1 王への献上品と、その調教師(ブリーダー)αp版

華山富士鷹

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翡翠への贈り物

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ところで、書類の整理をしていたところ、奴隷商から受け取った翡翠の登録証を見て俺は焦った。

もうすぐ翡翠の誕生日だ。

誕生日だなんて、情が移ってはいけないとスルーするつもりだったが、翡翠の周りの子らが誕生日でもないのにやれぬいぐるみだの、髪飾りだのと貰っては翡翠に自慢するものだから、俺は彼女が憐れで、どうするか頭を悩ませていた。
本人は別にそれに関しては何も言ってこないが、本当はよその子が羨ましいのかもしれない。
瑪瑙の時はきっちりと祝っていたしなぁ。でもそのせいで瑪瑙との距離がおかしくなったのもあるかもしれない。
俺は悩んだ挙げ句、夕方の会議で隣になった鷹雄に小声で聞いてみた。
「え?翡翠の誕生日?やってあげれば?」
いつもの事だが、鷹雄はさして考えもせず普通の音量で答える。
「声がでかいよ。情が移るんじゃあないかと思って悩んでいる」
「じゃあ、事務的に祝えば?」 
これもいつもの事だが、鷹雄は全く懲りずに同じ音量で、俺は早くも諦めた。
「逆に難しいだろ」
「別に情が移ったところで、調教師の自分がしっかりしてればモウマンタイだろ?」
鷹雄は退屈そうに会議資料の端にいかがわしいマークを落書きする。
「それ、最後に回収するらしいぞ」
「あ、やべ」
鷹雄は慌ててそのマークを花にデフォルメした。
中学生か。
「しっかりしていない調教師に聞いた俺が馬鹿だったよ」
俺は深くため息をついて頬杖を着く。
「翠の事悪く言うなよ」
ハッハーと鷹雄は痛快に笑い飛ばしたが、根本的なところが間違っている。
「お前だよ」
俺は、鷹雄に相談してはいつもイラついていた事を思い出し、後悔した。
「俺は薄情な男だからね、情が移るとか移らないとか解んないわけよ」
鷹雄は懲りもせず資料の裏にS○Xと落書きしている。
伏せ字なら許されるって訳でもないからな。
「ユリの事は?ユリの成長を心待ちにしてたろ?」
「ああ、してるさ。それで指南を口実にいけない事をあれやこれやしてやるのさ。でも情が移るのとこれとは話が別だし、俺がユリを愛したとしても、あれは俺なんかに見向きもしないだろうからね」
鷹雄は伏せ字の隣に意味あり気な松茸を描き始めた。
なんかもう、松茸がアレにしか見えない。ほんと馬鹿だな、コイツ。本当に医学部を首席で卒業したのか?
疑わしいところだった。
「ああ、まあ、それはそうかもな。ユリはそうだな。ユリは特別枠だから」
鷹雄の素行もあるが、ユリが彼を好きにならないだろう事は何となく解る。
「それにユリは、翡翠にご執心のようだからね」
「え!翡翠に?」
俺はあまりに寝耳に水で、会議中にも関わらず大声を上げてしまった。
「失礼」
鷹雄が俺の代わりに、集まった視線に謝罪する。
「部屋にいても翡翠の話ばかりして、翡翠の為にしょっちゅうお菓子を作ってるよ。失敗したやつをよく食わされる」
「バレンタインで実験台にされるお父さんみたいだな」
思い返してみると、ユリは誰よりも翡翠の面倒を良く見るし、やけに彼女に近寄りたがっていたなと思った。
子供同士だから特段気にもかけなかったが。
「でも執心って言っても、子供だから、友情の延長みたいなもんだと思うよ?」
「そうか、翡翠も友達が出来て嬉しそうだったから、それならいいけど」
まあ、ユリの事だから特に心配はいらないだろうけど。
「ユリなら、翡翠の誕生日には特別なお菓子でも作るんじゃないかな?」
「かもな。翡翠も喜ぶ」
普段、ユリの前で翡翠はモジモジしているが、きっと友達から誕生日に何か貰ったら嬉しいだろう。
「俺も何かやるべきか、最近は翡翠からおっぱいプリンやらおっぱいチョコやら色々貰ってるしな。てか何でおっぱいなんだ?」
何でかは解らないが、最近の翡翠はおっぱい○○作りに余念がない。それもこれも翡翠が俺の事をおっぱい星人だと思い込んでいるかららしいが、とんだ濡れ衣だ。
……別に、無いよりはいいけれど。
「いや、お前、おっぱい星人で有名だし」
何を今更、と鷹雄に笑われ、俺は納得がいかない。この顔で、このキャラでおっぱい星人という不名誉なレッテルを貼られるのは俺のプライドが許さない。
「どの界隈で有名なんだよ?いつ俺がおっぱいの看板を背負ったよ?てか俺の何を知ってるんだよ」
「瑪瑙はあれでいて意外とたわわだったしな」
鷹雄が自身の胸の前で両手で大きく弧を描き、俺は彼の脇腹を肘で小突いた。
「お前が瑪瑙を語るな、思い出すな、死ね。虫酸が走る」
瑪瑙を穢されたようで無性に腹が立つ。
「でも良かったじゃないか、形はどうあれ、心のこもったお菓子を作ってもらって」
「それは、まあ……」
嬉しいにこした事はないけど、正直、複雑だ。
「あ、そうそう、お前、こないだの健康診断の検尿で糖が出てたぞ、良かったな」
「……」
全然良くねぇよ。
「あ、俺、今スゲーいい事思い付いた」
鷹雄が何かを閃き、ポンと手を打った。
「何?」
俺は嫌な予感はしたが、一応尋ねる。
「おっぱいのお菓子のお礼も兼ねてさ、チ──ツチノコのクッキーとか作れば?」
鷹雄が不自然に言い替えた。
「もうさ、チって言っちゃってんじゃねぇかよ。しかもわざわざそれっぽい生物をチョイスする意味よ」
最早呆れて物も言えない。こいつの頭の中は下ネタでいっぱいだ。
「いやいや、ペ──じゃなくてツチノコのシルエットとかフォルムってかわいいじゃん」
「ペって言うな。てかシルエットにしたら尚更それにしか見えなくなるだろ」
「え?なになに?どれ?何の話?」
「……」
ぶっ殺──
白々しく茶化す鷹雄に殺意すら覚える。
「あ、チョコバナナでもいいじゃん。いたいけな少女がちいちゃなお口でそれにかぶり付く姿なんか、マニア必見だよ?」
「俺はマニアじゃない。お前に相談した俺が馬鹿だったよ」
「俺に相談したお前は馬鹿だよ。ただ、1つだけ言いたいのはさ、プレゼントには2種類あって、1つは送る側の自己満で送るプレゼント、もう1つは貰う側が喜ばしいプレゼント、それだけだよ」
『よく考えてみて』と珍しくかっこよく決めた鷹雄に俺は舌を巻いたが、彼の社会の窓が全開で、感動は帳消しとなった。
「おい、鷹雄、ツチノコ……」
……パンツくらい履けよ。

会議が終わり、俺は鷹雄の分の資料を持って書記席に座る翠に話し掛けた。
「翠、これ、鷹雄と2人分」
俺は一応、落書きされた鷹雄の資料を下にしてそれを翠に渡す。
「ああ、ありがとう」
翠はすぐさま資料をペラペラとめくり、中身をチェックするとあからさまに嫌な顔をした。
「困るんだよねぇ、資料に中学生みたいな落書きとか。しかも油性で書くなよ。何これ、花?下手くそなんですけど。鷹雄だろ?まったくいい歳をして鷹雄ときたら、俺が何度説教しても毎回毎回ツチノコやらゴーヤやら……ネチネチクドクド……しかもお前らときたら、会議中ずっとうるさいし……ネチネチクドクド……」
翠に不正は通じない。しかも淡白な彼には例のマークが不恰好な花に見えるらしい。翠がツチノコとかゴーヤとか思っているのも、実のところ、正体は……
「なあ、翠、今度翡翠の誕生日なんだが、何をあげたらいいかさっぱり解らないんだけど、何かいい案ないか?」
翠がせわしなく鷹雄の落書きに修正液をかけていたが、俺は気にせず尋ねる。
「そんなもの、本人に聞かなきゃ解らないだろ?俺なら木葉の欲しい物は解るけど。というか、木葉は俺が選んだ物が好きなんだけど」
うん、翠と木葉なら何も言わなくても通じ合えている気がする。俺と翡翠はまたまだ解り合えないところが多い。かと言って翡翠とは距離をおかなければならないのに翠ペアが羨ましかった。鷹雄とユリのコンビだって、あれでいてなかなかの絶妙なバランスなのだ。
俺には、何故翡翠がせっせと俺におっぱい○○を作ってくれるのか、彼女がどうすると喜ぶのか、何が欲しいのか、検討もつかない。
まだまだ信頼関係が築けていない証拠か。
「俺のとこもそんなだったら良かったんだろうけど、翡翠は何を考えているのか全然言葉にしてくれないからな、俺にはさっぱりだ。今朝だって、俺がスマホとリモコンを間違って鞄に入れたら、信じられないくらい冷たい目でこっちを見ていたからな」
時には目を見るだけで解る事もあるが、やはり言葉足らずな事も多く、それにより誤解を生む事もある。
「うん、解るよ。コンタクト入れろやって話だよね?てかコンタクトが怖いなら眼鏡かけろやって話だよね?それが嫌ならレーシックしろや」
レーシックのがぶっちぎりで怖いだろ。
「あんな鱗怖くねぇよ。ただ、あれが知らない間に瞼の裏に入り込んで年々たまっていくって聞いたから──」
俺は表では虚勢を張ったが、もう、思い出しただけでも身の毛がよだつ。
「怖いんでしょ」
「……」
翠にズバリ言われ、俺は口をつぐんだ。
「セキレイがピアスしないのってさ、ピアス穴から神経が出てきて、それを引っ張ると失明すると思ってるからなんでしょ?」
翠は資料の数を手際よく数えていて、俺とは片手間に話している様でカチンときた。
「よくわかんねーけど、俺の事馬鹿にしてるだろ?」
「そんな事ないよ。あれは絶対に引っ張っちゃだめだよ?」
『分かった?』と下から覗き込まれ、俺は素直に頷く。
「分かった」
ピアスは絶対にあけない事にしよう。
「んで、翡翠の誕生日の話だっけ?」
「ああ、でも本人に聞けばいいんだろ?」
「まあね。そうだけど、1つだけ言いたいのはさ、プレゼントには2種類あって、送る側の自己満足なプレゼントと、送る側が相手の事を考えて一生懸命選んだプレゼントとがあるんだ。そのどっちに価値があるかは、わかるよね?」
トントン、と翠はテーブルの上で資料を纏めた。
「勿論。翡翠にそれとなくリサーチしながら決めてみるよ」
鷹雄と翠、2人に答えを求めたが、その答えを自分で探すのも大事な事なのだと思った。

夕食時、俺と翡翠はリビングのテーブルでいつもの様に向き合って食事を摂る。
今日の晩御飯はアルファベットの形をしたフライドポテトとハンバーグ、アボカドサラダ、オニオンスープだ。翡翠はその中のフライドポテトを皿の上で並べ、何か単語を作っているもよう。
「食べ物で遊ぶな」
俺が声を抑えて注意するが、翡翠は夢中になって『I』の字を探している。
「セキレイさん、アイが足りないんです。セキレイさんのところから私にアイをください」
愛が足りない!?
愛をください!?
翡翠が欲しかったのは『愛』か?
「待ってろ」
俺は翡翠を注意した事も忘れ、ごそごそと真剣に自分の皿を漁った。

「……ない」
翡翠には申し訳なかったが、俺のところには『I』が無く、やたらと『S』が多い。
「そうですか……アイさえあれば……」
翡翠はがっかりして文字列を片付けようとした。
愛さえあれば……
俺は翡翠が何を欲しているのか詰めて考えていたせいか、何故か彼女の言葉が意味深に変換されてしまう。
くそう、愛さえあれば……
「待ってろ、翡翠」
俺はちょっと狡い手だとは思ったが『L』の字の上の棒をナイフで上手く切り取り、それを翡翠に渡した。
「あ!できた!やったぁ!」
翡翠がその急ごしらえな『I』を文字列の最後にならべると、見たこともない晴れやかな笑顔で歓喜し、俺は身を乗り出してその完成品を拝見する。

『SEKIREI』

「っ……」
心が激しく揺さぶられた。
かわっ……
心臓に悪い。
しかも物凄く嬉しそうに……あんな顔もするんだな。
何だかこっちが贈り物を貰った様な気分だった。
──ただ翡翠よ、俺のスペルは『SEKIREY』なんだ。ごめんよ、最後のアルファベットは『Y』なんだ。
けれど大喜びでその文字列を最後までとっておいている翡翠を見て、俺は『SEKIREY』から『SEKIREI』に改名する事を心に誓う。
「なぁ、翡翠、何で自分のじゃあなく、俺の名前なんだ?」
俺は良い答えを想定した上で聞いてみた。
「え?あー、自分の名前は考えもつかなかったです。最初は翠かユリにしようと思ったんですけど、ざっと見たところアルファベットが足りなくて」
それで仕方なく『SEKIREI』にしたのか。
てか、翡翠は翠どころか、ユリにまでべったりなのか?
俺は悪戯に心を弄ばれた挙げ句、崖から突き落とされた様な雪辱を味わった。
「翡翠」
「はい?」
「早く食べろ」
「はい……」
俺がフォークで文字列を指すと、翡翠はしょんぼりしながら『S』を頬張る。
子供は素直だ。その素直さ故に人に無礼を働いてしまう。相手が王だったら大変だ。
「いいかい?翡翠、もし俺が王だとして、仕方なく自分の名前を使われたら傷付くよな?お前は献上品なのだから、絶対に王を傷付けちゃあ駄目なんだ。解るか?」
ここはしっかりと言って聞かせるのが調教師の務めだろう。俺は小さな子供に言い聞かせる様に翡翠を諭す。
「え?セキレイさん、傷付いてたんですか?」
『I』をフォークでズタズタにしていた翡翠が寝耳に水の様子で顔を上げた。
「いや、だから、もし俺が王だとして」
俺の事はいいんだ。ただ王がね──
「ごめんなさい」
子供は素直だ。その素直さ故に状況をよく把握していないにも関わらず簡単に謝る。
「……早く食べろって」
俺は諦めて翠とユリの絶大なる翡翠人気に屈した。
「それで、時に翡翠、最近、何か物入りな事はないか?何でも買ってやるぞ」
俺はまるでブドウジュースでも飲む様にワインをがぶ飲みする。これは決してやけ酒という訳ではない。極めて通常運行だ。もう一度言う、これは決してやけ酒という訳では……
「え?あー、そういえばそろそろセキレイさん用の歯磨き粉が無くなりそうですよ」
翡翠は晩御飯の8割をたいらげたところで満腹になり、苦手なアボカドを潰してなかった事にしようとしている。
「おい、ペーストにするな。潰したって明日のパンにディップしてやるからな。真っ黒になったやつを」
俺は翡翠の腕を掴んでアボカドを救出した。
「えー、だってこれぐにゅぐにゅしてて粘土みたいなんですもん」
翡翠は口を尖らせてぶうたれたが、食べ物を粗末にする事も、俺の料理をペースト状にする事も見すごせない。
「お前は粘土を食べた事があるのか?好き嫌いは許さないぞ。将来、王との会食でそんな行儀の悪い事をしたら育ちがうかがわれるんだから。調教師の顔が見てみたいってね。それに女ってのは年頃になればとにかくアボカドやらパクチーやら抹茶やらが好きになるんだから、今から食べろ。アボカドは多分、体に凄くいいぞ」
「えー、セキレイさんだって、女の好き嫌いが激しいって鷹雄さんが言ってましたよ?」
翡翠は椅子から足をブラブラさせて俺を非難した。
鷹雄、ぶっ殺──
「俺は好き嫌いが激しいんじゃあない。美食家の食わず嫌いなだけだ」
って、何を言わせるんだ、話が脱線してなかなか進まないじゃあないか。
俺は例の如くイライラし始める。
そう言えば子守りってこんな感じだったな。全然俺の思う通りにいかないんだよ。でも数年して徐々に従順になっていく献上品を見ると、達成感でいっぱいになるんだよな。
ふと、瑪瑙もこんな感じだったなと懐かしく思った。
瑪瑙もよく好き嫌いをして、俺が目を離した隙に俺の皿に嫌いな食べ物をごっそり入れてた。おかげで俺はこの通り健康だけが取り柄になった。
フフ、と俺が思い出し笑いをすると、翡翠が不思議そうにこちらを見ていた。
「何か思い出してたんですか?」
「いや、瑪瑙はお前よりズル賢い奴だったなって」
「瑪瑙さんですか……」
翡翠は急に湿っぽくなり、潰したアボカドを集めだす。
「どうした?」
「いえ、アボカド食べます」
翡翠はやけくそでアボカドをいっきに掻き込んだ。
「お前はお利口さんだな」
俺は空になった翡翠の皿を見て彼女の頭を撫でてやると、翡翠はどこか誇らしく、はにかんだ笑顔を見せた。
つくづく可愛い奴だな。
「んで、歯磨き粉以外に必要な物はないか?」
「え?えぇと、トイレットペーパー」
翡翠がこんなにも所帯染みてしまったのはユリの影響が大きい気がする。翡翠は何かとユリをお手本にしているので、しっかり者の彼女の背中を追っているのかもしれない。別に側室になれば身のまわりの事なんか全部使用人がやるというのに、律儀な事だ。
「そうじゃなくて、こう、ぬいぐるみとか、子供が欲しがる感じの物とか」
「私、自分の事、子供だと思っていません」
そう言って翡翠は胸を張る。
確かに翡翠はこの位の年齢にしては落ち着いているし、大人びている。同じ位の木葉より歳上に感じる程だが、それでも、考えが甘いところや、時々融通が利かなくなるところは子供だなと思う。ちなみに『子供じゃないもん』というセリフは、子供しか言わない。
「お前、この間まで、私は6歳の子供ですとか言ってたろ」
「あ、あれは母親から教えてもらった処世術です」
翡翠が狼狽えているところを見ると、あれは翡翠にとっての黒歴史らしい。
「何でもいいから、何か興味ある物とかないのか?」
「興味……ニシンには興味があります。大好物ですから」
……渋いな。
翡翠が水の入ったコップに手を伸ばすと、彼女のシャツの袖口がスープに浸った。
「あーあーあー、大丈夫か?火傷しなかったか?」
俺はすぐに備え付けの紙ナプキンで翡翠の袖を拭いてやる。
「ぬるくなってたので大丈夫です。それより汚しちゃってすみません」
翡翠はテレビの謝罪会見よりもうやうやしく頭を下げ、俺を当惑させた。
俺に叱られると思ってビクビクしているのか?
別にシャツの1枚や2枚、染み抜きをすればいいだけの事。それに俺だってちょっとしたポカはやる。これくらい、許容の範囲だ。何より翡翠に怪我がなくて幸いだった。
「いや、別に怒ったりしないよ。お前が火傷しなくて本当に良かったよ」
俺が立ち上がって翡翠のシャツを替えてやろうとすると、彼女は胸の辺りで両手をもじもじと揉んですまなそうにする。
「どうした?」
たかがシャツ1枚でそこまで落ち込む事もないだろう。
「このシャツ、瑪瑙さんのお下がりだから……その……瑪瑙さんの大事な形見なのに汚してすみません」
ああ、なるほどね。そういう事だったのか。翡翠は瑪瑙の遺品であるシャツを汚してしまって、俺に申し訳ないと思っているのか。
「なんて顔をしているんだ?俺は怒ってないから、そんな顔するな」
そう言って俺が泣き出しそうな翡翠の頬を摘まむと、彼女はクローゼットの方に目をやる。
「ん?どうした?」
「セキレイさん、クローゼットの銃って瑪瑙さんのですよね?大事にとってあるから、このシャツもそうなのかなって」
「銃って、お前、鍵を開けて中を見たのか?」
しかも子供の目線よりずっと上に隠しておいたのに、どうして?
「はい。あの番号錠は瑪瑙さんがセットしたんですよね?セキレイさんの生年月日でした」
瑪瑙は鍵の暗証番号を墓場まで持って行ってしまったから、あのケースは彼女が死んでから一度も開けていない。俺にしてみたら、別にケースが開くかどうかはさして問題ではない。瑪瑙が生きた証を遺しておきたかっただけだったのだが……俺の誕生日が暗証番号だったとは、瑪瑙の奴も粋な事をする。
「そうだったのか」
嬉しいけれど、瑪瑙はいないんだ、転じて悲しい。
「え?」
翡翠は意外そうに俺を見上げた。
「いや、番号までは知らなかったんだ……」
瑪瑙はもういないのに、彼女から『好きだよ』と言われている気がして胸が締め付けられる。
「開けられないのに、大事にとっておいたんですよね?」
大事にとっておいた自覚はないが、処分しようなんて気にはならなかった。
「……そういう訳じゃあないよ」
俺は瑪瑙を思い出してしんみりしてしまい、上手く微笑む事が出来ない。
「瑪瑙さんが戻ってくるかもしれないから?」
翡翠は、あの瑪瑙に良く似た青い大きな瞳でじいっと俺を見つめていて、まるで俺の真意を探っている様。
「そういう訳じゃあない」
瑪瑙が死んだ事は理解している。というかこの1年、その事は日々痛感していた。厳密に言うと、戻って来てほしいという方が適切だ。
最近では、翡翠のおかげか寂しさは紛れている。
「瑪瑙はもういないんだ、物に執着しても仕方ない。このシャツもいずれは処分しなければならない物だったから、いい機会だったのかもな」
俺はプチプチと翡翠のシャツを脱がしながら、ふと、この部屋に瑪瑙の物はあっても、翡翠個人の物は歯ブラシくらいしかない事に気付く。
翡翠は、瑪瑙が好んだ壁紙の部屋で、瑪瑙のパジャマを着て、瑪瑙が寝ていたベッドで寝て、朝起きると瑪瑙の服を着て、顔を洗って瑪瑙のタオルで拭いて、瑪瑙が使っていた筆記用具で勉強する。全てが瑪瑙尽くしだ。
俺は改めて気付かされる。そこに、翡翠の人権はあっただろうか?
翡翠は何も言わないけれど、本当は不満に思っていたかもしれない。だって、親兄弟間でさえお下がりなんて敬遠される事もあるのに、見知らぬ故人の物を使わされるのはさぞや厭わしかっただろう。
思えば翡翠は、戦争により住む所も、家族も、友人、知人、全て失い、ここへ来た。これじゃあ、翡翠があまりにも可哀想だ。
俺が唐突に翡翠を抱き締めると、彼女は驚いたが、照れくさそうにそれを甘んじて受ける。
「何にも気付いてやれなくてごめんな。これからはいちから色んな物を残していこう」
翡翠へのプレゼントは決まった。彼女へは『自分だけの物』をあげよう。翡翠が独り占め出来るあらゆる物を贈ろう。物だけじゃあない、調教師と献上品の枠は越えてはいけないが、親代わり、兄代わり、友人代わりとなって献上の日までのかりそめの関係を与えてやろう。
かりそめなんだから、せめて、残りの6年間は幸せなものにしてやろう。 
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