違うんですっ、ここが事故物件で、私が独り寝が怖くて、セキレイさんの部屋に間借りさせてもらってたんですけど、最近は別々に寝てます」
青ざめる風斗に、焦って言い訳をする翡翠。なんだかなぁ……そんなに兄貴との仲を勘ぐられたくないのかよ。
「へぇー……」
風斗はさっきまでの柔和な雰囲気は何処へやら、妻の浮気を疑う夫の目で翡翠を眺めている。
「なんだよ?」
「いや、別に。まさか実の妹に……いや、無いな」
風斗はフッと鼻で笑い、火に油を注いできた。
「そうそう、余談だが、実の妹でも法律で婚姻は認められていないが、恋愛までは禁止されていないって知ってたか?」
ただし両想いが前提だけど。
「禁止されていないからって許可されている訳でもないだろ?一般常識では認知されてない。何故なら有り得ない、あってはいけない話だからさ。そもそも恋愛てのは両想い前提でまかり通るものだよ、セキレイ」
理路整然と痛い所を突いてくるじゃないか。故に何も言えねー!
「でもセキレイ、君には綺麗な恋人がいるじゃんか」
見てたのか。
「浮気は善くないよ」
お前が言うな。
「俺は翡翠と出会う前に女性関係を綺麗さっぱり整理してきたからね」
こりゃ相当遊んでたな。
翡翠もちょっと軽蔑した目で風斗を見ている。
ざまあ。
「誇るなよ、女好きの変態野郎」
「変態は認めるけど女好きではないよ」
変態は認めるスタンスなのかよ。
「この家で翡翠に変な事をしたらぶん殴るからな」
「ここは治外法権なのかな?郷に入っては郷に従えってやつ?でも俺のが年上だよ?」
俺は渾身の睨みで風斗を嫌厭したが、風斗は雲みたいにフワフワした態度で掴みどころがない。
「関係ない」
「でもさ、変な事って例えば?」
「さっきみたいな事に決まってる」
俺は仁王立ちで何事にも動じない構えだが、それとは対照的に風斗は手振り身振りで滑らかに言葉を発していく。
「さっきみたいな?」
『あぁ、その事か』と風斗はわざとらしく手を打った。
「夫婦間でやるようなものの事だよね。わかりますわかります。何故なら俺達は元々夫婦だからね。自然な事だよ。それの何がいけないのか、教えてほしいね」
「転生してるんだから元夫婦だろ」
「別に離婚した訳じゃないし記憶もあるのにそう簡単に気持ちや関係はリセットされないよ」
「遊びまくってたくせに」
「彼女がいる奴に言われたくないよ。それに俺みたいなキャラがこの歳で童貞とか、翡翠も引くだろ?」
「どうなんだ?」
俺がそう投げ掛けると、翡翠は不意を突かれたのか大きく肩を揺らしてそれとなく風斗の影に隠れた。
いや、なんで隠れた?
後ろめたいから?
「前世での実績がありますから、それは別に……」
実績て……
「ほらほら~」
風斗は鬼の首でも取ったかの如くはしゃいでいる。
どういう感情だよ、小学生か。
「とにかく翡翠には近付くな」
「何の権利があって?」
風斗がクスクスと茶化すように笑い、俺のこめかみに青筋が浮いた。
「セキレイは一体、何の権利があって俺と翡翠の間に割って入ろうって言うの?愛し合う二人の間にさ」
『愛し合う二人』というパワーワードに、俺は一瞬頭が真っ白になり、先刻のように『どうなんだ?』と翡翠に確認する事が出来なかった。
例え本当に二人が今も愛し合っていたとしても、翡翠の口から真実を語られるのが怖かったからだ。
「……兄だからだよ。変態から大事な妹を守りたいんだよ」
翡翠を守りたいのは本心だが、それは兄としてではなく、男としてだ。だから本当はこんな事、言いたくなかった。
くそっ、翡翠と兄妹でさえなければ風斗と同じ土俵に立って張り合えたのに。
「翡翠も大概だけどね」
『翡翠も大概だけどね』
『翡翠も大概だけどね』
──は、あ?
どういう意味だよ。翡翠も自分と同じ変態だとでも言いたいのか?
前世での風斗による長年の調教であの翡翠が好きものに?
俺がチラッと翡翠を確認すると、彼女は顔を赤らめて俯いている。
なんだよ、図星なのか?
風斗と夫婦になる前は夜伽をあれ程怖がっていたくせに。
妬ける。
俺の知らない艶めいた翡翠を知る風斗も、風斗にしか見せない一面を持つ翡翠も、どっちも癇に障る。
「どっちかって言うと、俺は大事な嫁を邪なお兄ちゃんから守りたいわけ」
「誰が邪だ」
「充分邪だろ?」
「……」
ゴム事件を踏まえ、何も言い返せない。
そうさ、隙あらばあれを翡翠に使ってやろうと思ってたさ。
「って言うか、前世で俺らの初夜を見守ってたくせに今更じゃない?俺に献上する為に翡翠を育ててたくせにさあ」
「前世は前世、今は今。TPOなんだよ。そもそも好きで見てたんじゃない」
「ふーん、へー、ほー」
「なんだよ?」
風斗が右へ左へ首を傾げながら人を馬鹿にしたように相づちを打ち、俺は眉を逆ハの字に曲げる。
「なんでもー」
なんかイラッとするな。
「まあまあ、そんなにピリピリしないで。今は皆血の繋がった家族じゃないですかぁ。夕食でも囲って親交を深めようじゃないですかぁ。夕飯は私が用意しますんで、お二人はお風呂でも沸かして背中を流し合うってのは──」
「無理」
俺は、気を遣ってほんわか喋る翡翠をピシャリと一刀両断した。
考えただけでゾッとする。
「あはっ、俺は別にいいのに」
「俺が嫌なんだよ」
逆になんでいいんだよ。
結局、風斗からの斡旋で俺が先にシャワーをする事になった。
俺はいっときでも翡翠を風斗と二人きりにするのが心配で、カラスの行水よろしく電光石火の早さでシャワーを浴びた。
風斗の奴、翡翠はまだ高校生だってのに、性懲りもなくまた翡翠を押し倒してるんじゃないだろうな?
例え二人が元夫婦で、翡翠が風斗を受け入れていたとしても、大学生が高校生に手を出すのはよくない、よな。そうだ、よくない。高校生同士ならいいが、大学生は駄目だ。
それにしても、二人でいる時はどんな会話をしているんだ?
ふと、俺は脱衣所でスウェットに袖を通しながら思った。
ドアの隙間から二人の様子を窺って、危うい雰囲気になったら飛び出せばいいか。
俺は着替えが完了すると、静かにドアを開けて隙間から二人のやり取りに目を凝らす。脱衣所の外では、翡翠がキッチンでテキパキと料理をしていて、その様子を後方のテーブルで風斗が頬杖を着きながら見守っていた。
風斗の奴、意外と大人しいな。
俺は少しホッとした。
そして耳をそばだて、二人の会話に集中する。
「今夜の献立は?」
風斗がウキウキした様子で翡翠の背中に尋ねた。
「何だと思いますか?」
翡翠の方も、気持ち楽しげだった。
「えーっと……」
風斗はその場から身を乗り出し、右へ左へ揺れながら翡翠の手元を盗み見る。
「じゃがいもを切ってるって事はさ、俺の好きなカレーじゃないかな。ほら、あの、ビーフシチューのルーで割ったカレーもどき」
と言って風斗は自信満々に人差し指を立てた。
「よく覚えてますね。確かに、じゃがいもと人参と玉ねぎと肉を切ってますけど、シチューや、もしかしたら肉じゃがの可能性だってありますよ?」
対して翡翠は『クフフフフ』と含んだ笑いをして小刻みに肩を揺らした。
「だったら翡翠のさじ加減で答えが変わっちゃうじゃないか」
風斗はぶうたれて尻餅を着くように椅子に座る。
「冗談ですよ、正解です。カレーです」
「俺の好物だから作ってくれるの?」
風斗はすぐに機嫌を直し、両肘を着いて前のめりになった。
「たまたまですよ」
「翡翠、俺は分かってるよ。帰りが遅くなったのにわざわざ煮込み料理を用意してくれるなんてね」
「さあて、何の事やら」
「翡翠のそういう所、昔から大好きだよ」
「なんか、転生ぶりにそういう事を言われると歯がゆくなります」
翡翠は亀の様に首を縮めてゾワゾワしている。
……楽しそうだな。
「そうかな?俺は前世の延長みたいな感じで何にも変わらないけど」
「でも、まあ、そうですね。こうして二人きりでいると、前世の夫婦生活を再現しているみたいですよね。新婚当初は上手く噛み合わなくてよくすれ違ったりもしましたけど、だんだん打ち解けて何でも話せるようになってからは、王室という事も忘れて、普通の、ごくごく普通の一般家庭みたいな生活を送って、子宝にも恵まれて、幸せだったなって。不幸のどん底にいた時から考えると、全然想像も出来ませんでした」
翡翠は一旦料理の手を止め、感慨深そうにしみじみ言った。
「しかも敵国の王とね」
今度は風斗が含み笑いをすると、翡翠は少し拗ねたようにやや声量を上げる。
「言わないで下さいよ。本当は分かってたんです。政府や軍のやった事に対して、国の象徴である王を恨んでも仕方が無い事は」
「俺からは何とも言えないけど、でも、セキレイが翡翠をどん底から助け出してくれて本当に感謝してる。翡翠を見つけ出して、俺に委ねてくれたくれた事にね」
「そうですね。私もそう思います」
「セキレイには残酷な事をしたけれど、あいつがいなかったら子供達も生まれてこなかった」
「そうですね……」
そこで翡翠はか細く相槌を打つと肩を落とした。
「子供達の事が気になる?」
──という問いに、翡翠は言葉を濁した。
「そりゃ……まあ……勿論……」
風斗は翡翠のそんな様子を見ると、立ち上がって翡翠のそばまで行き、後ろからそっと包み込むように彼女を抱き締める。
……
前世では二人の濡れ場を嫌ってほど見せつけられたのに、俺はたったこれだけで気が滅入った。何より鬱なのは、翡翠がこれを当たり前だと認識して受け入れているところだ。慣れている、そんな風に感じた。
「心配しなくても、また俺らの元に生まれてきてくれるよ」
「それって……」
翡翠が戸惑うのも当然だ『また俺らの元に生まれてきてくれる』為には、それ相応の行為をしなければならない。
「嫌?」
「あの……」
翡翠は言葉が見当たらないのか返事がたどたどしい。
「煮えきらないね。俺への愛情は前世に忘れてきた?」
フフ、と風斗が寂しそうに笑い、何故かこっちまで胸が苦しくなった。
「そうじゃなくて……」
「セキレイが気になる?」
突然引き合いに出され、俺はドキッとする。
翡翠の本音を聞くのが怖い。
翡翠は、本当は俺の事をどう思っているのだろう?
「なんでお兄さんが……」
「何となく。責められてる気分?怯えた顔をしてるよ?」
風斗が横から翡翠の顔を覗き込んでいる。
翡翠は何に怯えているんだろう?
もしかして、少しは俺に気があって、それを風斗に悟られるのを恐れている?
なんて、都合よく考え過ぎだな。
「からかわないで下さい。刺しますよ?」
と言って翡翠は握っていた包丁を翳した。
翡翠、殺れ。
「フフフ、翡翠、強くなったね」
風斗は磨き抜かれた包丁に動じる事なくヒラヒラと笑っている。
「風斗さんのおかげでね」
「そう、良かった。あのね、翡翠、これだけは伝えておきたいんだけど、俺はね、こうして翡翠の従兄に転生しようと双子に転生しようと君を愛してた。それが例え野良犬に転生しても変わらない」
「風斗さん……」
そんなもの、俺だって同じ気持ちなのに、風斗は実際に翡翠の双子の兄に転生していないから言えるんだ。双子なんて、ロミオとジュリエットより不遇なんだから。
「翡翠、好きだよ。またこうして生まれ変わってくれてありがとう」
従兄だって少しは血が繋がっているのに、従兄というだけでいとも容易く翡翠に愛を囁やける。そんな風斗が妬ましくて仕方が無かった。
なのに──
俺は二人の世界をぶち壊そうと脱衣所から飛び出す事が出来なかった。
それをしてしまったら、俺は二人の愛を引き裂く邪魔者確定になる。
それに、風斗を愛していた翡翠の気持ちを無視する事も出来ない。だってこれは一番憂慮すべき事で、俺の感情を押し付けるのは間違っている。
「私も、風斗さんに再会出来て嬉しいです」
……ほらな。
いい雰囲気じゃないか。
俺は胸がザワザワして覗き見を止めた。
あーあ、きっと今頃キスでもしてるんだろうな。そんな甘い雰囲気だった。
もう、風斗を殴る気にもならない。寧ろ、俺が我慢したら翡翠は普通に風斗と恋愛をして、もう一度幸せな家庭を築ける。翡翠が望むように前世で授かった子供達を産めるかもしれない。ほら、それらを翡翠から取り上げるなんて残酷じゃないか。俺は、翡翠には絶対に幸せになってほしい。
ただ、その相手は最初から俺じゃなかったんだ。
そしてダイニングから風斗の笑い声が聞こえてきた頃、俺が脱衣所から出ると、カレーは煮込みの段階に入り、しきりに翡翠がそれをお玉でかき混ぜていた。
風斗はテーブルに戻っているし、良いタイミングで出れた。
「シャワーなのに長かったね」
と風斗が上体だけこちらに向けて言ってきた。
気のせいかニヤニヤしてないか?
お前らのイチャイチャのせいで出るに出られなかったんだよ──とは言えない。
「悪いか」
俺は無愛想に答え、タオルで濡れた髪を拭く。
「あんまり出て来ないと、助けに行くところでしたよ?」
翡翠の背中がそう言った。
「でもお兄ちゃんの裸を見て翡翠まで卒倒しそうだけど?」
そう言って風斗はケタケタと笑う。しかし翡翠の次の言葉で現場はシベリアの如く凍りつく。
「そんなの、前世で見た事ありますから、今更驚きませんよ」
「……」
「……」
「えっ?あっ!あぁっ!」
翡翠は自分の失言に気付き、片手で己の口元を押さえたが時すでに遅し。風斗はスンとした顔で前を向いた。
漠然と、今夜は翡翠の断末魔が響くんじゅあなかろうかと心配になった。
「じゃあ、次は俺がシャワーしに行ってくるよ」
「あっ、はい、どうかごゆっくりどうぞ」
風斗は一見、いつものアンニュイな風斗の様に見えたが、翡翠の背中には『やっちまったなー』と書いてある、気がする。
俺は俺でこの空気の中で翡翠と二人きりになるのがキツい。先刻覗いた内容の事はさておき、なんか気恥ずかしい。
「……」
「……」
まず第一声に困る。
そう言えば翡翠とは前世で色々とエロい事をしたもんだ。翡翠もそれを覚えているとは、さしもの俺も血圧が上がる。
「すみません、なんか。転生したんだから、今は大きさや色も形も全然違いますよね。あ、ほら、年齢的にもセキレイさんは若いし」
え、自分から触れてくスタイルなの?
やっぱ翡翠って変わってんな。それとも、逆に触れない気まずさに耐えかねたか。
俺がオジサンなら『見てみる?』なんて返していたのかもしれないが、それは流石にセクハラだ。しかも俺は実の兄だ。
なんか言葉のチョイスが慎重になるな。
「変わらないんじゃないか?俺もお前も風斗も見た目は前世のままだし」
いや待てよ、本当にそうか?
俺は翡翠の皮を剥いで全部を見た訳でもないし。体のホクロの位置は全部同じなのだろうか?
俺は探偵みたいに口元に手を当て、舐め回すようにじっと翡翠の全身を見つめる。
「えっ、めっちゃ見るじゃないですかっ」
振り返った翡翠と目が合い、互いに視線を泳がせた。
「いや、見た感じ変わらないなと思って」
「そうですか?そうでもないですけど」
翡翠は恥じらうみたいに顔を赤くしてパッと前を向き、猛スピードでカレーをかき混ぜる。
なんだかんだかわいいな。
しかし気になる。
具体的に翡翠のどこがどう変わって、どこが昔のままなのか確認したい。
なんだかとても喉が渇いた。
「見たい」
お玉がステンレス鍋の内側に当たる『カンカン』という断続的な金属に紛れ、俺の本音が吐露されると、翡翠は『えっ』と吃驚して一瞬カレーを混ぜる手を止めそうになる。
カン、カン、カン、カン
金属音のリズムが元の断続的なものに戻った。
これは翡翠に聞こえないフリをされたな、と思った。
「風斗は?変わらない?」
意地悪するつもりはないが、遠回しに聞きたくなった。
「し、知らないですけど」
翡翠は狼狽しているのか『カンカン』という音が乱れに乱れる。
「へえ」
本当かどうか、どちらにせよ風斗は俺が気にしている翡翠の変化を確認出来るって訳だ。それはもう細部に至るまで。
従兄っていいよな。
従兄に出来て双子に出来ない事は多い。
じゃあ逆に、双子に出来て従兄に出来ない事は?
──思いつかない。
「セキレイさんは全然変わらないですよね」
『あっ、勿論、内面の事です』と翡翠は自分の肩の高さに手を掲げた。
「成長してない?」
「悪い意味じゃなくて、いい意味で、ホッとするって言うか、久しぶりに実家に帰ったって感じ?」
それは喜んでいいのか?
「それはどうも」
「そうしてみると、前世で風斗さんのとこに嫁いでから、こうしてセキレイさんと寝食を共にするのは初でしたね」
「出戻りみたいな気分か?」
「夫と一緒にですか?」
「あいつは歓迎してない」
「随分と敵視するんですね。前世では腹違いの兄弟だったのに」
「前世でもこんなもんだったさ」
「それでも、前世では風斗さんを信頼して私を預けてくれたんでしょう?」
「……」
そう、だったな……忘れていた。出来れば俺が翡翠を幸せにしてやりたかったけれど、結局は翡翠の意志を尊重して結果的に翡翠を風斗に差し出したんだった。でもそれは風斗が王で、翡翠が献上品だったからだ。今はわざわざ翡翠をあの変態野郎に差し出す事もないんだけど。
「本当は俺がどうしたかったか知ってるくせに」
俺は城から翡翠を連れ去りたかった。
「私にはセキレイさんがどうしたいかなんて関係なかったんです。私はただ、セキレイさんにとって何が一番最善か、それだけを優先したかったんです。それは今も変わりません」
今も?
「それってどういう意味?」
もしそれが、俺達が双子だから、俺の将来の為に翡翠は俺の気持ちに背を向けているとしたら……?
少しは望みがあるのか?
俺は後ろから翡翠の華奢な肩に触れようとして寸前で思いとどまる。
もし仮にそうだとして、翡翠は俺の為を思ってそうしてくれているのに、俺は自分本位で翡翠の将来をぶち壊していいのか?
駄目だ。
「セキレイさんは大事な人ですから、いつだって、幸せになってほしいと思っているんです」
「俺だって同じだよ」
同じだけど、手放しでそう思っているんじゃない。悔しいけど、そうする他無いんだ。
あーぁ、あーぁだよ、まったく。
「翡翠、俺は風斗の事をいけ好かない奴だと思っているけど、それでも、あいつは前世でお前を幸せにした実績があるから、お前があいつを選ぶなら、俺は良き兄に徹する」
快諾とまではいかないが、どうせ俺の恋心は禁断なのだ、今回もまた翡翠の幸せを願おう。
「お前の旦那の事、殴って悪かったよ」
「セキレイさん……」
翡翠は振り返り、肩に触れようとしていた俺の手を見て瞳を揺らした。
その反応はどう捉えたらいいんだ?
まあ、どっちにしろ、俺に翡翠は触れない。
翡翠は風斗の物だから。
「恋愛ごっこは終わり。安心して、もう触らないよ」
俺は翡翠に掌を見せて、それから手を引っ込めた。
「あっ、はぁ、まぁ……」
翡翠は残念そうな、それでいて悲哀の表情を覗かせて前に向き直った。
どういう感情なんだ?
切なっ。
「俺の妻に横恋慕?間男君」
何の前触れも無く後方から風斗の声がして、それにビビった翡翠の肩が大きく持ち上げられた。
夫相手にそこまでビビるか?
あーーーっ、かわいそっ。いっそ守ってやりたくなるわ。
「誰が間男だよ、居候」
それにしても居候の分際で態度がでかいな。未だに王様気分が抜けないのか?
俺は翡翠から離れ、テーブルに着いた。
いつの間にか音もなくリビングに出て来るなんて、風斗の奴、どこまで俺らの会話を聞いていたんだ?
一気に俺と風斗の間にピリピリとしたムードが漂う。
「ハハッ、まあ居候だけど、従兄のお兄ちゃんなんだからさ、風斗兄ちゃんて呼んでよ」
風斗は軽口を言って笑い飛ばしているが、前世の因果か、なんかムカつくんだよな。それになんでスウェットに上半身裸なんだよ。風斗の甘いマスクに相まった程良い筋肉を見ていると『翡翠は前世でこの胸板に抱かれたんだな』とか『これから翡翠はこの体に抱かれるのか』なんて生々しい想像が頭の中を占めてしまって気持ちが悪い。
「誰がっ」
虫酸が走るな。
「さあさ、カレーが出来ましたんで、ピリピリしてないで食べましょう」
翡翠の一声で、俺達三人はテーブルを囲って夕食を始めた。
「あっつっ!!」
暫く食べ進めると、風斗が剥き出しの胸板にカレーをこぼし、それを隣の席の翡翠がティッシュで拭き取る。
「裸で食べるからこうなるんですよ、お行儀が悪いですね」
翡翠は呆れながらも甲斐甲斐しく風斗の世話を焼いている。
なんか、やっぱり、おしどり夫婦なんだよなあ。
「後でお仕置きする?」
風斗は翡翠の方を見てニヤニヤしている。
二人共、俺の存在を忘れてないか?
俺は二人の間に割って入りたくなる衝動を抑え、カレーに乗った目玉焼きをスプーンで引き裂く。目玉焼きからは黄身が飛び出し、マグマの様に米粒の間を流れていった。
我慢だ、我慢。俺は邪魔者、お邪魔虫だ。静かに見守ろう。
「私にそんな趣味ありません」
翡翠は毅然とした態度でキッパリそう言うと、自分の席に座り直してスプーンでカレーをつつく。
「残念だなあ。俺、スイッチにもなれるのに」
「スイッチ?」
「聞きたい?」
下衆だな。
「風斗さんがニヤニヤしてるんで止めておきます」
「残念だなあ」
と、ここまで二人のやり取りを横目で見てきたが、俺は何を見せられているんだ?
しんどっ。
これを毎朝、毎晩見せつけられるのかと思うと家出したくなったが、そこはやはり翡翠が心配で踏み止まった。
食後、今度は翡翠がシャワーをしに風呂場へ行き、俺は全員分の食器を洗っていた。
風斗はというと、意外にも布巾でテーブルを拭いてくれている。
「お前がテーブルを拭いてる姿なんか初めて見たよ」
俺はコップの濯ぎ洗いをしながらそう言った。
「残念ながら今は王様じゃないからね。食後に牛になる訳にはいかないよ」
風斗は時折鼻歌なんて交えながらテーブルを拭いている。慣れたもんだ。
「一人暮らししてたんだっけ?」
「そうだよ。だから身の回りの事は何でも出来るよ」
「意外や意外」
「王様のイメージが強いだろうからね。今は意外とフツーに大学生してる」
「専攻は?」
「アハ、面接?」
「お前に翡翠を任せられるか気になるだろ?」
不本意ながらな。
「心配?」
「当たり前だろ」
「心配しなくても大丈夫だよ。セキレイは?先の事は考えてる?」
「まあ、良い大学に入って、良い企業に入れるように頑張ってる」
俺の将来から翡翠を除外されれば、特に目標もなければ夢もない将来となる。だから何事も『それなり』程度になってしまう。特に苦労のしない『それなり』な人生を送れればそれでいい。
「セキレイは昔から勉強が出来たから、きっと何にでもなれるよ。結婚は?」
「お前、残酷な事を聞くな」
俺は好きな相手(翡翠)と結婚出来ない運命だというのに、こいつ、俺に喧嘩でも売ってるのか?
好きな相手と結婚出来ないのなら、別にわざわざ結婚しようとは思わない。
「翡翠以外考えられない?」
逆に、好きな相手以外との結婚を考えられる方が不思議だ。いや、前世では俺はダリアと夫婦だったけれども。あんな特殊な例、そうそうあるもんじゃないし。
「なんか、もっかい殴りたくなってきた」
こいつには俺みたいな悩み、微塵も無いんだろうなと思ったら拳が疼いた。
そんな俺をよそに、風斗は『いいからいいから』と上機嫌でテーブルを乾拭きしている。
「何がっ?!」
良かない。
「別に結婚する気は無い」
「彼女は?」
「瑠璃?瑠璃とはとっくに破綻してる」
今は義理だけで瑠璃と付き合っているが、さすがにそれだけで結婚とまではいけない。
「ふーん」
ふと風斗が動きを止めた気配がして振り返ると、風斗は急に真面目な表情で俺を見据えてきた。
「なんだよ?」
こっち見んな。
「別に、なんでもない。普段は二人して夫婦茶碗でご飯を食べてるんだなって」
風斗に夫婦茶碗の置かれた食器棚を指され、俺は自尊心を取り戻す。風斗には悪いが、俺は翡翠と結婚は出来ないにしても、夫婦茶碗を普段使いする程親密であると、自信を取り戻せた気がしたのだ。
「別に、たまたまだよ」
一応、謙遜はしてやるけど。
「別にたまたまじゃなくてもいいんだよ」
「え?」
てっきり嫉妬されるかと思っていたが、風斗の反応は存外寛容なものだった。
……まさか後から翡翠の方がこっぴどいお仕置きを受けたりしないよな?
優しいお兄さんの仮面を被った変態鬼畜野郎の風斗の事は完全には信用していない。
しかしどういった了見なのか……兄妹仲が良いのは良い事だ、的な?
俺が翡翠と結婚出来ないからって余裕をかましているのか?
分からない。変態の考える事は分からない。
「勿論、兄妹なのに夫婦茶碗を使っているなんて凄くジェラシーだけど、俺は、君らの仲が悪かったら悪かったであまり良い気持ちはしなかったと思うんだ」
「へぇ……俺はお前らが険悪だったらしめしめと思うけど」
「正直だね」
──と風斗は苦笑いして椅子の整頓を始めた。
風斗と翡翠が険悪だったら、か……ここはおしどり夫婦だったから考えてもみなかった。
うーん、どうだろう、想像がつかない。でも敢えて想像してみたら、なんだかんだ少なからず悲しい気持ちになるかもしれない。それというのも、どんな形であれ、翡翠には笑っていてほしいからだ。俺が翡翠を幸せに出来なくても、誰かが翡翠を幸せにしてくれるのなら、涙も飲める。
「ハァ……風斗、お前、変な趣味は前世だけで止めてきたんだろうな?」
翡翠を泣かせる奴は誰だろうと許せない。SM趣味なんて論外だ。
「ん?」
こいつが自分の趣味を変だと認識しているかは知らんけど。
「従兄弟っ⁉」
3秒後にようやく理解する事が出来た。
そしてその3秒後には最悪の事態も理解してしまった。
従兄弟って事は親戚だろ、風斗が言う同居も回避出来ないだろうし、何より奴は俺や翡翠と血が繋がっていながら翡翠と結婚出来る立ち位置にある。
厄介極まりない奴がオフェンスとして攻めて来た。
「寝耳に水なのも仕方が無いよ。家の親は駆け落ちで破門されてるから、その存在は親戚間で暗に禁句になっていたし」
「それが何で家に襲来する事になったんだよ?」
「ふふ、使徒みたいに言うね。家の両親はもう亡くなっちゃったし、俺が住んでるマンションは耐震偽装が発覚して大規模改修工事が入るから、君らのお父さんに泣きついたって訳。君らのお父さんとは近年、年賀状のやり取りくらいはしてたんだよ」
いや、知るか。そんなの、親父から一言も聞いてないぞ。
──────メールはチェックしてないけど。
何なんだよ、この負のコンボは──
俺には二人の仲を邪魔する権利は無いが、さっきみたいな事を目の前で繰り広げられたら風斗を刺さずにはいられない。
「お前、死にに来たのか?」
「え?」
風斗は事の重大さを理解していないのか鳩が豆鉄砲をくらったような顔をしている。
おい、死ぬ覚悟で来いよ。
「すみません、セキレイさん。私も、聞いてすぐにお知らせしていたら良かったんですけど、ちょっと言い出しにくくて……」
翡翠が険悪ムードの俺達の間にオドオドと割って入るが、俺は疎外感からその態度にすら苛々した。
二人は俺の知らない所で密会しては話を押し進めてたんだな。今日で胃に穴があきそうだ。
「それで、翡翠の部屋は何処?」
そう言って風斗はキョロキョロと辺りを見渡す。
「あの……」
「翡翠は俺の部屋で寝てる」
俺は言いにくそうにする翡翠に代わってスパッと答えた。
「えっ、マジで、ヤバッ!!!」
「違うんですっ、ここが事故物件で、私が独り寝が怖くて、セキレイさんの部屋に間借りさせてもらってたんですけど、最近は別々に寝てます」
青ざめる風斗に、焦って言い訳をする翡翠。なんだかなぁ……そんなに兄貴との仲を勘ぐられたくないのかよ。
「へぇー……」
風斗はさっきまでの柔和な雰囲気は何処へやら、妻の浮気を疑う夫の目で翡翠を眺めている。
「なんだよ?」
「いや、別に。まさか実の妹に……いや、無いな」
風斗はフッと鼻で笑い、火に油を注いできた。
「そうそう、余談だが、実の妹でも法律で婚姻は認められていないが、恋愛までは禁止されていないって知ってたか?」
ただし両想いが前提だけど。
「禁止されていないからって許可されている訳でもないだろ?一般常識では認知されてない。何故なら有り得ない、あってはいけない話だからさ。そもそも恋愛てのは両想い前提でまかり通るものだよ、セキレイ」
理路整然と痛い所を突いてくるじゃないか。故に何も言えねー!
「でもセキレイ、君には綺麗な恋人がいるじゃんか」
見てたのか。
「浮気は善くないよ」
お前が言うな。
「俺は翡翠と出会う前に女性関係を綺麗さっぱり整理してきたからね」
こりゃ相当遊んでたな。
翡翠もちょっと軽蔑した目で風斗を見ている。
ざまあ。
「誇るなよ、女好きの変態野郎」
「変態は認めるけど女好きではないよ」
変態は認めるスタンスなのかよ。
「この家で翡翠に変な事をしたらぶん殴るからな」
「ここは治外法権なのかな?郷に入っては郷に従えってやつ?でも俺のが年上だよ?」
俺は渾身の睨みで風斗を嫌厭したが、風斗は雲みたいにフワフワした態度で掴みどころがない。
「関係ない」
「でもさ、変な事って例えば?」
「さっきみたいな事に決まってる」
俺は仁王立ちで何事にも動じない構えだが、それとは対照的に風斗は手振り身振りで滑らかに言葉を発していく。
「さっきみたいな?」
『あぁ、その事か』と風斗はわざとらしく手を打った。
「夫婦間でやるようなものの事だよね。わかりますわかります。何故なら俺達は元々夫婦だからね。自然な事だよ。それの何がいけないのか、教えてほしいね」
「転生してるんだから元夫婦だろ」
「別に離婚した訳じゃないし記憶もあるのにそう簡単に気持ちや関係はリセットされないよ」
「遊びまくってたくせに」
「彼女がいる奴に言われたくないよ。それに俺みたいなキャラがこの歳で童貞とか、翡翠も引くだろ?」
「どうなんだ?」
俺がそう投げ掛けると、翡翠は不意を突かれたのか大きく肩を揺らしてそれとなく風斗の影に隠れた。
いや、なんで隠れた?
後ろめたいから?
「前世での実績がありますから、それは別に……」
実績て……
「ほらほら~」
風斗は鬼の首でも取ったかの如くはしゃいでいる。
どういう感情だよ、小学生か。
「とにかく翡翠には近付くな」
「何の権利があって?」
風斗がクスクスと茶化すように笑い、俺のこめかみに青筋が浮いた。
「セキレイは一体、何の権利があって俺と翡翠の間に割って入ろうって言うの?愛し合う二人の間にさ」
『愛し合う二人』というパワーワードに、俺は一瞬頭が真っ白になり、先刻のように『どうなんだ?』と翡翠に確認する事が出来なかった。
例え本当に二人が今も愛し合っていたとしても、翡翠の口から真実を語られるのが怖かったからだ。
「……兄だからだよ。変態から大事な妹を守りたいんだよ」
翡翠を守りたいのは本心だが、それは兄としてではなく、男としてだ。だから本当はこんな事、言いたくなかった。
くそっ、翡翠と兄妹でさえなければ風斗と同じ土俵に立って張り合えたのに。
「翡翠も大概だけどね」
『翡翠も大概だけどね』
『翡翠も大概だけどね』
──は、あ?
どういう意味だよ。翡翠も自分と同じ変態だとでも言いたいのか?
前世での風斗による長年の調教であの翡翠が好きものに?
俺がチラッと翡翠を確認すると、彼女は顔を赤らめて俯いている。
なんだよ、図星なのか?
風斗と夫婦になる前は夜伽をあれ程怖がっていたくせに。
妬ける。
俺の知らない艶めいた翡翠を知る風斗も、風斗にしか見せない一面を持つ翡翠も、どっちも癇に障る。
「どっちかって言うと、俺は大事な嫁を邪なお兄ちゃんから守りたいわけ」
「誰が邪だ」
「充分邪だろ?」
「……」
ゴム事件を踏まえ、何も言い返せない。
そうさ、隙あらばあれを翡翠に使ってやろうと思ってたさ。
「って言うか、前世で俺らの初夜を見守ってたくせに今更じゃない?俺に献上する為に翡翠を育ててたくせにさあ」
「前世は前世、今は今。TPOなんだよ。そもそも好きで見てたんじゃない」
「ふーん、へー、ほー」
「なんだよ?」
風斗が右へ左へ首を傾げながら人を馬鹿にしたように相づちを打ち、俺は眉を逆ハの字に曲げる。
「なんでもー」
なんかイラッとするな。
「まあまあ、そんなにピリピリしないで。今は皆血の繋がった家族じゃないですかぁ。夕食でも囲って親交を深めようじゃないですかぁ。夕飯は私が用意しますんで、お二人はお風呂でも沸かして背中を流し合うってのは──」
「無理」
俺は、気を遣ってほんわか喋る翡翠をピシャリと一刀両断した。
考えただけでゾッとする。
「あはっ、俺は別にいいのに」
「俺が嫌なんだよ」
逆になんでいいんだよ。
結局、風斗からの斡旋で俺が先にシャワーをする事になった。
俺はいっときでも翡翠を風斗と二人きりにするのが心配で、カラスの行水よろしく電光石火の早さでシャワーを浴びた。
風斗の奴、翡翠はまだ高校生だってのに、性懲りもなくまた翡翠を押し倒してるんじゃないだろうな?
例え二人が元夫婦で、翡翠が風斗を受け入れていたとしても、大学生が高校生に手を出すのはよくない、よな。そうだ、よくない。高校生同士ならいいが、大学生は駄目だ。
それにしても、二人でいる時はどんな会話をしているんだ?
ふと、俺は脱衣所でスウェットに袖を通しながら思った。
ドアの隙間から二人の様子を窺って、危うい雰囲気になったら飛び出せばいいか。
俺は着替えが完了すると、静かにドアを開けて隙間から二人のやり取りに目を凝らす。脱衣所の外では、翡翠がキッチンでテキパキと料理をしていて、その様子を後方のテーブルで風斗が頬杖を着きながら見守っていた。
風斗の奴、意外と大人しいな。
俺は少しホッとした。
そして耳をそばだて、二人の会話に集中する。
「今夜の献立は?」
風斗がウキウキした様子で翡翠の背中に尋ねた。
「何だと思いますか?」
翡翠の方も、気持ち楽しげだった。
「えーっと……」
風斗はその場から身を乗り出し、右へ左へ揺れながら翡翠の手元を盗み見る。
「じゃがいもを切ってるって事はさ、俺の好きなカレーじゃないかな。ほら、あの、ビーフシチューのルーで割ったカレーもどき」
と言って風斗は自信満々に人差し指を立てた。
「よく覚えてますね。確かに、じゃがいもと人参と玉ねぎと肉を切ってますけど、シチューや、もしかしたら肉じゃがの可能性だってありますよ?」
対して翡翠は『クフフフフ』と含んだ笑いをして小刻みに肩を揺らした。
「だったら翡翠のさじ加減で答えが変わっちゃうじゃないか」
風斗はぶうたれて尻餅を着くように椅子に座る。
「冗談ですよ、正解です。カレーです」
「俺の好物だから作ってくれるの?」
風斗はすぐに機嫌を直し、両肘を着いて前のめりになった。
「たまたまですよ」
「翡翠、俺は分かってるよ。帰りが遅くなったのにわざわざ煮込み料理を用意してくれるなんてね」
「さあて、何の事やら」
「翡翠のそういう所、昔から大好きだよ」
「なんか、転生ぶりにそういう事を言われると歯がゆくなります」
翡翠は亀の様に首を縮めてゾワゾワしている。
……楽しそうだな。
「そうかな?俺は前世の延長みたいな感じで何にも変わらないけど」
「でも、まあ、そうですね。こうして二人きりでいると、前世の夫婦生活を再現しているみたいですよね。新婚当初は上手く噛み合わなくてよくすれ違ったりもしましたけど、だんだん打ち解けて何でも話せるようになってからは、王室という事も忘れて、普通の、ごくごく普通の一般家庭みたいな生活を送って、子宝にも恵まれて、幸せだったなって。不幸のどん底にいた時から考えると、全然想像も出来ませんでした」
翡翠は一旦料理の手を止め、感慨深そうにしみじみ言った。
「しかも敵国の王とね」
今度は風斗が含み笑いをすると、翡翠は少し拗ねたようにやや声量を上げる。
「言わないで下さいよ。本当は分かってたんです。政府や軍のやった事に対して、国の象徴である王を恨んでも仕方が無い事は」
「俺からは何とも言えないけど、でも、セキレイが翡翠をどん底から助け出してくれて本当に感謝してる。翡翠を見つけ出して、俺に委ねてくれたくれた事にね」
「そうですね。私もそう思います」
「セキレイには残酷な事をしたけれど、あいつがいなかったら子供達も生まれてこなかった」
「そうですね……」
そこで翡翠はか細く相槌を打つと肩を落とした。
「子供達の事が気になる?」
──という問いに、翡翠は言葉を濁した。
「そりゃ……まあ……勿論……」
風斗は翡翠のそんな様子を見ると、立ち上がって翡翠のそばまで行き、後ろからそっと包み込むように彼女を抱き締める。
……
前世では二人の濡れ場を嫌ってほど見せつけられたのに、俺はたったこれだけで気が滅入った。何より鬱なのは、翡翠がこれを当たり前だと認識して受け入れているところだ。慣れている、そんな風に感じた。
「心配しなくても、また俺らの元に生まれてきてくれるよ」
「それって……」
翡翠が戸惑うのも当然だ『また俺らの元に生まれてきてくれる』為には、それ相応の行為をしなければならない。
「嫌?」
「あの……」
翡翠は言葉が見当たらないのか返事がたどたどしい。
「煮えきらないね。俺への愛情は前世に忘れてきた?」
フフ、と風斗が寂しそうに笑い、何故かこっちまで胸が苦しくなった。
「そうじゃなくて……」
「セキレイが気になる?」
突然引き合いに出され、俺はドキッとする。
翡翠の本音を聞くのが怖い。
翡翠は、本当は俺の事をどう思っているのだろう?
「なんでお兄さんが……」
「何となく。責められてる気分?怯えた顔をしてるよ?」
風斗が横から翡翠の顔を覗き込んでいる。
翡翠は何に怯えているんだろう?
もしかして、少しは俺に気があって、それを風斗に悟られるのを恐れている?
なんて、都合よく考え過ぎだな。
「からかわないで下さい。刺しますよ?」
と言って翡翠は握っていた包丁を翳した。
翡翠、殺れ。
「フフフ、翡翠、強くなったね」
風斗は磨き抜かれた包丁に動じる事なくヒラヒラと笑っている。
「風斗さんのおかげでね」
「そう、良かった。あのね、翡翠、これだけは伝えておきたいんだけど、俺はね、こうして翡翠の従兄に転生しようと双子に転生しようと君を愛してた。それが例え野良犬に転生しても変わらない」
「風斗さん……」
そんなもの、俺だって同じ気持ちなのに、風斗は実際に翡翠の双子の兄に転生していないから言えるんだ。双子なんて、ロミオとジュリエットより不遇なんだから。
「翡翠、好きだよ。またこうして生まれ変わってくれてありがとう」
従兄だって少しは血が繋がっているのに、従兄というだけでいとも容易く翡翠に愛を囁やける。そんな風斗が妬ましくて仕方が無かった。
なのに──
俺は二人の世界をぶち壊そうと脱衣所から飛び出す事が出来なかった。
それをしてしまったら、俺は二人の愛を引き裂く邪魔者確定になる。
それに、風斗を愛していた翡翠の気持ちを無視する事も出来ない。だってこれは一番憂慮すべき事で、俺の感情を押し付けるのは間違っている。
「私も、風斗さんに再会出来て嬉しいです」
……ほらな。
いい雰囲気じゃないか。
俺は胸がザワザワして覗き見を止めた。
あーあ、きっと今頃キスでもしてるんだろうな。そんな甘い雰囲気だった。
もう、風斗を殴る気にもならない。寧ろ、俺が我慢したら翡翠は普通に風斗と恋愛をして、もう一度幸せな家庭を築ける。翡翠が望むように前世で授かった子供達を産めるかもしれない。ほら、それらを翡翠から取り上げるなんて残酷じゃないか。俺は、翡翠には絶対に幸せになってほしい。
ただ、その相手は最初から俺じゃなかったんだ。
そしてダイニングから風斗の笑い声が聞こえてきた頃、俺が脱衣所から出ると、カレーは煮込みの段階に入り、しきりに翡翠がそれをお玉でかき混ぜていた。
風斗はテーブルに戻っているし、良いタイミングで出れた。
「シャワーなのに長かったね」
と風斗が上体だけこちらに向けて言ってきた。
気のせいかニヤニヤしてないか?
お前らのイチャイチャのせいで出るに出られなかったんだよ──とは言えない。
「悪いか」
俺は無愛想に答え、タオルで濡れた髪を拭く。
「あんまり出て来ないと、助けに行くところでしたよ?」
翡翠の背中がそう言った。
「でもお兄ちゃんの裸を見て翡翠まで卒倒しそうだけど?」
そう言って風斗はケタケタと笑う。しかし翡翠の次の言葉で現場はシベリアの如く凍りつく。
「そんなの、前世で見た事ありますから、今更驚きませんよ」
「……」
「……」
「えっ?あっ!あぁっ!」
翡翠は自分の失言に気付き、片手で己の口元を押さえたが時すでに遅し。風斗はスンとした顔で前を向いた。
漠然と、今夜は翡翠の断末魔が響くんじゅあなかろうかと心配になった。
「じゃあ、次は俺がシャワーしに行ってくるよ」
「あっ、はい、どうかごゆっくりどうぞ」
風斗は一見、いつものアンニュイな風斗の様に見えたが、翡翠の背中には『やっちまったなー』と書いてある、気がする。
俺は俺でこの空気の中で翡翠と二人きりになるのがキツい。先刻覗いた内容の事はさておき、なんか気恥ずかしい。
「……」
「……」
まず第一声に困る。
そう言えば翡翠とは前世で色々とエロい事をしたもんだ。翡翠もそれを覚えているとは、さしもの俺も血圧が上がる。
「すみません、なんか。転生したんだから、今は大きさや色も形も全然違いますよね。あ、ほら、年齢的にもセキレイさんは若いし」
え、自分から触れてくスタイルなの?
やっぱ翡翠って変わってんな。それとも、逆に触れない気まずさに耐えかねたか。
俺がオジサンなら『見てみる?』なんて返していたのかもしれないが、それは流石にセクハラだ。しかも俺は実の兄だ。
なんか言葉のチョイスが慎重になるな。
「変わらないんじゃないか?俺もお前も風斗も見た目は前世のままだし」
いや待てよ、本当にそうか?
俺は翡翠の皮を剥いで全部を見た訳でもないし。体のホクロの位置は全部同じなのだろうか?
俺は探偵みたいに口元に手を当て、舐め回すようにじっと翡翠の全身を見つめる。
「えっ、めっちゃ見るじゃないですかっ」
振り返った翡翠と目が合い、互いに視線を泳がせた。
「いや、見た感じ変わらないなと思って」
「そうですか?そうでもないですけど」
翡翠は恥じらうみたいに顔を赤くしてパッと前を向き、猛スピードでカレーをかき混ぜる。
なんだかんだかわいいな。
しかし気になる。
具体的に翡翠のどこがどう変わって、どこが昔のままなのか確認したい。
なんだかとても喉が渇いた。
「見たい」
お玉がステンレス鍋の内側に当たる『カンカン』という断続的な金属に紛れ、俺の本音が吐露されると、翡翠は『えっ』と吃驚して一瞬カレーを混ぜる手を止めそうになる。
カン、カン、カン、カン
金属音のリズムが元の断続的なものに戻った。
これは翡翠に聞こえないフリをされたな、と思った。
「風斗は?変わらない?」
意地悪するつもりはないが、遠回しに聞きたくなった。
「し、知らないですけど」
翡翠は狼狽しているのか『カンカン』という音が乱れに乱れる。
「へえ」
本当かどうか、どちらにせよ風斗は俺が気にしている翡翠の変化を確認出来るって訳だ。それはもう細部に至るまで。
従兄っていいよな。
従兄に出来て双子に出来ない事は多い。
じゃあ逆に、双子に出来て従兄に出来ない事は?
──思いつかない。
「セキレイさんは全然変わらないですよね」
『あっ、勿論、内面の事です』と翡翠は自分の肩の高さに手を掲げた。
「成長してない?」
「悪い意味じゃなくて、いい意味で、ホッとするって言うか、久しぶりに実家に帰ったって感じ?」
それは喜んでいいのか?
「それはどうも」
「そうしてみると、前世で風斗さんのとこに嫁いでから、こうしてセキレイさんと寝食を共にするのは初でしたね」
「出戻りみたいな気分か?」
「夫と一緒にですか?」
「あいつは歓迎してない」
「随分と敵視するんですね。前世では腹違いの兄弟だったのに」
「前世でもこんなもんだったさ」
「それでも、前世では風斗さんを信頼して私を預けてくれたんでしょう?」
「……」
そう、だったな……忘れていた。出来れば俺が翡翠を幸せにしてやりたかったけれど、結局は翡翠の意志を尊重して結果的に翡翠を風斗に差し出したんだった。でもそれは風斗が王で、翡翠が献上品だったからだ。今はわざわざ翡翠をあの変態野郎に差し出す事もないんだけど。
「本当は俺がどうしたかったか知ってるくせに」
俺は城から翡翠を連れ去りたかった。
「私にはセキレイさんがどうしたいかなんて関係なかったんです。私はただ、セキレイさんにとって何が一番最善か、それだけを優先したかったんです。それは今も変わりません」
今も?
「それってどういう意味?」
もしそれが、俺達が双子だから、俺の将来の為に翡翠は俺の気持ちに背を向けているとしたら……?
少しは望みがあるのか?
俺は後ろから翡翠の華奢な肩に触れようとして寸前で思いとどまる。
もし仮にそうだとして、翡翠は俺の為を思ってそうしてくれているのに、俺は自分本位で翡翠の将来をぶち壊していいのか?
駄目だ。
「セキレイさんは大事な人ですから、いつだって、幸せになってほしいと思っているんです」
「俺だって同じだよ」
同じだけど、手放しでそう思っているんじゃない。悔しいけど、そうする他無いんだ。
あーぁ、あーぁだよ、まったく。
「翡翠、俺は風斗の事をいけ好かない奴だと思っているけど、それでも、あいつは前世でお前を幸せにした実績があるから、お前があいつを選ぶなら、俺は良き兄に徹する」
快諾とまではいかないが、どうせ俺の恋心は禁断なのだ、今回もまた翡翠の幸せを願おう。
「お前の旦那の事、殴って悪かったよ」
「セキレイさん……」
翡翠は振り返り、肩に触れようとしていた俺の手を見て瞳を揺らした。
その反応はどう捉えたらいいんだ?
まあ、どっちにしろ、俺に翡翠は触れない。
翡翠は風斗の物だから。
「恋愛ごっこは終わり。安心して、もう触らないよ」
俺は翡翠に掌を見せて、それから手を引っ込めた。
「あっ、はぁ、まぁ……」
翡翠は残念そうな、それでいて悲哀の表情を覗かせて前に向き直った。
どういう感情なんだ?
切なっ。
「俺の妻に横恋慕?間男君」
何の前触れも無く後方から風斗の声がして、それにビビった翡翠の肩が大きく持ち上げられた。
夫相手にそこまでビビるか?
あーーーっ、かわいそっ。いっそ守ってやりたくなるわ。
「誰が間男だよ、居候」
それにしても居候の分際で態度がでかいな。未だに王様気分が抜けないのか?
俺は翡翠から離れ、テーブルに着いた。
いつの間にか音もなくリビングに出て来るなんて、風斗の奴、どこまで俺らの会話を聞いていたんだ?
一気に俺と風斗の間にピリピリとしたムードが漂う。
「ハハッ、まあ居候だけど、従兄のお兄ちゃんなんだからさ、風斗兄ちゃんて呼んでよ」
風斗は軽口を言って笑い飛ばしているが、前世の因果か、なんかムカつくんだよな。それになんでスウェットに上半身裸なんだよ。風斗の甘いマスクに相まった程良い筋肉を見ていると『翡翠は前世でこの胸板に抱かれたんだな』とか『これから翡翠はこの体に抱かれるのか』なんて生々しい想像が頭の中を占めてしまって気持ちが悪い。
「誰がっ」
虫酸が走るな。
「さあさ、カレーが出来ましたんで、ピリピリしてないで食べましょう」
翡翠の一声で、俺達三人はテーブルを囲って夕食を始めた。
「あっつっ!!」
暫く食べ進めると、風斗が剥き出しの胸板にカレーをこぼし、それを隣の席の翡翠がティッシュで拭き取る。
「裸で食べるからこうなるんですよ、お行儀が悪いですね」
翡翠は呆れながらも甲斐甲斐しく風斗の世話を焼いている。
なんか、やっぱり、おしどり夫婦なんだよなあ。
「後でお仕置きする?」
風斗は翡翠の方を見てニヤニヤしている。
二人共、俺の存在を忘れてないか?
俺は二人の間に割って入りたくなる衝動を抑え、カレーに乗った目玉焼きをスプーンで引き裂く。目玉焼きからは黄身が飛び出し、マグマの様に米粒の間を流れていった。
我慢だ、我慢。俺は邪魔者、お邪魔虫だ。静かに見守ろう。
「私にそんな趣味ありません」
翡翠は毅然とした態度でキッパリそう言うと、自分の席に座り直してスプーンでカレーをつつく。
「残念だなあ。俺、スイッチにもなれるのに」
「スイッチ?」
「聞きたい?」
下衆だな。
「風斗さんがニヤニヤしてるんで止めておきます」
「残念だなあ」
と、ここまで二人のやり取りを横目で見てきたが、俺は何を見せられているんだ?
しんどっ。
これを毎朝、毎晩見せつけられるのかと思うと家出したくなったが、そこはやはり翡翠が心配で踏み止まった。
食後、今度は翡翠がシャワーをしに風呂場へ行き、俺は全員分の食器を洗っていた。
風斗はというと、意外にも布巾でテーブルを拭いてくれている。
「お前がテーブルを拭いてる姿なんか初めて見たよ」
俺はコップの濯ぎ洗いをしながらそう言った。
「残念ながら今は王様じゃないからね。食後に牛になる訳にはいかないよ」
風斗は時折鼻歌なんて交えながらテーブルを拭いている。慣れたもんだ。
「一人暮らししてたんだっけ?」
「そうだよ。だから身の回りの事は何でも出来るよ」
「意外や意外」
「王様のイメージが強いだろうからね。今は意外とフツーに大学生してる」
「専攻は?」
「アハ、面接?」
「お前に翡翠を任せられるか気になるだろ?」
不本意ながらな。
「心配?」
「当たり前だろ」
「心配しなくても大丈夫だよ。セキレイは?先の事は考えてる?」
「まあ、良い大学に入って、良い企業に入れるように頑張ってる」
俺の将来から翡翠を除外されれば、特に目標もなければ夢もない将来となる。だから何事も『それなり』程度になってしまう。特に苦労のしない『それなり』な人生を送れればそれでいい。
「セキレイは昔から勉強が出来たから、きっと何にでもなれるよ。結婚は?」
「お前、残酷な事を聞くな」
俺は好きな相手(翡翠)と結婚出来ない運命だというのに、こいつ、俺に喧嘩でも売ってるのか?
好きな相手と結婚出来ないのなら、別にわざわざ結婚しようとは思わない。
「翡翠以外考えられない?」
逆に、好きな相手以外との結婚を考えられる方が不思議だ。いや、前世では俺はダリアと夫婦だったけれども。あんな特殊な例、そうそうあるもんじゃないし。
「なんか、もっかい殴りたくなってきた」
こいつには俺みたいな悩み、微塵も無いんだろうなと思ったら拳が疼いた。
そんな俺をよそに、風斗は『いいからいいから』と上機嫌でテーブルを乾拭きしている。
「何がっ?!」
良かない。
「別に結婚する気は無い」
「彼女は?」
「瑠璃?瑠璃とはとっくに破綻してる」
今は義理だけで瑠璃と付き合っているが、さすがにそれだけで結婚とまではいけない。
「ふーん」
ふと風斗が動きを止めた気配がして振り返ると、風斗は急に真面目な表情で俺を見据えてきた。
「なんだよ?」
こっち見んな。
「別に、なんでもない。普段は二人して夫婦茶碗でご飯を食べてるんだなって」
風斗に夫婦茶碗の置かれた食器棚を指され、俺は自尊心を取り戻す。風斗には悪いが、俺は翡翠と結婚は出来ないにしても、夫婦茶碗を普段使いする程親密であると、自信を取り戻せた気がしたのだ。
「別に、たまたまだよ」
一応、謙遜はしてやるけど。
「別にたまたまじゃなくてもいいんだよ」
「え?」
てっきり嫉妬されるかと思っていたが、風斗の反応は存外寛容なものだった。
……まさか後から翡翠の方がこっぴどいお仕置きを受けたりしないよな?
優しいお兄さんの仮面を被った変態鬼畜野郎の風斗の事は完全には信用していない。
しかしどういった了見なのか……兄妹仲が良いのは良い事だ、的な?
俺が翡翠と結婚出来ないからって余裕をかましているのか?
分からない。変態の考える事は分からない。
「勿論、兄妹なのに夫婦茶碗を使っているなんて凄くジェラシーだけど、俺は、君らの仲が悪かったら悪かったであまり良い気持ちはしなかったと思うんだ」
「へぇ……俺はお前らが険悪だったらしめしめと思うけど」
「正直だね」
──と風斗は苦笑いして椅子の整頓を始めた。
風斗と翡翠が険悪だったら、か……ここはおしどり夫婦だったから考えてもみなかった。
うーん、どうだろう、想像がつかない。でも敢えて想像してみたら、なんだかんだ少なからず悲しい気持ちになるかもしれない。それというのも、どんな形であれ、翡翠には笑っていてほしいからだ。俺が翡翠を幸せに出来なくても、誰かが翡翠を幸せにしてくれるのなら、涙も飲める。
「ハァ……風斗、お前、変な趣味は前世だけで止めてきたんだろうな?」
翡翠を泣かせる奴は誰だろうと許せない。SM趣味なんて論外だ。
「ん?」
こいつが自分の趣味を変だと認識しているかは知らんけど。
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これは愛?
それともただの執着?
じれじれと、甘く、不器用に。
二人の距離は、静かに、でも確かに近づいていく――。
無愛想な上司に、心ごと囲い込まれる、じれじれ溺愛・執着オフィスラブ。
※この物語はフィクションです。
登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。
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